「打ち切りバトル漫画の文脈・展開」僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト てらゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
打ち切りバトル漫画の文脈・展開
僕のヒーローアカデミアという作品の魅力がまるで詰まっていない空っぽの映画でした。
まず第一にダークマイトがあまりにしょうもない。
一体どんなバックボーンと信念を背負ってオールマイトを名乗ってるのかと思えば、そんなものはほぼ皆無でただモノマネして力を誇示してるだけの敵役。
「俺達が憧れたのはお前なんかじゃない」と雄英生に言わせるために出てきただけの舞台装置。
最後の最後にとってつけたような悲しい過去が出てくるのかなと思いましたが、それすら無くてビックリしました。
「個性を利用された女性を助ける」「マフィア(ヤクザ)の勢力拡大・復権」というプロットや、勧善懲悪のバトルであるという点で死穢八斎會編を想起させるシナリオでしたが、だからこそより粗が目立ちました。
死穢八斎會編ではデクとミリオを通じて「一度見過ごしてしまったものでも必ず助ける」というヒーローの精神性や、ナイトアイとオールマイトの確執を経た「未来を捻じ曲げる」というテーマ性が主軸にありました。
しかし本作では、ただ悪さをする敵が出てきたからみんなで倒しに行きますというだけの話で、主題に据えられるようなテーマ性は無いに等しかったです。
また死穢八斎會編では切島や天喰環のオリジンと成長を描いたり、無個性でも治崎を圧倒するルミリオンや無限100%等、勧善懲悪なら勧善懲悪でヒーロー側の見せ場を凝らすことで熱い展開をもたらしていました。
本作は既存のキャラクターが既存の技を使って戦うだけで、熱い要素も大して無ければ印象に残る台詞もありません。
新キャラも含めて各キャラが予想通りの動きをして予想通りの展開で、予想通りに終わった映画です。
ジュリオとアンナの個性を知ってからは、ラストはあの展開になるだろうなというのも想像がつきました。
正直ヒロアカをなんであんな「よくあるバトル漫画展開」にあてはめたのか疑問です。
ヒロアカはバトル漫画ではありますが、一番の魅力は心理描写だったり社会描写だったりのリアリティにあるはずです。
本作はリアリティを感じられない設定の矛盾やキャラクターの動きが目に余りました。
まずはすぐにアンナを殺そうとするジュリオです。
イレイザーヘッドがいて個性消失弾も存在するあの個性社会で「殺すしかない」なんて安直な考えになりますかね?
デクが止めるまでもなく自分で他の方法模索してなきゃおかしいでしょう。
ラストシーンだって違和感しかなかったです。
大切な人だから命懸けでお嬢様を助けたのに、契約完了したからはいサヨナラってキャラクターの動きとしておかしいでしょ。
これからは気兼ねなく一緒にいれるねって抱きしめる場面じゃないの。
まあよく見ますからね、ああいうシーン。感情に無自覚な男に女性が歩み寄るみたいな。
要するにこれは「そういうシーンをやろう」という制作陣の思惑が先行した結果、キャラクターの行動と感情に矛盾が生じてるわけです。
人間と社会のリアリティを突き詰めて描き続けるヒロアカとは相反するものです。
ダークマイトについても、結果を出せなかった部下を容赦なく処分することで残虐さ卑劣さを演出したかったんでしょうが、適合者が少ないから仲間を増やしたかったんじゃないの?
数百だか数千いたファミリーが8人になって一般人をテストするぐらい適合者の絶対数に困ってるのに、ミスした部下は即処刑ってやはり矛盾してますよ。
矛盾や稚拙さがありながらも、もう少し劇場版ならではの原作ファンが喜ぶ熱い展開があるなら良いですけどね。
それこそアンナがああいう個性なのなら、デクや爆豪が適合して原作では見れないような特殊技を使うとか。
ダークマイトとオールマイトの対比を描くのなら、本物の象徴であるオールマイトが無個性ながらも活躍してこれぞ象徴だという姿を見せつけるとか。
なんでダークマイトの映画でオールマイトが活躍ゼロなのか。割と一番意味分からない。
ある種今回の映画でヒロアカの素晴らしさの証明にはなったのかもしれません。
ヒロアカの設定とキャラクターで映画を作っても決して面白くなるわけではない。
その世界観と登場人物の感情に丁寧に向き合った堀越先生の描く物語こそが面白いのだと。
改めて僕のヒーローアカデミアという作品の魅力を実感できた映画でした。