高英 : ウィキペディア(Wikipedia)

高 英(こう えい、? - 518年)は、北魏の宣武帝の2番目の皇后。宣武帝の生母高照容の姪にあたる。

生涯

高偃と王氏(武邑君)のあいだの娘として生まれた。503年(景明4年)、宣武帝の後宮に入って貴嬪(妃)となった。皇子を生んだが、その子は夭逝した。また、建徳公主を生んだ。507年(正始4年)10月、皇后于氏は急死し、世間は高英の仕業ではないかと噂した。翌年(508年)、高英は皇后に立てられた。

515年(延昌4年)、孝明帝が即位すると、皇太后となった。まもなく出家して尼僧となり、瑤光寺に住持して、慶事の大節以外は宮中に入らなかった。518年(神亀元年)9月24日、急死した。

子女

  • 男子 (夭折)
  • 建徳公主

伝記資料

  • 『魏書』巻13 列伝第1
  • 『北史』巻13 列伝第1
  • 魏瑶光寺尼慈義墓誌銘(高英墓誌)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/10 05:26 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「高英」の人物情報へ