ぼくは君たちを憎まないことにしたのレビュー・感想・評価
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同じ無知に屈せず、日常を取り戻す
2015年11月13日パリ。同時多発テロが発生し、ジャーナリストのアントワーヌの妻エレーヌが行った劇場も現場になっていた。彼は必死で探したが、エレーヌも犠牲になっていた。彼女の遺体を確認した後、アントワーヌは「 ぼくは君たちを憎まないことにした」と投稿。大きな反響が巻き起こり。 衝撃悲しみに、憎しみを抱いてもおかしくないのに、まるで聖人のような投稿。しかし彼は決して聖人ではないし、その反響後も苦悩する姿が描かれています。 復讐は同じ無知に屈すること。一時の勝利に対し、幼い息子と日常を取り戻すことが大事。そういう内容の投稿。物書きってすごい。
憎しみという“贈り物”
死者130人に及んだイスラム過激派による2015年11月パリの同時多発テロで35歳の妻を亡くした男性は、その知らせを受けて大きな悲嘆に暮れ混乱のさなかで犯人たちに向け「ぼくは君たちを憎まないことにした」とFacebookに書き込みました。それは忽ち爆発的に拡散され、大きな注目を集めました。そのメッセージは以下のようなものです。 ーーーーー 金曜の夜、君たちはぼくにとってかけがえのない人の命を奪った。彼女はぼくの最愛の妻であり、息子の母親だった。 だが、ぼくは君たちを憎まないことにした。 君たちが誰か知らないし、知りたくもない。君たちの魂は死んでいる。 君たちは、神の名において無差別に人を殺したが、もし神が自らの姿に似せて人間を作ったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた銃弾のひとつひとつが神の心の傷になっているだろう。 だから、決して君たちに憎しみという“贈り物”をあげることはない。 君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、ぼくが恐怖におののき、隣人に疑いの目を向け、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいるのだろう。 だが君たちの負けだ。ぼくは変わらない。 今朝、妻に会った。何日も待ち続けた末に。 彼女は金曜の夜に家を出たときのままで、そして12年以上も前にぼくが恋に落ちたときと同じように美しかった。 もちろん、ぼくは悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれは長くは続かない。 妻はいつもぼくたちとともにあり、再びめぐり会うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂の天国で。 ぼくと息子は2人になったが、世界中の軍隊よりも強い。そしてこれ以上、君たちのために割く時間はない。 昼寝から目覚めたメルヴィルのところに行かなければいけない。 彼は生後17ヵ月で、いつものようにおやつを食べて、いつものようにぼくと遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。 君たちは、彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。 ーーーーー 本作は、この事件発生から妻の遺体との対面、葬儀・埋葬までの約2週間を描いた実話に基づく物語です。彼が憎しみを抱いていない筈はないと思うのですが、絶望と憎悪に呑み込まれない様にするにはこの言葉を紡ぐしかなかったのでしょう。 