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【「湖の女たち」評論】吉田修一の小説がつなぐ昭和平成の闇たち。大森立嗣監督が映し出すのは“日本人の自画像”か

2024年5月25日 22:00

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「湖の女たち」は公開中
「湖の女たち」は公開中
(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会

実際の事件を題材にフィクションを構築するのが吉田修一の小説によくある傾向とはいえ、2018年8月から約1年がかりで週刊誌に連載された「湖の女たち」ほど数多くの歴史的事件を盛り込んだ作品も珍しい。原作と、大森立嗣監督が脚本も手がけたこの映画で、直接または(名称などを架空のものにして)間接的に言及した史実や事件を時代順に挙げてみよう。1940年代前半に旧満州で関東軍防疫給水部(731部隊)が行った人体実験。1980年代に厚生省と株式会社ミドリ十字などが関与した薬害エイズ事件。2003年の滋賀・湖東記念病院人工呼吸器事件。2016年の相模原障害者施設殺傷事件。そして、2018年に杉田水脈衆議院議員が雑誌寄稿で述べた「LGBTのカップルは生産性がない」。

ただしこれら5つが年代記的に等価で並ぶわけではなく、物語の基軸として選ばれたのは、滋賀県の琵琶湖にほど近い施設で人工呼吸器をつけた高齢者が不審な死を遂げ、ある女性職員が刑事から疑われ殺人の自白を強要された事件。原作小説は主要人物らの思考や感情を多視点で描き出す群像心理劇の形式で構築されたのに対し、大森監督は俳優が発する台詞と演技で内面を想像させるにとどめ、対峙するものたちの“見る・見られる関係”を強調する画作りで観客をいざなってゆく。それはたとえば、夜明けの湖畔に停めた車中で自慰にふける介護士・佳代(松本まりか)を、浅瀬での立ち込み釣りを終えた刑事・圭介(福士蒼汰)が数メートル先から棒立ちで眺める、映画オリジナルの冒頭で端的に示される。

事件の取り調べが始まり、無遠慮な眼差しを向ける圭介と、その視線に動揺する佳代。出産を間近に控えた妻を持つ男と、老いた父と暮らす女は、刑事と取り調べられる側という立場をほどなく逸脱してインモラルな水域へと漂流し、加虐的な“見る行為”と被虐的な“見られる行為”に溺れていく。それは不毛で非生産的であるばかりか、破滅の予感にさえ倒錯した快楽を覚える危うい関係だ。

「生産性」という言葉は、劇中では雑誌の見出しで示されるにとどまるが、先述の5つの事件をつなぐキーワードでもある。人間の価値を生産性という基準で評価する異様な考え方は、「民族的・身体的に劣った人間は処分すべし」とする優生思想と根が同じ。そして、組織や集団が人の命と幸福より生産性(利益と言い換えてもいい)を優先するとき、個人の正義感や倫理観は簡単に踏みにじられてしまう(トラウマを負い腐った警察組織を体現した伊佐美刑事役・浅野忠信の怪演が絶品)。

戦時中の非道、大企業と省庁が結託した不祥事、弱者に対する殺人といった昭和から平成にまたがる百年史の闇たちを、吉田修一は「生産性」のワードでつないでみせた。これらは時を隔てて偶発的に起きた事象ではなく、「長い物には巻かれろ」ということわざを持ち、忖度や付和雷同が肯定され、集団の不正を告発した者が村八分やバッシングを受けるような、脈々と継承されてきた国民性が招いたものではなかったか。先の世代がそうした理不尽を黙認し受け入れたからこそ、次の世代も追従し温存してきたのではないか。

子の悪行を問いただすような面持ちで見る大人を、まっすぐ見返す子の眼光が強い印象を残す2つのシーン。時代と人物を変えて反復されるこれらの場面では、“見る・見られる関係”の反転が痛烈だ。「大人が行い黙認してきたことを真似る私たちを、責める資格があるのか」と言わんばかりに。哲学者ニーチェの「深淵をのぞくと、深淵はあなたを見返す」という言葉が思い出される。近現代史の闇に目を凝らすとき、そこに浮かび上がるのは“日本人の自画像”ではないのか。

本作で繰り返されるもう1つのキーワードが、「世界は美しいのだろうか」。世界を見てその美しさを問う人は、わが身の、人間という存在の美しさを自問している。闇夜を抜け静かに輝きを増す明け方の湖のように未来が美しく変わるかどうかは、これからの私たちに託されている。

(高森郁哉)

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