ウィリアム・レスリー : ウィキペディア(Wikipedia)
第3代ロシズ伯爵ウィリアム・レズリー(、15世紀 – 1513年9月9日)は、スコットランド貴族。兄ジョージの代に多くの領地を失っており、それを取り戻すことに奔走したが、スコットランド王ジェームズ4世から領地回復を承諾された数週間後、でジェームズ4世とともに戦死した。
生涯
マスター・オブ・ロシズのアンドルー・レズリー(、1440年代 – 1478年1月までに没、初代ロシズ伯爵ジョージ・レズリーの息子)と妻エリザベス(、1508年ごろ没、の娘)の三男として生まれた。
兄にあたる第2代ロシズ伯爵ジョージ・レズリーの行動が目に余るため、スコットランド王ジェームズ4世は1506年3月2日に2代伯爵が「それほど高貴で有名な家系」()を荒廃させないよう助言する権利をウィリアムに与えた(実質的には2代伯爵の後継者の継承権を取り上げてウィリアムに与えた)。ウィリアムは兄の代に差し押さえられたの領を1510年に買い戻すことに成功、1511年8月7日には国王の認可状でイースター・ファイシー()の領地を与えられた。
1513年2月24日と3月31日に兄が死去すると、ロシズ伯爵位を継承した。同年3月31日、は1510年の男爵領買い戻し協定を批准、6月29日には2代伯爵に科された違法占拠賠償金が国王ジェームズ4世により免除され、7月14日にはジェームズ4世が買い戻し協定を再確認した。しかし、数週間後の9月9日、ロシズ伯爵はジェームズ4世とともにで戦死した。長男ジョージが爵位を継承した。
家族
ジャネット・バルフォア(、1490年ごろまたはそれ以前 – 1520年ごろまたはそれ以降、サー・マイケル・バルフォアの娘)と結婚、3男1女をもうけた。
- ジョージ(1558年11月28日没) - 第4代ロシズ伯爵
- ジョン(1585年9月6日没) - 1542年7月10日までにユーフェミア・モンクリーフ(、サー・ジョン・モンクリーフの次女)と結婚、2女をもうけた
- ジェームズ(1576年10月13日没)
- グリセル() - 1529年6月8日、ヘンリー・ウォードロー(、ジョン・ウォードローの息子)と結婚。ウォルター・ヘリオット()の未亡人だったとされる
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/02/07 03:54 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.