あの歌を憶えているのレビュー・感想・評価
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余白
昨年と今年のナンバーワンかもしれない。
鑑賞動機:ミッシェル・フランコ8割、あらすじ2割
『ニューオーダー』みたいに、私のチキンハートがミンチにされたらどうしようと半分怯えつつ、あらすじ見る限り少し手の込んだラブストーリーに過ぎないのかもと、おっかなびっくり、鑑賞。
メロディは聞いたことあるけど、タイトルとか全く知らなかった。うん、覚えた。
いきなりAAの場面で、不安定な主人公の言動に「信用できない語り手」かもと、疑念もわく。説明のすっ飛ばし方はむしろ清々しいくらい。表面的なストーリーを追うのには問題ないけど、何かあるんだろうなと思っていると、危険物が予告なく投げ込まれてくる。
ジェシカ・チャステインは強い人の役が多いイメージだったので、新鮮だった。一方ピーター・サースガードは無防備というか怒っても怖くないというか、謎の安心感がある。髭でものすごくイメージ変わるね。
個人的な勝手な解釈で
張り詰めた中に不安定な脆さを感じさせる主人公、得体の知れない不気味さでストーキングする男性、主人公の妹家での場面に漂う居心地の悪さや距離感など、不穏な緊迫感のある描写が印象的でした。
そこから段々と主人公と男性が心を通わせてゆく様子も、淡々と日常を追う映像と俳優陣の繊細な説得力のある演技でとても良かったと思います。
しかし終盤、男性が自ら飛び降りたと思われますが、何故あんな行動をしたのかというのがよく分からず。
男性が主人公を尾行したのは、主人公に亡き妻を重ねたからかと解釈していましたが。
もしや、主人公妹の男性についての説明は主人公をなだめるための嘘で、男性は本当は暴行したグループの一人だった、その記憶を思い出して罪の意識からとか。
それとも、何かしら男性の過去に死を願う程の辛い記憶があり、それを思い出したとか。
そんな解釈で、ラストシーンは不穏感が強くモヤモヤしてしまいました。
が、ラストシーンの終わり方や音楽など肯定的なニュアンスを感じるし、肯定的な感想も多いようだし、と考えていたところ。
あの行動は認知症からの異常行動などで、認知症が悪化しているという描写だったのだろうかと。
認知症が悪化しても主人公との愛情の記憶はある、主人公も職業柄認知症の悪化を理解しつつ愛情を確かめ合っている、というラストシーンなのかと。
そう考えると、やはり希望のあるラストシーンだったと思います。
疑り深い性格や知識が薄いことなどから、個人的に勝手な解釈をして無駄に不穏感を覚えていただけなのかも知れません。
忘れてしまいたい記憶・忘れたくない記憶
原題は「Memory(記憶)」である。男は記憶を失っていく。女は思い出したくない・忘れたい記憶を抱えている。
この対比がお互いを引き寄せ癒して行くのだが、男(ソール)の背景を掘り下げていないために物語の厚みにやや欠ける。例えばコーヒーショップで店員がソールに「いつものですね?」と問うのだが、結局何を注文したのかはわからない。たとえばカフェオレが出てきたとしたら、ソールの人柄が少しでも想像できそうなものだ。ただ「思い出せない」という描写だけが独り歩きする物足りなさも感じた。
海外では子どもに聞かせたくない話題は極力避け、また反対に惜しげもなく共有する文化があるが、子どもであっても信頼し一人の人間として対等に対峙する姿勢は好ましい。
主演はもちろん、脇を固めた俳優たちもよく、窓辺からの光や陰影のある公園、そしてストーリーが進むにつれて明るい色調に変化していくカメラも良かった。
サースガードは「ボーイズ・ドント・クライ」ではチンピラ野郎を、「ブルー・ジャスミン」ではハイソな議員を、またつい先日は「セプテンバー5」で敏腕テレビマンを演じたりとその演技の幅は広く、もっと日本でも評価されるべきだろう。
人生の悔いとはなんだろう。
人は必ず死ぬ。私も、あなたも。親は衰え、自分も若い時代は過ぎた。仕事をし、アルコール依存症からの回復の会に出る。過去の性被害は学校内と、家族内の両方もあるなんて地獄だ。それも母親は理解してない、嘘つきな子と思われながらずっとやってきたなんてシルヴィア…よく生きてきたね。記憶がなくなる恋人、過去の記憶に振り回される自分。ソールに惹かれたのは、誠実さがわかったから。それはソールに対してシルヴィアが誠実に対処したから。そこからシルヴィアは自分の傷を告白するまでに至った。信頼できる、心が満たされる人がいるから。だから対決できた。母親に言いたかった事を言えた。自分の傷をえぐるぐらいの痛みをともないながらも。シルヴィアの告白する様は本当に苦しさが伝わって来て、映画館中がヒリヒリした。シルヴィア、生きててよかった。これからの人生、ソールとどう生きるのか。お互いに悔いなく生きて欲しい。
ジェシカ・チャステインだからこそ!
