渡辺正人 : ウィキペディア(Wikipedia)

渡辺 正人(わたなべ まさと、1979年4月3日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ。

経歴

プロ入り前

上宮高等学校では、2年次の夏の大阪府大会に1番打者として出場。前川克彦を擁するPL学園に決勝で敗れた。3年春の第69回選抜高等学校野球大会では、同級生の山田真介、三木仁らとともにベスト4に進む。1997年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。当時マスコミからは「二世」と呼ばれ、いきなり背番号3を与えられるなど、入団時の期待は高かった。

ロッテ時代

までの3年間はほぼ二軍暮らしだったが、に一軍初出場・初安打を記録。

に小坂誠の故障でチャンスをつかみ、9番・遊撃手に定着する。6月に小坂が復帰して以降はスタメン機会は減ったが、その後も一軍に定着し続け、セカンドやサードの守備固めとして起用されて初の100試合出場を達成した。

もベテランの堀幸一や守備に不安のあるホセ・フェルナンデスの守備固めとして重要な働きをしただけでなく、打撃面でも7本塁打と意外なパンチ力を見せ、「守備は良いが、打撃がいまいち」という評価を覆す活躍を見せた。シーズン終盤には肘に故障を抱えていた堀が指名打者に回ったことでおもに9番・二塁手としてのスタメン出場を続けた。

シーズン序盤にヘッドスライディングで左手を骨折すると、同じ内野手の西岡剛や今江敏晃のブレイクで出場機会を減らす。

は西岡と今江がレギュラーに定着したことでわずか20試合の出場に留まったが、日本シリーズ(対阪神タイガース)で小坂、堀の故障により出番がめぐり、第1戦で9番・二塁手で先発出場。同点に追いつかれた5回表二死二塁の場面、赤星憲広のバウンドの難しいセカンドゴロを前へ突っ込んで刺すファインプレーを見せると、裏の先頭打者として井川慶からチェンジアップを打って左前安打で出塁。ロッテはこの回3点を奪い勝ち越しに成功し、勝利した。その後は選手層が厚いこともあり、1打席しか出番がなかった(第2戦の8回、結果は二ゴロ)が、江夏豊に「ちょっとでもボールを握り直したら、赤星の足を考えれば間違いなくセーフだったろうし、最高の技術と勇気が必要なプレーだった」「渡辺の二つのプレーはこのシリーズで最も光っていた」と絶賛された『Number』640号、P31。また、アジアシリーズの決勝戦(対三星ライオンズ)では、負傷の今江に代わり途中出場。3-1の4回裏、二死一塁から本塁打を打つなど、大舞台に強いところを見せた。

は小坂の移籍で守備要員としての地位を上げ、久々に出場機会を増やしたが、打率1割台でレギュラー定着には程遠い成績に終わった。

も打率1割台に終わった。

は、28試合の出場に留まるも打率.306を記録。5年ぶりの本塁打を放つなど、少ない出場機会の中で好成績を残した。しかし、とは2年連続で1桁の試合出場に終わるなど、出場機会を減らしていく。

は遊撃手の荻野貴司の故障もあり、出場機会を増やす。7月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、ダルビッシュ有からプロ入り初のランニング本塁打を放った。

は根元俊一が遊撃手に定着したこともあり、自己最少の2試合の出場にとどまった。10月7日に戦力外通告を受けた。

独立リーグ時代

、長野県を本拠地とするBCリーグ・信濃グランセローズに守備・走塁コーチ兼任選手として入団。

現役引退後

6月24日に選手契約を解除し、コーチ専任になることが球団から発表された。シーズン終了後、退団した。

、石川県を本拠地とするBCリーグ・石川ミリオンスターズにヘッドコーチとして入団。からは監督に就任した。監督初年度は、リーグ西地区で前後期を連覇した。就任にあたり、前年リーグワーストを記録した守備の立て直しに努めるとともに、選手の健康管理を見直し、故障者をほとんど発生させなかったと報じられた。シーズン終了後契約満了で退任。

