「私が私として生きるために」市子 TSさんの映画レビュー(感想・評価)
私が私として生きるために
夏の道を鼻歌を歌いながら気だるそうに歩く若い女。
そのシーンで始まり、そのシーンで終わる。
2度目にみたシーンから受ける印象は、1度目にみたシーンから受けるそれとは全く別物になっている・・・。
この作品のテーマは何なのだろう。
戸籍制度の穴に落ちて「私」を「私」として証明できなくなった女性の悲しい物語なのか。貧困やヤングケアラー、一度落ちた者を救済する制度の弱い社会の問題なのか。愛なのか。
それは観る人によって解釈がちがうものだから、正解はない。
ただ、この作品を観て感じたのは、静かな佇まいの中にも、心の奥底に確固としてある「私として生きたい」という主人公の強い意思だ。彼女の「強さ」は子供の頃の場面から感じられた。
その意思を、強い言葉や動きで表現しない演出。杉咲花という俳優の演技。
感情を表に出さなくても、表情の変化に乏しくても、内から滲み出てくる何か。
季節はほとんんど夏だったように思う。気だるい暑さの中で滲み出てくる汗が何度もアップで映る。この汗には、主人公市子の悲しみや怒りといった感情が全部溶け込んでいるように思えた。
長谷川(若葉竜也)の行動で徐々に明らかになっていく市子の正体。長谷川の視点に寄り添ってみていけば、市子は悲しい、かわいそうな女という印象になるかもしれない。
しかし、どうだろう。
彼女がとった「私」を取り戻すための行動は、(それがほとんど発作的で衝動的な行為であったとしても)周りの人間の人生を確実に狂わせていっているのだ。悲劇である。
そう考えると、市子はとても恐ろしい女に思えてくる。底知れぬ怖さを持った女だ。
ほとんんど「素」の無表情に近い顔と演技で主人公市子を演じる杉咲花からは、いわゆる俳優の「オーラ」とは違う、形容しがたい「何か」がじわじわと迫ってくるものを感じた。
ああ、そういえば、顔面アップのポスタービジュアルからは、こちらに向かって「何か」を訴える力を強烈に感じたなあ。
戯曲の映画化と知って、なるほどと思った。悲しみ、哀れみ、絶望、悪、善、愛。一人の女の半生を通じて見せる。他人語りで見せる。最初と最後は同じシーンで。彼女の秘密を知った観客が、同じシーンを最後に見て何を思うか。
それを問いかける。問いかけられる。残った余韻の中で考えさせられる。
そういう映画なのかもしれない。
杉咲花に底知れぬ何かを感じた。
こんばんは。
コメント失礼しますm(__)m
そうなんです!
一見悲しい可哀想に見える市子。。
でも仰る通りで周りの人間の人生を確実に狂わせ、殺人まで犯している。。
あんな生い立ち、環境だったから理解してあげたかったけど。。
生きる事に執着している様が恐怖でした。
本当に底知れぬ怖さを感じましたよね。。
私は劇場で鑑賞したのですが(冒頭と同じ)あのラストのシーンはたぶん配信でご覧になるより数倍ゾワワ〜ってしましたよ(°▽°)
市子。。
後悔とか懺悔とかいう感情、もう無さそうに見えちゃった('◉⌓◉’)