#me too運動から繋がる啓発の映画なのだと思います。
PTSDを抱える人は決して忘れることはないのに、見て見ぬふりをした人は、後悔したとしても一時的だったりする。下手をすると(決して口にはしないけれど)被害者本人に対して、もう過去のことは忘れて前を向いてくれないかな、俺たち(加害者側)の気持ちを楽にしてくれるために。くらいのことを内心思ってたりもする。
私だって小学生の時に、イジメ(そのクラスメートをひどいあだ名で呼んでいた)に加担したことがあるし、中学生の時はイジメではないけれど、勘違いの理由で皆んなが見てる中で友達を殴って、結局謝れなかったままだ。
でも、長い間すっかり忘れていた。思い出したことがあったとしても、年月とともに思い出したこと自体も忘れていたりする。
こんな風に映画レビューを書くようになって、色んなことを考えるようになってから、そういえば、あんなことやこんなことをオレもやってたな、とあらためて思い出すことができたのかもしれない。
だから今、もしその相手と出会う機会があれば、相手が覚えていようが、忘れていようが謝るつもりでいる。
味方だと思ってた人たちが、実は何もしてくれてなくて、世界は圧倒的に孤独なんだと思いながら自分と娘を守って生きている。だから、神経質なまでの施錠とセキュリティシステムを笑うことは誰にもできない。
どんな相手であれ、救いや癒やしをもたらしてくれる人は誰よりも愛おしい。
この映画の主人公がジェシカ・チャステインでなければ、そんなふうに考えることもなく、退屈な映画としてすぐに忘れてしまったと思う。
【”夫々の記憶・・。”過去の辛い記憶によりアルコール依存症になった女性と若年性認知症になった男との恋物語。】
■幼き時に、父親からの行為により心に傷を負っている女、シルヴィア(ジェシカ・チャスティン)と若年性認知症の男、ソール(ピーター・サースガード)は高校の同窓会で、ソールが一人でぽつねんと過ごし途中で帰ったシルヴィアをストーカーの様に追いかけた事から知り合いになり、シルヴィアはソールの兄から週に数回ソールといて欲しいという願いを渋々引き受ける。
◆感想
・ソールがシルヴィアを追いかけた理由が、ハッキリとしないが、ソールがシルヴィアに自分と同じ孤独の匂いを感じたからだろうと、勝手に解釈し鑑賞続行。
・シルヴィアが娘のアナに、日ごろの過ごし方を厳しく指導する理由も徐々に分かるし、彼女の過去の忌まわしき出来事を忘れられない事も、分かって来る。
・シルヴィアと実母が絶縁状態だった理由も明らかになるが、実母が夫の行為を見て見ぬふりをしていたのか、強制的に自身の記憶を捻じ曲げていたのかがやや曖昧だが、シルヴィアの妹オリヴィアの涙を見れば、どちらが本当か分かるよね。
・ソールとシルヴィアが惹かれ合った理由は、夫々が傷ついた弱者という事だったのだろうな。
只、もう少しミシェル・フランコ監督は物語の細部や、演出を練った方が良い気がするな、「母と言う名の女」や、「ニューオーダー」を観てもね。
<邦題の解釈次第で、今作の観方が変わるかなと思った作品。でもって、ちょっと投げやりレビューである。>
チャステインはすごく好きで、結構きれいで強い役ばかり見てきたから、...
チャステインはすごく好きで、結構きれいで強い役ばかり見てきたから、この弱々しいチャステインにはびっくりする。なんとも不思議なストーリーでとても生なので、実話の要素が入っているのではと思う。ラスト近くの展開の早さは見事。冒頭、AAから入るところも上手い。どうやって性的トラウマを乗り越えたのかはよくわからない。最後は爆弾だ。幸せそうな実家のただなかにある。
思ったより生々しくて重い
青い影と有名俳優を擁して作った映画
原題「Memory」
男の憶えている曲は二人の共通の想い出ではなく、単に彼が好きな曲だった。
その曲は、プロコル・ハルムの「青い影」(1967年)
男は若年性認知症で、昔の事しか思い出せない記憶障害。
録音できないカセットテープのような状態…
女は過去の記憶と周囲の仕打ちを許せない、そんなPTSDを抱えている。
それぞれが“記憶”に苦しめられている二人の恋愛映画。
説明が少なくて、察していくのが面白くはあるけれど、娘が一番オトナで、キツい状況に思える。
ほんわかハッピーに終わるけれど男の病気を考えると、これはハッピーエンドなのかな?
