2000年代の最低映画「バトルフィールド・アース」脚本家が観客に公開謝罪
2010年3月29日 17:06

[映画.com ニュース] サイエントロジーの創始者L・ロン・ハバードの同名の小説を、信者であるジョン・トラボルタが製作と主演を兼ねて映画化したSF映画「バトルフィールド・アース」。公開時の2000年には最低映画の祭典ラジー賞の7部門を総なめにし、05年には同賞創設25周年を記念した「25年間の最低ドラマ作品」賞、そして今年は過去10年間(2000年代)の最低映画賞にも選ばれた、いわばキング・オブ・最低映画だが、このほど同作の脚本家の1人、J・D・シャピロが米ニューヨーク・ポスト紙に観客に向けた謝罪文を掲載した。
「まず、『バトルフィールド・アース』を映画館に見に行った人たちに謝罪したい」から始まる文章は、その後なぜコメディ畑の人間である自分が同作の脚本を手がけるにいたったか、そしてなぜこのような映画に仕上がったかの説明へとつづく。それによると、シャピロの場合はモテたい一心からすべてが始まったようだ。
94年ごろ、「ロサンゼルスにあるサイエントロジーのセレブリティ・センターは女性と出会う格好の場」という雑誌記事を読んだシャピロは、ナンパ目的で同センターに出かけたことがきっかけで、トラボルタと知り合いになり、「バトルフィールド・アース」の話を持ちかけられたという。信者ではなかったシャピロは、サイエントロジーの宣伝映画になるならば関わるつもりはなかったが、特に何かを強制されることもなく、自身のリサーチに基づいた脚本を完成させ、トラボルタもスタジオのMGMもそれを気に入っていたそうだ。
ところが、その後製作が始まると、スタジオやトラボルタ側から脚本に対して無理な変更を求める要求が次々と送られてくるようになり、それを拒否したシャピロはクビに。結果的に、完成した映画は別の脚本家コリー・マンデルがリライトした脚本をもとにしたもので、シャピロが最初に考えていた内容とはまったく別物になっていたという。その時点でシャピロは自分の名前をクレジットしてほしくないと考えたそうだが、ギャラの問題もあって共同脚本家として名前が残ったという経緯がある。
モテたい一心で足を突っ込んだ仕事でラジー賞脚本家のレッテルを貼られてしまったシャピロは、「それで女の子をモノにできたのかって? 『バトルフィールド・アース』の脚本家なんだと自己紹介してモテると思うかい? いま僕は、何とかしてこの経験を瓶詰めにして避妊薬にでもできないかと考えているところだよ。それで大もうけだ!」と、今回の謝罪文を締めくくっている。
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