「作品としての纏まりはあるが、些か地味な一作」星つなぎのエリオ 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
作品としての纏まりはあるが、些か地味な一作
【イントロダクション】
ディズニー&ピクサー最新作。両親を亡くした孤独な少年が、宇宙人の集まるコミュニティで大冒険を繰り広げる。
監督・脚本に『リメンバー・ミー』(2017)のエイドリアン・モリーナ。その他の監督に、短編『夢追いウサギ』(2020)のマデリン・シャラフィアン、『私ときどきレッサーパンダ』(2022)のドミー・シー。
【ストーリー】
両親を亡くした少年エリオは、叔母であり空軍少佐のオルガに引き取られ生活している。オルガはかつて宇宙飛行士を志していたが、エリオを引き取る為にその夢を断念しており、その事がエリオにとって負い目となっていた。
ある日、オルガはエリオとの交流を試みて宇宙センターを訪れていた。エリオは閉鎖中の展示施設に迷い込み、そこで1977年に打ち上げられた「ボイジャー1号」に搭載された“ゴールデンレコード”を目にし、宇宙の何処かに自分の孤独を癒してくれる宇宙人が居るのではないかと考えるようになる。
数年後、エリオは宇宙人に誘拐される事を夢見て、日々自作のサークルや無線機で交信を試みていた。ある晩、エリオが無線クラブと嘘をついて募集を掛けたクラブ活動に、ブライスとケイレブという少年が参加するが、エリオはケイレブと口論となり暴力沙汰になってしまう。怪我をしたエリオは、オルガの勤務する軍基地にやって来る。すると、基地の職員で陰謀論者のメルマックが「宇宙人からの応答があった」と報告する。メルマックは返信を提案するが、オルガ達に一蹴されてしまう。こっそり会議に忍び込んでいたエリオは、メルマックの装置で返信をするが、その影響で軍基地が停電してしまう。
エリオとの生活に限界を感じていたオルガは、彼をユースキャンプに送り出す。しかし、キャンプにはブライスとケイレブも参加しており、エリオへの怒りが収まらないケイレブは、夜になると仲間と共に海辺でエリオを捉え、暴力を振るおうとする。
しかし、突如謎の光によってケイレブ達の動きが停止させられ、エリオは宇宙船に迎え入れられる。エリオの返信は宇宙人に届いており、彼らはメッセージを寄越したエリオを迎えに来たのだ。
エリオは、“コミュニバース”と呼ばれる様々な宇宙人が集う研究機関へと案内される。コミュニバースで彼を迎え入れた大使達は、エリオをボイジャー1号の開発者であり、地球人の代表だと勘違いする。エリオは誤解が解けて地球に送還される事を恐れ、コミュニバースへの参加を拒否され食い下がる、戦闘種族のハイラーグ星人の代表者グライゴンとの交渉を買って出る。
エリオはグライゴンとの交渉を試みるが、誤って彼の怒りを買ってしまい投獄される。脱出を試みる中で、彼はグライゴンの息子であるグロードンと出会い、彼をグライゴンとの交渉の切り札にする事を思いつく。
【感想】
ディズニー&ピクサーという黄金スタジオコンビによる作品だけあって、完成度の高い映像と物語が展開される。しかし、作品の完成度の高さ(アメリカの大手映画批評サイト「ロッテントマト」でも、批評家・観客両スコアで高い数値を叩き出している)に対して、本国アメリカでの興行収入は惨敗気味な様子。
その背景には、全体的に地味な印象が寄与しているのではないかと思われる。物語として描きたい事はハッキリしているのだが、その描き方には新鮮味が薄く、またお行儀良くなり過ぎているからか、作品として強烈なフックとなる部分が無いように思えるのだ。言うなれば、「可もなく不可もなく」「毒にも薬にもならない」といったところだろう。
地味な作風になる要因の1つは、本作では暴力によるアクションが廃されているのもあるだろう。暴力に頼らず、あくまでエリオの機転やグロードンの優しさが人々の心を動かして事態を進めていく構成になっており、その代わりとして、映像的な盛り上がりは、エリオがオルガと共にコミュニバースへ戻る際、宇宙デコイの破片を仲間達との通信を通して切り抜ける宇宙船の操縦アクションが果たしている。
勿論、本作のメッセージから考えると、この選択は正しいのだが、ハイラーグ星人の戦闘種族としての暴力性を伺える描写は、その殆どをグライゴンに依存しており、その描き方も暴力的になり過ぎないようにオミットされており、そうした行儀の良い姿勢は、時に物語的な盛り上がりさえも抑えてしまっているように思う。
また、グロードンの語る「母親は他の惑星で戦っている」という家庭環境含め、グロードンとグライゴンの親子愛が描かれつつも、宇宙の何処かでは未だハイラーグ星人が(恐らく侵略の為の)戦闘行為を行っている事は事実であり、単に「めでたしめでたし」では済まされない気もしてしまう。
もう1人のメインキャラクターであるグロードンの登場が中盤辺りと遅めであり、その為かダイジェストで描かれるコミュニバースでのエリオとの友情描写には、今後の感動展開に説得力を持たせる為の義務感が生じてしまっているように感じられた。グロードンの心優しい性格と可愛らしさは魅力的なのだが、その登場の遅さで幾分か損をしている部分もあると思う。
「強すぎる個性は時に孤独を生むけれど、あなたは独りじゃない」
コミュニバースの最高幹部であるクエスタが語るこの台詞に、本作のテーマが集約されており、この台詞は素晴らしかった。また、彼女の“触れた相手の心を読む”という能力も面白い。
しかし、コミュニバースの他の大使達の活躍が皆無であり、エリオに期待しては失望し、彼の活躍を見守り評価するのみの、まさにモブという立ち位置に留まってしまっているのは勿体無いと感じた。個性的な見た目以外に、何も印象に残る部分がないのだ。
エリオとオルガの家族愛、グロードンとグライゴンの親子愛は、流石ディズニー&ピクサーだけあってはずさない。特に、瀕死のグロードンの為に、「人前で鎧を脱ぐ事は、ハイラーグ人にとって最大の屈辱」という掟をかなぐり捨てるグライゴンの姿が良い。優しい性格のグロードンが戦士になる事を望んでいない事を知っていた、「親だからこそ分かる事」という描写も感動的。
ラストシーンで地球に送還されたエリオとオルガが手を繋ぐ姿をアップで捉えたカットも締め方として◎。軍基地やブライスといった様々な人々が、コミュニバースの姿を目の当たりにして宇宙人の存在を認知する姿も壮大。
【総評】
作品としての纏まりは感じられるが、その描き方から些か地味になってしまった「惜しい」一作といった印象。改めて、人々を楽しませ、感動させる事は容易ではないのだと痛感させられた。
