けものがいるのレビュー・感想・評価
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映像的な説明がほとんどないから難解だけれど
3つの時代と空間を往き来する物語。
映像的な説明がほとんどないから、難解だけれど、結構面白い映画だと思った。
ダブル主役のレア・セドゥとジョージ・マッケイが、それぞれ中々良い演技。
何が言いたい映画なのか、愚かな私には良く良く分からないけれど、観入ってしまった。
説明が下手な人が哲学を語っている、そんなテイストの映画でしたね
2025.5.6 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&カナダ合作の映画(146分、G)
原作はヘンリー・ジェームズの『The Beast in the Jungle』
近未来のパリにて、感情浄化と向き合う男女を描いたSF風ラブロマンス映画
監督はベルトラン・ボレロ
脚本はベルトラン・ボレロ&バンジャマン・シャルビ&ギヨーム・ブレオー
原題は『La bête』、英題は『The Beast』で、ともに「獣」と言う意味
物語は、グリーンスクリーンをバックに演技をするガブリエル(レア・セドゥ)が描かれて始まる
ナイフを手にした彼女は、何かを見て叫び、映画は1910年のフランス・パリへと場面を展開させていく
1910年では、ガブリエルは著名なピアニストとして活躍し、夫ジョルジュ(マルタン・スカリ)とともに人形工場の経営に乗り出していた
サロンにて夫とはぐれたガブリエルは、そこで若き青年ルイ(ジョージ・マッケイ)と再会する
その後、美術展のフロアに出向いた二人は、6年前の話で盛り上がっていった
場面は変わり、今度は2044年のパリにて、面接官(グザヴィエ・ドラン)の質問を受けるガブリエルが描かれる
この世界のガブリエルは単純労働すらさせてもらえない身分で、仕事に就くためには「DNAの浄化」をしなければならないと言われる
一度はトライしたものの挫折し、それでも生きていくために再度挑戦することになっていた
浄化を終えた友人ソフィー(ジュリア・ホール)に励まされるガブリエルは、その装置にて1910年と2014年へと行くことになる
さらに、AIアシスタント人形のケリー(ガスラージ・マランダ)は、彼女を緩衝地帯と呼ばれる1960年〜1980年のクラブへと誘う機能を有していた
映画は、1910年の夫を捨ててルイに走るガブリエルと、2014年のストーカーと化しているルイとの交流が描かれていく
そんな中で緩衝地帯のクラブに行って、そこでルイと出会ったりもする
ほとんどのシーンがAIが見せている想像の世界となっていて、それらが目まぐるしく変化する印象があった
実際にはそこまで時系列シャッフルではないのだが、2044年に時折戻り、脈絡もなく1910年と2014年に行くので、その意図というのはほとんどわからなかった
映画はエンドロールがない作品で、その代わりにQRコードが表示されるのだが、さすがにスマホを立ち上げてかざしている猶予はなかった
だが、鑑賞したアップリンク京都では配布用のQRコードがあったので、それによってエンドロールと「ポストクレジット映像」を観ることができた
ポストクレジット映像には占い師・ジーナ(マルタ・ホスキンス)が登場し、ガブリエルに対して「警告」を発している
ざっと説明すると「241と書かれた部屋には入らないで! そこに入ったら後悔と悲しみが残るから」という感じの警告が発せられていた
2014年のジーナが見たガブリエルの未来というもので、現代パートの30年前の時点でそれを行なっているというテイストになっている
物語はそこまでややこしくはないが、ざっくりと「感情を無くしたら人間ではなくなる」みたいなメッセージになっていて、愛する人の感情が失われることが最大の悲劇のように描かれている
