フェラーリのレビュー・感想・評価
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ペネロペさん、お久しぶり
フェラーリの狂気の人生の物語
ツマラナイ、その理由
レースで勝つために車を売る
イタリアの自動車メーカー、フェラーリの創業者である、
エンツォ・フェラーリを描いた、ヒューマンドラマ。
エンツォは息子ディーノを亡くし、さらに会社の経営に行き詰る。
妻との関係も冷え切っていたが、愛人とその息子ピエロとの関係も知られる。
競合会社からの買収の危機に至るも、エンツォはロードレースに挑み、
起死回生を図る・・・
あのフェラーリの創業期における、公私にわたる人間関係が描かれていたが、
背景が分からないと、ちょっと理解が難しいかも。
このエンツォ、ドライバー経験を経て、会社を設立したようだが、
「死を恐れるな」とドライバーたちと言い、思いやる姿は経験者ならではか。
また、一般人を事故に巻き込んでしまった後にエンツォが「一般人は彼らと違う」と
悼むシーンも印象的であった。
また、「レースで勝つために車を売る」という他社とは異なるブランド戦略、
これもドライバー出身ゆえの考え方か、はたまた建て前なのか。
今では、フェラーリと言えば、高級車、スーパーカーの代名詞だけど、
こんな歴史が、裏舞台があったのか。
苦く渋い。
2023年。マイケル・マン監督。1958年、一人息子を失って共同経営者の妻ともうまくいかないフェラーリ創業者は、愛人との間の息子の認知を巡っても危機にあり、さらに会社の経営は切羽詰まっている。それでもレースにこだわる元レーサーの創業者が大勝負に挑むという話。安直な感情移入を拒否する意志につらぬかれている。苦く渋い。
たしかにレースが山場となっているのだが、「その時」にむかって一直線に盛り上がっていく一面的な映画ではなく、複数の人々が複数の思惑で交錯しているさまが丁寧に描かれている(そもそも、レース自体が「誰が勝つか」を超えたとんでもない事態を巻き起こす。勝者の祝福さえ苦い)。これで130分とは信じられないほどの複雑さ。例えば、イタリアのブルジョワ社会の社交場としてオペラの一節が描かれるのだが、そのオペラを聞きながら、創業者は亡き息子を想起し、その妻は息子も含めて愛があった家族の姿を想起し、愛人は創業者との思い出を想起し、創業者の母は戦争で死んだ長男(創業者の兄)を想起する。しかも、誰もがひとつではない複雑な心情を抱いている(愛人の存在をつきとめた妻が、共同経営者として創業者に示す態度を見よ)。
レースの場面が多い。カメラが車に迫り、追い抜き、回り込む。切り返しで真正面ではなく、後ろ姿をそのまま撮ることをためらわない。それは冒頭、主人公が目覚めてから家を出て車に乗るシーンまでにも徹底している。時にどきっとするほど人物の顔が大写しになるのも効果的。音響も突然ピンマイクになるかのような親密な音に切り替わっている。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 車(乗ってますけど)に疎いのでフェラーリ社の車がどれ程名車なのか知らないけれど、名車であれば本作はそれに恥じないくらいの堂々とした出来。
①マイケル・マンの演出がこんなに上手いとは思わなかった。冒頭から佳作になるのではという予感。
始まって十数分しか経たないのに、説明的な台詞やモノローグもなしに、映画の中の状況や背景が分かる話術の巧さにも感心した。
②アダム・ドライバーは同じイタリア人役でも無駄に長いだけのグッチ映画のグッチ役よりずっと板についている役作り。
しかし、それ以上に感心するのはペネロペ・クルスの名演。その演技の安定感はもとより、(ラウラとしての)ラストシーンでは、フェラーリとビジネスパートナーとしての意地と共に、フェラーリの妻であり(フェラーリ家の後継ぎになる筈だった)亡き息子の母親として女の意地を見事に演じている。
シャーリーン・ウッドリーはイタリア女性に見えないところが難だが、ダークなペネロペ・クルスとは良いコントラストにはなっている。
しかし、少し見ない間にすっかり大人の女性になりましたね。
パトリック・デンプシーの出演にはビックリした。
③本作の忘れ難いアクセントとなっているパンクして跳ね上がったフェラーリ社の車が沿道の人々をなぎ倒すシーンの迫力。どんな風に撮ったのだろう。
鳥肌が立ちました。
*本作の内容とは全然関係ないですけど、車は人を殺せる機械でもあると分かって乗ってる人はどのくらいいるのだろう。
ともかく安全運転を!
女の意地をじっくり堪能あれ
フェラーリは、ブランドに対する愛着と執念と負けん気だけで生きてたんだろうな。
妻を傷つけることを承知で、他に家族がいて、跡継ぎのためには手段を選ばない。
いわゆる鬼でしょ。でもフェラーリのブランドを守ればすべてよしってこと?
