ある閉ざされた雪の山荘でのレビュー・感想・評価
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演劇の人って苦手かもしれない
最後のシーンで車いすからすくっと立って歩きだしていれば100点
映画館で見ようと思っていたが見れず、楽しみにしていた作品だったがどこか期待外れ。
たぶん車椅子の首謀者の復讐計画が逆恨み過ぎて感情移入できないからなのだがこれが復讐に値する仕打ちをされたゆえの計画ならそれはそれで被害者が実は生きていたという展開に納得がいかずどちらにせよ感情移入できなかったと思う。ゆえにここは思い切って全部劇中劇でしたという禁忌を犯したほうがぜっっっっったいいいオチになったと思う。むしろこの作品の流れでしかその禁忌を犯せないとすら思えるだけに残念。いらないチープなお涙頂戴話が作品を悪くした。原作がどうだったのかは知らないが交渉してでも変えるべき。最後のシーンで車椅子からすくっと立って歩きだしていれば100点だったし、記憶に残る映画になってただろう
トリックよりも俳優の演技に注目した
Amazon Primeで鑑賞。東野圭吾氏の原作は読まずというモグリぷりを発揮しつつ、原作とのギャップ論に陥ることはなかった。森川葵ファンとしては演技のボリューム感が舞台ぽくって、あっていると思う。演技のテンションが全体的にちぐはぐなのは、みんなそれぞれの演技プランがあってのことだと思うが。。。岡山天音はヒアリングが難しかった。何回も巻き戻しで観たが聞き取れない箇所あり。字幕もないのでなぁ。
テンポはいい。映画的な痛みを表現するシーンがあんまりないので、死の演出は弱め。
そういう点ではマイルドなので、目を背けたりすることなく観られる映画。
小さな判断が狂っていくと、どんどん結果も狂っていくのだと思う。
女性陣の口の悪さが小気味よかった。女性だからって、お上品にばかり
描くのは嫌いだし、これくらいのコノヤロ感はあったほうがいいと思う。
配信で気楽に観る分にはいいけど、映画館で観るには、主役の旧ジャニタレの求心力は中度半端だし、ミステリーファンには不満足でしょう
東野圭吾のデビュー作なんだと
なるほど、初々しい
そして、斬新
才能を感じさせられます
1992年の作品ですよ
ミステリーと愛情、友情、アオハルを重ねるなんて
なんて
なんと、青臭い
青臭すぎて、恥ずかしげもなく
でも、好きです
まあ、冒頭、目隠ししててもバスから降りたら、停留所名書いてあるし、なんの意味があるんやろとおもいましたが・・・
それに、不幸に落とし入れた人間をもう一度ハメるなんて・・・
あの後、どうするつもりだったんだろう
無理やり感動ストーリーに持っていくには無理がある
勢いも実力もある若手を集めましたね
個人的に注目はワイルドスピード森川ですけど
はい、あのマルチな才能に惚れ込んでます
リスペクトしているといっていい
カノジョは神にギフトをいくつも貰った特別な人間です
羨ましい
中条あやみの空手がただのアドリブでストーリーに関係しなかったのは残念
しかし空手道場の娘です
”よ~いドン”の”となりの人間国宝さん”で円広志の頭上を軽く超える回し蹴りをはなった実力は健在でした
演劇でもやれる実力者が多いのに、なんで主役がWESTの重岡大毅なんだ
演技は少しマシになったし、色々な役に挑戦しているけれどね
もともと、明るいだけのアホな愛されキャラクターしか出来ないんだから、場を壊してしまった
エンディングのWESTの曲で始めて、ああ旧ジャニーズの映画だったんだと気が付きました
ストーリーは良かった
四重構造でした
森川葵の怪演が成立させたプロット
