フェラーリのレビュー・感想・評価
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あのフェラーリを作った人
特に車好きではないが ペネロペ・クルスと"沈黙"などで好演のアダム・ドライバーか と思って観た だが最初から二人は夫婦には見えなかった。レースの夢にかけ浮気もする男エンツォってこんな陰気な銀行家みたいな感じなのか?
何より日本語しかわからない遠い国の私にも エンツォはイタリア人に見えない。シェイクスピアを演った人がイタリア人を演じてるような感じだった 本国の人がみたらもっと違和感があるだろう ペネロペ・クルスは歳を重ねた陰影もあってよく伝わった
彼女がビジネスウーマンとして優秀であったが‥‥息子の死で二人の間に距離ができ 会社自体もうまく行かなくなっていくのが分かる演技だった 何か格好いい車とかの映画かと思いきや 重苦しい離婚前の夫婦話だった にしては 日常の街の様子はなんか"世界の車窓から"みたいな観光ビデオのような明く軽い感じも違和感があった そして、最後の事故もそんなリアルに? そこも唐突にスプラッターを観させられたみたいな感じで
うん?これ公道レース否定映画?と一瞬勘違いしたが おそらく監督はリアルに撮りたかったのか だから エンツォはあんな陰気な人だったのかも それをアダムも忠実に演じたのか
ただ妻ペネロペにあんたは昔は情熱的だったのに 今は‥‥というセリフにはドキリとした これはセレブでなくても好きな事をやろうとしていたのに いつの間にかお金、生活に追われ憔悴していくのは誰もが経験する事か
フェラーリ=格好いいと思って見ると がっかりするほどの男の話しだが 最後は見事会社を救う元レーサー創業者がこんな陰気な人間なのか 少なくともレースの時は全て忘れて夢中になっていたのでは?いや彼の逃げ場、心の救いはレースだけだったはず もっとそこだけ明るく描いてもと勝手に妄想したが きっと最初はそれを妻がビジネス面で支えていたのが無くなって追い詰められた頃ので本当なのだろう きっと光と陰を描きたかったのか フェラーリvsフォードはきっと光編なのかな こっちを観てないで評価するのは心苦しいが ここは単体で評価すべき⭐一つ半でもペネロペ・クルスの演技をプラスしました
おそらくこの物語の希望はレーサーに憧れるピエロ君とレーサー達の純粋さ ここがもっと伝われば 陰もより伝わったのではないか なんかバラバラな印象であった
アダムドライバーに圧倒
光と陰と狂気と。
ペネロペ・クルスの物語
跳ね馬のエンブレムで世界に知られた高級車・フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリの1957年だけを描いた物語です。この時代に至るまでの彼の略歴は作品中でサラッと触れられるだけなのですが、本作の鑑賞には問題ありません。でも、当時の自動車産業や、クラシックカーに詳しい方は、僕の気付かない点を目にしてワクワクするのではないでしょうか。
何が何でもレースに勝ちたい剛腕カリスマ社長、一方の妻と愛人の二重生活を送る無責任な夫としての2面が終盤に向かって軋みを上げます。レースシーンは迫力ありますが、僕には「夫に隠し子が居る事を自分だけが知らなかった」妻の絶望・愛憎物語と映りました。コッテリ感の溢れるペネロペ・クルスがぴったりです。
レース・ファンにはよく知られた事なのかも知れませんが、「こんな事があったのか」と驚くお話です。
夏休みに観た2つの映画
日比谷シャンテで、午前中に役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観て、午後に「フェラーリ」を観ました。
休日割引デーなので、どちらも客入り良かった。
2つの映画、主人公の生き方が、正反対過ぎる、そしてどっちも極端に振り切り過ぎる。
かたや、独身(過去は不明)で、地味な清掃員業務の毎日の中にささやかな幸せを見出して淡々と生きる、足るを知る的なハッピーライフに、思わず観ていて憧れてしまう。赤貧重労働で実際には真似しやしないだろうし出来ないだろうけど、だからこその「なんだか、いいなぁ~」がある。
そして、華やかな自動車業界で、命懸けのカーレースに挑む男。王族や芸能人との交流、どこ行くにも記者に付きまとわれ、新聞に載ってしまう。愛人との二重生活、資金繰りに綱渡りの経営。セレブの派手な生き方に、心を持っていかれる。真似したくても真似の敷居が高過ぎて共感のしようもない。
「脳内アドレナリン出放題で本人もどうしようもないんだろうな」としか、言えない。
奥さん強し!!
