あの歌を憶えているのレビュー・感想・評価
全62件中、1~20件目を表示
二人だからこそ前に進んでいける
ミシェル・フランコ作品はいつも説明的なセリフや描写を徹底して廃し、無駄なく研ぎ澄まされた登場人物の動線や顔色などから、置かれた状況や半生を自ずと浮かび上がらせる。本作もその流れは同じ。しかしメキシコ出身の偉才がブルクリンの街角で二人の米国人俳優と共に描く今作は、これまでと何かが違う。身を切るような痛みを内包しながらも、そこにはほんの微かな希望と日のあたる場所が提示されているかのよう。さらに”記憶”という要素を用いることで男女を思いがけない手法で出会わせ、大切な関係性へと導いていく。フランコ作品ならではの傷を持つからこそ、彼らは空いた穴を埋めるために互いを抱きしめ、支え合うのだろう。記憶によって苦しめられてきたシルヴィアはソールといる時間だけは記憶から解き放たれ、毎日が新たな自分であり続けられる。そのかけがえない幸福が切実に胸に迫る。二人を祝福するプロコル・ハルムの名曲の響きも深くて優しい。
「青い影」のオルガンの対位法と、記憶をめぐる男女の対比
「青い影」(A Whiter Shade of Pale)といえば若い頃はジョー・コッカーが熱唱するカヴァーが好きだったけれど、久しぶりにYouTubeで聴いたらあの印象的なイントロのフレーズがエレキギターメインで軽くて、今はやはりプロコル・ハルムのオリジナルのハモンドオルガンのほうが神々しくて美しく感じる。バッハの「G線上のアリア」との類似性は昔から指摘されていて、「青い影」のオルガンも左手のベースパートは二拍ずつ長調のスケールを下降、右手の主旋律は八分音符で細かく降りたり昇ったりしつつ8小節のフレーズ全体では音域が上昇する構成になっている。この下降するベースと上昇する主旋律がバッハの対位法っぽく聴こえる理由。
いきなり音楽の話を長々としてしまったけれど、映画を見終わってからふと、過去の記憶に苦しめられている女性と、現在の記憶を失って苦しんでいる男性というのも、実に対比的だなと。この男女の組み合わせはきわめて作為的で、現実にはきっとうまくいかないだろうと思いつつ、大人の寓話として二人の関係の変化を見守り、エンディングのその後に思いを馳せるべきなのかも。
ちなみに日本では映倫区分がGになっているけれど、米国ではR指定だし、十代後半で年齢制限して公開している国も多い。直接的な表現は少ないけれど、アルコール依存症、レイプ、父から娘への性的虐待の話が出てくるので、同じか近い経験で苦しんだ人や共感性の高い人が観ると、精神的にけっこうこたえるのではないか。少なくとも落ち着いた大人の恋愛映画ではないので、そのへんを留意して臨むべきかもしれない。
プロコル・ハルムの"青い影"が傷ついた男女を包み込む
過去に深い心の傷を負った女性と、遠い過去の記憶しかキープできない男性が、高校の同窓会をきっかけに出会い、徐々に距離を縮めていく。時間の持つ意味がまるで正反対の2人が恋に落ち、今という時間をどうにかこうにか共有して行く。恋愛は現在、または未来を意味する人間の尊い営み、そして習性なのだ。
女性側の過去については若干既視感があるし、男性が患う若年性認知症に関しては説明不足な点はある。
でも、僕たちが住むこの社会には見た目からは想像がつかない問題を抱え、葛藤している人たちがいて、同じ時間を共有していることに、改めて気づかされる。劇中に俳優のクロースアップはほぼ皆無で、逆にロングショットが多用されているのは、他者に対する視線と距離感を意識した監督の演出なのではないかと感じた。
男性が好んで聴くプロコル・ハルムの"青い影"は伝説の名曲だ。そのメロディが過去を忘れたい女性をも優しく包み込む瞬間は、少し胸が熱くなる。
おっさんを誘拐してもKidnap
しかも誘拐した方が子供だしw
ジェシカ・チャスティンで、地味に現代文学作品です。ホアキンのカモン・カモンと同じ位置付け。ハリウッド女優のアンチ・ハリウッド映画ってだけで萌えますもん。