タイミングを逸して見逃した本作を配信で補完。ミステリとしては肩透かしだが、三重構造はメタ構造にも凝るミステリっぽさを感じる。殺人が芝居というオチ自体は既視感があるが、監視している麻倉雅美(森川葵)には真の犯行と思わせたいという縛りが、共犯者(共演者)どうししか居ない場面でも、芝居を続けた説明になってたりもする。3人居なくなるか、誰も居なくなっていないと分かる終盤では、序盤での「そして誰もいなくなった」の提示がお洒落なフリにも感じられた。
キャストの要は間違いなく森川葵。圧倒的なパフォーマンスにも関わらず、オーディションに落ちた麻倉雅美が全ての発端。「圧倒的な演技」とト書きに記すのは容易いが、実際に演じる役者のハードルは高い。だが、森川葵は見事にそのハードルをクリア。あのパフォーマンスなら、落選に絶望するし、役者仲間は嫉妬するし、下半身不随になっても舞台への復帰を仲間に望まれる事に違和感がない。最終盤、場面が突然舞台に移る演出は好みが分かれそうだが、麻倉雅美が生きる望みを取り戻した大団円が嬉しく安堵した。
ツッコミ出すとキリがないので控えるが、1点だけガス抜きしたい。本多雄一(間宮祥太朗)は雅美の為に殺人を擬装するが、全て思惑通りにいって何が成し遂げられたのだろう。3人が地方や海外に逃亡せず、雅美の生活圏で活動すれば、雅美に嘘は程なくバレただろう。3人は殺される芝居に付き合ったとしても、生涯雅美の目を避ける逃亡生活をする覚悟があったとは思えない。3人が謝って丸く収まるなら、今回のような騒動を起こす必要はなかった。
思っていたよりよく出来てた
65点
映画評価:65点
まず、普通に面白かったです。
ここからは、
一部ネタバレを書いている可能性があります。
重要な点ではないとは思いますが、自己責任でご覧下さい。
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冒頭からずっと疑問だらけで、
これは本当に成立するのか?という
視聴者目線の不安を隠せない程度には心配でした。
その不安の一部を紹介しますと…
いきなり目隠しでスタートするんですが、
その割にバス亭では目隠し外しても良くて
場所を隠す気があるのか、ないのか。
他には雪山での殺人事件という想定で演技する
最終試験なのに誰も演技してない。
それどころかベランダでラジオ体操までして
危機感も、緊張感もない。
これらが積み重なり、ずっと不安でした。
もう観るのをやめてしまおうかと考えるくらいには
ですが、最後まで見て安心しました。
おざなりな所も含めての設定であり、
しっかりと納得のいく結末になりました。
むしろ、おざなりだったからこそ良かったとも言えます。
それがヒントでもあり、矛盾点でもありました。
正直、私は真相寄りで見ていたので
それほど驚きもしなかったし、納得する事も出来ましたが
殺人事件の犯人を見つけるぞ~と気合いを入れて観ていると、
スカされて、腹立つ人も出てくるかもしれません。
人を選ぶ作品ですので、
肩に力を入れずに気楽な気持ちで見ることをオススメします。
作者がマダミスに影響受けたのかな~?と妄想しながら見れて私は楽しかったです。
ご興味ありましたら、
是非見てみて下さいね。
【2024.4.8観賞】
役者さんが素晴らしい
ある閉ざされ山荘で起こる殺人事件を舞台に事件が繰り広げられる。
舞台役者が集まってオーディションの最終選考に集められた。その中では、雪山に取り残されたという設定を基に誰もそこから出ることが許されない。
ストーリーとしては、単調で途中でそういう展開になりそうだなと予測がついてしまったけど、役者さんが魅せる力が素晴らしかった。
最後の場面とまさにリンクしたような素晴らしい演技で良かったです!
