ギュスターヴ・シャルパンティエ : ウィキペディア(Wikipedia)
ギュスターヴ・シャルパンティエ(Gustave Charpentier, 1860年6月25日 - 1956年2月18日)は、フランスのオペラ作曲家、指揮者、台本作家。
略歴
モゼル県にてパン職人の家庭に生まれる。リールの音楽学校に学んだ後、1881年にパリ音楽院に入学。ジュール・マスネに作曲を師事し、1887年にカンタータ《ディドー》(Didon )でローマ大賞を受賞。ローマ滞在中に交響詩《イタリアの印象》(Impressions d'Italie )を作曲し、オペラ《ルイーズ》(Louise )の台本作成と作曲にも着手した。
帰国後は、ボードレールやヴォルテールのテクストにより歌曲の作曲を続けていたが、ようやく《ルイーズ》が完成すると、パリのオペラ=コミック座に受理され、公演の準備が進められた。このオペラは、パリの労働階級の日常を写実的に描き出しているので、フランスにおける最初のヴェリズモ・オペラと見なされることがある。《ルイーズ》は1900年2月2日にアンドレ・メサジェの指揮で初演され、オペラ=コミック座で20世紀で最初に上演された新作オペラとなった。この作品はたちまち成功を収め、世界各地で演奏されるようになり、ギュスターヴ・シャルパンティエの名を広めた。また、当時の上演で主役を演じた、スコットランド出身の名ソプラノ、メアリー・ガーデンにとってもルイーズは当たり役となった。 1939年にはグレース・ムーアの主演で映画化もされた。《ルイーズ》は今日なお時おり上演されるだけでなく、このオペラのアリア《その日から》(Depuis le jour )は、ソプラノのリサイタルの演目としても人気がある。
1902年にシャルパンティエはミミ・パンソン音楽院(Conservatoire Populaire Mimi Pinson)を開設し、パリの職業婦人に無料で芸術教育を行おうとした。しかしながら作曲家としては不毛になっていた。《ルイーズ》の続編《ジュリアン》は、1913年の初演では《ルイーズ》ほどの大成功をおさめず、すぐに忘れられた。シャルパンティエは、その後ほとんど作曲しなくなった。
ただし、第一次世界大戦時に負傷兵のための音楽会を主宰し、自作の指揮も行うなど隠棲することはなかった。1900年にレジオンドヌール勲章を授与され、その後1930年にコマンドゥール、1950年にグラントフィシエを授与されている。1956年にパリでシャルパンティエは95歳の天寿を全うした。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。
作品
オペラ作品
- ルイーズ Louise – 1900年
- Julien, ou La vie du poète – 1913年
- 下町の恋模様 L'amour au faubourg – 1913年(未完)
- オルフェ Orphée – 1931年 (未完)
- エロス Eros (未完)
- ジュリー Julie (未完)
管弦楽曲
- 組曲「イタリアの印象」- 1887年-1890年、1913年改訂
合唱曲
- 交響劇「詩人の生涯」– 1892年
- 狂った印象 – 1894年
- ヴァトーに寄せるセレナード – 1896年
歌曲
- 悪の華(4曲)- 1895年
関連項目
- シャルパンティエ(フランスには同姓の作曲家が複数存在する)
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/11 00:23 UTC (変更履歴)
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