フェラーリのレビュー・感想・評価
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フェラーリ再認識。面白かったでした。
フェラーリ一家の愛憎、カーレースの世界と映像、エグゾーストノート、モータースポーツ好きには応えられない作品。
しかし残念ながらハリウッド映画。
マセラティとタイムを競うシーンでどうしてもフェラーリは勝てない、というシーンでバックに永々とモーツァルトのアヴェヴェルムコルプスを流すのです。モーツァルトはオーストリアの作曲家だし、曲はモーツァルトが妻が療養時にお世話になった教会へお礼として作曲した子守唄。イタリアのレースカーのタイムトライアルに何でこの唄なのと、このシーンに相応しいイタリア歌曲はいくらでもありますよね。
人間エンツォの半生
感想
映画本編ではストーリーが具体的に描かれない話も多く、若い頃の描写はイメージ映像で処理されており、作品の出来としては中途半端でモータースポーツエンターテイメントに徹する事が出来ていないと感じた。人間模様かアクションどちらかに話の軸を絞った方が良かったと感じる。
余談ではあるが、あらためてエンツォフェラーリの半生を映画のストーリーを含めて時系列に並べてみる。(年齢表示はエンツォの年齢)
本名:エンツォ・アンセルモ・ジュゼッペ・マリア
・フェラーリ
イタリア人レーシングドライバー。スピードマニア。スクーデリア代表。自動車会社経営者。尊称コンメンダトーレ。オールドマン。母親違いの2人の息子の父親。
1918年 20歳
フィアット社のテストドライバー選抜テストを受けるが、不合格となる。この間も国内レースをロードして周る。
1920年 22歳
アルファロメオのレーシングテストドライバー。後、幾つかの国内レースで優勝。ワークスの正式レーシングドライバーとなる。
1928年 30歳
コンメンダトーレ(勲三等イタリア共和国功労勲章)を叙勲される。体調不良によりレーサーとしての資質に限界を感じる。
1929年 31歳
アルファロメオのセミワークスチームとしてスクーデリア・フェラーリ創設。エンジニアとして再始動する。
1930年 32歳
ワークスでのレース初勝利。
1932年 34歳
最初の息子アルフレード・フェラーリ誕生をきっかけに地元モデナでアルファロメオの販売代理店を共同経営で始める。
1933年 35歳
アルファロメオよりワークスチームの全面委託を受ける。
1939年 36歳
経営陣との対立でアルファロメオを退社。協定上5年間はフェラーリの冠は使用出来なくなるも、会社名を変えてレースカーを開発製作する。
1940年 37歳
オリジナルカー「815」を製作。その年のミッレミリア参戦。
1940年6月から1943年8月まで第二次世界大戦へのイタリア参戦により、ミッレミリア及び国内レース開催は中断する。
1945年 47歳
不倫関係にあった旧貴族の娘リーナ・アデラルディとの間にピエロ・ラルディ・フェラーリ誕生。リーナはピエロが小学校入学の頃までにはエンツォに認知してもらいフェラーリ姓を名乗りたかったが、妻ラウラは認知を許さず、1978年にラウラが死去するまでフェラーリを名乗ることが出来なかった。
(ピエロは現フェラーリ社の副社長である。)
1947年 49歳
妻ラウラと共同出資でフェラーリ社創業。シャーシとモータースポーツに特化した高性能エンジンの開発を再開する。ラウラは気性が荒く感情が先立つ性格。長男アルフレード・フェラーリは前途有望なフェラーリ社の新進エンジニアであった。
1950年 52歳
フォーミュラーワン開始と同時に参戦。その他、ル・マン24時間耐久レース、ミッテミリアに継続参戦する。50年代から高性能エンジンとシャーシをレースに続々と投入し世界的に輝かしい結果を残す。レースマシンをデチューンした高級スポーツカーの販売も開始する。市販車エンジン開発は主にアルフレード・フェラーリが担当していた。
1952年 54歳
ラウラがリーナとの不倫関係を知ることとなり、同時に庶子(ピエロ・フェラーリ)がいる事も発覚。離婚を決意請求する。話し合いの末、①庶子の認知はラウラ自身が死去するまで認めない。②ラウラが権利を有するフェラーリ社の全資産の半分をドル建で現金化した当時の金額で約50万ドルを分与する。というものであった。離婚の成立と同時に資産分割相当額の現金を支払う事をエンツォは了承するが、具体的な請求期日に関しては未定とし、赤字である会社の経営状態を考慮して欲しい旨をラウラに懇願し、この条件をラウラも了承する。
1956年 58歳