周囲からの同情や哀れみを素直に受け入れられぬ思いも正直に綴られ、この発信が注目を集めた結果、英雄や聖人の様に扱われる事への違和感も吐露されています。 僕がこの映画を観たのが、京都アニメーションへの放火犯人への地裁での死刑判決が下りた日でした。安易な類推は不謹慎かも知れませんが、理不尽な死(理不尽でない死があるのかどうか分かりませんが)が世界に満ち満ちている事に暗澹たる思いがしました。 本作の原作本が日本でも出版されています。こちらは本当に平易な言葉で淡々と綴られているが故に遣る瀬無さが一層心にしみました。
テロという暴力に非暴力で抗う意義と困難を、被害者に寄り添う視線で描いた一作
家族をテロで失った作家に常に寄り添うような映像が印象的な一作です。テロの具体的状況など凄惨な描写は最小限に抑え、悲しみを抱えた主人公がそれでも前に進もうとする姿を丹念に描いています。 本作は2015年に実際にフランス・パリで起きた同時多発テロを題材としており、主人公のアントワーヌ・レリス(ピエール・ドゥラドンシャン)もまた、実在の作家です。タイトルはテロで妻を亡くしたレリスが、SNSで発表した声明の一節。鑑賞前はこのメッセージの発表までの過程を描いた映画なのかな、と想像していましたが、実際には序盤ですでに発表までのいきさつを描き、物語の大部分はその後の、レリスの葛藤を描くことに重点を置いています。 暴力に対して暴力で報復することは互いの憎悪を高めあうことにしかならない、そう理解はしつつも、どうしようもなく湧き起ってくる怒りにどう対処したらいいのか、帰ってこない母を恋しがる子供にどう接したらいいのか。これらは簡単には答えられない問題だけに、レリスの苦しみは直接的に観客に届いてきます。 世界各地で争いと憎しみの連鎖が続いている今だからこそ、観られるべき作品であることは間違いありません。 なお作中では、テロに至る経緯や、実行グループ側の人物像、思惑についてはほぼ割愛しているので、事前でも事後でもテロ事件について知っておくと、より一層作品の理解が進むかも。
【”君たちに憎しみを贈らない。”パリ同時多発テロ事件で妻を亡くしたジャーナリスト、アントワーヌ・レリスの世界的ベストセラーを映画化。幼き息子が”ママ、ママ”と探すシーンは可哀想で・・。】
■2015年11月13日金曜日の朝。 ジャーナリストのアントワーヌは息子のメルヴィルと一緒に、仕事に急ぐ妻のエレーヌを送り出した。 その妻が突然、テロに会い戻って来ない。 焦燥や混乱の中、妻を探し回るアントワーヌ。 二日後、エレーヌの遺体を見て、アントワーヌは妻の命を奪ったテロリストへ手紙を書き始める。 ◆感想 ・今作では、パリ同時多発テロ事件の凄惨なシーンは一切描かれない。妻とバタクラン劇場へ行っていたブリュノの証言だけである。 ・だが、それが逆に今作のアントワーヌの深い喪失感を醸し出している。 ・エレーヌの死を目にしたアントワーヌは、静な表情でパソコンに向かい”君たちに憎しみを贈らない。”と記し、投稿する。 ー このアントワーヌの言葉は、当時のフェイスブックで20万回以上共有され、身内がテロに会った人たちの心を、慰め、テロリスト達への攻撃も最小限に収まった。- ■劇中、アントワーヌが語った名言。 ”僕が恨みを抱いたまま息子を育てたら、犯人たちと同じ、世界の暗い面しか見ない人間になってしまう。” ■劇中、アントワーヌの投稿を見たフランス人から届いた言葉。 ”テラスでワインが武器になるなら、僕らは最強だ。 <現在でも、憎しみに満ちた戦争、テロが世界各地で終わりなき様相を見せている。 だが、アントワーヌが発信した力強いメッセージこそが、憎しみの連鎖を止める事が出来るのだと、私は信じたい。 ”ペンは剣より強し。”という言葉を、私は信じたいと思った作品である。>
