オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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天才科学者と凡人政治屋の確執を描いた物語
原爆の父・オッペンハイマーを題材とした作品。昨年7月の全米公開からどのように描かれているのか、観客はどんな反応だったのか、日本人として非常に興味を持って見ていました。全米公開からずいぶんと日が経ちましたが、アカデミー賞7部門受賞とも相まって期待が膨らみ、公開後すぐに映画館で鑑賞しました。
鑑賞前に改めてロバート・オッペンハイマーとルイス・ストロースについて予習してから劇場に向かったのですが、この映画は3つの時系列を何度も行き来し、登場人物も数十名にものぼり複雑なため、これから鑑賞される方もぜひ予習してからの鑑賞をお勧めします。
この映画の大筋は2本立てで、ひとつはオッペンハイマーが理論物理学を学び、マンハッタン計画に参画して原爆開発に成功するまでの軌跡。もうひとつはオッペンハイマーがストロースの陰謀にはまり、ロシアのスパイ容疑をかけられ、公聴会で処分が下るまでの過程で、物語の中核は後者となっています。
オッペンハイマーはハーバード、ケンブリッジなど世界の名だたる名門校で理論物理学を学び、この分野の研究をリードする存在でした。第2次世界大戦が勃発すると原爆開発を目指すマンハッタン計画が立ち上がり、オッペンハイマーはその才を見出され、原爆開発を主導する研究所の所長に任命され、世界初の原爆開発に成功します。
そんな彼を突き動かす原動力は、純粋な理論物理学に対する探求心と、原爆という悪魔的な大量破壊兵器を保持することによる戦争抑止への期待でした。
しかし、彼の想いとは裏腹に、政治家はこの大量破壊兵器をなんの躊躇もなく2度、日本に投下し、民衆はそれを熱狂的に支持します。
原爆は当初ドイツに投下予定でしたが、ナチスの降伏により標的が日本に切り替えられます。日本も実質的にはすでに死に体であり、降伏は時間の問題と考えられていましたが、『原爆を落とさなければ日本は降伏しない』という、政治的思惑も絡んだ原爆投下ありきの主張により反対意見は退けられ、原爆投下は強行されます。
オッペンハイマーが親友ラービをマンハッタン計画に誘った際、ラービが『爆弾に正義も不正義もなく、無差別に落とされる。300年の物理学の成果を大量破壊兵器に利用されたくない』と言って誘いを断る場面があるのですが、ラービは初めからこうした事態になることを理解していたのでしょう。
原爆投下後、オッペンハイマーはその現実に恐れを抱き、罪悪感に苛まれます。『我は死神なり、世界の破壊者なり』『私は自分の手が血塗られているように感じます』といった台詞に彼の苦悩を垣間見ることができます。
そして、アメリカはその後も水爆開発というさらなる軍拡の道へと突き進んでいきます。残念ながら原爆投下により失われた22万人の命に対する罪悪感を感じた政治家は皆無で、米国民も原爆投下を熱狂的に支持するという、日本人として悲しいというか、憤りというか、なんとも言いようのない感覚を覚えました(一部の科学者のみ罪悪感を感じていたようですが)。
そして、オッペンハイマーはこうした現実を目の当たりにし、更なる軍拡競争や水爆開発に対して反対の立場をとるようになります。核兵器についても国連で共同管理すべきだと進言しましたが、政治家はこれらの主張に強く反発し、以降、彼を邪険に扱うようになります。
そのなかで特に激しい確執に発展したのがもうひとりの主人公ストロースでした。
ストロースは靴の行商人としてその人生をスタートさせ、投資銀行家として財を成し、大成功を収めます。彼は上昇志向と野心の塊で根回しがうまく、あらゆる陰謀を画策するのが得意な根っからの政治屋でした。
