徳川光子 : ウィキペディア(Wikipedia)
徳川 光子(とくがわ あきこ、1819年6月19日(文政2年閏4月27日)『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.161 - 1906年(明治39年)10月26日)は、江戸時代後期から明治時代の女性。田安徳川家当主・徳川慶頼の正室。父は閑院宮孝仁親王。母は鷹司吉子。
旧名は佳子女王(よしこじょおう)。幼称は睦宮。別名は直子。睦宮佳子とも表記される。
生涯
閑院宮孝仁親王の三女として生まれる。母は鷹司政煕の娘である鷹司吉子。1846年(弘化3年)に江戸で田安徳川家当主・徳川慶頼の正室となる『旧華族家資料所在調查報告書 第3巻』(1993年、学習院大学史料館)。
1906年(明治39年)10月26日、死去。享年87。墓所は東京都台東区の寛永寺『徳川諸家系譜』(1984年、続群書類従完成会)。
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