主人公アントワーヌの悲しみを乗り越える力に感動
本作は、タイトルが伝えたいことではないですね。 一番の盛り上がりは、そのタイトルの場面であり、そこからの波及かと思いきや 全然違いました。この点はまずもってミスリードされましたし、 予告でもこのタイトルが伝えたい内容なのだろうと思ってしまいました。 妻を亡くした主人公アントワーヌが、悲しみを乗り越えようとして 何度も悲しみの渦に巻き込まれ自分を追い込んでしまいます。 そこから反省し、子どもとともに生きていこうと何度も誓いますが、 悲しみの渦にはまってしまう。 実にリアルだと思いましたし、弱さを見せてくれていることに共感できました。 ずっと亡き妻の思い出に浸っていた主人公が ラストでは子どもと生きている"今"にちゃんと目を向けているシーンを見て、 かすかな光と言いますか、希望を感じました。 ハッピーエンドになりようのない事実を元にした映画ですが、 劇中何度も感涙しましたし、元気をもらいました。 映画の素晴らしさをしみじみと感じた作品です。
憎まないけれど
このタイトルって、事件が起こってから現実を受け入れる前に決めた自分への戒めの言葉だったんですね。
確かに、なにかトラブルがあった直後って、意外と人間その事を受け入れられずに冷静だったりするんですよね。
その時に、自分の為だけでなく、子供のためにも憎まないようにしなければならない。と、その後に悲しさが波のように溢れ込んでくる前に決めた事はとても素晴らしい。
けど、やはり、少し時間が経ってくると、悲しみの大波の辛さに悶え苦しみます。
だから、この物語はハッピーエンドでもなく、バッドエンドでもなく、その後に悲しみが襲ってきて、それに耐えながら生きていく…という、なんともやるせない気持ちで終わるしかないのですね…。
そして、前に自分が決めた戒めを守り通す主人公は、やはり強い人間なのだろう。けど、やはり波に負けてしまうシーンも人間ぽくて好きだ。
この映画、考えてみたら幸せに終わることなんて、そうそう無い事に最後は気付かされました。
いい作品だった、と、個人的には思いますネ。
人生は続く
テロで妻を失った主人公が、喪失感に苛まれながらも残された子どもを育てるべく奮闘する物語。 序盤から優しくて美しき妻を失うという絶望を味わいながらも、まだ1歳の息子は何かと手がかかり、立ち止まっていられない。こういう時、残された家族で支え合えたら良いが…現実はそう単純ではないか。 何よりまだ赤ん坊の息子に理解をさせるのも難しいだろうし…。 責任のある父親とは言え、アントワーヌだって当事者だからね。弱気にもなるよね。 そんな中、助けてくれる姉や義理の姉弟たちは心強いですね。とは言え、彼らからしても大切な妹・娘だった訳で…。 登場人物それぞれが大きすぎる苦痛に捕らわれながらも、支えてあげなきゃいけない誰かがいて、うまくかみ合わない歯車が歯痒い。「早すぎない?」っていう意見もまぁわかるし、でもじっとはしていられないですよね。 あとは良かれと思ってのママ友たちや、揚々としたマスコミもねぇ…。アントワーヌの複雑な心境が垣間見える。う~ん。。 テロと言う理不尽な相手に傷つけられながらも、息子を想い憎しみを捨て去ろうとするアントワーヌの姿に涙が溢れそうになった傑作だった。 憎まないことにした…か。自分には真似できないかな。復讐は虚しいだけ、とはよく言われるが、やり返してこそ、やっと区切りをつけて前に進めることもあるんじゃないかな…って思ってしまう。 まぁ勿論、テロ相手にそれができるかと言えば話は別ですが。 そんなことを深く考えさせられた作品だった。