当初ストロースはオッペンハイマーを利用して原爆開発を自らの手柄とし、政治家としてさらなる評価を得ようと思い描いていましたが、水爆開発など両者の価値観に多くの隔たりが生まれ、確執が決定的となるとオッペンハイマーを失脚させようと画策します。
ストロースは戦後のアカ狩り(共産党支持者を探し出し追放する活動)に目を付け、オッペンハイマーがソ連と関係を持ち、核兵器に関する機密情報をソ連に漏らしたという話をでっちあげて陥れようとします。
実際、オッペンハイマーの身近には弟や元恋人なども含め、共産党員が数多くいて、彼自身も学生時代に共産党系の集会に参加したことがありました。しかし、彼自身は共産党員でもなければ、思想に傾倒していたわけでもありません。もちろん、機密情報など漏らしていません。しかし、結果的にこうした交友関係が仇となり、政治的に対立するストロールに付け入る隙を与えることになります。
公聴会ではほぼストロースの思い描いたシナリオ通りに話が進んでいたものの、一部ストロースに丸め込まれず、真実を証言した人間のおかげでオッペンハイマーは土壇場で無実が証明され、最悪の処分を免れます。一方、ストロースは公聴会における偽証が明るみとなり、世間に恥を晒して出世の道が目前で閉ざされることになります。
凡人ストロースが天才オッペンハイマーに対して強烈な嫉妬心と敵愾心を抱き、得意の権謀術数を駆使してなんとか引きずり降ろそうと必死になる一方、オッペンハイマーはストロースのことを(心中では見下し)あまり意に介してもいない様子で、それがまたストロースの癪に障るという、世の中でもまあまあ良く見る構図が描かれています。また、こうしたふたりの対比を描くことでオッペンハイマーの人物像をより際立たせようとしたのかもしれません。
しかし、それなりに成功した人生を歩んでいたストロースがなぜこれほどオッペンハイマーに嫉妬心を抱くのか、執拗に敵意をむき出しにするのか、個人的にはそれがちょっと解せない部分でもあります。『卑しい靴のセールスマン』と言われてプライドが傷ついたのでしょうか。笑
日本人としては辛い描写も…
背景や登場人物など
全く未予習で鑑賞したため、
勉強不足で前半は頭が付いていけず。
トリニティ実験のシーンあたりで
やっと内容が掴めてきたが、
実験のカウントダウンは恐怖すら覚えた。
また被爆国に住む者としては
実験が成功し歓喜する人々には
科学者目線といえど
嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
映画の中でたんたんと交わされる
『Hiroshima』『Nagasaki』の
ワードを聞くのが辛かったが、
核戦争の危機が迫っている今こそ
観るべき作品だとは感じた。
作中の音が印象的で
沈黙の時間とその後の爆音に圧倒。
IMAXで観て正解だった。
出てくる登場人物が
なかなか癖のあるキャラクターが多く
あまり共感できる人物はいないかったが、
ラストシーンのアインシュタインのセリフが良かったことと、
フローレンスピュー演じる
ジーンの声がセクシーで美しかった。
プロメテウスの火
日本人としては複雑だ。
後半になりHIROSHIMAだNAGASAKIだと英語で発音されるソレらがまるで記号のように聞こえてくる。
アメリカ近代史に明るければ、より深くこの物語を理解できるのかと思われる。そうではない俺には前半の助走がしんどかった。
見終わった今思うと、アレは必要なのだと思える。物理学に心酔し、宇宙の理までも追求できる探究心があるのは賞賛されるべき事だ。
科学の発展に尽力し続けた若者達。国の威信がかかってるわけではないけれど、他国が一歩進めばその先をと対抗心に火がつくのも当然だ。
長い長い時間をかけて「原爆」に辿り着く。
「300年の物理学の辿り着く先が大量殺戮兵器でいいのか?」
…今までの成功を根絶やしにしてもお釣りがくるくらいの台詞である。
当時のオッペンハイマーは、どんな気持ちでこの言葉に向き合うのだろうか?
