あの歌を憶えているのレビュー・感想・評価
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二人だからこそ前に進んでいける
ミシェル・フランコ作品はいつも説明的なセリフや描写を徹底して廃し、無駄なく研ぎ澄まされた登場人物の動線や顔色などから、置かれた状況や半生を自ずと浮かび上がらせる。本作もその流れは同じ。しかしメキシコ出身の偉才がブルクリンの街角で二人の米国人俳優と共に描く今作は、これまでと何かが違う。身を切るような痛みを内包しながらも、そこにはほんの微かな希望と日のあたる場所が提示されているかのよう。さらに”記憶”という要素を用いることで男女を思いがけない手法で出会わせ、大切な関係性へと導いていく。フランコ作品ならではの傷を持つからこそ、彼らは空いた穴を埋めるために互いを抱きしめ、支え合うのだろう。記憶によって苦しめられてきたシルヴィアはソールといる時間だけは記憶から解き放たれ、毎日が新たな自分であり続けられる。そのかけがえない幸福が切実に胸に迫る。二人を祝福するプロコル・ハルムの名曲の響きも深くて優しい。
「青い影」のオルガンの対位法と、記憶をめぐる男女の対比
「青い影」(A Whiter Shade of Pale)といえば若い頃はジョー・コッカーが熱唱するカヴァーが好きだったけれど、久しぶりにYouTubeで聴いたらあの印象的なイントロのフレーズがエレキギターメインで軽くて、今はやはりプロコル・ハルムのオリジナルのハモンドオルガンのほうが神々しくて美しく感じる。バッハの「G線上のアリア」との類似性は昔から指摘されていて、「青い影」のオルガンも左手のベースパートは二拍ずつ長調のスケールを下降、右手の主旋律は八分音符で細かく降りたり昇ったりしつつ8小節のフレーズ全体では音域が上昇する構成になっている。この下降するベースと上昇する主旋律がバッハの対位法っぽく聴こえる理由。
いきなり音楽の話を長々としてしまったけれど、映画を見終わってからふと、過去の記憶に苦しめられている女性と、現在の記憶を失って苦しんでいる男性というのも、実に対比的だなと。この男女の組み合わせはきわめて作為的で、現実にはきっとうまくいかないだろうと思いつつ、大人の寓話として二人の関係の変化を見守り、エンディングのその後に思いを馳せるべきなのかも。
ちなみに日本では映倫区分がGになっているけれど、米国ではR指定だし、十代後半で年齢制限して公開している国も多い。直接的な表現は少ないけれど、アルコール依存症、レイプ、父から娘への性的虐待の話が出てくるので、同じか近い経験で苦しんだ人や共感性の高い人が観ると、精神的にけっこうこたえるのではないか。少なくとも落ち着いた大人の恋愛映画ではないので、そのへんを留意して臨むべきかもしれない。
プロコル・ハルムの"青い影"が傷ついた男女を包み込む
過去に深い心の傷を負った女性と、遠い過去の記憶しかキープできない男性が、高校の同窓会をきっかけに出会い、徐々に距離を縮めていく。時間の持つ意味がまるで正反対の2人が恋に落ち、今という時間をどうにかこうにか共有して行く。恋愛は現在、または未来を意味する人間の尊い営み、そして習性なのだ。
女性側の過去については若干既視感があるし、男性が患う若年性認知症に関しては説明不足な点はある。
でも、僕たちが住むこの社会には見た目からは想像がつかない問題を抱え、葛藤している人たちがいて、同じ時間を共有していることに、改めて気づかされる。劇中に俳優のクロースアップはほぼ皆無で、逆にロングショットが多用されているのは、他者に対する視線と距離感を意識した監督の演出なのではないかと感じた。
男性が好んで聴くプロコル・ハルムの"青い影"は伝説の名曲だ。そのメロディが過去を忘れたい女性をも優しく包み込む瞬間は、少し胸が熱くなる。
タイトルなし(ネタバレ)
米国ニューヨークのブルックリン。
13歳の娘アナと暮らすシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)は、普段はソーシャルワーカーとして働き、夜はAA(アルコール依存症自助グループ)に通っている。
妹オリヴィア(メリット・ウェヴァー)の薦めもあり、高校の同窓会に参加した。
シルヴィアにとって、高校生活はある忌まわしい記憶があり、同窓生との接触はできれば避けたいところだった。
早々に帰路についたシルヴィアを、会場からひとりの男性(ピーター・サースガード)が尾けてきて、彼女の自宅前で一夜を明かしてしまう。
持ち物から彼の名はソールとわかり、書かれてあった緊急連絡先に連絡すると、ソールは若年性認知症による記憶障害があることがわかる・・・
