渡辺幸太郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

渡辺 幸太郎(渡邊、わたなべ こうたろう、1888年10月23日衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、8頁。 - 1985年8月17日『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』588頁。)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。

経歴

新潟県出身。1905年、新潟商業学校卒。陸軍に入り、歩兵中尉となる。亀田町長、同町議、新潟県議、国勢調査員、小作調停委員、帝国在郷軍人会亀田町分会長、新潟時事新聞社理事となる。

1932年の第18回衆議院議員総選挙において新潟2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』100頁。。1936年の第19回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1969年亀田町名誉町民。1985年死去。

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/05/22 10:37 UTC (変更履歴
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