一回のキスは100万語の口説き文句に勝る。ってのは、脚本家の手抜きにも見えなくはないけれど。あそこが、良かったです。
原題はシンプルに Memory です。邦題は「あの歌を憶えている」
コレは違うと思うんですよ。邦題が指すのは、プロコルハルムの青い影。認知症になった彼が憶えている、歌の事。
忘れられないトラウマ
赦せない母親の仕打ち
大好きな歌
家族の顔と、彼らに対する感情
高校時代の友達
レストランのウェイトレスと料理
憶えている事と、憶えていない事が、ソールとシルビアの間を行き交います。
冒頭、憶えていられなかったシルビアの事を、ソールは忘れていませんでした。アナの事も、あの家の事も。規則性の無いソールの記憶。その記憶に残るのは愛と言うフィルターを通過するものだけなんだ!って言うだけのラブストーリー。
画的な美しさもなく、美男子が出てくるでもなく、ドラマティックな展開があるでもなく。
主人公がトラウマを乗り越えて行けたのも愛ですし、ソールが家出するのも愛。って言う。だから、青い影だけを強調するのは止めろよw
ハリウッドの大物が、演技勝負の小品に挑む。系のヤツが、結構好きなんで。
良かった。
結構。
あえて苦難の道を行くのね
いま読んでいる本が事故の影響で数時間しか
記憶を保てない、事故前の記憶はある。
という設定のため既視感あり(物語は全然違うけど)
ソール(ピーター・サースガード)への誤解は解けたが
正直、恋愛に発展するとは思わなかった。
過去に様々なトラウマを抱えたシルヴィアは
(ジェシカ・チャステイン)
男性不信にもなってると思ったし
そもそもふたりの行く末に明るい未来が見えない。
ソールの収入源ってなに?生活出来るの??
シングルマザーで副業もしなくてはならないお財布事情だったのに?とか
現実ばかり見てしまった🤣
おばあちゃん(シルヴィアの母親)も言ってたけど
娘アナ(ブルック・ティンバー)が本当にいい子
シルヴィアの母親としての愛を感じる
母親に信じてもらえなかったら悲しい
ニューヨークで13歳の娘と暮らすソーシャルワーカーのシルヴィアは、高校の同窓会の後、若年性認知症のソールに家までストーカーされた。ソールの弟に頼まれて彼の面倒を見るようになったシルヴィアは、穏やかで優しい人柄と、哀しみに触れて、次第にひかれていった。しかしシルヴィアもまた、過去の人に話せない心の傷を抱えていた。自分の殻に閉じこもって生きてきた2人は・・・さてどうなる、という話。
母親に悩みを相談しても信じてもらえず、嘘つき呼ばわりされたらグレるよなぁ、って思った。
ずーっと退屈だったが、最後はなるほど、と納得いく結末で良かった。
娘のアナは良い子だなぁって思ったし、演じたブルック・ティンバーが可愛かった。
複雑な状況下でのラブストーリー
主人公シルヴィアの幼少期のトラウマ、
そこからのアルコール依存、
そして13年経った今、平常を取り戻しつつある。
認知症の男性ソールと同窓会で出会う&ストーキング疑惑
から始まるラブストーリー。
シルヴィアの心情がかなり複雑で実に感情移入しづらい。
ソールも認知症ながら、そこが強調されることがなく
辛さみたいなところは感じづらい。
シルヴィアの場合、
自分に性暴力をしていた父親を庇う母親も憎んでいるし、
妹とも微妙な関係。
ただ、娘のアナはいつも味方だ。
ラストもアナあってのハッピーエンドだ。
それにしても、シルヴィアがソールに恋愛感情を抱く
変遷をもっと丁寧に描いて欲しかった。
ストーカーと思い込んでいた男性を好きになるのには
違和感。いくら仕事でソールの面倒をみるとは言え。
そこで重ねた時間が恋に発展したとは言え。
ちょっと無理があるというか、自然ではないと思う。
非常に複雑な状況下ではあるが、
ハッピーエンドであるがゆえ、鑑賞後感は良かった。
ただ、この邦題はどうなんだろう?