といったところからはじまる物語。
ポスターデザインとタイトルからやや甘ったるい系の映画を予想していたが、かなりシビアな映画で、ぶっきらぼうな演出。
冒頭のシルヴィアのAAシーンから心を脅かされる。
ソールとの初会合、好演で過去の性被害を告げるシーンあたりから、「どうなるのか」が気が気でなくなる。
彼女がソールに惹かれていくのは、彼が彼女の過去を告げられても憶えてない、頓着しないということだろう。
憶えている/憶えてない、ということの差異は大きいように思うけれど、未来に向けばそれほど差はないのかもしれない。
映画は終盤、さらに重く衝撃的な展開となるが、そのことはここでは書かない。
日本版タイトルの「歌」を「こと」に変えて「あのことを憶えている」とすると、格段にシリアス感が増し、内容がストレートに伝わるかもしれない。
が、観客は減るかもしれない。
やや甘ったるいところは、繰り返し繰り返し断片が流れるプロコル・ハルム「青い影」だけ。
過去に頓着しない男ソールによって、シルヴィアの暗い過去の記憶が、うっすらと白くぼんやりとしていく・・・
という意味での選曲でしょう。
凍った心が溶けていく
予期しない出会いが、閉ざされた心に変化をもたらす シングルマザーで辛い記憶に苦しんでいたシルヴィアが、不審な行動をするソールを見捨てなかったのは、彼女がソーシャルワーカーだったからであろうか 支援を要する人たちを援助するソーシャルワーカーだって、決して強い心を持っているわけではない 苦しい記憶や日々の生活と闘っている彼女にはソールを見捨てられない物を感じたのであろう 若年性認知症を患うソールにしても、庇護される身内が存在することは結構なことであるが、若いからこそ一方的に庇護される側の存在に追いやられることに苦しさを感じていたに違いない 映画の話だけではなく、こういった一方的に庇護される関係にある障がい者・未成年者・高齢者も、守られていることに感謝をしながらも、自分自身の人生を取り戻したい、という思いは日常のことだろう 認知症だから「カードを取り上げる」「部屋に閉じ込める」「おかしなことをしないか見張る」、家族の苦労を理解しつつも、ソールの思いもよく伝わってきた
シルヴィアの忘れたい過去に、ソールの不器用なまっすぐな思いが伝わっていく過程が、人生後半の時期にあっても瑞々しかった それでも忘れたい過去と、直前の記憶が損なわれている病気と、2人はこれからも向き合っていかなくてはならない それが一人で闘うのと、相手を支えながら自らも闘うのは大きな違いがある、という希望の結末でした
「青い影」もとてもよかった(3月6日 イオンシネマ和歌山 にて鑑賞)
思ったよりも辛い過去
原題は「MEMORY」。エンドロールで改めて原題を見てなるほどと思えるタイトルだ。
若年性認知症で記憶をなくしてしまう男と、トラウマとも言える忘れたい記憶を持つ女の物語。序盤は結構淡々としているが、それなりに見どころがあって飽きない。認知症を患っている人はケアが必要な人とイメージしがち(実際は大なり小なりケアは必要ではあるが)だが、新しいことを始めたり、新たな恋が始まったりしてもいい。そんなことに気づかされた。2人が恋に落ちていく姿は、何かを補完し合うようにも見えるが、でもシンプルに求めあったようにも見えて微笑ましい。
正直、全て解決して終わるわけではない。むしろこの先の方が大変なことが多いかもしれない。それでもあの終わり方は悪くない。穏やかな気持ちでエンドロールを眺めることになった。プロコル・ハルムの「青い影」がソールのお気に入りという設定で結構な頻度で流れたことも影響している。とてもいい曲だし、いい使われ方だった。
シルヴィアのような目にあっている人が実際にいるのだろう。身近にそんな人が目の前にいた場合、自分はどんな言葉をかけ、どんな態度がとれるのだろうか。そんなことを考えてしまった。当然答えは出ていない。
Pale
曲は大変有名であり、『「G線上のアリア』との近似性も本作にさりげなく登場させている
でも・・・ ストーリーとこの曲との関係性は薄い そこが非常に悔やまれる 単に認知症の男が好きな曲ということで、女の方には何もその曲との思い入れはない 単なる好きな男の好きな曲という位置づけである
誰でも一度は聞いたことのある、そして沢山のミュージシャンがインスパイアし、オマージュした曲なだけに、そのストロングな曲をもう少し織込んでくれれば良かったのにと、残念である 話自体もヘビーなのだから、女の側にも過去にこの曲に纏わる出来事があったら良かったのにと...