スペシャルドラマの方が良かった
原作は未読です(笑)
東野圭吾の作品は面白いのだけど、演出により当たり外れがあるので、まぁー期待半分という感じで観ました。
中盤までは、淡々と進むでいく感じで、面白みに欠けるように思いました。
お芝居なのか?本当に殺人事件が起きているのか?どっちなんだろと考えながら、ヒントが映像に隠れているのでは?と、目を凝らして観てたけど、謎解きのヒントはヘッドフォンのコードと、重岡くん演じる久我が鏡の前で立ち止まったことくらいで、トリックもなにもなくてサスペンス的には残念でした。
ひとつの部屋の中で、登場人物もほぼ7人という
映像的にはつまらなかったですね。
映画にするのはスクリーンが勿体無いです💦
このお話は、小説で読む方がいいのかもしれないですね。
テレビのスペシャルでも良かったような気がしました。
それでも良かったのは、ただの犯人探しではなくて、二重三重にもカラクリがあったことでしょうか。
そう言うことだったのね😊
あと主題歌は「WEST.」じゃなくて、他のアーティストの方が良かったですね。
アイドルの曲を使うと一気に冷めてしまうような気がします(私だけかなー)
内容には関係ないことですが、こんなに早く配信であると、映画館にいかなくて良いのかも、と思ってしまいますね。
最近諸事情で、映画館に通えないのでありがたいです。
東野圭吾原作の密室ミステリー
海沿いの一本道を走るバス。
アイマスクをした出演者たちが降りる姿、
武家屋敷のような貸別荘・・・と、導入がカッコよくて、
期待値MAXでした。
劇団「水滸」の新しい演目『ある閉ざされた雪の山荘で』の、
最終選考に残った7人が、演目のシチュエーションとまったく同じ
人里離れた山荘に4日間閉じこもって、
「事件を解決した人物が主役を勝ち取る」
それが「水滸」の主催者・東郷陣兵の思惑で、
7人は集められたのです。
劇団員6人と外部の1人の7人が競い合う青春群像劇的ミステリー。
正直言って驚くほどの新鮮さや、面白さ、興奮は、ありませんでした。
でも出演者の顔ぶれが良くて、
間宮祥太朗、西野七瀬、重岡大毅、中条あやみ、堀田真由、森川葵、
岡山天音、戸塚純喜と皆さん実力派で魅力的です。
主催者・東郷陣兵は一度も現れず、《声での指示》が流れます。
まるで合宿気分で、豊富な食材や飲み物を楽しむ7人ですが、
タカコ(中条あやみ)とアツコ(堀田真由)はライバル心剥き出しで、
敵意が早々と顕になります。
夕食後ヘッドフォンをして電子ピアノで「月の光」を弾く
アツコ(堀田真由)の背後から襲う人影・・・。
アツコが消えてしまいます。
2番目は社長令嬢で劇団に親が出資しているユリエ(西野七瀬)が
消えてしまいます。
そして第三の失踪者はリーダー雨宮(戸塚純喜)でした。
《この映画の決定的に弱い所》
殺人事件・・・と言うけれど、
悲鳴もない、死体もない、格闘もしない、争う声もない、
こんな、無い無い尽くしで、しかも死体がない。
殺人を信じろと言う方が無理です。
この合宿オーディションの真の目的は、少し過去の事件に遡ります。
「水滸」劇団員のマサミ(森川葵)が、アツコに主役を奪われた恨みから、
劇団を退団したのです。
(どうもアツコが主催者に身体を提供して役を奪ったとの噂がある)
アツコの退団を心配して、実家を雨宮、アツコとタカコが訪れた日に、
悲劇は起こります。
アツコの嘘の電話に驚いたマサミは驚きのあまり交通事故に遭い、
過半身不随になってしまうのです。
マサミ役の森川葵の本格的演技が素晴らしかったです。
圧倒的な天才・・・との設定も嘘と思えないハマり役で、
演劇の訓練を受けたような、ハリのある声、響き渡るセリフ、、
鬼気迫る熱演・・・見直しちゃいました。
隠しマイクの存在、隠しカメラの再生とか、
6分割画面や間取り図のイラストに動く出演者のマーク。
東野圭吾のこのミステリーが出版されたのは、
なんと32年前の1992年ですから驚きます。
ラストはいかにも演劇的演出で、カーテンコールが盛り上がり