なんでもそうだけど、ある物は使うよ。
そして、アメリカが開発しなくてもどこかは開発するだろう。
2発の原爆を運び出す車が破滅に向かっていくようで恐ろしかった。
後戻りなんて、とうに出来ないのだ。
現在、世界各国は地球を破壊できる程の核を保有していると聞く。そんなの当時は誰も想像しないだろう。戦争のやり方が明確に変わった分岐点だと思う。
そこから更に発展し、今や大量殺戮兵器は無限に増殖し変異する細菌兵器へと向かってる。
誰かを刺した刃は常に自分にも向けられているのだと、いつになったら気づくのだろう?
気づいた所でやめんわな。
だから人間は愚かなのだから。
ロスアラモスが作られる辺りから妙な焦燥感に襲われる。胸の奥がザラザラする。やめてほしい、引き止めたい。でも、何もできない。
頭脳明晰な若者達が集い、嬉々として世界を破滅に導く兵器の開発に勤しむのだ。
不穏なBGMがずっと鳴ってる。いい仕事しやがる。
軍部からの開発依頼なのは明確で、兵器を作ってる自覚はある。スローガンのように語られるのが「戦争を終わらす為に兵器を作る」だ。
他国を完膚なきまでに叩きのめす。反抗する気が起こらないように徹底的に。
それがアメリカが目指す勝利の形らしい。
白人至上主義にでも裏付けされてんのか?敵は単純に敵であり、それ以外の何者でもないのだろう。
初の原爆実験の描写は戦慄だった。
閃光と共にホワイトアウト、上空何百mにも及ぶ火柱。プロメテウスの火を人類が手にした瞬間だった。
このシーンに至るまでに、オッペンハイマーの葛藤も描かれはするのだけれど、捏造かもしれないので触れないでおく。ただソレを表現するキリアン・マーフィーは素晴らしかった。
8月6日を境に物語は戦後に様変わりする。
オッペンハイマーが糾弾され、策略にハマって同情を誘うような描き方が続く。
ストローズが黒幕でありなんて話にもなるんだけれど、オッペンハイマー第二章かと思う程テーマが違う。
ああ、やっぱ英雄視はしたいんだろうなぁって思う。アメリカを戦勝国にした最大の功労者だもんな。例え世界を道連れに地獄へ引き摺り込んだとしても。
奥様の一言が強烈だった。
「許された気にでもなってるの?どうせ世界は許しちゃくれないわよ。」
上手い台詞だなぁと思う。
そこまでズバッと刺されちゃえば、それ以上言えんもんなぁ。
資本主義の犠牲者的な側面はあるものの、殺戮兵器の生みの親である事は変わらない。
彼らが未来に及ぼした影響は計り知れない。
科学の発展は人類の滅亡へ直結する。
ネットもそうだし、AIもそうなっていくのだろう。戦争は無くならないし、地球の自浄作業だなんて言う輩もいる。
命が死というものに向かう運命があるように、人類にも死という運命があるのだろうなぁ。
いつかはわかんないけど。
1つ思ったのはアインシュタインってあんな身近な時代の人だったんだな。
もっと昔の人だと思ってた。
あの時代、科学の発展って加速的に進んだんだなと思う。自分の学の無さに呆れてしまう…w
コレって作品のレビューになってんのかな?
全編通して不穏なBGMが印象的だった。
◾️追記
ああ、そうだ。
皆様のレビューを読みつつ去来した感情があった。
やるせなさ、だ。
時間は戻らないし、核は誕生してしまった。
人類が人類を破滅に追いやる道具を手にしてしまったのだ。
核の無効化や無害化に科学者達が到達するなら、オッペンハイマーが許されたと思える日も来るのかもしれない。
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハ...
