宮田東峰 : ウィキペディア(Wikipedia)
宮田 東峰(みやた とうほう、1898年3月24日 - 1986年1月13日)は日本のハーモニカ奏者。作曲家。本名:宮田孝三郎(こうざぶろう)。群馬県前橋市出身。日本作曲家協会常任理事、日本コロムビア常任顧問などを務めた。兄は東京マンドリン宮田楽団創立者の宮田信義、息子はジャズ・フルート奏者の宮田英夫。
ハーモニカ奏者として
1918年(大正7年)中央大学経済学科在学中にハーモニカバンド(現:
)を結成。ハーモニカの奏法は独習し、1918年には日本初のハーモニカ合奏団を結成した。これが後の「ミヤタ・ハーモニカバンド」である。同年、東京ハーモニカ協会を創立。大学は同年に中退日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊) 。同バンド」で当時流行の歌謡曲を多数演奏し、「歌のない歌謡曲」として有名だった。
1925年には自身監修の「ミヤタハーモニカ」を発売し、複音ハーモニカを代表するモデルの一つとなった。
1974年4月には勲三等瑞宝章に叙せられた。
1986年1月31日没。行年87歳。戒名は龍光院孝誉栄楽東峰大居士
2012年、大衆音楽の殿堂入り。
2022年、雑司ヶ谷霊園に所在する墓所が無縁墳墓に指定された。
作曲作品
- 「輝く東京オリンピック」(1959年)
- 「十国峠の白い花」島倉千代子(1961年)
- 「四谷大塚進学教室の歌」(作詞:石本美由起)
他多数
著書
- 「ハーモニカ教本」
- 「ミヤタハーモニカ独習」
- 「音楽に生きる」
褒章
- 藍綬褒章(1960年)
- 勲四等旭日小綬章(1968年)
- 勲三等瑞宝章(1974年)
監修楽器
- 昭和楽器製造
- ミヤタソプラノ
- 明星ミヤタ
- 少年用学生ミヤタ
- スペシャルミヤタ
- ミヤタハーモニカ
- Showa21スペシャル(リニューアル版)
- 鈴木楽器製作所
- ミヤタハーモニカ
- 高級ミヤタMH-21(復刻版)
- ミヤタハーモニカ
- 東海楽器製造
- 高級ミヤタ
- 特製ミヤタ
- スターミヤタ
- スーパーミヤタ
- ミヤタ響鳴
- ジュニアミヤタ
- ミヤタホーン
- トンボ楽器製作所
- ミヤタトンボ
- ミヤタバンド
- 内外ロビン楽器製作所(販売は、新興楽譜出版社)
- MIYATA'ハーモニカ
- コンダクターミヤタ
- ミヤタ・ファン
- ミヤタ監製
- 中央楽器製作所
- 学生ミヤタ
- ミヤタソロ(ミヤタ獨奏)
- ニューミヤタ
出典
外部リンク
- 高級ミヤタ MH-21鈴木楽器製作所
- Showa21スペシャル昭和楽器製造
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/26 02:00 UTC (変更履歴)
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