アルフレード・フェラーリ筋ジストロフィーを発症。併発した腎臓疾患のため24歳の若さで逝去。エンツォはスクーデリアと会社の跡取りとして将来を嘱望していた為、その死を非常に悲しみ、自身が亡くなるまで墓参りに日参したという。またピエロを墓参りに連れて行く事もあったという。
1957年 59歳
ミッレミリア、イタリア・ロンバルディア州カヴリアーナで死傷者9名以上(フェラーリ正式ドライバーのアルフォンソ・ポルターゴの死亡を含む)を出す大事故が発生。死亡者に子供が含まれていたため訴訟問題となる。この時献身的にエンツォに付き添うリーナの姿をラウラがテレビニュースで発見。嫉妬の心に火が着き資産分割請求期日を事故発生年内と記入し請求。期限内に50万ドルを現金で支払う事になる。事故調査の結果、事故の原因がドライバーの操縦ミスではなく、道路上の落下物によりタイヤがバーストした事による避けようの無い不測の事故であった事が判明。エンツォ自身が不起訴となった為、その年のミッレミリア優勝はフェラーリとなった。多額の訴訟費用支払を免れ、ラウラへの50万ドルは支払われ会社の全権利を取得、離婚が成立する。ラウラの行動は積年の恨みの結果、決してエンツォを救済する目的ではなかったと映画本編
の中では描かれたように感じる。真相は深い闇の中であり現在では語れる者も少ない。ミッレミリアはこの年を最後に開催中止となっている。
本編はここで終焉を迎えるが、その後60年代後半頃に新性能レーシングカー開発に拍車が掛り、会社経営が再び傾きかけた時にアメリカのフォードに買収されそうになるも最終的にはイタリア人の職人技で保っている自動車製造技術の国外流出を防ぐという大名目の元、エンツォとは因縁深い関わりのあるフィアットが買収を決定し傘下に治める事になるなど、話題性には事欠かなかった。エンツォはカーエンジニアに専念してモータースポーツ界は元より自動車業界において隠然たる影響力を持ち続け、事実上のフィクサーとして君臨した。人々はオールドマンと尊称し敬愛した。
⭐️3.5
アダムとペネロペの印象違いすぎ
2024年劇場鑑賞176本目。
黒髪ロングのもさもさしゃべり長身のイメージが強いアダム・ドライバーが銀髪短髪にするだけでこんなに印象違うんですね。
もういきなり不倫からの修羅場で好感度バク下がりのフェラーリさんですが、これまた印象ガラッと違うペネロペ・クルスの奥さんがもう死神みたいな顔してるんです。こりゃ浮気もするわと思いますがそうなる原因もきちんと描かれます。
全然人に敬意を払わないフェラーリには全く共感できませんし、最後とんでもないことになって胸が痛みますが映画としては良かったと思います。
人間ドラマ
アダム・ドライバーが好きなので観る。老け役もロマンスグレーでカッコいい。
老年のエンツォ・フェラーリが会社のピンチに奔走する話、かと思いきや愛人や亡くなった息子、といったものが絡む妻との愛憎が中心だった。妻役ペネロペ・クルスが大袈裟な演技でなくても、伝わる感情。
レースはみんなゴーグルつけて、誰が誰だか分かりづらい。ライバル車もなんで赤色なんだ。(なお、このレース調べてたらいわくつきのレースです)
フェラーリvs悪魔たち
ドライバーという名前の俳優がいよいよフェラーリという題材に、、という訳でもないのだろうが、アダムドライバーもマイケルマンもプロデュースに加わっての作品なので相当期待していたがあまり盛り上がってないのでなんなのかと思ったら納得した。
たぶんいろいろ撮ってまとまらなかったのだろう。
中身的にチラッと『フォードVSフェラーリ』をかすめるが、あちらにエンターテイメントとしてのドラマ性の良さがすべてあって、こちらにはない。
そしてどちらかというと『ハウスオブグッチ』方向なのだけど、この際、ペネロペクルス演じる嫁さんにフォーカスしちゃってもよかったのでは。というくらいエンツォフェラーリが面白くない。
ただフェラーリの車体とエンジン音がすこぶるいいのでそこだけ楽しみにしてると、きっと良くないことが起こりそうな流れでシャーッと悪魔が運命を切り裂く瞬間がしっかりエンタメされて鮮烈過ぎて、これはフェラーリvs悪魔、なのかと思った
エンツォ•フェラーリ
妻、愛人、会社、レースとエンツォを取り巻いていたエピソードを凝縮して作られているが…
それぞれのエピソード自体は良いし役者さんの演技も良いのだけど、イマイチそれが作品としてまとまってたようには思えない
見ていて映画としての盛り上がりはどこなんだ?って疑問、クラッシュシーンは迫力があるがうーん
現実としてフェラーリ社が大きくなっているから問題は無いんだけど、映画の中のエンツォの功績ってレースチームを見離さずに激励している部分だけでは?