的を射ていないように感じた。
音楽がキーには必ずしもなっていないと思う。
邦題に 惑わされてしまった レビュー書き直しです
プロコル・ハルムの「青い影」が
ソールとシルヴィアの出会いの
大切なきっかけか、あるいは何かの重要なキーワードなのだと
「邦題」でうっかり思い込んでしまったわたくし。
ズレまくったこの邦題のおかげで ズレまくったレビューを書き、
恥ずかしくもプロコル・ハルムを滔々と熱く語ってしまったので消去しました。
「歌」は筋書きには一切関係なかったのですね。
原題は「MEMORIE (記憶)」。
・記憶を失っていく病気の男と
・過去の忌まわしき記憶に縛られて苦しむ女の物語。
その二人がたまたま友人になったというお話しでした。
「二人の出会いの起こった必然性」については、監督はうまく描き切れていないので残念。
「BGMに流すにはインパクト強すぎの選曲」と「間違った邦題」が、ストーリーの深みをぶち壊してくれる、
これは稀に見る失敗だと思います。
でも、病気の兄の面倒を見る弟さんが、とても良かったです。
演劇を知らない人には分からない例えだけど、平田オリザの静かな演劇みたいな映画でした。
映画が演劇みたいというのは、よくある悪口の一つです。昔の行定勲監督の映画で、役者の喋りが小演劇の、
私は、今、何なんと思っている!
とか、見れば分かる事をいちいち台詞で伝えるという変な台詞で気になってしょうがなかった。今の映画はそんな台詞回しは無いので、あの時、つるんでいた脚本家が悪かったのでしょう。
さて、この映画だが、確かに鑑賞した筈なのに、レビューがなくて、全く記憶になかったけど、つまらなくはなかった、「 ニューオーダー」 の監督だから、そんなに、変な映画ではないと思っていたが、意図が分からない映画なのだ。縦の意図も、横の意図もさっぱり分からないのだ。
まず、撮影方法だが、カメラの役者には一切、寄らないで10メーターくらい離れて固定カメラで撮影をしているから、役者がどんな表情で台詞を喋っているのかが分からない。
だから、映画の終盤の主人公の過去のトラウマを語るシーンも、トラウマの原因になった役者の表情が見えないから、感情移入できないのだ。演技をする役者の表情を見せないのは、どんな意図?斜めの意図か?
押井守神が制作した全六話のテレビアニメ、「 ご先祖様万々歳!」 というアニメは、小演劇の芝居をそのままアニメにしているという気のふれたような意欲作で、一体、俺は何を見ているのか自問自答しまくった作品だが、損したとは思わなかった。また、見たいとは思わないけどw
見た事がない人は一度、見る事をお勧めします。すっごい、変な、演出だよ?ちゃんと、舞台みたいに、上手から、役者が登場して、下手にはけて、いくのだ。細かいにも程があるNE!
でーだ!ずっと、遠巻きに据え置きカメラで役者の演技が分かりにくくて、まるで、小演劇の芝居を劇場の一番後ろの席で見ているような気分になるわけ?アンダースタン?
で、主役のアルツハイマーの男優は、この映画で賞をもらったそうだが、アルツハイマーらしき演技はしない、させない、何も引かない、何も足さない。
記憶がなくなる病なのに、往年の名曲「 青い影」 をずっと、歌っているし、徘徊もしないし、部屋でウンコしたりもしないし、吐いたモノを食べたりもしない。
生活を弟に管理されていて、弟にカードを停止される以外は何も波瀾万丈、銀河万丈な事も無く、主人公の女性とイチャコラしている。あまりにも、イチャイチャしすぎて、娘は家出をするが、これもすぐに解決する。
90分と短い映画だが、映画が始まって、主人公の女性がアルコールの断酒会の談話に参加してから、アルツハイマーの男と、付き合って、イチャコラするのが、75分続く。
このシーンが、特に事件もなく、平田オリザの芝居のように、演出を放棄して、ただただ、役者が日常会話をしているだけ。つかこうへいみたいに、暑苦しいオーバーリアクションで役者だけが楽しい芝居の方がまだマシ。
女性がされていた、トラウマの原因となった「 あの事」 の影響で、フラッシュバックする事も無い。
唐突に、終盤15分で怒涛の展開が繰り広げられるわけだが、そんな伏線あったか?お笑いでも、そうだけど、ネタ振りは必要じゃね?