カークラッシュで死者が出ても責任取らず、起訴されず。
だが、フェラーリ扮するアダム・ドライバーがなぜか突き抜けている。
彼の考える現実は、もはや実生活にはない。
フェラーリワールドから物事を語っている。
対象的に、実生活に踏みとどまろうとするペネロペ・クルスの演技が圧巻。
常識をひんまげるフェラーリの上をいっている。
フェラーリワールドの汚染を崖っぷちで蹴散らして、不覚にも支えている。なんというアンビバレンツ。
女の意地をじっくり堪能あれ。
名前負け
映画タイトルが”フェラーリ”ということで、
同社の栄華の歴史とか、
ライバルとの抜きつ抜かれつのレースシーンとか、
そういうものを期待していたけど、
開幕からエンツォのクズっぷりが全開で、
自分はいったい何を見させられてるんだろうというのが
第一印象。
たしかにエンツォ・フェラーリは現代の自動車産業の発展や
モータスポーツの発展に貢献した人物であることは疑いのない事実であるが、
だからといって、時代は違うとはいえ、あのような生き方や
家族観みたいなものは、今の時代では到底容認はできないことが、
鑑賞中に終始感じた不快感であった。
ディーノ・フェラーリが若くして亡くなり、
その息子の名前からフェラーリ・ディーノという名がつけられた車が存在することは、
車にあまり詳しくない自分でも知っている美談であるが、
その裏側にあるドロドロしたものはあまり知られておらず、
そこに切り込んだ製作サイドの勇気には経緯を表したい。
この内容の映画の製作と公開をOKしたF社の判断に★1
往年の名車が見られたことに★0.5
そして制作側の思い切りに★0.5
それ以上は無理です。
エンツォって…
フェラーリ が経営難だったとは?
複雑な人間ドラマ
光と影と狂気。
中身がぎっしり詰まった人間ドラマに魅せられた…
大好きなマイケル・マン監督の8年ぶりの新作なので、迷わず映画館を訪れた。しかも、504名収容の大型スクリーンで観ることができたのはラッキーだった。観客は30人くらいしかいなかったが… エンツォの人生のたった3ヶ月を描いているだけなのに、彼の魂に触れられた気がした。家族への愛憎、スピードへの情熱、スタッフへの信頼など… 彼の言葉がカッコよすぎる。「ジャガーは売るために走るが、私は走るために売る。全く違う。」「私の車に乗るなら、絶対勝て。」「どんなものであれうまくゆく場合、見た目も美しい。」などなど。決して愛想がいい男ではないが、信念が感じられるし、一本筋が通っている。やはり、男を描かせたら、マン監督はピカイチだ。今まで、アダム・ドライバーが演じてきた役は一つもかっこいいとは思えなかったが、今回は違う。実年齢よりも20歳も年上を演じながら、とにかくカッコよかった。また、ペネロペ・クルスもすごかった。どこかに書いてあったが、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされてもいいくらいの熱演だった。息子を失った悲しみを内に秘めつつ、夫の不在を嘆き、一方で会社の経営には心を砕いている。目の下にクマを見せながら、美しさをかなぐり捨てて体当たりで演じていた。それからミッレミリアのレース・シーン。この年を最後に中止になったそうだが、堪能した。街中から、田園風景、山岳地帯までそのスピード感と美しい景色。CGに頼らない絵は素晴らしかった。最後に、エンツォのことを、みんな「イル・コメンダトーレ」と呼んでいて、他は英語なのにどうしてこの言葉だけイタリア語なのかなと思って、後で調べてみた。彼の愛称だったらしい。司令官と言った意味で、彼がもらった勲章の名でもあるらしい。納得した。8年も待たされたけど、すごくよかった。満足満足。
星はいつも三つです。
車とかレースに詳しくなくても大丈夫。
メカニカルな分野での挑戦とかレースの勝敗にフォーカスしたドラマではなく、家族の愛憎劇です。
主演のアダム・ドライバーの、冷静で狡猾、熱い感情を封じ込めた主人公像がとにかく魅力的。
冒頭、厳かなミサに出席しながらも、好敵手のマセラッティのテストドライブの結果を知ろうと合図のピストルの音でストップウオッチを押すフェラーリ陣営の面々。よい導入です。
また教会のミサや果樹園やオペラハウスなど、イタリアの町モデナでの生活が織り込まれ、スポーツカー作りの手作り感と相まって「イタリアだなあ」と思わされます。
どうせなら英語ではなくイタリア語で作って欲しかった映画です。
またあのペネロペ・クルーズの
役作りも必見です。私は「これがペネロペ……うそだろ……」と心のなかで絶句しました。
フェラーリの不仲な妻のペネロペ、乗っている車は黄色のアルファ・ロメオというところもにくい設定でした。
忙しい人
なんかせかせかと早足で歩く人だったのだなぁと思う。頭の回転が早いのか、直感を信じているのかは知らないけれど。
レーサーを引退してもレース中のような人だった。迷う隙がないというか、迷ってる内に死んでしまうというか…そんなレーサーの習性をずっと捨てきれない人。
創業者の話だった。
エンツォ・フェラーリ
…全く興味がない。が、レースとかなら楽しめるのかもと思って鑑賞。レースもそこそこあるけれど、家族の話がメインのようだ。
困った…ホントにどうでもいい。
現副会長のピエロ氏が絡んでるので、その母君を悪者にも出来ないだろう事は分からなくはないのだけれど、それでも前妻を悪者にするのもどうかと。
気性は荒いのかもしれないけれど、フェラーリ社を起業したパートナーであるし、エンツォへの理解もしてくれてるように見える。
透けて見えてくるのは、エンツォの身勝手さだった。板挟みになってる風ではあるけれど、それよりも彼が優先している事があるだけのようにも見える。
「レースに勝つ」
ここの比重が大きいので、エンツォ・フェラーリの人生において、家族なぞどれほどの比重があったのだろうか?