ラストのあっさり感も含めて、題材とドラマの盛り上がり度の乖離があったかなぁと・・・
でも、総じてシッカリした作品であったのは確か!
記憶の多様性の肯定
シルヴィアとソール、ふたりが惹かれあっていく心の動き、
関係性の変化が丁寧に綴られていく。
クローズアップ少なく、引き気味で背景の含まれる様々な構図が使われていて
生活している環境、近しい人達の関係性が余白たっぷりに豊かに描かれるので、
ストーリーに劇的な展開がなくても、まったく飽きずに楽しく没入して観れた。
シルヴィアが過去のトラウマについて家族と対峙するクライマックスシーンでも
引いて固定した構図で群像として提示し、
安易な激性ではなく、関係性の描写を重視するスタンスを貫く姿勢に感心した。
登場人物の個々のエピソードについて、
結局事実はどうだったのか、不明瞭のまま終わる部分が多く一見モヤモヤするようだが、
逆にその不明瞭さが、この映画のテーマとして記憶の多様性の肯定、
記憶は事実か否か、憶えているか、正しいかどうかが全てではない、
各人個々の心の内面に残って、蓄積されているものが真実なのだ、
という主張を語っているように思え、
とかく悲劇的に描かれがちな記憶を失くすことに対して、
少し前向きな力をもらえた気がした。
青い影
幼い自分の身体いっぱいになった怖さはその後も感覚と記憶で支配し続ける。
その罪の深さがシルヴィアにある影をもたらしていたことにソールは気づいたと思う。
それは、自身も病を持つ人生を生きている彼だからこそ。
そして彼女がようやく自分の本音を吐露できたのは、苦悩があっても自分の心に向き合いありのままに生きているソールの姿に触れ安らぐ自分をみつけることができたおかげだったか。
あの日をきっかけに年頃の娘も母を1人の人間としてみつめるようになり厳しい躾の理由がわかるとわだかまりもすっと消えた。
その成長はとても頼もしく素敵だった。
ソールが好きなプロコル・ハルムの「青い影」が劇中に
悲しく美しく響く。
だんだんとこの大好きな歌さえも思い出せなくなる日が彼には来るかも知れない。
だけど今度はシルヴィアが彼を支え、この歌がそっとそばにいてくれるのだろう。
影の切なさがあるからこそまぶしい喜びをより感じられる。
そのすべてが人生。
自分のために、どんなときも目をそらさずに
そんなふうに聞こえて来る。
ミステリを含んだ人生の模索
病んでるな、アメリカ
アルコール依存に、性虐待、認知症に拘束介護。
アメリカ、病んでるな〜
苦しさを抱えて必死で生きたご褒美が、ちゃんとあったよね。
当たり前のことを、ちゃんと口に出せる娘が素晴らしい。
その子を育てたのは、間違いなく彼女だ。
それにしても、毒母はどこにでもいるんだね。
ふたつの家族の物語
ニューオーダーのような作品の方が向いている
結論から言うと、
ミシェル・フランコは、
「ニューオーダー」のような、
シビルウォーよりも衝撃度の高い、
企画の切り口で勝負するような作品の方が、
向いているのではないだろうか。
本作は記憶と喪失、そして再生の難しさを描いた作品だ。
登場人物たちの感情の機微が繊細に描かれており、
キャストの演技は圧巻の一言に尽きる。
しかし、その演技があまりにもリアルであるがゆえに、
彼らの精神的な負担を強く感じてしまった。
近年、アクション映画における安全対策の重要性が認識され、
アクションコーディネーターや安全責任者の配置が一般的になっている。
また、セクシャルシーンにおけるインティマシー・コーディネーターの必要性も、まだまだ不十分ながらも広く認知されるようになった。
しかし、
精神的な負荷の高い作品におけるメンタルトレーナーの必要性は、