繰り返し流れて、EDロールでも流れる青い影だけど、歌詞をググってみたが、ヒャッハーしているパリピが女と出会ったけど、その女が青白い顔をしていたという歌詞で、特に何とも面白くない歌詞です。バックに流れるオルガンの音色だけはいいけどね。
選曲にセンスが無いよな?ジュード・ロウのレポジェッション・メンと、キス・キス・バン・バンで、使われた、ニーナ・シモンのフィーリング・グッドとか、
オデッセイのアイ・ウィル・サバイブとか、ロボット・ドリームスと、最強のふたりのセプテンバーとかさ?映画の内容にハマっていたじゃん、
ビートルズとオアシスしか聞いていないから、そうなるんだ!もっと、CDをジャケ買いして、失敗しながら、経験値を積め!お金がないなら、Applemusicのランダム再生でもいいからさ?
監督は、ファーザー、私の頭の中の消しゴム、ペコロスの母に会いに行くなどの、役者の認知症の演技を見て、面を洗って出直してこい!
何も学ぶ事がない映画、見る必要なし!出来ないんだったら、やるな!迷惑だ!
不幸の幕の内弁当
親たちは最低の毒だがきょうだいは温かい
アルコール依存症の自助会に参加していて、娘に対する異常な心配性と過保護、住まいの厳重すぎるセキュリティなど、シルヴィアが病んでいそうなのがありありで、彼女と絶縁状態の訳有りげな母がことあるごとに口汚い言い方で口にする長女シルヴィアの異常性を、やっぱり、と信じそうになったが、そういうことだったのか。この両親の人でなし性に絶句した。
事情があからさまになった時に、オリヴィアの夫がすぐさま毒母・サマンサに「出ていけ」と怒鳴ったところですっとした。
ようやくシルヴィアの訴えが全面的に信じてもらえたのだと思った。
この毒母は、夫が娘にしているおぞましいことより、彼が自分ではなく長女を求めたことが許せないのだろう。だから「事実」と認めない。嫉妬と女としてのプライドからか。執拗に長女を貶め、絶縁状態なのにしつこく近づくチャンスを狙い続けるは、シルヴィアの心のよりどころの孫娘アナを丸め込もうとするは、長女を幸せにさせてたまるかという執念を感じる。
もっとも、普通の会話にもサマンサの言葉の端々には何とも言えない醜さ、いやらしさを感じるし、妹オリヴィアからも心理的に距離を置かれているところから、彼女の人間性は、外ににじみ出てはいる。
シルヴィアがティーンエージャーのころは荒れて、さらにはひどい男どもからの性被害に遭い、そこからのアルコール依存症というのは、なるべくしてなった流れだ。
こんな毒母は、オリヴィアの家から出て行った足で地獄に落ちてしまえと思う。
唾棄すべき父親はとっくに落ちてるけど、彼女を待ってはいないでしょう。この世と同様に毒妻をないがしろにするんでしょう。
穏やかで優しいソールは、過酷なシルヴィアの人生で唯一、温かく安心できる人なのだろう。ソールにしても、シルヴィアに何か感じるものがあって同窓会の帰りについ、ついて行ってしまったのだろう。(ちょっと寝てしまったのでその間について行った理由が語られたかも)相性というのは、その二人の感覚のみで、理屈じゃないし、他人には分からないものなんだと思う。
若年性認知症の中年男性と過去のトラウマから逃れられないメンヘラ気味のシングルマザー、若くもないふたりの今後となると問題山積みで長くは続かないと思われるが、人生は長いようで実は短いかもしれない。ふたりが幸せなら、その瞬間以上に大事なことはないような気がする。