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハイマー博士(キリアン・マーフィー)は、赤狩りの渦の中、コミュニストの嫌疑をかけられ、委員から除名されようとしていた。
彼は、原爆開発後、広島・長崎の惨状から戦後は原水爆禁止・不使用の立場に翻っていた。
一方、原子力委員会に君臨していたストロース(ロバート・ダウニーJr)も公聴会に挑んでおり、それは政府閣僚・商務長官指名を狙ってのものだった。
ふたりの確執は原子力委員会設置時から始まっており、推進派のストロースにとって、反対派のオッペンハイマーは宿敵ともいえる存在だった・・・
というところからはじまる物語で、あれれ、原爆開発の「マンハッタン計画」が主軸ではないのね?というのが観始めてすぐの思い。
で、ストロースの公聴会、オッペンハイマーの諮問会とふたつのことなる裁判にも似た会議が現在時間軸で、それぞれの回想(というかなんというか)の形式で過去の出来事が綴られていきます。
うーむ、なんやねん。
別に時間軸に沿って順に描けばいいじゃないか、と思うわけですが、それをやると倍ぐらい時間がかかるので、「さわり(見どころ)」だけで綴ったのではないか思うようなつくり。
前半30分ぐらいまでに、オッペンハイマーがアカとみなされる要素を出してくる脚色は相当上手い。
けれども、それは、(わたしが期待した)映画の語りとは異なっていた。
前半に提示される要素が、最終的にオッペンハイマーのアカ/非アカを決定づける要素となっておらず、そういう意味では伏線になっていない。
なので、時間軸どおりでいいんじゃないかと思うわけで、そう思うのにはもう一つ理由があって、オッペンハイマーが「マンハッタン計画」主導時と戦後における変転は、やはり時間軸に沿って描き、「おお、そりゃ心変わりするよね」と納得させる演出が欲しかった。
あえて原爆投下後の広島・長崎の画を撮らず、露出過多で悪夢を描く演出は評価できるが、その演出も今回の語り口では、鬼面人を驚かすの域を出ていないように感じました。
さらに戦後政治に飲み込まれていくオッペンハイマーの対立軸のストロースがあまりに生臭く(つまり演技的には素晴らしい)、彼の政治的野心との対立みないな感じがするのもマイナス要素。
ということで、個人的には「ところで、オッペンハイマーってどんな人物よ?」と思ってしまい、意欲空回り的な映画かなぁとも思った次第。
のべつ流れる劇伴、うっとおしいなぁと思ったら、最終実験の際の無音演出、その後のオッペンハイマーのトラウマ演出への伏線だったのね。
この点は、おおおお、と思いました。
原爆が落とされるシーンはないが、日本人が見るにはやはり辛い
最初に、広島、長崎の原爆シーンはありません。会話とストーリー上ではでてきますが、主人公が自責の念に駆られ幻覚幻聴を感じるシーンで少し触れます。また、原爆の威力がわかるのはニューメキシコで行われるトリニティ実験のシーンとなります。
クリストファー・ノーランの作品らしく、終始暗いです。音楽も映像も暗いです。
オッペンハイマーが主導して原爆を作り実際にそれが日本に落とされたことで彼が苦悩、後悔することに映画化する意味があり、視聴者が救われると思います。これだけのことをして、葛藤、苦悩しないならば、それは人間ではありません。
時系列が何度も入れ替わり、カラー、モノクロ、関わる登場人物も多いので難解なところもありますが、科学者として、探求心、他からの期待、大義名分をもって開発を進め、実験、原爆投下、終戦、その後の没落まで丁寧に描かれています。
作品中に出てくる大統領とのシーンで、戦争で原爆を落とすという判断を下せる人は、良くも悪くもこんなに強いんだな、と深く考えさせられました。私は弱虫と言われようともオッペンハイマーのように自責の念にかられ苦悩する側の人間でいたい。
