小須田和彦 : ウィキペディア(Wikipedia)
小須田 和彦(こすだ かずひこ、1961年〈昭和36年〉 - )は日本のテレビプロデューサー。フジテレビスポーツ局チーフゼネラルプロデューサー。
通称「日本一ついてない男」。
来歴・人物
群馬県出身。群馬県立高崎高等学校(1980年卒、79期「潮流:スポーツとテレビ」、『高崎高校同窓会報』第46号、高崎高校同窓会、平成24年11月30日発行、p.4)では硬式野球部に所属『翠巒体育会報』第31号、翠巒体育会、2012年6月28日発行、P.1。
1981年(昭和56年)、早稲田大学法学部に入学。1985年(昭和60年)、同大学卒業後、制作会社VIC株式会社に入社。1993年(平成5年)、フジテレビジョン(フジテレビ)に入社。主にバラエティ番組を担当し、「ダウンタウンのごっつええ感じ」のディレクター・プロデューサーなどを務めていた。
1997年(平成9年)10月、ヤクルトスワローズの優勝決定試合中継の為「ごっつええ感じ」の特番が急遽中止になり、松本人志の激怒やフジテレビへの不信感から始まり、その後吉本興業をも巻き込んでの番組打ち切り騒動に発展した。同時に小須田が企画していたロンドンブーツ1号2号の新番組が立ち消えとなり、更にはディレクターとして演出担当をしていた「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」が終了した。これらの責任を取る形でスポーツ部に異動『翠巒体育会報』第31号、翠巒体育会、2012年6月28日発行、P.2。さらに同年12月の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、電話口で号泣したところ8秒で合格。友人の甲斐よしひろと飲みながら電話し、明石家さんまに慰められた。この一連の「ついてなさ」や人事異動が、下記のキャラクター「小須田部長」のベースとなった。
オーバーしていた美術予算管理の為に美術部へと人事異動したが、野球や競馬の人気低迷を打破する為にスポーツ局に引き抜かれた。「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」をお台場明石城でプレゼンし、2004年(平成16年)11月1日に復活させた。
2007年(平成19年)初夏の人事異動で、スポーツ局副部長からバラエティセンターに復帰した。2009年(平成21年)6月、水口昌彦がポニーキャニオン取締役に就任するのを機に、デスク担当部長から部長に昇進した。2011年(平成23年)6月29日付で、専任局次長に就任連合通信ドットコム6月24日投稿日より。
2012年(平成24年)6月28日より現職。
小須田部長
小須田をモデルとした「小須田部長」は1999年(平成11年)11月から2001年(平成13年)9月まで同局で放送された『笑う犬の冒険』で内村光良が演じたキャラクターである。
部長職に付くまでは優秀な人物だったのだが、忘年会で社長の物真似をした事から社長を激怒させてしまい、その後毎回のように余計な事をやって社長や幹部を怒らせ、都度転勤(左遷)となって無茶な作業をやらされ(毎回役職も変わっているため、厳密には部長ではない)、妻から三行半を叩きつけられる。
最終回では映画「アルマゲドン」に近いテイストのコントを披露し、宇宙へと旅立った。
担当番組
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(横澤彪班)AD
- 夢で逢えたら(ディレクター)
- 夢の中から(ディレクター)
- ダウンタウンのごっつええ感じ(初期・ディレクター→アシスタントプロデューサー→中 - 後期・2代目プロデューサー)
- 年忘れソバ喰ってもちスペシャル しっかりせなあかんて!(ディレクター)
- 冒冒グラフ(プロデューサー)
- 挑戦大みそか!今田・東野・板尾の鬼のいぬ間に天下獲るったるねん!(1995年、プロデューサー)
- 一人ごっつ(プロデューサー兼ディレクター)
- おえかきバラエティ びっくりピカソおもしろゴッホ(プロデューサー)
- 明石家さんまのスポーツするぞ!大放送(チーフディレクター)
- 平成教育テレビ
- さるしばい(プロデューサー)
- 力の限りゴーゴゴー!!
- 一人ごっつ
- 笑う犬シリーズ
- めちゃ×2イケてるッ!
- 胸さわぎの土曜日
- プレゼンタイガー
- 27時間テレビ
- エブナイ
- あしたのG
- プロ野球珍プレー・好プレー大賞
- うまッチ!(プロデューサー)
- スーパー競馬(プロデューサーとして長野翼を抜擢)
- スポーツLIFE HERO'S(編集長)
注釈
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/08/25 02:04 UTC (変更履歴)
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