ソールの弟アイザック、シルヴィアの妹オリヴィアと、保護される立場の年少のきょうだいが兄姉の保護者になっているのが面白い。アイザックは口やかましくするがソールが心配でたまらないだけ。オリヴィアは、姉が父の毒牙にかかっていることに気づきながらなにもしなかった自分、姉の犠牲で自分は無事だったことに罪悪感を抱きながらも、母に自分を愛してほしかった気持ちがないまぜになって複雑だが、それ以上に姉を愛している。
弟妹にとっては、ぽんこつだろうが何だろうが今やただひとり幼いころの自分を知っていて思い出を分かち合える、遠慮が不要な親しい肉親だ。
そういう唯一無二感と、年少ゆえの無力感と、兄姉に対する幼いころの畏敬の念をいまだ大事に持っているような二人に見えた。
幼いながらも母の保護者のようなアナが、健気でかわいい。
あの年にしてはできすぎていてかわいそうな気もする。アナの父親のことは誰も何も言わないし、子供に責任はないが、13歳という年齢から、アナ自身何か思うところもあるのではないか。
また、いくら認知症とはいえ、男性一人の家に女性ヘルパー一人を送り込んで一晩面倒見させたらその手のトラブルはありがちだと思う。認知症だけど男性としての体は何ともないし、欲もあるんだから。
登場人物たちが住む家が、どれもいい感じに温かみがあり居心地が良さそう。
この家々の佇まいが、弟妹と兄姉、シルヴィアとアナの母子の関係とシンクロするように感じました。
ソールの好きなプロコル・ハルムの「青い影」が心に残るが、いづれこの曲も忘れてしまうんでしょうか。
ストーリーは素敵だがもったいない邦題
ストーリーは素敵な話。忘れたい記憶を抱えたソーシャルワーカー女性シルヴィアと若年性認知症を抱えているが、忘れたくても記憶を失う男性ゾーイが高校の同窓会で偶然出会う。家族からゾーイの面倒を見るよう頼まれたが、ゾーイの人柄にシルヴィアは惹かれるが。よくあるストーリーだが、素敵な話。ラストは◎。ただ、邦題のあの歌を覚えているはいくら何でもこの作品からあり得ない。せめて原題メモリーで良かったのでは。
有りがちな物語だけれど悪くはないです
話の筋としては、40代の男女が同窓会で何だか出会っちゃって、何だか恋をしちゃって、色々あるけど結ばれたよ、っていう有りがちな物語だけれど、悪くはないです。
すごく地味な映画だから人気は出ないと思うけれど。
主役のシングルマザーは、最初は全く魅力が無いけど、段々と輝いてくるのが不思議。
当然そういう見せ方を映画としめ計算している訳だけれど。
原題は英語の「Memory」。
そのまま原題を使うか、「記憶」というストレートな邦題にした方が良いと思う。だって、歌のことは重要なシーンで全然出て来ないのだから。
あなたのことを憶えている
過去の忌まわしい記憶に苦しみ続ける女性と、過去の記憶を失いつつある男性の恋物語。
ミシェル・フランコ監督、大きな路線変更でしょうか。人間の中の闇を描くことで定評ある彼の作品。前作の「ニューオーダー」は強烈な作品だった。それだけに今回の人間ドラマにはそのふり幅に驚かされた。ただやはり人間が抱える心の闇を本作も見事に描いていた。
主人公シルヴィアが持つ心の闇は深刻であり、それがどのように癒されてゆくのか。幼少期に実の父親から受けた性的虐待。そのトラウマから逃れるために十代の頃から酒に溺れアルコール依存症に。
自身が命を授かったのを機に断酒を決意するが、それはアルコールで紛らわせていたトラウマと対峙せざるを得ないことでもあった。
愛する我が子のためには断酒をしなくてはならない、でも断酒をすればつらい過去に苛まれる。そんな苦しみを背負いながらも単身で娘を育て上げ、障碍者施設で働く彼女があるとき奇妙で運命的な出会いを果たす。
同窓会で出会った男がずっと自分をつけてくる。この男は何者なのか。一晩雨に打たれながら朝まで玄関前でたたずんでいた男は寒さに打ち震えていた。尋常でない彼の家族に連絡を取ると若年性認知症なのだという。
