福地曠昭 : ウィキペディア(Wikipedia)

福地 曠昭(ふくち ひろあき、1931年2月28日 - 2018年7月5日)は日本の政治運動家。

1931年2月28日、沖縄県大宜味村喜如嘉生まれ。

沖縄教職員会政経部長だった1967年3月29日、暴力団「東亜友愛事業協同組合」沖縄支部の組員2人に那覇市内の路上で刺され、2カ月の重傷を負った。

本土復帰運動を担い、平和運動を支えるなど、戦後沖縄史と重なる人生だった。

沖縄人権協会理事長や沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会代表、沖教組委員長、原水協理事長、教育振興会事務局長、県国際交流財団副理事長、県精神保健福祉協会長などを歴任した。

2018年7月5日午前1時3分、沖縄市内の病院で死去した。87歳。

参考文献

著書

  • 『沖縄史を駆け抜けた男』<同時代社>、2000年10月。ISBN 4886834353

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/20 01:55 UTC (変更履歴
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