津波恒徳 : ウィキペディア(Wikipedia)

津波 恒徳(つは こうとく、1927年 - )は、沖縄県出身の沖縄民謡歌手、三線奏者で、「ちぶみ」、「二人が仲」などの作曲作品でも知られる - 琉球新報サイトにて閲覧。

生い立ち

1927年、読谷村長浜に生まれる。父は野村流古典音楽の師範、叔父は玉城流舞踊の師範であり、物心つくころから三線が弾けたという。戦時下、15歳のときに集団就職により大阪へ赴き、紡績工場で働くが、きつい仕事に耐えられず、親戚を頼って大阪や長崎を転々とした。

民謡歌手

第二次世界大戦の終戦時に18歳であった津波は、民謡を志し、1948年に沖縄へ戻った。津波は、故郷の読谷村で理容所を営みながら、知名定繁に師事し、古典音楽や昔歌の発掘に取り組んだ。

やがてラジオやテレビの番組などに出演するようになり、のど自慢荒らしや、登川誠仁、喜納昌永との民謡ショーなどの活動で名を上げた - 琉球新報サイトにて閲覧。また、1959年には、石原節子とのデュエット曲「ひじ小節」でレコードデビューした。

その後は、後進の指導にも取り組み、金城実や古謝美佐子、松田永忠 、松田弘一らを育て、また、自らの流派として恒弦会を開き、琉球民謡保存会会長なども務めた。なお、松田永忠は恒徳の従弟にあたる。

1999年からは、息子である津波恒英や、嘉手苅林次とともに、「ゴーヤー・トーンズ」としての活動も行った。

ディスコグラフィ

  • 与論ラッパ節(1998年)
  • シンガポール小(2000年)

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