楽しめました。
(間宮祥太朗はイケ面だと改めて実感する映画でもありました)
予想外に面白かった
三重構造… かなり良くできたプロットに驚かされた。
2時間ドラマ的な作品かと思ったが、大作だった。これが東野圭吾さんの作品だと知り納得した。
東野さんの作品は何十冊も読んでいるが、これはまだ読んでいなかった。
最初の設定が自然だ。オーディションの最終選考会。
ここで事件が起き、「探偵になったつもりで犯人を捜せ」というのが合格条件だ。
面白いのが、「殺されれば」そこで終了なのだが、犯人役はすでに選考されていて、犯人はオーディションの主役ではないことが決定しているはずだ。もしこの中に犯人がいるのであればだ。そう思いつつ見ていた。
このオーディションは東郷先生なるものが主催したことになっている。
しかしそれは建前で、本当は悪ふざけのために起きてしまった劇団員の痛ましい事故と下半身不随という障害に由来する。
障害者となった朝倉雅美は、劇団のリーダーの本多に、悪ふざけをしたあの3人を殺害してほしいと依頼、本多がこれを了承する。
しかしながら実際そんなことなどできるはずもなく、その3人に決死の芝居をさせ、何とか朝倉に納得してもらおうと、このオーディション企画を設定した。
この作戦に中西と田所だけが参加しておらず(むろん久我も)、事実を知らないことで彼らの芝居がリアリティを増すのだ。
劇団員ではない唯一の人物久我は、同じ劇団員同士の仲の悪さを肌で感じ取る。
役を取るために反則技をする役者もいることが表現されている。
本多の脚本では、あの山荘の中では犯人はわからなかったことになっていたと思われる。
名探偵ぶりを発揮し、見事犯人を突き止めたのが久我だった。
本多にとって想定外のことが起きたものの、本多の決死の芝居劇に騙したほうだと思い込んできた朝倉が、騙されたことを知って、最終的には納得できたことが救いのように感じた。
そもそもお互いの芝居の良し悪しなどではなく、卑怯な手を使っているのだろうという疑心暗鬼が彼らの純粋な芝居にかける思いを揺るがしていたのだ。
「努力しても報われない世界」 これが本音だ。
このオーディションを通して、彼らの壊れたきずなが修復していくということが、言いたかったことなのだろう。
彼女に対する「謝罪」を、参加者全員で渾身の芝居をすることで成し遂げたのだ。
これがきっかけとなり、この出来事すべてをお芝居にして大ヒットさせた。
つまり四重構造となったのだ。
そしてこの作品を舞台上で締めくくる設定もよかった。
最後のカーテンコールまでよかったと思う。
これが表面上確認できるこの作品だ。
しかし、
なぜ久我はこのオーディションに参加できたのだろう?
本多が、このオーディションが東郷先生が主催した体にするために見せかけただけなのだろうか?
久我は名探偵という重要な役割を担った。
久我は劇団員ではないという「設定」にもかかわらずだ。
基本的な脚本を書いた朝倉雅美。オーディションと言って殺人を起こすつもりだった。
そこに別の脚本を書き足したのが本多。そして3名の当事者に配役した。
本当に何も知らなかったのが、中西と田所と、部外者の久我。
この物語の「事実設定」を考えると、久我というのが謎すぎてくる。
しかし、
最後のお芝居にも久我が登場することで、この作品はどこまでが事実で、でこまでが芝居なのかわからなくなってくる。久我がこの事件を通して劇団員になったことはありうるだろう。
しかし解せない。久我は最初から参加しているのだ。
原作として小説があるものの、映画として何かを表現しているように感じるのだ。
この作品には映画としての表現と、作中の芝居部分の表現がある。
一見すると山荘で起きた出来事をそのまま芝居にしたように見える。
つまり表面上はあのオーディションこそが事実設定だと考えてしまう。
しかしどうしても久我が謎なのだ。
映画にも芝居にも脚本がいる。
これは、つまり… 「この作品」はいったい誰が書いたという「設定」で成り立っているのだろうか?