このテーマを時系列をシャッフルしつつ、様々な時代をもって描いていくのだが、1910年、2014年である理由についてはわからない
緩衝地帯のクラブのシーンもイメージショットのような感じで、どこにいても孤独みたいな感じに描かれていたように思えた
結局のところ、ソウルメイト的な出会いを果たしても、時代の流れに逆らえずに絶望するという現代風刺になっているのだと思うが、それにしてはややこしい映画を作ったなあと思う
また、原題に使われる獣の意味がよくわからなかったが、おそらくは「恐怖のメタファー」「感情を失うと人間ではなくなる」みたいな意味になるのだと思う
獣に感情がないとは思わないのでどうなのかなと思うが、人間的な複雑な感情を浄化で捨てるということは、生物的な感情を有するだけの獣になってしまう、という意味合いなのかなと感じた
いずれにせよ、難解ではないけど難解に感じる作品で、哲学的な側面があるのだと思う
人間的な感情とは何かを考えるとしても、欲望は獣のようなものであり、それに支配される人類は獣に他ならないとも思う
なので、獣と人間を隔てるものは何かと考えた時、本来有するものに手を加える傲慢さに警鐘を鳴らしているのだろう
そして、その傲慢さがもたらすものは後悔と悲しみしかない、と結んでいると感じた
現代的な価値観において、人間らしさを捨てた先にあるものは何かみたいなところまでは踏み込んでいないので、感覚的に捉えて、悲恋だったなあ、ぐらいに思えれば良いのかもしれません
3つの時代の恋の行方を描くSF。1910年の二人の俳優がイイ。
1910年、2014年、2044年、3つの時代で描かれる同じ男女のSFラブスト―リー。
主演のレア・セドゥ、ジョージ・マッケイのミステリアスな雰囲気がいい。
特に1910年の時代の優雅さ、人形工場とその製造過程、水没する都市などを背景に、謎を秘めながら進むエピソードが面白い。
二人の微妙な関係、距離感など、この時のセドゥ、マッケイ魅力的。
これに反して、2014年のマッケイが演じるサイコキラーは通俗的で残念。
2044年、年号を店名にしたバーが面白い。
結局、彼は感情を消してしまったあとで、愛は成就できないというバッドエンドは近年のフランスのホラー映画的で、二人の恋は最後まで悲劇的に終わるのは自分としては非常に残念でのれないところです。
ラストカットにいきなりQRコード、エンドクレジット以降は配信で各自チェックという、何ともあっさりと冷たく終わるのもSF的。
実際観たら、エンディングの音楽が「ブレードランナー」のテーマ曲っぽい安い打ち込み系の音楽があり本編とは違う印象で、エンドロールで聴かなくて良かった、と複雑な心境。
最後に蛇足で、本作鑑賞直後、新宿シネマカリテ正面の通りの道端(新宿ランブリングロードと言うらしい)で、リアル鳩の亡骸が落ちていてショック!(映画の様に家に飛び込んできたわけではない)
まだきれいなお姿でしたが、なんという偶然でしょう…合掌。
ルイ・ルワンスキ
「ゆーきーは、降るー。あなたは来ないー」
全然違うんですけどね。「リベリオン」「プリディスティネーション」「エクス・マキナ」が好きなもんで、予告(チラシ)で惹かれて観てみたらば、さすがのおフランスでして一筋縄ではいかない作品に仕上がっておりましたね。好きです。因みに多少古い所も持ってくると「ダークシティ」「未来世紀ブラジル」辺りも好きです。
みんなで、"良いルワンスキ""悪いルワンスキ""普通のルワンスキ"を語り明かしたい位にルワンスキ(役名)な映画でしたが、メインはレア・セドゥを堪能する映画で間違っていないので、その方向で飛び込んで頂いて間違いないと思われます。洋画=ハリウッドな脳になっていると中々にキツイ所もありますが、良い意味でのカルチャーショック映画だと感じました。
短いエンドロールにいちばん感心した。
一組の男女の19世紀末、近現在、近未来と三つの時代に渡る因縁を描く映画だ。何故、こんな難しくしてしまうのだろう。私流に解釈すれば、不安や悩みを抱えた2人が結ばれそうで結ばれない悲恋の物語。と単純に言ってしまおう。