不穏になってる部分の多くは、エンツォ自身で巻いた種だから上手くいった感は無い
経営者の情熱と現実
これが、事実に近い経営者なんだろうと思う。
その分、エンターテイメント性が無く、女性にはウケないと思うが、私は推しです。
ペネロペクルスのやさぐれ感、しかも美しい。
レースにかける情熱と冷徹。
経営者としての度量。
お金の工面。
奥さん・愛人・子供。
こういう現実を見せてくれました。
しかし、愛人宅にいる時の安らいだエンツォ、良くわかる。羨ましい。
私のような小物には無理だが、ああいう場に憧れます。
レースのシーンは迫力
レース、特に事故のシーンはさすがの迫力。
すごい人だったんだろうが、奥さんが可哀想。
イタリアの話を英語でやるのは違和感あるな。
サイコ~、フェラーリ。
車好き人間にはサイコ~。初めから終わりまで大満足。フェラーリパパ…仕事のできる男の嫁さん、大変でっせ。汗カキカキ自転車こいで25分行った甲斐アリ。是非Cinema館で観るべき。
ポルシェではなくフェラーリか!?
昔、超クルマずきの友人が借金をして買ったポルシェに乗せてもらい、深夜の首都高速を200キロの速度で走ったことがあります。100キロから200キロまでの加速は体感一秒!
その間の光景はまさにスターウォーズのミレニアム・ファルコン!!左右等間隔にある照明灯が瞬く間に点から光線に結ばれ、前方の視界はその光線の集まる遠くて狭い一角に凝縮されていったのです。もちろん、背もたれに押しつけられるようなGもいまだに忘れられません。
人生最初で最後のクルマでの超高速体験でした。
関係ない話ですみません。
映画を見終わるまで、あの時の車がフェラーリだったっけ?と勘違いしてたもので…
この映画、伝記や自叙伝の類いではなく、本当にただフェラーリさんの人生を一部切り取って映像化した?だけなのでしょうか。
私には人としての生き様であるとか、ビジネス上の切った張ったのやり取りから何かしらのドラマ性や教訓を得る、というような要素が感じられなくて、なんだかつまらない映画でした。
ただ、舞台はイタリア。
観光資源の奥行きやデザイン大国であることの片鱗は随所に感じられて、イタリア万歳!という気分にはなれたので、それなりには楽しめました。
知ってるつもり
例えは違うかもだけど、壮大で上質な再現ドラマを観ているかんじ。謎に英語だし。
派手さはないが何故か引き込まれ、あっという間に終了。
この手の実話モノはだいたいwikiで簡単に予習してから観るようにしてるけど、それを忘れても、あんまりフェラーリやイタリア、レースに詳しくない自分でも楽しめた。
『フェラーリ』 マイケル・マン師の新作を。 最近のフィンチャー作品...