記憶が唐突に失われるソール、つい今しがたまで普通にしていたのが突如として記憶が飛んで気がつけば知らない場所へ。
彼のように記憶を消し去ることができるならどんなにいいだろうか。どれだけ浴びるようにお酒を飲んでも消せないつらい記憶を持つシルヴィアは次第にけなげな彼に惹かれてゆき二人は愛し合う中に。しかし彼は四六時中目が離せない状態であった。
シルヴィアが仕事中に再び記憶が飛んでしまったソールは部屋を抜け出し路上で倒れていたところを発見され病院へ運ばれる。
彼の弟によって引き離されてしまう二人。そんな二人をシルヴィアの娘のアナが引き合わせる。再会を果たし抱き合う二人の姿で唐突に作品は終わる。
このラストが良かった。二人がその後どうなったのかを描かず観客の想像にゆだねた終わり方がより余韻を残す。
二人はあれからどうなるのだろうか。おそらく頑固な弟を説得して娘のアナと三人でこれからも共に暮らしていくのではないだろうか。
シルヴィアが心に負った傷はきっと三人で暮らす生活の中でゆっくりと癒されていくはず。ソールの認知症もその症状自体は努力すれば遅らせることができる。
脳は容量に限界があり、古い記憶やつらい記憶は新たな記憶により上書きされて消え去るか記憶の奥底に押し込められるという。彼らが共に暮らす生活の記憶がシルヴィアの過去のつらい記憶を心の奥に押し込め、またソールはシルヴィアとの記憶を忘れ去ったとしても彼女とい続けることで新たな記憶が上書きされていくのかもしれない。きっと彼は彼女のことをこれからも憶え続ける。そんな前向きな二人の未来を想像させるラストシーンだった。
邦題にもなっているあの歌、誰もが一度は聞いたことがあるプロコル・ハルムの「青い影」がとても印象的。この曲を聴くたびにこの映画を思い出すのだろう。私の記憶に本作は上書きされた。
好きなら一緒にいて
障がい者施設で働くシングルマザーが、高校の同窓会で若年性認知症の男と出会い…互いに思いを寄せ合っていく物語。
記憶を失っていくソールに対し、シルビアは逆に忘れたくても忘れられない過去を抱いるようで…。
事情はともかくとして家の前までフラフラとつけてくるおじさんとか怖すぎるし、よく受け入れる気になったな…。
そんなこんなありながら、娘のアナにちょっと過干渉(!?)にも見えるシルビアだが、その過去の闇も明かされていき…。婆ちゃん、そりゃあねぇよ…。これは本当にホラ吹きだと思っているのか、或いは病的に認めたくないだけなのか…。
キャラクター的にはとにかくアナが優勝しすぎてる。可愛いし、思春期に入りかけで色々やりたいだろうに、厳しい母に反発らしい反発はせず…。
好きなら一緒にいて…思春期のコなら1番辟易としそうな状況なのにも関わらず、良いコだ。…ってか失礼ながら、おっさんが自分の部屋使うの平気なのかよ(笑)
オリビアもねぇ…。アナはあぁ言ったけど、当時幼い彼女に何が出来たかって言うとねぇ。彼女だって怖くて堪らなかっただろうに。罪は無い、はその通りだと思ってしまった。
全体を通し、勝手に涙腺崩壊モノかと期待して観てしまったのでそこまででも無かったのと、この邦題にするほど歌がフューチャーされてたか…??
あと、シルビアの元旦那についての言及はありましたっけ?
終わり方もちょっと淡々としたイメージで、もっと大袈裟にドラマチックにしても良いような…まぁ完全に個人の感想ですが。
哀しさもありつつ良い話だったが、プロットが良いだけに、もう少し大袈裟でも良いかなと思わされた作品だった。
ネガティブ体験多数の女性と痴呆男性の恋路
なんというか
全62件中、1~20件目を表示