田上嘉子 : ウィキペディア(Wikipedia)
田上 嘉子(たがみ よしこ、本名 - 下絛 嘉子(旧姓 - 田上)、1922年3月12日 - 2007年1月12日)は、日本の女優。元子役。東京都出身。日本大学芸術科中退。
夫は俳優の下條正巳。長男は俳優の下條アトム。
人物
新童話劇場に所属し、子役として活動。
1934年6月、築地座を脱退し劇団創作座の創立に参加。
1937年、東宝劇団入団。1940年、本流新派入座。1942年、井上演劇道場入団。
その後はプレーヤーズセンター、森の会を経て、1959年9月、劇団現代座入団。1962年7月に現代座を退団し、同年9月、劇団新人会に入団。
舞台を中心に活動していた。結婚後、ラジオの声優を活動の中心としていた時期がある。
築地座・創作座時代には少女名優と謳われ、『京都三条通』の加地喜代役を村山知義はテアトロの批評で「13歳だそうだが、実にしっかりしている。天才ではないかと思う」と評している。足立直郎は東宝劇団時代の『土』のおつぎ役を「相当将来性がある」と称した。
主な出演作品
映画
- みんなわが子(1963年)
テレビドラマ
- この瞳(1956年、NHK)
- 月見草(1957年、KR)
- 石となりぬる(1957年、KR)
- ここに人あり(1958年、NHK)
- 裸の町(1958年、NHK)
- 鉄腕アトム(1959年、MBS)
- 天使の部屋(1960年、NHK)
- 指名手配 第27回「黒い変質者」(1960年、NET)
- 黎明(1960年、NHK)
- 晩菊(1960年、NET)
- ヘンゼルとグレーテル(1961年、NHK)
- この光は消えず キュリー夫人(1961年、NHK)
- あすをつげる鐘 近代教育の父ペスタロッチ(1961年、NHK)
- 江戸育ち 江戸家猫八(1961年、NHK)
- 娘と私(1961年 - 1962年、NHK)
- おかあさん 第217回「マタニティ・マーチ」(1963年、TBS)
- 愛と死をみつめて(1964年、TBS)
- じゃまっけ(1964年、TBS)
- 嘘つき(1965年、NHK)
ラジオドラマ
- 谷間(1951年、NHK) - 田代節子
- かくて夢あり(1953年 - 1954年、NHK)
- 花はもえている(1955年 - 1956年、NHK)
舞台
- レールは唸る(1933年、東京青年俳優劇団プロット加盟準備公演) - ミイチカ
- 数(1934年、劇団創作座) - 君子
- 鼬(1934年、劇団創作座) - お君
- 聯絡船(1934年、劇団創作座) - 映画女優の弟子
- 京都三条通り(1934年、劇団創作座) - 加地喜代
- 村道(1935年、劇団創作座) - 宇佐美綾子
- 鼬(1935年、劇団創作座) - お咲
- 猪之吉(1935年、劇団創作座) - 房子
- クレオパトラ美容室(1935年、劇団創作座) - ミチ
- あらし(1935年、劇団創作座) - 看護婦D
- 母親(1935年、劇団創作座) - 美津子
- 築地明石町(1935年、劇団創作座) - おなを
- 土(1939年、東宝劇団) - おつぎ
- 田植唄(1940年、東宝移動文化隊)
- 橋からの眺め(1959年、劇団現代座) - ビアトリス
- 愚者の死(1960年、劇団現代座) - 勝子
- 月明らかに星稀なり(1962年、劇団新人会) - 老尼
- トロイアの女(1963年、東大ギリシァ悲劇研究会) - アテーナ―
- 戯劇春秋(1963年、劇団三期会 劇団新人会 劇団青年座 劇団同人会、劇団仲間合同公演) - 馮韻荷
- さすらい(1964年、劇団新人会) - 埃太女神官
参考文献
注釈
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/15 04:05 UTC (変更履歴)
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