私的、この映画にそこまで乗り切れなかった理由とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『フェラーリ』は、エンツォ・フェラーリ氏(アダム・ドライバーさん)に関わる作品です。
観る前はエンツォ・フェラーリ氏の生涯、あるいはフェラーリ社の当時の盛衰を描いていると期待していたのですが、基本は1957年のレース「ミッレミリア」に至る短い間のストーリーでした。
さらに、その描かれ方は、(レースに向かうフェラーリ社の車の開発というより)エンツォ・フェラーリ氏と妻・ラウラ・フェラーリさん(ペネロペ・クルスさん)との、エンツォ・フェラーリ氏の愛人・リナ・ラルディさん(シャイリーン・ウッドリーさん)を交えた、フェラーリ夫婦の(失われた息子も影響する)および愛人(とその息子)の対立を主軸に置いた作品になっていたと思われます。
つまり、(テストやレース場面など車の走行シーンはあっても)ほぼ車の開発に関しては描かれず、夫婦間と愛人との対立が中心に描かれた作品だったと思われます。
車の開発&夫婦と愛人を交えた対立、の描き方ならば、ナチス・ドイツに対抗するための核爆弾の開発&夫婦と愛人を交えた物語でもあった映画『オッペンハイマー』に、近い構成であったと思われます。
しかし今作の映画『フェラーリ』は、詳しい核爆弾の開発描写がある『オッペンハイマー』とは違って、車の開発に関してはほぼ描かれず、(多くの)観客の期待とは違う(と思われる)、夫婦と愛人とを交えた対立に重きを置いた、期待からするとアンバランスな作品になっていると思われました。
また、今作はテスト走行やレースで車の走行シーンは描かれていましたが、レースでも敵であるマセラティとのドラマ性ある構成にはほぼなっておらず、「ミッレミリア」のレースシーンでも今どこを走行していてどちらが勝っているのかも一見しては良く分からない描き方になっていたと思われます。
このことから、例えば、今作のマイケル・マン監督が製作総指揮の1人であった『フォードvsフェラーリ』の、開発や、相手との対立競争が明確なレース場面や、そこにまつわる仲間や家族の、バランスの取れた描かれ方と比べて、今作の映画『フェラーリ』の描かれ方は観客にとっての満足度は足りていないように感じました。
個人的には、乾いた男っぽいマイケル・マン監督の作風は嫌いではないです。
また、失われた息子や妻と愛人やその息子との揺れ動きやレースに掛ける極端な心情など、また事故の場面のギョッとする描かれ方含めて、特筆する点はあったとは思われます。
しかしながら、似た構成でありながら今作より遥かにバランスよく優れた構成作品であった映画『オッペンハイマー』を最近に観た後では、どうしても今作への評価は厳しくなってしまうなと思われ、今回の点数となりました。
アダムドライバーが良かった。 グッチの時より、ずっと男前に見える。
アダムドライバーが良かった。
グッチの時より、ずっと男前に見える。
ペネロペクルスも殺気ある演技も良かった。
レースは本当に現実かのような内容で目がはなせない。
事故もリアルですごい。
最初は意味がわからず、なかだるみなところもあったが、だんだん引き込まれていく。
つ、つまらん。
昔はあんなエンジンに椅子くっつけただけみたいな車でレースしてたんだなー。
そりゃ悲惨な事故も起きるさぁ。
…感想以上。
…いや、ホントにこれだけだ。
予告編の時点でたいして面白くなさそうだったんで、観る気は無かったんだが随分とロングランしている。よほど評判が良いのかとちょっと気になったが、まさかロングランの理由は木下グループ配給だからじゃ無いよな。
自分は車もバイクも好きで物好きにもMT乗りだが、フェラーリなんて多分一生縁の無い車だ。
そんな車のレーサーではなく経営者が主人公のお話。自分などが共感出来る部分など皆無だ。昨今ならば超絶ブラック企業だし。
だいたいカミさんがペネロペ・クルスなのに浮気するとは何事だ!
