岩橋邦枝 : ウィキペディア(Wikipedia)
岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 - 2014年6月11日)は、日本の小説家。本名、根本邦枝。
来歴・人物
広島県広島市生まれ「『浅い眠り』からよみがえった主婦作家・岩橋邦枝の実力 "女慎太郎"と呼ばれて以来26年ぶり」『週刊朝日』1982年4月16日号 pp.40-41。父・岩橋八洲民は植物学者で当時広島文理科大学副手。1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した強靱な作家精神、故滝口康彦さんを特集・草茫々通信第4号発行 -佐賀新聞。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)から、お茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年『婦人公論』の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が『文藝』全国学生小説コンクールに当選、1955年『婦人公論』募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が『新女苑』に発表され、女版石原慎太郎としてマスコミが殺到した。当時の女性では先端的だったオートバイを駆り、マフラーを風になびかせ走らせた。「逆光線」と「女子寮祭」が映画化され、短編集『逆光線』を上梓する。1957年お茶大を卒業、執筆をやめ、英文タイピスト、別荘番などの職につき、『女性自身』で1年、社会面的なルポライター、『週刊平凡』で1年コラムを持つ。1960年根本英一郎と結婚、一女を儲ける。
1965年から『小説現代』を中心に中間小説を書くが、1972年これをやめ、1974年野間宏の励ましで17年ぶりの純文学作品「日時計」を『文藝』に発表。1975年と1976年、「暮色の深まり」「冬空」で芥川賞候補。
1982年『浅い眠り』で平林たい子文学賞、同年夫が急逝。1986年夫の死を描いた『伴侶』で芸術選奨新人賞、1992年『浮橋』で女流文学賞、1994年『評伝 長谷川時雨』で新田次郎文学賞、2012年『評伝 野上彌生子−迷路を抜けて森へ』で紫式部文学賞、蓮如賞受賞。日本文藝家協会理事、新田次郎文学賞選考委員。
2014年6月11日午後4時43分、汎発性腹膜炎のため福岡市中央区の病院で死去作家の岩橋邦枝さん死去…女性文学者の評伝など 読売新聞 2014年6月12日。79歳没。
著作
- 『逆光線』三笠書房 1956
- 『蜜の渇き』実業之日本社 1972
- 『静かなみじかい午後』河出書房新社 1976
- 『浅い眠り』講談社 1981
- 『愛と反逆 近代女性史を創った女たち』講談社 1984
- 『真夏日』講談社 1984
- 『伴侶』新潮社 1985
- 『岩橋邦枝の誹風柳多留』集英社 1987。(わたしの古典)集英社文庫 1996
- 『中空に』講談社 1987
- 『迷鳥』講談社 1988
- 『ためらいの時』講談社 1989
- 『干拓地の春 岩橋邦枝自選短篇集』学芸書林 1989
- 『好色五人女 堀川波鼓』講談社 1990 (古典の旅) 。(古典を歩く)講談社文庫 1998
- 『浮橋』講談社 1992
- 『評伝 長谷川時雨』筑摩書房 1993。講談社文芸文庫 1999
- 『泡沫の秋』新潮社 1995
- 『夢の火』講談社 1999
- 『月の光』講談社 2002
- 『評伝 野上彌生子-迷路を抜けて森へ』新潮社 2011
翻訳
- リチャード・ゲェーマン『光りよ・ここに』四季社 1961
その他
- 「逆光線」が古川卓巳監督で日活の太陽族映画として作品化され、映画公開後、作品を観て興奮した16歳の少年が映画館内のトイレで、5歳の女の子に対して強姦傷害事件を起こした少年犯罪データベース 昭和31年(1956)の少年犯罪。
参考
- 日本近代文学大事典
- 「評伝長谷川時雨」附載年譜
関連項目
- 日本の小説家一覧
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/11 23:22 UTC (変更履歴)
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