見終わった後に、そんな漠然とした不安を感じてしまうのは私だけかなぁ。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 生きた人間の匂いがする。名優二人の見事な人物造形。二人の今後をもう少し観ていたかったのにアッサリ終わってしまってちょっと物足りない。
①シルヴィアの心の痛みを自分の事のようにヒリヒリと感じさせるジェシカ・チャンテインの名演。
一方、記憶障害を抱える寡黙なソールを説得力をもって造形するには余程役柄を理解していないと出来ない。
ヴェネツィアではピーター・サースガードが賞を取ったけれども、どちらも甲乙付けがたいほど見事に役を生きてみせる。
②男という生き物にずっと傷つけられて来て中年になってもある意味突っ張って生きているシルヴィアが、何故かソールに惹かれていくのがよく分かる。
③ピーター・サースガードも、トイレに行って部屋に戻ろうとしてどちらの部屋だったか忘れてしまい二つのドアの前に佇んだあと腰を下ろすさりげないシーンでソールの苦悩を台詞無しで表現してみせる。
④お祖母ちゃん役の女優さん、どこかで見た顔と思っていたら、『サスペリア』(旧い方)のジェシカ・ハーパーだったのね。
⑤私の母も記憶障害だが(こちらは歳だから仕方ないけど)、ソールの弟のソールに対する接し方を見ていると自分もああなのかなァ、とちょっと反省。
いつもの
忘れたい記憶と薄れゆく記憶。
過去の記憶を忘れたい障害施設で働き断酒中な女性シルヴィアと、若年性認知症と記憶障害で記憶があやふやな男性ソールの話。
同窓会の席で隣に座ってくる独りの男性ソールを避け、その場から立ち去るシルヴィアだったが…、過去の事で男を避け、娘のアナにも男との付き合いを許さないシルヴィアだったがソールとの再会で心情に変化が…。
なぜ断酒?!と、いきなり始まるセミナー的な集まりから見せていき、10代前半の頃、5歳年上のベンという男と、ベンの仲間でもあった同窓会で再会したソールからレイプされていたという過去、…父親からも性的虐待を受けてたと分かっていくなかで。
男を避け、怯え生活してたものの、男との壁が無くなれば男ソールに走るシルヴィアの姿に、娘のアナには男友達との関係は散々ダメと言ってたのにと思うけれど、娘アナの察しの良さ、母シルヴィアの心情の変化に気づき母への気遣い、ソールへの優しさとか、13才の娘アナが1番大人だったかもね。
記憶が邪魔になること
家族が「あなたはこうすべき(あるべき)だ!」と枠にはめてくること。シルヴィアとソール、彼らを取り囲む周囲(家族)の環境など一見鏡写しのようでもある2人が互いに補完し合う、傷を知る者同士惹かれ合う魂。定点撮影による長回しが演者の感情をつなぎ、気まずさや流れる空気・雰囲気など観る者にリアルな感覚を呼び起こす。それをこれほどまでに力強く可能にしているのは、ジェシカ・チャステインとピーター・サースガードの素晴らしい演技(というより時に佇まいそのもの)と二人の間で確かに起こり、作中積み上げられていく科学反応だ。
2人の出会いのシーン(カット)からすごくいい、あれ天才だろ。シルヴィアの厳重に鍵をかけてセキュリティ対策に余念のない警戒心の強さ。初めてそういうことになるシーンでも抵抗しているようで、観ているこちらが心配になるような緊張感があった。一方で、ソールは外出禁止で1人では外に出歩くことすらできない、鍵をかけられているような状況。
登場人物にとって肝心なことをそうした定点からの長回しでセリフとして言ったかと思えば、描かないことも多分にあって、作品として肝心なところは観客に委ねられる奥行きのある作りもまた唯一無二のフィルモグラフィーをメキシコ=非アメリカから生み出してきたミシェル・フランコ監督らしい。冒頭のAA(アルコール依存症の会)の参加者はエンドロールを見る限り、本当の人々を起用しているようで、そして作中一番のアップ寄りは彼ら(=傷を知る人々)だったのが印象的だった。そこからの本編では常に一定の距離感から被写体(つまり主人公たち)を一貫して捉える。
「やっと見つけた」と言いたくなるような感情のひだ、琴線に触れて静かに沁み入る、味わい深い大人の映画…。最近読んだ本に、作品全体を貫くテーマとしてこんな一節があった ―「傷を負うまで、人は大人になれない」。娘のアナもまた母(の身に降りかかったトラウマ、子供時代に何があったか)を知り、大人になったのかもしれない。
♪A WHITER SHADE OF PALE / プロコル・ハルム
P.S. スペシャルサンクスに『或る終焉』ティム・ロス
ジェシカ・チャステイン
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