予備知識なく見て、アイアンマンのロバート・ダウニー・jrに似てるけど、いやーこんなおじいちゃんじゃないしなー、しかし似てるなあなんて見てたらやっぱりご本人でした。役者さんて本当にすごいです。ナイトミュージアムやqueenの俳優さんもいい役どころで出てますし、なかなか見ごたえありましたね。
オッペンハイマーの苦悩でもわかるように、原爆が開発される前の時代に戻れることはないわけで、、、現在核保有国も何か国もありますが。
今後、核で人類が人類を滅ぼすようなことがないことを祈りたいです。
語りたい要素満載
”新型爆弾”開発競争の中、政府・軍部から猛烈な督促を受けつつ迎える実験日。暴風雨。嵐は止むのか?実験は延期か?しかし主人公は天候を予測し5時半には実験ボタンを押す決意を周囲に告げる。夜が明けてくる。止まない雨。さーどうなる? 歴史的にはわかっていることなのに、ここへ向かっていく緊迫感が半端ない。夜明け、晴れあがる。音響による畳み掛けもマックス。そして遂に!無音が訪れる。スクリーンの中は火の渦。露光オーバーの人々の表情が次々アップでスライドしていく。一巡して爆音が突然戻るっ!ここへ向かって物語は前半を終える。
この実験が成功することはわかっているのに、「うまくいくのか?大丈夫か?」と客席からハラハラ見守った自分。
3分くらい続いただろうか。火球の嵐の最中から、激しい動揺が湧き上がり涙目になってしまった。成功しちゃったよ。声にならない。
この両面体験は、人によって様々だろうけど、もう、まぁ見事というか。やってくれちゃったね。はぁ、圧巻でした。
そしてまたキャステイングに痺れました。物語にはまりこんで、ストローズがスターク社長だとはしばらく気づかず、なんかヘンリー・フォンダによく似た人がしゃべってるなーと思ってみてました。他、要所にそれぞれ多数配役された脇役さんたちは、自分的にとても馴染みの主役級が多かったことも、語りたい要素の一つです。大統領が、同時期のチャーチルだったことも納得の配役というか。それらのことは、しゃべりたい欲求が込み上げるも逆に多くを語る必要がないとも思える。この映画に参加する意義とか。
ヒトラーより先に 〜 私は破壊者となった
秘密裏に行われた「 マンハッタン計画 」の主導者として招かれたアメリカの科学者ロバート・オッペンハイマーをキリアン・マーフィーが熱演。
何かに突き動かされるように原子爆弾の開発に力を注いだオッペンハイマー。
少し前にNHKで放送された「 映像の世紀 バタフライエフェクト『 マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪 』」のオッペンハイマーのリアルな表情が思い起こされた。本作では人としての弱さも描かれていました。その意図とは。
軍服姿のマット・デイモンに驚きました。本作でも熱演。
折しも今、アメリカのバイデン大統領と岸田総理による首脳会談がワシントンで行われている。日本はまたもや軍事国家へと突き進んで行くのでしょうか。
悲しい事に、人類は二度と核を持たない世界には戻れない。
ー ロスアラモス国立研究所
ー 君はアメリカのプロメテウスとなった
ー 諮問機関
映画館での鑑賞
ノーラン新境地
ノーラン作品なのでポリティカルな主張はないだろうと踏んでいた。それはその通りなんだけど、想像だにしなかった遠大なメッセージを突きつける新境地といえる大作だった。日本での公開を躊躇する理由は何一つなく、鑑賞した上で見送ったのであれば絶望的な知性の欠落である。いつもの時系列マジックは健在。
【追記】
ノーラン作品には珍しく謎を残さないどころかすごく親切に回答してた。
【追記によりネタバレ】
