三上康雄 : ウィキペディア(Wikipedia)
三上 康雄(みかみ やすお、1958年1月20日 - )は、日本の映画監督映画関係者で、ワンダースリー、悟空の大冒険、アニマル1の資料=三上康雄と同名者がいるが、全くの別人である、脚本家、映画プロデューサー。
株式会社三上康雄事務所の代表取締役社長。
略歴・人物
大阪市東区(現中央区)生まれ。近畿大学商経学部経営学科卒業。大学4年生時に米国フォートライトカレッジに留学。
中学から大学まで剣道をしていた。このことが後の作品に影響を与える。
1974年、高校時代に、自主映画の製作グループ「BJcc」を結成する。数本の短編を監督、近畿大学在学時には1年に1作品のペースで時代劇やアクション映画を4本監督する。
当時の自主映画は青春や日常を描いた作品が多かったが、時代劇や活劇を作っていたため、新作完成の度、テレビ毎日放送「かんさい珍版・瓦版」1977年12月1日放送、1978年8月3日放送、1978年10月16日放送。NHK「NHKアワー」1979年7月13日放送。NHK「スタジオ640」1981年1月12日放送。NHK「ニュースワイド近畿」1981年1月28日放送。「蠢動」の公式サイトに当時の画像が掲載されているやラジオ毎日放送「ラジオ朝市」1976年10月21日放送。毎日放送「ごめんやす馬場章夫です」1978年11月15日放送。ラジオ大阪「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」1978年11月3日放送。ラジオ大阪「浜村淳のサタデーバチョン」1979年6月23日放送、新聞朝日新聞:1980年9月2日、1982年5月21日。大阪新聞:1982年5月5日。毎日新聞:1982年5月17日。日経新聞:1982年5月17日。サンケイ新聞:1982年5月18日。、キネマ旬報のグラビアキネマ旬報:1979年5月上旬号、1979年5月下旬号、1979年6月下旬号、1980年7月下旬号、1982年5月下旬号、1982年10月上旬号、1983年2月下旬号、世界映画・記録全集(1983年版)、小型映画(玄光社)の記事小型映画:1979年5月号、1979年7月号、1980年8月号、1981年9月号、1982年6月号、1982年10月号、シネアルバム(芳賀書店)のグラビアシネアルバム:1980(1979年公開映画全集)、1983(1982年公開映画全集)、雑誌の記事「京阪神Lマガジン」1982年5月号、「プレイガイドジャーナル」1982年5月号、「びあ」1982年10月号、「シティロード」1982年10月号、「バラエティ」1982年11月号等で紹介された。大学卒業時の1979年6月にグループは解散するが、この解散式兼上映会の模様は毎日放送の1979年6月25日放送の「MBSナウ」でニュースとして取り上げられた。
1982年に、自主映画初の16ミリ時代劇映画「蠢動」を監督し完成(「蠢動-しゅんどう-」ブルーレイ特別版に収録)
1980年から、家業のミカミ工業に入社し、2001年に代表取締役社長に就任。製品やカタログ等の企画やデザインは自ら行い、2011年にミカミ工業の全株式をM&Aで売却する。
2012年に劇場用映画製作会社の株式会社三上康雄事務所を設立する。
2013年に監督した時代劇映画「蠢動 -しゅんどう-」で日本映画監督協会の新人賞にノミネートされた。
2019年には時代劇映画「武蔵 -むさし-」を監督した。
2020年には書籍「武蔵のすべて」を編集・構成し、加来耕三、島田裕巳らとともに執筆した。
2022年には1989年に米国旅行の際に撮影したビデオを再編集、再リミックスして「1989 : A East Coast Trip」として完成(YouTubeで公開)
映画製作では、監督のほかプロデューサー、脚本、編集も兼任。また、武道(居合・殺陣等)、日本史、世界史にも精通している。
監督作品
- 荒野の狼(1976年)
- 乱流の果て(1977年)
- 二天一流(1978年)
- 闘争の宴(1979年)
- 蠢動(1982年)
- 1989 : A East Coast Trip (1989年-2022年)
- 蠢動 -しゅんどう-(2013年)
- 武蔵 -むさし-(2019年)
著 作
- 武蔵のすべて(2020年)
外部リンク
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