大いなる不在のレビュー・感想・評価
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在ってほしい
30年近く離れていた父親が認知症を患い、一人息子の卓が戸惑いながらも対峙していくストーリー。
病に優劣はなく、どんな病気も大変なのだが、認知症は改めて厳しくつらい病だと思ってしまった。
大学教授だろうが主婦だろうが関係ない。
思いもよらない言動や行動で、周りの人の心も壊れてしまうから。自分の好きだった人がいなくなってしまうから。
その人によって症状も家庭の事情も異なるわけだが、今作の人間関係はやや複雑で、どの立場にいてもつらい。父の再婚相手の息子との対話シーンで、特にそれを感じた。
大人になった卓を「たっくん」と呼ぶ父。寄り添ってくれた再婚妻の心情。色々考えると涙が出てしまった。
藤竜也の演技が流石でリアルだった。
*****
森山未来が右に位置する画が多かったような。部屋で電話してるところ、桜をバックにしたところ、車窓から景色を眺めてる場面など。印象に残った。
今作の真木よう子が一瞬、宮澤エマに似てると思ってしまった。
「不在とはなにか」
俳優の卓は30年近く離れていた父のことで警察から連絡を受ける。卓と妻夕希は帰郷し父が保護された介護施設を訪れ、父と会うが完全にボケていた。スーツを着てネクタイもして身なりはきちんとしているが、話の内容は突飛である。
その前に帰郷し父と再婚した直美と三人で話をしたとき、父は元大学教授らしくごたくをならべて主張を言い放つ。卓は変わらない父を見てある面安心する。その父が完全にボケてしまった。卓は施設を訪れたさい、鞄から一冊のノートを見つけ実家に足を運び父の本質を模索する過程で現在と過去が映像化される。
卓を見ていると言葉が少ない。話す間が十分保たれており、時間がゆっくり流れ、風の自然な音が響いている。なにか卓がノートをめくりゆっくりと父の過去を追い求めて、ノートから父の実在を理解していくことが、卓が抱く父への「大いなる不在」だ。
近浦啓監督が見る者対して「大いなる不在」とは何かこの親子をとおして思考を促している。卓が父に会わなかった時間的不在か、かくしゃくとしていた父がボケた精神的不在か、父が愛していた直美と結婚しないで別な女性と結婚した精神と時間的不在か、直美が家を出た時、愛しい人の不在と自分自身の知性の不在か、卓が演技をしていて他の人になりきり自分が不在になっているのか、様々な思考を促す。
筆者の「不在」とは何か。真っ先にうかぶ言葉は「後悔」だ。筆者がやらなかったこと、決めなかったことに対する後悔。しかし、もしやっていて、決めていたら今の筆者は「不在」だ。
「不在」の反義語は「いる、ある」だ。卓には愛する妻夕希がいるし、演技への情熱はある。すべて現在進行形だ。反して父は、「いた、あった」のすべて過去形であるから今「不在」だ。「不在」と「いる、ある」はある意味表裏一体なのだ。現在の「いる、ある」が、いつ「いた、あった」の不在になるのか予測不能だ。それゆえ卓は施設の人にできる限り父に会いに来ると言う。ボケた父の「いる、ある」を目に焼き付けるために、父の「いる、ある」を想いだすために。
これは!
間違い?かと思う導入部、ガラス戸を閉めるとピタッと消えるBGM、鏡の使い方、アイドルのように撮られる真木よう子、ただならぬ映画の予感。
藤さんのサンセバスチャン映画祭受賞作がやっと観られた。老い、自分が無くなる事は世界共通、つくづく人間って面倒になったなと思う。所々で甦る愛情、こっちの方が双方ともに辛そう。またメメントだよ。
明らかに海外向けなエンディングにちょっと鼻白みますがね。
明らかになっていく事実が悲しい
認知症になった父が施設に入ることになり、20年ぶりに息子と再会する。
父親がそれまでの家族を捨てて一緒になった再婚相手は行方不明。
現在と過去の二つの時間軸で”壊れてしまった現在”と”壊れていく過程”が描かれる。
現実でもこういったことって起こりうるけど、それぞれ家庭を捨てて一緒になった二人には助けを呼べる人が限られるだろう。
息子の卓が二人の暮らしを知って徐々に言動が変化していくのがよかった。
愛とは?家族とは?
