「寓話は優しいが、観客を動かす熱量に欠けた作品」星つなぎのエリオ こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
寓話は優しいが、観客を動かす熱量に欠けた作品
改めて「良い映画とヒット作は必ずしも一致しない」という現実を突きつけられた。テーマ自体は普遍的で、孤独や喪失を抱えた子どもが自己を肯定し、他者との関わりを通じて成長するという王道の寓話。しかし、実際にスクリーンで展開されるドラマはどこか歯切れが悪く、観客を“推し活”させるほどの熱量に欠けていた。その象徴が主人公エリオの造形である。
11歳という年齢設定にしては、あまりに思慮が浅く、行動原理が幼すぎる。大人の視点で見れば「この子を地球代表と誤解するのは無理がある」と突っ込みたくなるし、子どもが観ても「自分ならこうはしない」と距離を置いてしまう。ピクサーは意図的に“未熟さ”を強調したのだろうが、結果的には観客の共感を削いでしまった。しかもキャラクターデザインも決して「可愛い!」と叫びたくなる類ではなく、トラウマを象徴する眼帯を含めて暗い印象を与えた。要するに、感情移入の入口が狭かったのである。
一方で、コミュニバースに集う異星人たちのデザインは多様性を意識したものの、性格や役割の掘り下げが薄いため記号的に見える。過去のピクサー作品のように「マイクとサリー」「ニモとドリー」といった名コンビ的な化学反応が生まれず、物語の厚みを支えるサブキャラ不在が興行面での弱さに直結した。ヴィランを置かず、誤解と和解で進行する構造は寓話的には正しいが、エンタメとしての緊張感は物足りない。
興行的に不振な状況の背景には、作品そのもの以上に産業構造の問題もある。コロナ期にピクサー作品をDisney+に直送したことで「劇場に行かなくても観られる」という習慣が定着し、オリジナル新作の集客力が削がれた。既存IP頼みのディズニー戦略の中で、抽象的テーマを掲げる本作は埋没した感が否めない。
結局『エリオ』は、優しい寓話でありながら「誰に刺さるのか」を最後まで絞り切れなかった。観た人には温かい余韻を残すが、観に行く理由を作れなかった。市場が厳しくなる中、ピクサーがオリジナル作品で再び存在感を示すためには、テーマの普遍性に加えて「キャラクターとしての圧倒的な魅力」をどう再構築するかが問われている。