時代が前後するし、それぞれ事件が起こる。妄想や夢が入り交じって、理解するのが難しくなる。まして、近未来ではAIが人間を支配する世界になっていて、正職に就くためには、感情を消去しなければならないという設定になっている。恋愛障壁がAIになっている。ヘンリー・ジェームズの小説がネタ元になっている。日本ではヘンリー・ジェームズは人気がない。シェーンベルクの「浄夜」をまさか映画館で聴くとは思ってもいなかった。
場所もパリとロスアンゼルスに移り変わるし、言語もフランス語・英語が使われる。観客を韜晦させている作品としか私は思えない。しかし、エンドロールは良かった。延々と続くエンドロール(理由はわかっているが)には飽き飽きしている。出来れば、映画上映前の製作に関わった会社のロール(なんていうのかな)も止めて欲しい。
いわゆる映画というものへのアンチテーゼ?・・・分からん、難し
冒頭から相当変わった入り方、途中も出役が変わらず時代が行き来して、内容も似て非なるもの─でも全く別物でもないような・・・シンプルなようでかなり複雑な展開・構成で、結構ガンバって見ていたのに、ヤバい!置いて行かれそう・・・と思いきや、中途半端なところで場内の明かりが点灯して映像もブラックアウト─まじか!こんなブッツと終わってしまうエグい演出の作品なのか!?と思ったのですが、それは考えすぎで、単に劇場の警報装置の誤作動で上映が止まっただけでした。残り30、40分ぐらい・・・安全確認・動作確認の後、続きを上映とのことだったので、待つこと30、40分、結局上映中止となり無料券を頂きました。たくさん見たけど中途半端、無料券でまた見るべきかどうか・・・正直また最初からこの小難しい作品に付き合うのはきついのですけど、結構次の展開が気になる場面でのぷっつりだったので、めっちゃ悩む~・・・という挙げ句、その日はメンタル的にパスしました。
後日、最初から観賞。一度見たところは、ぶっちゃけ寝ました。ここ!というところから頑張って目を見開き─、いやーやっぱ訳分からんけど、最終版を見逃すと作品の真の姿は掴めなかったなぁ・・・だから見てよかったと思うと同時に全部しっかり見切ったところで咀嚼できたかどうかは微妙なところ。カラオケ、ネット、分割・繰り返し、バグった感じ・・・まぁ何となくこれら全てはあるビジョンなんだと感じ取れるし、ちょっとしたディストピアなのかな?と思ったりもできましたけど、オチはいまいち理解できなかったし、あのエンドロール?もねぇ・・・あのせいでこちらは何だコレは映画へのアンチテーゼなのか!?全部・・・と変な勘ぐりまで─。
なかなか絶妙な体験をできた作品でしたが、そもそも見なければこんな・・・などと負の感情で満たされてしまった次第です。
レア・セドゥの魅力に酔いしれる傑作
今年のベストの一本となる、そしてレア・セドゥの代表作となる傑作。
AI中心の社会となった2044年、人間の感情は不要とされ、職を得るために感情の消去(=浄化)が求められた。
感情を消去し仕事に就くことを決意したガブリエル(セドゥ)はDNAに刻まれた前世の記憶を浄化するために1910年と2014年に遡り、それぞれの時代でルイという青年(ジョージ・マッケイ)に出会う。
そう、100年以上の時を超えて転生を繰り返す女と男、そして悲劇。決して幸せにはなれない二人の数奇な運命にゾクゾクする。
感情さえも失う2044年が最大の悲劇なのだろうが。
2044年、1910年、2014年の3つの異なる世界観が秀逸。そして何よりレア・セドゥの圧倒的な魅力に酔いしれる。
🎵雪は降る あなたは来ない…… SFを身にまとった大メロドラマ(悲恋の物語)には奇妙な昭和テイストが漂う
