「あなたのことを憶えている」あの歌を憶えている レントさんの映画レビュー(感想・評価)
あなたのことを憶えている
過去の忌まわしい記憶に苦しみ続ける女性と、過去の記憶を失いつつある男性の恋物語。
ミシェル・フランコ監督、大きな路線変更でしょうか。人間の中の闇を描くことで定評ある彼の作品。前作の「ニューオーダー」は強烈な作品だった。それだけに今回の人間ドラマにはそのふり幅に驚かされた。ただやはり人間が抱える心の闇を本作も見事に描いていた。
主人公シルヴィアが持つ心の闇は深刻であり、それがどのように癒されてゆくのか。幼少期に実の父親から受けた性的虐待。そのトラウマから逃れるために十代の頃から酒に溺れアルコール依存症に。
自身が命を授かったのを機に断酒を決意するが、それはアルコールで紛らわせていたトラウマと対峙せざるを得ないことでもあった。
愛する我が子のためには断酒をしなくてはならない、でも断酒をすればつらい過去に苛まれる。そんな苦しみを背負いながらも単身で娘を育て上げ、障碍者施設で働く彼女があるとき奇妙で運命的な出会いを果たす。
同窓会で出会った男がずっと自分をつけてくる。この男は何者なのか。一晩雨に打たれながら朝まで玄関前でたたずんでいた男は寒さに打ち震えていた。尋常でない彼の家族に連絡を取ると若年性認知症なのだという。
記憶が唐突に失われるソール、つい今しがたまで普通にしていたのが突如として記憶が飛んで気がつけば知らない場所へ。
彼のように記憶を消し去ることができるならどんなにいいだろうか。どれだけ浴びるようにお酒を飲んでも消せないつらい記憶を持つシルヴィアは次第にけなげな彼に惹かれてゆき二人は愛し合う中に。しかし彼は四六時中目が離せない状態であった。
シルヴィアが仕事中に再び記憶が飛んでしまったソールは部屋を抜け出し路上で倒れていたところを発見され病院へ運ばれる。
彼の弟によって引き離されてしまう二人。そんな二人をシルヴィアの娘のアナが引き合わせる。再会を果たし抱き合う二人の姿で唐突に作品は終わる。
このラストが良かった。二人がその後どうなったのかを描かず観客の想像にゆだねた終わり方がより余韻を残す。
二人はあれからどうなるのだろうか。おそらく頑固な弟を説得して娘のアナと三人でこれからも共に暮らしていくのではないだろうか。
シルヴィアが心に負った傷はきっと三人で暮らす生活の中でゆっくりと癒されていくはず。ソールの認知症もその症状自体は努力すれば遅らせることができる。
脳は容量に限界があり、古い記憶やつらい記憶は新たな記憶により上書きされて消え去るか記憶の奥底に押し込められるという。彼らが共に暮らす生活の記憶がシルヴィアの過去のつらい記憶を心の奥に押し込め、またソールはシルヴィアとの記憶を忘れ去ったとしても彼女とい続けることで新たな記憶が上書きされていくのかもしれない。きっと彼は彼女のことをこれからも憶え続ける。そんな前向きな二人の未来を想像させるラストシーンだった。
邦題にもなっているあの歌、誰もが一度は聞いたことがあるプロコル・ハルムの「青い影」がとても印象的。この曲を聴くたびにこの映画を思い出すのだろう。私の記憶に本作は上書きされた。