『フェラーリ』
マイケル・マン師の新作を。
最近のフィンチャー作品でお馴染みのエリック・メッサーシュミットの撮影が素晴らしくそれだけで観る価値はあった。
カイロレンの老けメイク演技やペネロペクルスの演技は達者だなと思うけれど・・・
フェラーリには興味はありませんでしたが
2019年の「フォードvsフェラーリ」が面白かった事と
マイケル・マン監督作という理由で
「フェラーリ」字幕版を鑑賞してきました。
以下ネタバレ
「フォードvsフェラーリ」のような
レースシーンが盛り上がる映画かと期待しましたが、
「フェラーリ」のレースシーンは何度も見たいレース映画ではなく、
ドラマパートも金持ちの不倫に興味がないため、
カイロレンの老けメイク演技やペネロペクルスの高齢演技も
役者は達者だなと思うけれど、
「フォードvsフェラーリ」のような
レースシーンのテンションを上げるためのドラマ展開ではなく、
ちょっと期待外れな映画でした。
イタリアファッションや
1957年の金持ちのライフスタイル描写は
映像としては、見どころがありましたが、
「フォードvsフェラーリ」のような
エンジン音と音楽でテンションを上げたかった観客としては、
あまり楽しい映画ではなく、
マイケル・マン監督の「ヒート」の銃撃戦のような
静寂な緊張感のあるレースが見たかったな・・・と思う映画でした。
「ハウス・オブ・グッチ」を見たときにも思いましたが、
イメージで金儲けしているブランドならば、
経営者をモデルにした映画は、フェラーリのイメージ向上にはならないのでは・・・と
いらぬ心配をしたりする映画でもありました。
ペネロペさん、お久しぶり
ちょっとゴシップ的なストーリーですが、古典的なレースマシンの集合や
装甲シーン、レース会場の再現は圧巻。イタリアの街はこういうの慣れてるね。
まあ、街並みがあまり変化ないしね。
ペネロペさん、相変わらずお美しい、見せなくても、せめて下着は脱いで欲しかった。
最後はリアルを追い過ぎ、CGや特殊効果があるからって、あそこまで露悪趣味に
走らなくても、幾らでも描写はあったはず。
星は全てレースシーンやディテールのこだわりに対して、ストーリーは付け足しだね。
フェラーリの狂気の人生の物語
共同経営者の妻との冷えた生活、愛人と愛人の息子との二重生活、そして会社の買収危機を回避するためにロードレース賭けるエンツォ・フェラーリの狂気に満ちた人生の物語に、共感できるところはあまりない。
キャストの渾身の演技と映像の迫力は見所でした。
ツマラナイ、その理由
非支持。
レース、社長の浮気癖、夫婦の不仲、会社の経営難、幾つかの死がブツ切りに乖離。
女達が等しく車に興味を示さぬからか。
あしたのジョーで身を持ち崩す程に拳闘にのめり込んだ女達を想う。
レースの難所と危険、だから勝機が何かを語らず、結果のみ提示。
だからツマラナイ。
レースで勝つために車を売る
イタリアの自動車メーカー、フェラーリの創業者である、
エンツォ・フェラーリを描いた、ヒューマンドラマ。
エンツォは息子ディーノを亡くし、さらに会社の経営に行き詰る。
妻との関係も冷え切っていたが、愛人とその息子ピエロとの関係も知られる。
競合会社からの買収の危機に至るも、エンツォはロードレースに挑み、
起死回生を図る・・・
あのフェラーリの創業期における、公私にわたる人間関係が描かれていたが、
背景が分からないと、ちょっと理解が難しいかも。
このエンツォ、ドライバー経験を経て、会社を設立したようだが、
「死を恐れるな」とドライバーたちと言い、思いやる姿は経験者ならではか。
また、一般人を事故に巻き込んでしまった後にエンツォが「一般人は彼らと違う」と
悼むシーンも印象的であった。
また、「レースで勝つために車を売る」という他社とは異なるブランド戦略、
これもドライバー出身ゆえの考え方か、はたまた建て前なのか。
今では、フェラーリと言えば、高級車、スーパーカーの代名詞だけど、
こんな歴史が、裏舞台があったのか。
苦く渋い。
2023年。マイケル・マン監督。1958年、一人息子を失って共同経営者の妻ともうまくいかないフェラーリ創業者は、愛人との間の息子の認知を巡っても危機にあり、さらに会社の経営は切羽詰まっている。それでもレースにこだわる元レーサーの創業者が大勝負に挑むという話。安直な感情移入を拒否する意志につらぬかれている。苦く渋い。
たしかにレースが山場となっているのだが、「その時」にむかって一直線に盛り上がっていく一面的な映画ではなく、複数の人々が複数の思惑で交錯しているさまが丁寧に描かれている(そもそも、レース自体が「誰が勝つか」を超えたとんでもない事態を巻き起こす。勝者の祝福さえ苦い)。これで130分とは信じられないほどの複雑さ。例えば、イタリアのブルジョワ社会の社交場としてオペラの一節が描かれるのだが、そのオペラを聞きながら、創業者は亡き息子を想起し、その妻は息子も含めて愛があった家族の姿を想起し、愛人は創業者との思い出を想起し、創業者の母は戦争で死んだ長男(創業者の兄)を想起する。しかも、誰もがひとつではない複雑な心情を抱いている(愛人の存在をつきとめた妻が、共同経営者として創業者に示す態度を見よ)。
レースの場面が多い。カメラが車に迫り、追い抜き、回り込む。切り返しで真正面ではなく、後ろ姿をそのまま撮ることをためらわない。それは冒頭、主人公が目覚めてから家を出て車に乗るシーンまでにも徹底している。時にどきっとするほど人物の顔が大写しになるのも効果的。音響も突然ピンマイクになるかのような親密な音に切り替わっている。
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