舞台はAIに管理された近未来。効率的な社会の運用の前に人間の感情は邪魔物扱いされ、重要な仕事に就くには感情を消去する必要のある時代になっていました。主人公のガブリエル(演: レア•セドゥ)は意を決して感情消去プログラムを受けます。そのプログラムの中で彼女は前世でトラウマのあったと思われるベルエポックの頃のパリとか、2014年のLAとか、その他諸々の時と場所に出現することになります。そして、そのどこでもルイという青年と出会います。
とまあこんな話なのですが、鑑賞者の数だけ解釈が生まれそうな作品です。AIとか、感情消去プログラムとかのSF仕立ての内容がありますが、実はガブリエルとルイの恋愛を描いた古典的な恋愛映画、それもロミオとジュリエットばりの悲恋の物語だと私は感じました。この恋愛を成就するためには乗り越えなければならない壁がある、ところが、その壁を乗り越えてしまったら、恋愛感情が消えて恋愛そのものが成り立たなくなるーーそんな八方塞がりのキャッチ22的な状況に陥ってしまった、永遠に結ばれることのない愛を描いた悲恋の物語。まあ、そんなのは星の数ほどある解釈のうちのひとつに過ぎなくて、この作品の本当の醍醐味というのは本篇のそこかしこに散りばめられたいろいろな仕掛けを楽しむことにあるのかなという気もしています。
監督/脚本のベルトラン•ボネロさん、いろいろとやってくれます。LAが舞台のときに英語を使うのは当然ですが、ベルエポックの頃のパリでのガブリエルとルイの会話、最初はフランス語で途中からシームレスに英語にスイッチします。で、英仏を行きつ戻りつします。どういう意味だろうと考えていたのですが、よく分かりませんでした。原作のヘンリー•ジェームズの小説を直接引用するため英語を使った? まさか、ねぇ。このフランス語、英語問題は別のところにも。クラブでガブリエルが女性3人組と会話するシーンが2回出てくるのですが、1回目が英語で2回目がフランス語。この3人組、1回目の英語のときに汚い4文字言葉連発でしたから、2回目も同様のことをフランス語でもやってるはず。英仏両言語に堪能な人には笑えるシーンなんでしょうね。
あと、画面サイズも時折り、変えてきます。たぶん、デジタルではなくフィルム撮影の箇所もあるかもしれません。横幅が狭くなったシーンではダンスフロアみたいなところで「ここは緩衝地帯だから」とかなんとか、そんなセリフが出てきました。そして、突如流れる日本語の🎵雪は降る あなたは来ない…… サルバトーレ•アダモさんの歌う哀愁メロディが否が応でもメロドラマ感を高めてくれます。
また、私だけかもしれませんが、セルロイド人形の工場のシーンあたりから、絶えず、既視感というか、なんだか懐かしい感じに襲われておりました。たぶんですけど、作り手側が1960年代、70年代あたりの映像のテイストを意識していたのではないかと。日本では昭和40年代、50年代の昭和真っ盛りの時期にあたります。近未来を舞台にしたSF仕立ての作品に漂う昭和テイスト。なかなかの見ものです。
まだ、いろいろと小ネタがあるでしょうけど(セルロイドの人形工場での鬼太郎のおやじみたいな目玉とかね)、キリがないのでこの辺で。あ、最後にレア•セドゥさん、とても素敵でした。
難解で壮大、そして切なく美しいラブストーリー
1910年、2014年、2044年と3つの時代をタイムトラベルし続けながら物語が展開していきます。
過去から未来へと順番にではなく、何度も立ち変わるように移っていくのがまた難解にしている所。
前情報がないと物語もセリフも非常に複雑で分かりにくく、終盤までは鑑賞者は置いてけぼりになると思います。
また地味で静かなシーンが多いので、眠くなるというレビューもよく分かります。
実際に劇場でも自分の周りにはちらほら寝落ちしている人が……笑
ソウルメイトのように、生まれ変わる度に必ず出逢う主人公の男女二人の運命、
浄化の儀式が何を意味するのか、3つの時代の構造、
そういったものがようやく頭の中で整理されてくる終盤、
この映画がどこまでも切なくて美しいラブストーリーへと色づいていきます。