そうだよねと思った
遠い場所にいるとなかなか身近にかんじられないが、『そうだよね。被害にあった人達にも家族があってその先もあるよね。』とあらためてあの事件を思い出した。 家族全員いい人達で、本当に幸せだったんだろうなと思う。 メディアに出る必要は理解出来ないけど、辛いときには強がりも必要。 子役の演技半端無い。
母を亡くした息子と妻を亡くしたパパ
母を亡くした息子の為に憎むのを辞めたパパ。憎むのを辞めたためにパパで居られなくなったアントワーヌ。ラスト、ずっと妻の写真や面影を追っていたパパが息子の写真を見返していた時は憎むのやめるではなく憎まずいられた初めての瞬間だったのではないかな…
投稿をしてもしなくても、行き違いはある
趣旨はよくわかる。本作も実話に基づくということだけれども、ペシャワール会の伊藤和也氏や中村哲氏が殺害されたときの会の見解やそれぞれのご親族の思いにも通じると思った。
本作の展開では、当初は妻を溺愛し、なかなか立ち直れないようだったけれど、投稿がなければ、マスコミの注目からの保育園の母親たちや多くの支援者からの援助は得られなかっただろう。投稿をしなかったとしても、妻の親族との行き違いはありがちだろう。
子役が、自分で動き回り、主人公から突き放されたときの反応や好き嫌いの言葉を率直に発する演技を自然に行っているのが驚きであった。
ぼくは君を憎まないけどやっぱりグーパンチしたい
原作は未読のため、あくまで映画からのインプレのみです。
事前情報はパンフと公式程度での鑑賞。事件後に紆余曲折があってタイトルの境地に至るのかと想像していたら、葬儀も終わらぬうちにSNSにその心境を表明していた。でもって、ではその賛否双方の反響によって色々な騒動にまきこまれるのかと思ったらそれもなし。
主人公はライターのようで、おそらく奥さんの稼ぎが収入でおおきなウェイトを占めていたっぽいのだが、とくに妻の他界後も仕事をすることもなく息子と遊び、保育園に送り迎えし、でもママ友の食事のサポートの好意は足蹴(そのわりにまともにメシを作ってなかった気がする)にして、あとは奥さん恋しいでメソメソ酒浸って、妻の服をクンクン(犬かよ)。葬儀の段取りは家族まかせ(は、しょうがない)としても、墓地はモンマルトルがいいよお(値段高そう)とダダをこねる。
いくらテロ被害者とはいえ、身内にこんなのいたらどっかでグーパンチをだしそうです。
リアリティ感じたのは、妻がテロ現場のライブハウスまで乗っていったシトロエンを見つけるため、夜間にリモコンキーでアンサーバックを探すとこ。見つかったクルマは違反キップべったり、ってのはあるある感があった。(ああいうのって情況説明すると違反金免除されてたりするのかなあと思ってみてた)
息子(最初、娘かと思ってた)の子役は可愛くあの年齢でちゃんと演技できていたので子役に星1つと、序盤の、テロの発生を知ったあと、ライブにでかけている妻との連絡がつかない不安な情況の緊迫感はよかったのでトータル星2つ。
憎まないからオチはない。
犯人たちとの距離感もあるかもなぁ、、やはり対象が近いと怒りの衝動が発動しやすく思う。 あと時間かな。 実際にあった話の映画化なわけで、ボンジョビ似の文学者はわりと早い段階でこの文書をUPしたのは彼らしい戦い方だった。 しかし時間が経つとどんどん喪失感にずたずたにされ、崩壊していく、、、まあそんなとこだよな。 やっぱりいきなりの喪失は辛いよな。 リアルな話なんで派手な落ちもなく、しみじみ終わる話です。
シャルリよ、みてるか?