年を重ねてから見るともっと刺さるかもしれない。
藤竜也の圧倒的存在感
基本的に陽二と卓の父子関係を軸に敷いたドラマであるが、そこに認知症の怖さ、陽二と再婚相手の女性・直美の夫婦関係といったドラマも入り込んできて、何だか散漫な印象を持った。特に、終盤は父子の絆を描きたいのか、夫婦愛を描きたいのか。作品としての方向性に若干のブレが感じられた。
物語は、卓の視点で描かれる現在と陽二の過去に迫る回想。この二つで構成されている。このほかに直美の姉や息子、大学教授時代の陽二の教え子といったサブキャラ。更には直美の日記や陽二が残した手紙が出てきて、卓が知らなかった陽二の過去が明らかにされていく。この辺りは巧みに構成されていて引き込まれた。
また、認知症の怖さというのも本作は上手く表現されていたように思う。
印象に残ったシーンは2つある。
まず一つ目は、倒れた直美を陽二が置き去りにするシーンである。この時にすでに陽二には直美=妻ということすら認知できなくなっていたのだろう。すがるような眼差しで助けを請う直美が憐れに思えてならなかった。
もう一つは、施設に面会に来た卓に、陽二が過去の虐待を詫びるシーンである。卓にはそんな記憶が一切ないのだが、考えてみれば厳格な陽二なら躾には人一倍厳しかったかもしれない。虐待とまでは行かないにしてもスパルタ的な教育に繋がった可能性はある。
ただ、これはもしかしたら陽二の勘違いで、実際には直美に対する虐待だったのではないか…という想像もできるのだ。陽二は亭主関白気取りで直美は常にそんな彼に気を遣って寄り添っていた。直接的な暴力ではないが精神的に抑圧していたことは明白で、陽二はそれを混濁した記憶の中で申し訳ないと告白したのではないだろうか。そう考えると、このシーンにはゾッとするような怖さを覚える。
このように認知症を患ってからの陽二の言葉は、ほとんどが勘違い、妄想ばかりである。そんな彼に翻弄されながら、卓は父と正面から向き合わざるを得なくなっていく。改めて介護の難しさというものが実感された。
尚、映画はオープニングとエンディングで役者をしている卓の舞台稽古のシーンが挿入される。かなりアヴァンギャルドな演劇で最初は意味不明だったのだが、エンディングでその意味が判明する。要は卓と陽二のドラマのメタファーになっているのだが、これも中々面白い”仕掛け”だと思った。
キャスト陣では、陽二を演じた藤竜也の演技が絶品で、完全に独壇場と言った感じである。泰然自若とした物言いは受け取り方次第では時に冷たく感じられ、これじゃ家族崩壊も当たり前と容易に想像がつく。そんな彼が認知症を患ってからは一転。喋る言葉もあやふやになり、勘違いや被害妄想に取りつかれた憐れな老人になり果ててしまう。人間が人間らしく生きることの喪失、不安、苛立ち。それらが見事に表現されていた。
藤と森山のW主演
1 認知症が引き起こす家族関係の変化を描く人間ドラマ。
2 「藤竜也が本作の演技で外国の映画祭の男優賞を得た」との新聞記事を見た記憶がある程度の認識で見に行くと、そこそこ人が入っていた。粗筋は次のとおり。
主人公は元大学教授の藤とその息子の森山。藤は森山が小さい頃家庭を捨て、今の妻と再
婚。そのため森山と藤の関係は希薄で、二人の再会は藤の出奔後20数年を経てからのこと。それから数年後、森山は遠く離れて暮らす藤が前後不覚の状態で保護されたとの連絡を受けた。認知症であった。森山は藤を施設に入所。藤の自宅内部は荒れていて、妻は不在だった。そして・・・。
3 映画は現在と過去を行きつ戻りつながら、三つのことを描く。一つは、藤の認知症の進行具合。そして、愛情深く尽くしてきた妻の心が切れ決別してしまう夫婦の姿。二つは、森山の心中に長らく不在であった父との絆を繋ぐとともに父の足跡を辿ろうとする子の姿。三つは、藤の妻の行方探し。
4 本作の特徴は、第一に構成が独特であった。冒頭の緊迫感、前後する時系列。第二に印象的なショットの数々。①胸の痛みで倒れた藤の妻が離れていく藤の足元を窓越しに見るときの絶望的な目のアップ、②森山が義母の郷里で海岸に寝そべりながら藤が出奔前に書いたラブレターを読むシーン、③藤と決別した妻が郷里を彷徨い夜の海辺に佇むシーン。第三に謎めいたストーリー。森山が義母の行方について、義母の息子から義母の妹宅にいると聞き、そこを訪ねたが、妹からはいないと言われた。一つ前のシーンでは庭で姉妹が語らっていたが、これは姉が藤の家を出た直後と思われる。その後も姉は彷徨いその行方は謎のまま残された。
なぜか真木よう子さんが