映画は複雑だけど、描いているものは純粋な愛だと思う。
この結末もいつかの来世で思い出す過去生となって、
二人はまた出逢っていくんだろうなと思えるラストでした。
途中までのわからなさを耐えて最後まで観てよかった。
美しい手だ
こないだ鑑賞してきました🎬
結構難解なストーリーでしたね😅
主役のガブリエルにはレア・セドゥ🙂
マーゴット・ロビーとは違ったベクトルの金髪超美人さんです。
今作では様々な髪型を見せてくれますが、どれも似合っていてため息がでますね😀
私は現代(2044年)の髪型が一番好きです👍
それはさておき、やや切れ長な瞳に危うさと強さを秘めた雰囲気を出すのが超絶上手く、男ならほっとけなくなるのは必至。
まばゆいほどです🫡
ガブリエルと何世代も親密になる男、ルイにはジョージ・マッケイ🙂
世代ごとで性格が違うのですが、演じ分けはなかなかのもの。
一見何も考えてなさそうに見える、空虚な視線が印象的でしたね。
正直よくわからない部分が多かったのですが、この2人の結末はある種パターン化されてるという理解でいいのでしょうか❓
現代ではようやくハッピーエンドかと思いきや、あれでは…。
私の頭では理解できないので、レア・セドゥの様々なお姿を拝める映画という位置づけになりそうです😥
感情をなくして生きてゆく苦しさは現代人の寂しさそのもの
SF映画とのことだがノスタルジックな昔の場面のほうが断然多い。
なんだかよくわからなかったけど、レア・セドゥとジョージ・マッケイの青い瞳コンビに魅了されたので、面白かったと言うべきなんでしょう···
セルロイドのフランスアンティーク人形工房が燃えてからのレア・セドゥの水中映像はステキでした。ちょっと目が覚めました。
感情を消去しないとまともな職に就けない近未来という設定は黒人のAIロボットの見下したような態度から察せられるものの、事前に解説を読んでないと全然わからん。
アンティーク人形工房の作家や社交界の奥さんなどはモデル兼女優、空き家のハウスキーパーのガブリエルの前世の記憶なのか?
アダモの雪が降る貴方は来ないは1963年らしい。
感情をなくして生きていかないといけない苦しみ。
感情が伴わない記憶に人生の意味はないと思う。
近未来ではドーテー設定のジョージ・マッケイ。よくわからないけど、このフランス人男性の監督はもっと男にはガツガツしてほしいと主張しているのか?近未来は環境ホルモンのせいで男性ホルモンが減退するとか、温暖化で海水位が上がるとかの設定はSFというよりも近未来の現実で、あまり目新しさはないような。
けものがいるという題がわからん。
ラストは、
叫んだっていいじゃないか。人間だってケダモノだもの。てか?
ハトに怯えるガブリエル(レア・セドゥ)。
フライヤーのレア・セドゥに引っ張られて鑑賞。レア・セドゥの陰の形がいわゆる大人の玩具に見えちゃうんですけど、ゲスの勘ぐりでしょうか。
作品内における「現代(いま)」である未来(2044年)
1か月半ほど前、映画館で目に入ったチラシに写る「こちらを向くレア・セドゥ」。気にならないはずもなくタイトルに目を移せば『けものがいる』。興味深い...(ひらがなだし...)これは絶対観ようと心に決め、そしてようやく公開の今週、サービスデイを狙ってシネマカリテへ。10時からの回はなかなかの客入りです。
と言うことで、今回も予告編やあらすじを一切見ず、前情報なしで取り組んだわけですが、、、始めに言っておきましょう。本作、難解すぎて1回観ただけではその「趣旨」が解らず、言語化なぞ到底出来そうもない。何なら、解らないだけに迂闊にネタバレしかねないため、取り敢えずこのレビューを書くために映画.comの「解説・あらすじ」に目を通します。ところが、それを読んだところで「膝を打つ」ような閃きもなく、またそれ以上どなたかの考察を読んでまで詳しく知りたい欲も沸かず。。決してつまらなかったわけではありませんが、そんなこんなで申し訳ありませんが総評としては「それなり」。まぁ、レア・セドゥの美しさは当然に裏切らず、それだけはチラシが物語っていた通りでした。