物語はずっと座り心地が悪くて、なんなら結構強引な解釈でエンタメ的に捻じ曲げてるとこも多いんじゃないかと思えてしまう。
ちょいちょい寝てたから、いつも顰めっ面のアダム・ドライバーしか印象にないんだけれど、レースの事故シーンでは目が覚めた。
悲惨な事故ではあったのだけど、悲惨の表現がしっくりこずで…ドライバーの顔が半分無くなってる描写で、何を伝えようとしたんだろうか?
たぶん、今でも観客を巻き込む事故は後を絶たずだと思うのだけど。ちょっと考えりゃ分かるよな?時速100キロを超えて疾走する鉄の塊が手を伸ばせば当たる距離にいるなんて、どれほど危険な状況か。
わかんないのかな?
どんな盲信をしてんのかな?
まぁ、いいけど。
とまぁ、あんまいい感想では無かったので配信が始まったら、また見ようかなと思う。
期待と違っただけかも知れませんが
憧れの小顔(ペネロペ)
高級外車に 乗れない・買えない・ご縁がないため、よく考えたら、いやよく考えなくても、人の名前(創業者名)だったよ…と思う程度にしか日頃から関心なかった「フェラーリ」の伝記映画。
最近の伝記物は、生まれてから亡くなるまでの全てを描くよりも、その人の一時代にスポットを当てたものが多いのでしょうか。今作も、エンツォ・フェラーリの1957年1年の話。
どんな成功者も順風満帆な人生はないんだな…ただ、波瀾万丈というほどではないかな?と思いました。いずれにしても妻と愛人のどちらも、つらかっただろうな。
知識ないので、ミッレミリアが何かのレースなのだなーと思って見ていたら、あんなにすごい公道レースだったとは。映画として景色も楽しめるし展開に興奮しますが、悲劇に胸が痛くなりました。普通に危険。よくあんな体制で開催したなと思います。レースシーンは見せ場かなと思うのですが、短かった気がします。
アダム・ドライバー演じるフェラーリは渋いおじさま。ペネロペちゃんは演技もいいし、年取ってもかわいかったです。
人間ドラマとして完成度が高い
さすがのマン監督。
エンツォ・フェラーリを孤高の人として描くのではなく、欠点もあるし、人間的にもじつに泥臭い人間に見えた。
しかし、当時の車の安全性たるや「走る棺桶」でしかない。200km/h近いスピードを出しながらシートベルトもないし、運転席はむき出しだ。吹っ飛んだら命がないと思っていたら開始早々やっちゃった。あかーん。
エンツォ・フェラーリを演じるアダム・ドライバーはダースベイダー以来久しぶりに見た。最初は誰だかわからず目付きとあごの形に見覚えがあった。広い肩幅大きな体に長いけど小さな頭。カッコイイ。もう、それなりの歳なんだろうな。
奥さんのペネロペ・クルスは実に上手かった。愛人の元に通い続ける夫に、最後に言い放つ「何もいらない。でも、外の子を私が生きている間に認知しないで」。カコイイ。
レース中の大事故は道路に埋めてあった金具を踏んでコントロールを失うった車が大横転したことで起きる。穏やかな日常を送る家族⋯フラグがたつ。やっぱり。そう言えばドライバーの彼女に送る手紙もフラグだったなあ。生きて帰れたら⋯(これはタヒぬでしょ)
あの金具はなんだろう?
現代の道路でもセンターに結構背の高い反射板付きの金具がある。扁平タイヤで踏むとかなりの衝撃が来る。怖い。
しかしながら、光一くんが言うような大興奮にはならなかった。レースが少ないのが原因だと思う。ちょっとダラダラした感じでスピード感がいまいち。だから、終盤に向けて盛り上がらないなあ。現代の技術をもってすればもっとエンターテインメントとして楽しい映画になりそうだったのにと少し心残りだった
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