、1月1日付でオリックス・バファローズ球団本部管理部スコアラーグループ入り。

1月11日、韓国プロ野球のSSGランダースで、二軍守備コーチに就任することが発表されたhttps://x.com/muroi_m/status/1745326314184392851?s=46&t=eZP8Q-G79vEQv5eJbip1Jg。

プレースタイル

内野はどこでも守れる堅実な守備が持ち味。長らく控えとして二塁を中心に守ってきたが、本人は遊撃手としての強いプライドを持っており、守備練習の時には遊撃手の練習を重点的に行っている【野球好きコラム】 大型ショートJ SPORTS、2011年7月20日。

前述の通り打力は乏しく、通算打率は2割を辛うじて超える程度である。長打力はあるが三振が多い。なお、入団以来規定打席到達と2割5分以上打ったことはなかったが、2008年に40打席ながら打率.306を記録し、初めて2割5分を超えたが、規定打席到達は最後までならなかった。

人物

2005年のオフシーズンに、TBSのSASUKEに当時チームメイトの早坂圭介とともに出たことがあるが、両者とも1stSTAGEでリタイアしている。

ロッテ時代に使用された応援歌は、2009年まで使用されたものと2010年以降に使用されたものの2つ存在し、2009年までの物は韓国の男性アイドルグループUNの「一生」が原曲で、2010年以降の応援歌の原曲は加藤紀子の「小さな幸せ」。

詳細情報

年度別打撃成績

ロッテ2138313700073014030080.226.294.226.520
1061591411628422421123701100413.199.257.298.554
1041911602035737692620182902512.219.266.431.697
4364584144001890240200191.241.267.310.577
2014132320054000010031.231.286.385.670
6880728141101720030302230.194.247.236.483
345952792001130020401160.173.246.212.457
2840364112011630020200130.306.342.444.787
3000000000000000000----------------
9860110020001010030.167.286.333.619
54120105101831126100060504300.171.237.248.484
2330000000000000010.000.000.000.000
通算:12年4927766777414026711213714647241092087.207.261.315.575

年度別守備成績

年度一塁二塁三塁遊撃
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
2001-5914031.0001591432.885112001.000
2002-24273823.9704291514.9604358119425.978
2003-5481107224.9895961612.9577181733.921
2004-629031.000261824011.00012101114.955
2005110001.000533021.000603001.0009110011.000
2006-422032061.000851110.941232364214.978
2007-15192613.97820000-17123138.935
2008120001.000433001.000914001.000161227210.951
2009-201001.00010000--
2010-302001.000223001.000-
201120000.000-859011.000424881412.970
2012100001.000--131001.000
通算530001.000160164235544.9881785599610.9631711863631977.967

記録

NPB
  • 初出場:2001年6月18日、対オリックス・ブルーウェーブ12回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回裏に堀幸一に代わり三塁手として出場
  • 初打席:同上、9回表に萩原淳の前に遊飛
  • 初先発出場:2001年7月31日、対大阪近鉄バファローズ20回戦(大阪ドーム)、9番・三塁手として先発出場
  • 初安打:同上、6回表にショーン・バーグマンから左前安打
  • 初打点:2001年8月4日、対西武ライオンズ20回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に三井浩二から左前適時打
  • 初本塁打:2002年5月3日、対西武ライオンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、5回裏に三井浩二から左越3ラン
  • 初盗塁:2002年8月21日、対大阪近鉄バファローズ20回戦(宮城球場)、6回裏に二盗(投手:高木康成、捕手:古久保健二)

独立リーグでの打撃成績

年度球団試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点盗塁犠打犠飛四球死球三振併殺打打率出塁率長打率OPS
信濃5720434571513102204012524614.279.362.500.862
26841421300277110133223.250.370.321.691
通算:2年8328848781813129275013856817.271.364.448.812

背番号

  • 3(1998年 - 1999年)
  • 40(2000年 - 2012年)
  • 6(2013年 - 2014年)
  • 2(2015年 - 2017年)
  • 80(2024年 - )

出典

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
  • 信濃グランセローズの選手一覧

外部リンク

  • 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
  • - 本人による公式ブログ

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/13 01:04 UTC (変更履歴
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