まず冒頭から、意外性たっぷりな状況に「え?そっち??」と戸惑いを隠せず、その後の展開もしばらくそのイメージに引っ張られてノイズに。(一応、この件は終盤近くになって回収されます。正直、されたところで、、とも思いますが。。)それでも観進めれば徐々に話の構造が解り、次第にストーリーについていけるようにはなります。ところがまたすぐに襲いくる困難、劇中で交わされる会話がまるで真理を解くような哲学のよう、、ああ…思わず眠気が。。。いかん、いかん、とツボを押しながら何とか中盤まで辿り着けば、ようやくそこまで蓄積された「それぞれの時代」に共通するシチュエーション、キーワード、或いはアイテムの登場でリズム感は掴めるようになりますし、更にはなかなかに緊迫するスリルが加わり、中盤以降は「ノレる」ようになって眠気も忘れます。
ただ大変に残念なのは、作品内における「現代(いま)」である未来(2044年)が、1910年、2014年に比べてフンワリと抽象的な表現が多くイマイチ切れが悪い。そもそもこれが20年後の「設定」と思えない緩さ、甘さが最大のネックとも思える「SFドラマ」。まぁしょうがないんでしょうど、ちょっとリアリティは感じません。
勿論、構造的な複雑さを持たせてまで語り直そうとする「挑戦」は素晴らしいのですが、残念なことに私は「置いて行かれた」気分。それならば、原作であるヘンリー・ジェイムズ作品集 『密林の獣』を読めば、本作にももっと興味が持てるかもしれませんが、これまたかなり難解そうだしな。。兎も角、本作において一番肝心な趣旨である「けもの」とは一体何なのか?について、せめて「考察したい!」と興味を沸かせてくれるだけの掴みは欲しかったかな。あほですいません。
睡魔に負けてしまいました。睡魔せん。(^_^;
ガブリエルは何を恐れたのか
深読みしないといけない難解な映画。
夢か現実か分からない展開が続き、時系列もぐちゃぐちゃ。
初めの方はひたすら会話だけが続く展開が続き、かなりしんどい。
でも見終わってみると、なぜかもう一度観てみたくなる不思議な映画。
2044年の世界ではAIが支配していて、人間の感情が不要とされている。2025年になんらかの大災害が起こり、それがきっかけでそういう世界になったことが示唆されている。主人公のガブリエルは抵抗を感じながらも、職に就くために「浄化」を受けることにする。これは、転生を繰り返すうちにDNAに刻まれたトラウマを浄化して、感情をなくす処理らしい。
もちろん、転生とか、トラウマがDNAに刻まれる、といった設定は現実の科学にはなく、この映画でのSF的設定である。
主人公は1910年のパリと2014年のロサンゼルスでの生で大きなトラウマを経験しており、それを浄化で除くことを試みる。1910年パートと2014年パートでの出来事は主人公の過去であると同時に、「浄化」の過程における主人公の精神世界でもあるので、非現実的なことも起こる。
1910年のパリでの洪水、2014年でのミソジニストによる殺人は史実である。監督は2014年の事件を忠実に再現した、とインタビューで言っている。
1910年、2014年、2044年の3つの時代で、ガブリエルとルイはどの時代でもお互いにひかれあうものの、常に結ばれることはなく、悲劇的な最期を遂げる。1910年では洪水で二人とも溺死し、2014年ではガブリエルはルイに殺される。
この映画にはさまざまな謎がある。分かりやすくは示されておらず、解釈は観客にゆだねられている。1910年のガブリエルが恐れていたものはなんだったのか。2044年のガブリエルが最期に叫んだのはなぜだったのか。人形、ハト、占い師が象徴しているものは何か。なぜどの時代でも同じようなことが繰り返されるのか。そして、「けもの」とは何か?