まだ十分に認識されているとは言えない。
本作のスタッフクレジットには、
コンプライアンス関連のスタッフはクレジットされていたが、
メンタルトレーナーの名前はなかった。
パーソナルトレーナーを付けている可能性は高いが、
これほどまでに俳優陣に精神的な負荷がかかる作品であるならば、
専門家のサポートは不可欠だろう。
そもそもの大前提として、
異なる人格を演じることは、
高度な技術と専門的な訓練を要する危険な行為、
と認識する事が必要である。
俳優たちは、
役になりきるために自身の精神を肉体を極限まで追い込む。
その過程で、心身に深刻なダメージを負う可能性もある。
ジェシカ・チャステインのタフな作品、
昨今のジュリアン・ムーアの仕事、
先日のブレイク・ライブリーの作品など、
俳優の精神的な負担が懸念される作品が少なくない。
これらのような作品を観るたびに、
シナリオや演出がキャストに過度に頼り過ぎていて、
まず俳優たちの安全を考えてしまう。
映画製作は、俳優たちの犠牲の上に成り立つものではない。
彼らが安心して演技に打ち込める環境を整えることは、
製作陣の責務である。
そのためには、メンタルトレーナーの配置を義務化するなど、
自戒も込めてより具体的な対策が必要である。
映画全体としては、
キャラクターの心情が深く掘り下げられ、
演技に感情が溢れている一方で、
現代映画製作における課題を浮き彫りにした作品でもある。
いい話ダナー
過去のトラウマが現代社会を映し出しているようでした。
J線上のアリア
ミシェル・フランコ監督は扇情的なテーマを乾いた視線で描く印象があります。今回は少し違うのかなと思ってましたが、やはり主人公シルヴィアのトラウマの真因は扇情的でした。
ストーリー的には、二人(シルヴィアとソール)が惹かれ合う描写にやや唐突感があり、もう少し丁寧に描いて欲しかったところではあります。
「青い影」は名曲で大好きなのですが、劇中は断片的にしか使われず、もやもや感が残りました。二人の会う瀬のシーンでフルコーラスで使って欲しかったなあ。
でもシルヴィアと娘のアナの関係は素晴らしく😀、アナが傷ついた大人二人を救済します。ここはミシェル・フランコに円熟味が出てきた部分では。
ソールの弟役でジョシュ・チャールズが出ていました。「いまを生きる」の高校生がいいおっちゃんになってました。まあ、ジュード・ロウがぶよぶよになるぐらいですから仕方ないですね。
一方シルヴィアの母役は「サスペリア」のジェシカ・ハーパー❗️当時の面影を残しつつ、シルヴィアのトラウマを決定付ける保守的な毒親を好演しています。
追記 素っ裸にならないと着替えが出来ない人ってやっぱりいるんですね。
『どう』
映画紹介の「忘れたい記憶を抱える女と忘れたくない記憶を失っていく男が出会い、互いに支えあいながら希望を見いだしていく姿を優しいまなざしでつづったヒューマンドラマ」って凄く上手くまとめてて過不足なく伝えてくれるんだけど、大事なのはむしろ『どう』出会って、『どう』支えあうのか、ってこと。
どう考えても持続性のない関係性だが、お互いにとってお互いでなくてはならなかったのだ、ということはよく分かる。
ジェシカ・チャステインとピーター・サースガードがぎこちなく関係を築く二人を情感たっぷりに演じているし、アナ役のブルック・ティンバーさんも素晴らしかった。(本作の肝はアナだと思う…)
惜しむらくは、邦題ほどにプロコルハルムの『青い影』は重要ではなかったこと。好きとは言ってたけどね…
恋に落ちて
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