ツケで流されるたった10ドルの賭けとして演出された「大気の引火は起こるか否か」ラストカットでオッペンハイマーはその結果がどうあろうと我々人類が世界を焼き尽くす火を手にしてしまうことに恐怖している事が解ります。現実世界においてもそのツケは預けられたままであるという人類史上最大の脅威の存在を鑑賞者に突きつける、それこそがノーランのメッセージだと思ってます。アメリカの罪もイデオロギーや政争の愚かさも描かれておりそれらがストーリーの9割を占めますが、アインシュタインとの会話の内容が「もっと重要なことかも」と前置きされたことで、それらが霞んでしまうほど本作のメッセージが強いインパクトを持ったのも極めて巧みな脚本だと感嘆しました。
最後に広島県民として一つ。オッペンハイマーの吐露した「一度見ればもう使われることはない」というすがるような願い、だから私達は未来永劫その体験を世界へ発信し続ける必要があるのです。
終末の時計
Oppenheimer
名誉を享受するほかない。
後は連鎖反応は勝手に起こる、実験の最後、その眼で直接見たものがある意味で手を離す前の最後だ。そんなことはわかっている。
全ての強権体制の中で、議論に参加する人々は、何らかの当事者になるか逃避するかしかない。
共産主義も民主主義も、最終的に同じ兵器へと行き着く。思想は何を利しているのか。スパイは確かに存在して、国家は同胞たちを守る。
投下シーンの不在が話題に。当時の世界の反応として、皮肉的に描かれていたようにも感じられた。
激動の世界の中で、人はその思想を、人生の途中でも変えることができる。そして経験の中で再び戻すことも。しかし、進む時計の針を、世界が同時に戻すわけにはいかない。
音量と画面圧がすごい
本日やっと鑑賞
ノーランハズレなし
オッペンハイマーが前半しか研究してなくて
後半はチームリーダーでまとめ役のみにみえた
また、後半の諮問会のシーンからのラスト
脚本がよいね
劇中モノクロ画面になるのだけどそこもまたよい
アインシュタイン激似です。
しかし、盛り上がる時の音量大きい〜!
最近洋画エッチシーン多いなあー
じんわりと名作の域に
正直半分あたりまで不倫やら裁判やらばかりでうんざりでしたが、実験から日本原爆投下までのながれで一気に背筋が伸びました。確かに実験の描写はゴジラ-1.0や他の視覚効果賞ノミネートに比べたらディティール、スケール感、立体感は地味で大人しいのですが、そこはノーラン監督。
それまで不快であった不倫やら裁判やら泥沼の人間劇で知らぬ間に距離感が縮められるリアリティの魔法が仕掛けられており、残酷な広島長崎描写は無いものの、実験と教会時の黒焦げた遺体と周りの人間が錆びれ吐き気をもようしている描写だけで原爆の恐ろしさがスクリーン向こうから充分伝わってきました。
はだしのゲンや原爆資料館で見てきた体験より、原爆被害の凄まじさが想像され戦争に対する貴重な追体験ができました。
これだけでも反戦争、原爆へのアンチテーゼ効果として賞賛に値するかと思います。
その後はまた裁判ですが、解決に向けての流れなのでサスペンスの結末を観れるスッキリ感、アインシュタインとの対話、ジョンFケネディの暗殺?に繋がる布石などフォレスト・ガンプにジョンレノンが出てきたような贅沢感も少し味わえ、個人的には有意義な体験となりました。
ノーラン監督の巧みな人心把握術の組み込みにより、明らかな名作!感動作!では無いものの総合的にじんわりと名作の域に達しているかと思います。
ゴジラ-1.0ほど2桁リピしたいとは思いませんが間違いなく観て良かったと思える作品でした。
音圧で鳥肌。
IMAXにて鑑賞。人物描写が多めな映画なのでIMAXで無くとも良い気もしますが、音の演出にかなり揺さぶられるので爆音音響のIMAX鑑賞は正解。最初の足踏みドンドンやオッピーの天才ぶっ飛び妄想中の音響表現などは凄まじく圧巻。コレを浴びにいくだけでも観る価値ありますわ。そしてラストのアインシュタインとのやり取り。全身に鳥肌が。恐ろしい。
核爆発に向けて進んでいくシーンの緊張感が凄かった
〔60代男です〕