長らく疎遠だった父親が認知症になって久しぶりに再会した息子が、互いに離れていた間の父の暮らしと向き合うお話です。
言う事がフワフワしているのに、恐らく生来の権威主義的態度を秘めた藤竜也さんのリアリティが凄まじく、「このお父さんはもしかして詐病なのか」とすら感じさせ、観る者を惑わせます。それと向き合う息子の森山未來の眼差しも繊細です。
でも、なぜなのでしょう。僕は本作で、森山さんの妻を演じる真木よう子さんが最も印象に残りました。特に、強さや激しさがある訳ではなく、記憶に残る台詞がある訳ではありません。でも、第三の眼としての穏やかな佇まいが静かに染み入って来るのでした。
ツカミとオチの落差、恋文朗読は不要。
強いツカミとその回収としては余りに弱いオチとの落差で一気に鼻白んで幕。
恋文上手のインテリ男女の古き良き恋愛、
回想シーンが無いのは買うが、
恋文朗読は脚本家の文章力を披瀝するだけだから不要。
ツカミを弱く、恋文朗読が無しなら支持したかも。
竜也の演技は新味と評すが。
さらっと観るとさっぱりわからない・・・しかし
幼い頃に自分と母を捨てた父が警察に捕まった、と連絡を受け、久しぶりに父・陽二を訪ねることになった卓は、認知症を患い変わり果てた父と再会した。そして、父の再婚相手で長年一緒に暮らしていた義母の直美が居なくなっていた。何があったのか?と、卓は父がどう生活していたのかを調べ始めた。父の家に残されていた大量のメモや手紙、そして父を知る人たちを訪ね、そこで聞く話、卓は父の人生を知ることになり・・・てな話。
本作品、さらっと観終えての感想は、???だらけだった。
直美さん、実際はどうなってるんだろう?というのが最大の疑問だった。
あまりにレビューが書きにくく、ほとんどした事がないが、信頼できる素晴らしいレビューアーさんたちのレビューを先に読んでしまった。
そういう事か、といちいち納得。
若い時から理数系で文学脳を持たず、今でもこういう実在するのに不在みたいな作品は苦手です。
認知症になった人が主人公だと、何が真実で何がその人の妄想なのか観ている他人にはわからない。
ましてや、直美の息子のように金目当てでウソをつくような人まで出てくると話がこんがらがって、サスペンスみたいな感覚を受けた。
そうなってくると、直美さんの妹も本当の事を卓に言ってるのだろうか、とか、友希さんは大丈夫なのか、とか登場人物全てをうたがって観てしまった。
そのくらい、卓役の森山未來を含め、父・陽二役の藤竜也、卓の妻夕希役の真木よう子、義母・直美役の原日出子、などの演技は素晴らしかった。
直美の妹役の神野三鈴もさすがだった。
ストーリーを理解した上で、もう一度観たい、そう思える奥深い作品だった。
世界中が敵
日本映画で幾度となく描かれてきた認知症。実体験している人の手で作ることは難しいため、多くは第三者視点で物語が進む。しかし、本作では認知症の父を持つ息子・卓を主人公に当てながらも、その父・陽二の目線からも病の恐ろしさが描かれており、見たことの無い演出に心奪われると共に、彼の目に映る世界から遮断されたような絶望に、とにかく胸が痛くなった。
時系列がばらばらで、記憶も断片的。映画の構成すらも認知症を患った人の頭の中。世界中から狙われている。スクリーンを間違えたのかと思った驚きのスタートは、映画が終わりに近づくと同時に納得し、そして体感したことの無い複雑な感情で心が破裂しそうになる。
スクリーンデビュー60周年を機に、映画出演作が相次ぐ藤竜也。昨年の同時期に公開された「高野豆腐店の春」も良かったが、本作の藤竜也は言葉を失うほど。元大学教授であるため、常に社会問題や世界情勢に目を向けていたのだろう。柔軟性がなく、頑固な性格だが、丁寧な物言いで知的な雰囲気が身から漂う。そんな人が認知症を患ってしまったら。無理難題といえる役柄を彼は見事に演じきった。それどころか、監督の想像の範囲を大きく超えてしまったのではなかろうか。まさに、怪演という言葉がふさわしい。メジャーな作品では無いけど、今年のアカデミー賞には是非ともノミネートされて欲しい。一見の価値あり。
演劇を入れてくる映画はあまりいい思いをしたことがない。本作においても、他の演出やメッセージ性は素晴らしいのだけど、演劇があまり機能しておらず、このせいで安っぽい雰囲気が出てしまっていた。激重テーマを扱っているにもかかわらず、一種のエンターテインメントとして面白い。すごいなぁと感心していたポイントだったから、ここに演劇の面白さも加われば、もっといい物になっていたんだろうなと。最後があんな感じだと、なんだか締まりも悪いし、せっかくならバチッと決めて欲しかった。