とまぁちょっと観る映画間違ったかなと思える作品だったが、レースシーンは流石マイケル・マン監督だけあり迫力満点だったので、劇場で観た事を後悔する程ではなかった。
また「ヒート」みたいな作品をお願いしますよ。
事故シーンはトラウマもの
美しい赤い車体のフェラーリが華麗に走る抜ける映画だと思っていただけに……
この映画の予告編を観た時、観るのはどうしようか迷いましたが
主演の「アダム・ドライバー」が「スター・ウォーズ」シリーズの
「カイロ・レン」役だった事を知り観てみることにしました。
実を言うと……予告編を観ていた時、
アダム・ドライバーは一体どの役?と。
エンツォ・フェラーリ役だと知っても、これがアダム・ドライバーなの?
自分の中ではカイロ・レン役しか知らなかったので、
こんな中年の役をやるなんて……と思ってしまいました。
この映画撮影時、アダム・ドライバーは38~39歳。
1957年のエンツォ・フェラーリ(1898-1988)の年齢は59歳。
20歳ほど上の年齢を演じていたわけですが、全く違和感はありませんでした。
しかし、イタリアを舞台にしているのに言語は英語。
でも、ホテルマンなどがエンツォを呼ぶ時、
エンツォの家で使用人(執事?)が妻ラウラを呼ぶ時も呼称がイタリア語でした。
英語とイタリア語がごっちゃでした。
イタリア語に統一したほうが良かったのかもしれませんね。
車のほうに焦点を置いている話かと思いきや、
冷えきった妻と愛人との間でエンツォがウロウロしているところ、
何気に愛人リナに息子ピエロを認知してよ、と言われているところ、
妻ラウラにリナの事がバレてしまったり……。
私生活についてはアレレな面が……(滝汗)
でも妻ラウラの立場からするとエンツォに向けて(わざと外したけど)
護身用の銃を打ったり
銀行の取引からリナの家を突き止めて、直接行ってしまったり
まぁ、気持ちも分からなくはないですね。
そんな家庭生活のゴタゴタと並行して
社運をかけて公道レース・ミッレミリアに出場するまでの話。
タイムアタックで車がクラッシュして専属ドライバーと車が空中を飛んでいき
ドライバーが道路に倒れているなど、かなり衝撃な場面も(滝汗)
余談だけど、タイムアタックをしていた時に出てきたストップウオッチらしきもの
「made in USSR」でしたね。
オープンカーみたいな構造の車、シートベルトはなく、
道路にある緩衝材みたいなものは枯草?を固めたみたいなものを数段積んだだけ。
あの頃のレーサーがレースの前に遺書を書くのも、分かるような気がします。
命がけだったんですよね。
真っ赤なフェラーリの勢揃いはカッコイイ!!
ギアチェンジの動作、エンジン音、公道レース・ミッレミリアなど迫力があります。
やはり道路には牧草を固めたようなものだけの低い緩衝材があるのみで
観客がすぐ近くで猛スピードで走る抜ける車を観戦しています。
レーサーも観客も危険と隣り合わせです……。
ミッレミリアでライバルであるマセラティの車がまさかの棄権。
最後までフェラーリとマセラティはトップを争うのかと思っていました。
フェラーリのドライバーが途中棄権したマセラティのドライバーを乗せていくところ、
敵だけどいいのか?と。
レース前やレース中に不穏だな……と感じたのは
・ポルターゴがレースの前にホテルで恋人リンダに遺書を書いた
・エンツォがガソリン注入時にレーサーにかけないようにメカニックに言っていた
・犬や子供(の飛び出し)に注意するように言っていた
・コリンズ、タルッフィの乗るフェラーリはマシントラブルが起きた
・最後尾のポルターゴのマシンはタイヤが摩耗していて交換が必要だったが、
ポルターゴはそれを断って発進してしまった
・レーサーが道を覚えていない
・ガソリンが引火して大変な事になる??