ここからは個人的な解釈。2044年パートにおいても、(主人公のトラウマを象徴してるっぽい)ハトが登場し、ダンスホールに客がいない、などの非現実的なことがおこるので、主人公の精神世界である可能性がある。
1910年では、地位や家柄にしばられた結婚が普通で、女性は貞節に人形のようにただ美しくあることを求められる時代であり、ガブリエルも、ルイに求められながらもルイと結ばれることを「おぞましいこと」と感じてしまう。
2014年では、自由恋愛の世界になったが、その時代に適応できなかった人間たちが恋愛難民者となってしまった。この時代ではルイは逆に自分の願望を「おぞましいこと」と語る。人形はしゃべり、人間にアドバイスを与える役割となっている。
2044年では、「感情」自体が社会に不要なものだとされており、ガブリエルは「浄化」により感情を失くそうとするが、その試みは失敗する。ガブリエルはむしろそれを喜び、今こそルイと結ばれようとするが、時すでに遅く、ルイは「浄化」により感情を失ったあとだった(ルイが偽の記憶を語ることで判明)。ガブリエルは、この先転生を繰り返しても二度とルイと結ばれない(愛し合えない)運命を悟り、その永遠の孤独に対する恐怖に対して叫び、映画は終わる。人形(AI)はもう人間と見分けがつかない見た目となるだけでなく、人間を実質的に支配する存在となっている。
1910年のガブリエルが恐怖していたのは、2044年のこの結末だったのかもしれない。
強く惹かれ合う男女が、運命の呪いによって決して結ばれない悲劇、というのは古典的なモチーフだと思う。たとえばギリシャ神話でいえば、アポロンとダフネの物語とか。この映画での占い師は、「変えられない呪わしい運命」を象徴しているのだと思う。
転生を繰り返し、何度もひかれあい、どの生においても悲劇で終わる、というので連想したのは、梅図かずおの「イアラ」だ。たぶん他にも同じ類型の物語があるだろう。
この映画を観て思ったのは、強い感情、渇望というものは、「欠乏」から生まれるのではないか、ということ。プラトンの「饗宴」では、男女が互いに惹かれ合うのは、互いに自分の欠けた半身を取り戻すために惹かれ合うのだ、という考え方が出てくる。
ガブリエルはどの時代においても満たされない思いを抱えている。その欠乏を埋めることを望みながら、しかしそれが実現してしまったとき、それを求める強い感情も失ってしまう、という恐怖も感じているのではないか。
願望の成就を強く望みながらも、それが叶えられた時、感情を失ってしまうのだとしたら。その強い感情をもっているが故に自分が自分でいられるのだとしたら、願望の成就とともに自分が自分でなくなってしまうのではないか。
ガブリエルのその思いは呪いとなり、ルイと夢の中でしか結ばれない運命になってしまったのではないか。
もう一度映画を観たら、また何かつかめるかもしれないと思いつつ、もう観ないでもいいかなー、とも思っている。
期待度○鑑賞後の満足度◎ “何のこっちゃ”と思う人が少なからずいるだろうけれども、私には大変面白かった。何よりレア・サドゥを観ているだけで飽きない。
①かなりいじくり倒したストーリーテリングというか描き方というか映画の撮り方だけれども、ラストはSFによくある幕の降ろし方で、“何やそういうオチかい”という印象ではあるが、そこが却って可愛いというか面白かったぞ。
②“感情”を持つということが人間(というか人類社会)にとって幸せなのかどうかというのが本作に秘められたテーマだと思うし、感情をなくした人間というのは“動物(原題の『La Bête 』もそういう意味でしょう)”と同じ(“動物には悪いけど”)というのが題名が暗示していることだと考えるけれども、これからAIが人間の代わりに殆んどの仕事をすることになるだろう人間の未来を考えると絵空事とは思えないな。
人間の判断(冷静な判断とか言うけれども)が全く感情に影響されないかというと疑わしいものだし、AIの私情などない論理的かつ客観的な判断が結局正しい歴史を作るかもしれない(随分味気ないものになるだろうけれども)。
そこら辺を考え合わせるとアメリカのSF映画とは違う欧州らしいSF映画と言えるだろう。
A292 レア・セドゥ三段変化
2025年公開
AIがどうのこうの言うのでそちらの方向で構えたが
あまり関係なく思想的な考えが漂う。
しかーしパンフ読むまでぜんぜーんわからんかった。
途中までレア・セドゥ全開だったので
退屈はしなかったが。
髪型含めて衣装デザインも素敵
ハトポッポも存在感が迫ってくるわけでもなく中途半端。
人形の存在意義もワタシには届かない。
「ゆきがふる♪あなたはこない♪」なんでやねん!
1980 1972 1963 イマイチついていけない。
にしても耳に注入はやめてくれー
クライムオブザヒューチャーと感じが似てない?
本作のレア・セドゥはわが愛しの門脇麦ちゃんと
雰囲気が似てました(独断)
60点
鑑賞 2025年4月28日 アップリンク京都
パンフ購入
配給 セテラ・インターナショナル
追伸
あと10分やからそろそろエンディングクレジットやな
と思うと上映時間ギリギリまで映画は進む。
ワッツ?と思っていたら写メ撮ってました。
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