政治色・宗教色を排し、メディア批判を少々振りかけつつ、妻を亡くした男のもがき苦しむ姿を描く。 テロリズムは社会の混乱・分断を惹き起こす目的でこういうごく普通の市民に対して一方的に仕掛ける戦争だと思い知らされる。これは、もう本当に怒りが込み上げてくるが、この怒りをぶつける対象を間違えると彼らの思う壺なのだ。この作品は「正しく怒る」道筋を考えろ、と言ってくれている。
私には真似できない
私ならば「可能ならばこの手で犯人を殺したい」と思ったことだろう。少なくとも相手の死を願うのは間違いない。 最初の場面からずっと、身につまされるような感じで見た。 聖人君子のような主人公なのかと思っていたが、その苦悩がこちらにまで伝わってくるような映画だった。ちょうど、先日見た「ミュンヘン」と対照的(かつ、全く同じ)だった。 私のような人間がいるより、悩みながらも「僕は君たちを憎まないことにした」と言える人間が多い方が、きっといい世の中になるのは間違いない。しかし、残念ながら、実際には私のような考え方の人間の方が圧倒的に多いのだろう。 だから、この世はずっと今起こっているような争いが続いている。 私は少なくともこのテロのことを知っていた。しかし、数多くのテロの1つとしてしか認識していなかった。 この映画を見てよかった。
残酷すぎるが「憎しみの連鎖」を止めるための処方箋
「私たちは世界中の軍隊よりも強い」「憎しみに心を支配させようとする犯人たちの試みは失敗した」「今までどおりの生活を続ける」犯人たちへの声明は、どこまでも力強く、深い悲しみを受容して生き抜く決意に満ちている。なぜ、そんなメッセージを事件から間も無く、打ちひしがれたなかで発信できたのか。この映画を見ても、原作を読んでもこんな生き方が出来る人は稀有だと言わざるを得ない。 憎しみに屈しない生き方をする決意を持ちながら生きようとする主人公アントワーヌの姿は、まるで凶器が刺さった体で平静を保っているかのようで痛々しい。母に何が起こっているのかわからない息子の未来を憎悪で染める訳にはいかない。それでも込み上げてくる失った妻への想いとテロリストに対する感情に苛まれる姿が描かれる。愛する家族を失いながらも残された愛する家族のために生きていく決断とはこんなにも壮絶な姿なのか。 なぜ、主人公は、事件後、早々にテロリストを憎まないという決意を持ったのか。推測するにジャーナリストでもあり作家でもある主人公であったことから、憎しみを報復として行動することが新たな憎しみや報復の萌芽になることに対して事件以前から思いをいたしていたからではないか。事件から過ぎた年月から見て、主人公はまだ子育て中で、今もこうした苦悩と戦っていることが想像される。 やりきれない憎しみが報復として表現される。テロリストはその報復先を直接的には無関係で脆弱な市民を標的にする。「直接的に無関係」と述べるのは、テロリストの論理では必ずしも「無関係」にはならない。テロリストとして生を受ける人はいない。差別、格差、貧困、恐怖など人間としての尊厳を否定されて生きている人たちが持つ社会の不公正・理不尽さへの不満。そうした境遇にある人々にとってその理不尽な社会が敵と見做されるのであれば、その社会に生きている人たちはそれを支持している人たちに見えることだろう。すなわち敵と見做される。端的に表現すれば「敵の味方は敵」ということになる。そう考えれば誰もがテロの標的になり得るのが今の世界なのだ。 続きはブログ「地政学への知性」に掲載(もちろん無料です。)
子役最高!
子役の演技が凄い。どう育ったらそこまでできるのか? シナリオも初めの盛り上がりはあるものの終盤になるに連れて尻すぼみ感はあるが、そこが逆にリアルなのかもと思わせてくれる。 「憎まないを」初めに言うとこうはなるよなって本ではあった。 セオリーとしては終盤に気付かされ、結果「憎まない」のほうが感動するのではと思う。
私は絶対許さんけどな
犯人を憎まない、の意味は赦すということなのかどうなのかを知りたくて観に行ったんだけど、思った以上に気持ちが定まらない主人公に人間味を感じて安心したとこある。 私は絶対に心からも頭でも許せないと思う。 しかしショックなのはわかるけど、母や姉妹も同じようにダメージを受けているのに彼らに全ての面倒を丸投げにして、自分はメディアに露出し続ける様は身内だったら腹立っただろうなとは思う。それだけの喪失感があったのもわからないでもないけども。 なぜ憎まないことにしたかと言う理由はとても納得が行くものだった(私はできないけどね)し、今後も二人がどうか幸せに暮らしていることを祈りたい。 そして、この子役! 天才!! 演技しているように見えないレベルに演技派だった。 この子の「ママ、」に何度も泣かされたわ。こんな小さい子置いていく気持ちを考えたらいたたまれない。。 ご冥福をお祈りします。
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