この点数だから、正直全て理解出来たわけじゃないし、この映画のことを全面的に受け入れられる訳じゃないんだけど、ストーリー概要からは想像し得ないストーリーでかなり面白く、色々と考えさせられる力作だった。何回も見たり、解説を読んだりして、長い時間をかけて味わう作品。こういう映画に出会えるとは思ってなかったから、テンション上がっちゃった😁
老いた、大嫌いな父が・・・
藤竜也の年老い認知症に成った親父が秀逸、大学教授を終えて知的で気の合わない父が・・・
今まで彼の演技を気にした事(ごめんなさい)はなかったけどあまりのリアルさに引き込まれました森山未来含め他の俳優も良い隙間が有りません、途中我に返った無器用な父の子に対する謝罪はそれぞれの立場で誰しも心当たりが有るのでは、人は皆何時も迷って活きている
ラスト、一瞬の平常に戻った親父の決断と結末は強引にも思えるが原作はフランス、彼方の司法機関ならあの最後(銃声)は有り得るのだと思った。
放置はいかん
藤竜也と森山未來の組み合わせなんて、期待しかない! が、ちょっと内容が…。父と息子の関係なのか、父とその妻の関係なのか、どちらを重点的に描きたかったのか、よくわからなかった。不在って、誰が誰にとってなの? 藤竜也の演技はとても良かった。森山未來も良かった。二人とも脚本をより膨らませる演技をしたのだと思う。他のキャストも、与えられた役目はきっちり果たしていた。なので、大変もったいない作品であった。
行く先の自分を想像して。
圧倒的に俳優陣の演技がすごい。
未来さんの戸惑い、藤原さんの現実と非現実の交錯。
そうなんだよね〜認知症って、どうしていいのか、わからなくなるんだろうね。
それにしても、直美さんはどこにいってしまったのだろうか?
そこだけが、想像の域を超えない。
どうしても、いろいろと繋がらない。
時系列がごちゃごちゃで混乱
2024年劇場鑑賞205本目。
てっきり亡くなった父親の事を遺品や関係者の話で追う話だと思っていたらお父さんしっかり生きてました。
冒頭あれ、映画間違えたかな?と思う展開で、どうしてこうなったのかを最後までこちらは抱えていなければいけないのに、時系列のめちゃくちゃさでより混乱してしまいました。森山未來が前衛的芝居をしてるのはこれ素だろ、と思いました。
アナログ世界の自由人
認知症は、父親と義母の互いの愛情を引き裂いていく。
ふたりの大切な思い出がつまったそれぞれの日記。
義母が、認知症が進んだ父親の家を出るとき、その日記は置かれたまま。
彼女はなにかを断ち切ったのだ。切なすぎる瞬間。
その間を取り持つ息子は、ずっと会ってなかった父親、亡き実母両方への複雑な感情を抱えながら、心揺れ動く。
家族にはいろいろな形がある。運命には抗えない。家族は家族だから。
親子の愛情の在り様も刻々と変化していく。父親の胸中に去来するものは何?
息子は舞台俳優だ。複雑な感情を表現するのはお手のものだ。ただ、それが自分の身にふりかかると戸惑いは隠せない。そのへんの機微を、森山未來は彼ならではの感性で好演している。
藤竜也の父親も圧巻。「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスに匹敵するかもれない。
アナログ世界の自由人。頑固一徹の学者。藤達也でしか演じられない。そう確信した。
藤竜也がヤバい。
こういうインテリ系の人の痴呆やアルツは見ててきつい。自分のプライドがズタズタになって、その現実に争い、認めて行く、、またはわからなくなって行く過程が実にリアルに描かれていた(自分のまわりにいたのでわかる)、藤竜也恐るべし。
まわりも達者な人ばかりなのだが彼だけ飛び抜けて凄かった。
ボケ老人に振り回された人達と、早くに縁を切った息子の森山が父の過去を知り、その贖罪の旅をすることによって父親との距離を縮めて行くはなしです。
病院は年寄りのサロンとか言ってる若い子には響かない話かも知れない。その通りだよ、そしてあんたも必ず来る、確実な未来なのにね。
素晴らしい映画でした!
夫婦どちらかがまだらボケになり、せん妄が現れ、暴言を吐いたり、暴力的になりして、認知症になってゆく。身の回りにあり得ることだ。他人事ではない目線で見ざるを得なかった。80を超えた藤竜也の演技も細部まで練られていて胸に迫るものがあった。そして、森山未來が変化してゆく様も自然体で描かれ、私が見た今年の上映作品の中では、間違いなく秀作だった。
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