秋好馨 : ウィキペディア(Wikipedia)
秋好 馨(あきよし かおる、1912年6月27日 - 1989年3月25日)は、日本の男性漫画家・画家である。東京府(現・東京都)出身。
来歴
高千穂中学校(旧制)在学中に、肺結核で2年間休学。その間、『アサヒグラフ』の漫画欄に投稿をしたことがきっかけとなり、漫画家堤寒三の弟子になる。
昭和11年(1936年)、デビュー作品『フレッシュマン新童君』を『東京朝日新聞』朝刊に掲載。翌12年(1937年)、「新漫画派集団」(のちの「漫画集団」)に入る。
昭和16年(1941年)「「轟先生」の秋好馨さん死去 本紙連載25年」、読売新聞1989年3月26日付朝刊(東京本社版)、31頁、近藤日出造の主宰する雑誌『漫画』で『轟先生』を連載し、好評を博す。昭和24年(1949年)、『夕刊読売』の創刊にあわせて同紙11月27日号で『轟先生』の連載を開始。昭和26年(1951年)9月1日から『読売新聞』朝刊に移動し、病気による連載中断を幾度も挟みながら、昭和48年(1973年)2月27日まで連載を続けた。
その後は、画家として油絵に取り組み、昭和63年(1988年)には個展を開いている。
平成元年(1989年)3月25日、神奈川県鎌倉市の自宅で息を引き取った。死因は、肺がんによる呼吸機能不全「秋好馨氏 死去=「轟先生」などの漫画家」、毎日新聞1989年3月27日付朝刊(東京本社版)、27頁だった。満76歳没。
作品リスト
- フレッシュマン新童君
- 轟先生
- 自由のメガネ
- 愚亭賢妻
- ますらを派出夫会
- アワモリ君
- のんきなおじさん
- タラちゃん
- 竹野しんぞう君
- 平野凡太郎
映画化作品
- 轟先生 (1947)
- 浮世も天国 (1947)
- ますらを派出夫会 (1956)
- 続・ますらを派出夫会 お供は辛いね (1956)
- ますらを派出夫会 粉骨砕身す (1957)
- ますらを派出夫会 男なりゃこそ (1957)
- アワモリ君売出す (1961)
- アワモリ君乾杯! (1961)
- アワモリ君西へ行く (1961)
注釈
出典
参考文献
- 「「轟先生」の秋好馨さん死去 本紙連載25年」、読売新聞1989年3月26日付朝刊(東京本社版)、31頁
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/29 20:13 UTC (変更履歴)
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