起きた出来事と事実そしてそもそもこの作品ができたという「設定」は、朝倉が下半身不随になった出来事だけが事実なのではないだろうか?
そう考えると、久我とはそもそも劇団員でなければ彼が登場することはできない。
本多が見た朝倉のノート、本多はその辛辣な内容を久我に相談した。
そうして二人で書いたのが「ある閉ざされた雪の山荘で」なのではないだろうか?
この作品は憔悴しきった朝倉の復帰を、劇団員総出で迎え入れることで、失われた絆を取り戻す物語なのではないだろうか?
つまりこの作品は、劇団員同士の純粋な役者心と絆がつまらないうわさによって揺らぎ、それがもとで大きな事故へとなってしまい、朝倉が下半身不随になったという「設定上の事実」だけが、事実設定されているものだ。
そしてそこから派生して出来上がったのが渾身作「ある閉ざされた雪の山荘で」というこの作品、本多と久我が脚本したものだ。
最初にあったのが「努力は報われない世界」という失意と疑心暗鬼。
起きてしまった事故と障害。
朝倉の恐ろしいほどの心の影を書いたノート。ここまでが「事実」であり、この作品ができるきっかけだ。
これを基に作ったのが二人で書いた脚本のお芝居。そしてそれらをすべて包み込むように映画という視点で表現したのだろう。
この作品は最初から面白い設定となっている。そしてどこかおかしい。謎だらけだ。
なぜなら、この作品という作品は、「ある劇団で起きた不幸を劇団員総出で立ちなおしていくというひとつの明確な目的で構成されており、それゆえ歪さが垣間見えるのだが、それこそがこの作品を劇団員でひとつひとつ作り上げたのだ」という東野作品の表現した真骨頂だったのではないだろうか?
ダルいのよ、とにかく
まぁ、オチはそんなとこだよね。
作品自体が、劇中で言うところの何重構造にしたったるでー!感強すぎて、観てるこっちも深読みするから大方予想通りで騙されないのよね。
要はドンデン返しがくど過ぎ。
それよりなにより、そこまでの過程が退屈過ぎてダルいのよ。
小説はどう読ませてるのか知らんけど、もっと鮮やかに騙してくれないかなー、
知らんけど
そしてエンディング曲をバーターすんな!
そんな感じ
軽い
本当と嘘の試行錯誤
上映時がちょうどWEST.に興味を持ち始めたときだったので、映画館で観たいと思っていたけど、気がつけばタイミングを逃し見れなかった映画。今回プライムビデオに降りたということで、ありがたく鑑賞。
劇団員がオーディション目的に「雪山で閉ざされた山荘」に閉じ込められるという設定の中、殺人事件が起きる。設定が雪山なだけで、逃げようと思えば逃げられる環境だが、あくまでもオーディションの中なので、逃げる人はいない。殺人事件は嘘か誠か?それも含めて考えていくサスペンス映画。何が起こるか分からないので最後の最後まで楽しんで見ることができた。
間宮祥太郎がただただいいやつ。そしてイケメン。久我との夜はオタクサービスなのか?まんまと、ハートに笑ってしまった笑
結局のところ、温子が嫌なやつすぎて、他の2人巻き込まれでは?と思ったのだが、その場にいた全員を恨むまさみの気持ちもわからなくはない。ただ、まさみの演技が好きではなかったので、100%の応援もできず。「劇団員」という設定だと、役者の演技も気になってしまって難しいところ。
何故久我が参加しているのか?それは謎のまま。最後の最後にどんでん返しがあるのかと思ったらなかったので、久我はただの切れ者だった。疑ってごめんよ💦
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