赤川孝一 : ウィキペディア(Wikipedia)

赤川 孝一(あかがわ こういち、生没年不詳)は、日本の映画プロデューサー。

概要

東大文学部、京大法学部を卒業後、満洲国文教部社会教育課や満映製作課を経て、戦後に帰国。東横映画九州支社に合流し、1951年の東映発足で東京本社へ転じた後、教育映画自主製作配給委員会事務局長や教育映画部企画製作課長として、満州時代にも関与していた農村部への巡回映写事業や『白蛇伝』などの教育映画、アニメーション映画製作を行った。1961年、テレビ朝日に東映が出資した経緯から朝日テレビニュース社に移り、1965年頃に退社した。

満州時代は満映理事長だった甘粕正彦の側近であり、内田吐夢とともに死の瞬間を看取っている。息子は作家の赤川次郎

代表作

  • うかれバイオリン(1955年 日動動画)
  • 二宮尊徳の少年時代(1957年 東映教育映画部)
  • こねこのらくがき(1957年 東映教育映画部)
  • かっぱのぱあ太郎(1957年 東映教育映画部)
  • 北海道の大自然(1957年 東映教育映画部)
  • 白蛇伝(1958年 東映動画)
  • 夢見童子(1958年 東映教育映画部)
  • 六人姉妹(1958年 東映教育映画部)
  • 福沢諭吉の少年時代(1960年 東映教育映画部)
  • マッキンレー征服(1960年 東映教育映画部)

参考文献

  • 「本は楽しい 僕の自伝的読書ノート」赤川次郎著、岩波書店

関連項目

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/10/21 22:43 UTC (変更履歴
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