・道を間違えてトップでゴールできない??
・走っている最中に何かが飛び出してきてそれを避けようとして事故になる??
・摩耗したタイヤのまま走っているポルターゴのマシンがスリップする??
「何か」が起きる……かな??
そんな気持ちで観ていると……
場面が変わり、一つの家庭の食事風景のシーン。
両親とまだ幼い二人の男の子。
ミッレミリア出場の車が近づいてきたと知ると
男の子たちは家を飛び出し、それを父親が急いで追いかけます。
この場面で……まさか男の子(小さいほう)が飛び出す??と思っていたら
父親がその子を捕まえて抱き上げて、あぁ~……よかった……と思っていたら
ポルターゴが運転するマシンが道路に落ちていた何かを踏んでタイヤがパンクして……
その後の映像は、衝撃的で悲惨でした……。
衝撃で凍り付く……というのはこの事です。
最近動画や映画をいろいろ観ているが、こういう風になることはなかったです。
ただただ……恐ろしくて、悲惨でした……。
スピードを出し過ぎた車の事故に巻き込まれた人や
ドライバーはこんな感じになりますよ、みたいな……。
(ポルターゴのあの最期の姿は事実らしい)
その後の話が頭に入っていかないぐらいに……。
PG-12という年齢制限はこのシーンがあるからなんだね、と思いました。
後でWikiで調べてみると
1957年開催のミッレミリアで実際に起きた観客を巻き込む大事故で
ドライバーのポルターゴ、コ・ドライバーのエドモンド・ネルソン、
そして5名の子供を含む9名の観衆も犠牲になった大事故で
それによってミッレミリア開催は中止になったということです。
(現在は同名のクラシック・カーレースとして復活しています)
最後に妻ラウラがエンツォに「私が生きている間は(リナとの間できた息子ピエロ)を
認知しないで」と言ったシーン。
エンツォ・フェラーリの妻としての矜持を感じました。
エンツォはその言葉を守り、ラウラが死去した後に息子ピエロ(1945-)を認知し
現在ピエロ・ラルディ・フェラーリはフェラーリ社の副会長です。
美しい赤い車体のフェラーリが華麗に走る抜ける映画だと思っていただけに
予想とは違う内容の映画でした。
エンツォ・フェラーリの自伝的な映画
エンツォ・フェラーリの息子ディーノを病で失い会社は車が思う様に売れず傾いて行っていた。元々女遊びが好きだったが奥さん兼共同経営者のラウラと険悪ながらもなんとかやっていたが愛人と子供の存在がバレて更にややこしい事に。
一発逆転の秘策として(今となっては伝説の)自動車レースのミッレミリア((公道を使った)1000マイルレースの意味)で優勝してフェラーリのスポーツカーの宣伝と販売を上げる作戦に出た。
果たして結果は?フェラーリ社の運命は?
