高村栄一 : ウィキペディア(Wikipedia)
高村 栄一(たかむら えいいち、1902年11月26日 - 没年不詳)は、日本の俳優『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、330頁。『日本映画人改名・改称事典』国書刊行会、2004年。。
概要
髙村 榮一と表記されることもある。本名は津田 信夫(つだ のぶお)。旧芸名は環 晴夫など。
来歴・人物
1902年(明治35年)11月26日、岐阜県に生まれる。
順天中學校(現在の順天中学校・高等学校)から慶應義塾大学経済学部に進学するが、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災で敢え無く中退。その後、東京毎夕新聞の新聞記者となるが、中学時代に歌舞伎の巡業劇団に加わったり、大学時代にも翻訳劇団に関係したことから俳優に転向し、環晴夫名義で森三之助、明石潮、遠山満、五月信子らの一座を転々とする。
1925年(大正14年)、東亜キネマに入社すると共に髙村栄一と改名。多数の現代劇・時代劇で敵役として活躍する。1932年(昭和7年)、松竹蒲田撮影所へ移籍し、芸名も勝俊二と改名。1934年(昭和9年)、再び芸名を髙村栄一に戻して大都映画に移籍するが、1942年(昭和17年)の大映統合に伴い東京撮影所に移籍し、1971年(昭和46年)の大映倒産まで脇役として活躍した。しかし、その後の消息は明らかになっていない。没年不詳。
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/28 15:14 UTC (変更履歴)
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