…も何も歴史を見れば全部分かるわな。
この映画のキモはエンツォと奥さん、愛人と子供、病気で失った(長男となる)ディーノに関するそれぞれの葛藤と駆け引き、各自の行動にある。実に人間臭いドラマが繰り広げられる。
それも見どころだが1950年代のスポーツカー、レーシングカーの走りとサウンドはもう一つの見どころ。レースファンにもお勧め。
今にして見ると当時のレースカーで凄まじい速度でレース場を走り回る、ミッレミリアのレースでは普通の公道を同じく猛スピードでバトル。あまりに怖すぎる。当時はあれが普通で安全への配慮も今とは大違い。とんでもない故障もあればコースを外れてリタイヤし、仕方なくライバルチームの車に乗せてもらって街まで帰るとか実に牧歌的。
その代わり一旦事故となったら車は吹き飛んで人間はバラバラ死体(これが結構あるからR12なんだろう)。実際この映画の元となった1957年の大事故によりミッレミリアの開催は無くなった。
迫力はあるが同時に怖すぎる。今やそんなレースを生で見ることは叶わないから映画で再現と言うのは良いものかも知れない。
破綻のない良映画
脚本、演出、編集とも穴はない。主役嫁愛人と演技もいい。
つまり良映画
電車とか車とか当時の物を使っていて金も掛かってる
日本映画には「本田宗一郎物語」作ってもらいたいが(もちろん無謀なマン島tt挑戦がテーマで)、予算規模考えると暗澹たる気持ちになる。正直本映画がうらやましい
ケチを付ける部分はない
せいぜいが、どうせなら前編イタリア語だったらいいのに、程度
個人的には、憎み合うだけでない夫婦の造形が見事だった脚本家に花束を送りたい
いやーいい映画だったな
贅沢言うなら、レースマネジメントやレースシーンをもっとしっかり描写してほしかった。そもそもマセラティとフェラーリ、それぞれどういう思想でミレミリアマシンを設計していたのとか。あと他チームも少しは描写してやれよとは思ったw
すっげえ散漫。ディレクションできてない。 たぶん本当は「エンツォフ...
すっげえ散漫。ディレクションできてない。
たぶん本当は「エンツォフェラーリという業が深い人間の狂気に、ビジネスも人間の愛憎も社会も巻き込まれていくことで、まるで血の赤のような人間の業を煮しめたようなフェラーリの赤が生み出されているのだ…」とかいう話にしたかったんだと思う。でも出来てない。
仕事が描けてないからエンツォはいっつもブラブラしてるだけに見えるし、家族が描けてないからエンツォはいっつもブラブラしてるだけに見えるし、狂気が描けてないからエンツォはいっつもブラブラしてるだけに見える。
1950年代の自動車産業の社長はどういう一日を過ごしているか、があんまり詰められてないから、ずーっとフワフワしてる。メカニック的なセリフでひきしめるべきシーンも延々と具体性がなく「いい感じにがんばれ」くらいしか言ってない。ふわっふわ。
あと撮影がバラバラ。墓場のシーンでは急にドキュメンタリ調のカメラになったり、でもレースシーンのクラッシュではCGが目立つわざとらしいカメラワークになったり、手法に一貫性がない。
全体的になにもかも散漫。とてもよくない仕事だと思います。
現在のフェラーリが有るのは、妻ラウラのおかげ
特にスポーツカー好きではないが、F1GPは好きだったし、当時マクラーレンホンダを応援していたがそれでも、フェラーリだけは特別。しかも70年位前の可愛いフォルムのフェラーリが走り回るのには感慨深い。
冒頭モノクロのレースから始まる。フェラーリの歴史を感じる。
エンツォ・フェラーリの1957年に起きた激動の3ヶ月を描くドラマ部分と、その途中途中にレース場面が差し込まれる。
しかし、特に前半のドラマ部分が分かりにくく眠かった。
レースもミッレミリアというレースを知らなかったので、どういうチームが参加しているのか分からず、完全にレースに堪能出来ていない。しかし前方視線の迫力がある映像。石畳の狭い街並みを、コロッセオの近くを、駆け抜けるフェラーリ。郊外ではサイドバイサイドの闘い。レース最後に衝撃映像。
妻ラウラの最後の決断。妻としてではなく会社を選んでくれた。
最愛の一人息子を亡くした深い悲しみの中、夫にいた隠し子の存在。そりゃ怒り狂うよ。それでも夫への裏切りの失望よりも、夫への愛、会社への愛着が上回っていたのだろう。
ラストではエンツォはピエロを亡き兄に合わせに行く。認知してもらえるのはずっと先だが、もうフェラーリ家の一員。
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