本作は劇映画の作り方を完全に理解している熟練者だけが作れる作品だ。
同じことを未熟な者がやろうとしても、こんなにうまく仕上がるもんじゃない。
普通どおり、たくさんのシーンのモンタージュで構成されていることに変わりはないのだが、現在時間の表示もせずに時間軸をたびたび前後させ、それでも観ている者に勘違いさせることもなく、バラバラに分断されている印象にもならず、BGМの力も借りて、3時間の上映時間全体を切れ目のない一つながりのものとして有機的な塊に仕上げることに成功していているのだ。
物語としての一本の道ではなく、オッペンハイマーという科学者の人生全体が、ひとつの印象として心に残るようになっている。
だから観終わっても、あのときこうしたらどうだった、とか、あのときこいつの正体を見抜けていたら、みたいなことは感じず、全体で大きな一つの印象だけを与える作品になっているのだ。
3時間にもなる大量の映像を、まったく混乱もなしに、これほどなめらかに一つながりに仕上げられるのは、並大抵の才能ではない。
おはなしは、第二次世界大戦中のアメリカ。
ドイツより先に原子爆弾を完成させることの重大性を意識する将校マット・デイモンは、主人公の優秀な物理学者オッペンハイマー/キリアン・マーフィを、原爆開発計画マンハッタン・プロジェクトのリーダーに抜擢する。
主人公は、優秀な物理学者とその家族を呼び寄せ、砂漠地帯ロスアラモスに原爆開発のためだけの厳重に管理された町を作り出し、原爆開発に没頭する。
そして史上初の核実験に成功し、その場にいた現場スタッフ一同と軍関係者は歓喜に包まれる。
その後、主人公は、自分が送り出した2つの完成品が広島と長崎に投下されたことをラジオのニュースで知る。
称賛を浴びて持ち上げられるが、恐ろしい兵器を生み出して実際に使用されたことが罪悪感として重くのしかかる。
政府も周囲の軍人も、次なる水素爆弾の開発に向けて動き始めたので、良心を持ってそれに反対する主人公は邪魔者あつかいされ始める。
世界的に注目された主人公に嫉妬と悪意を持つ、原子力委員会の議長ロバート・ダウニー・Jr.は、評価を地に堕とすための聴聞会をセッティングし、主人公の下で働いていたテラー博士を始めとする悪意ある科学者たちを証人に、主人公を危険な共産主義者で、最初からソ連のスパイだったというとんでもない容疑までかけて糾弾する。
この悲惨な後半は「ハドソン川の奇跡」「リチャード・ジュエル」のメインで描かれていた話とそっくりで、マイケル・ジャクソンもそうだったが、アメリカでは称賛される英雄がいると、それを悪意を持って破滅させようとする人たちが出てくるようだ。ひどい話。
主人公が非常に穏やかな人柄で、誰に対しても態度が紳士的すぎるため、彼に悪意ある人間の言動に対しては、代わりに妻エミリー・ブラントが腹を立てる言動で、観客が勘違いしないよう配慮されている。
腹立たしい人間が連続して出て来たあとに、良識ある発言をする人を出して溜飲を下げてくれるので、気分は暗くならない。
幸い主人公は破滅させられずに終わるものの、核開発は手の届かないところへ行ってしまうので、ハッピーエンドにはならない。
あとアメリカ映画では核爆発が出てきても、放射能による被害はいつも無視されるものだが、本作でも同様なのだけは残念な点。
ロスアラモスにだって被爆者はいたはずだ。
ここでの原爆は、あくまで超強力な爆弾、というだけにすぎない。
それと自殺してしまう愛人フローレンス・ピューを出すのは必要だったのか。彼女が全裸で出てくるシーンさえなければPG12の年齢制限もなくせただろうに。
主人公が仕事一筋の堅物ではなかったことを、浮気で描いておきたかったのかもしれないが、僕は不要に思えた。しかしこんな美人の物理学の教授なんているのか?
天才科学者ボーア役にケネス・ブラナー、トルーマン大統領役にゲーリー・オールドマン、アインシュタイン役にトム・コンティ、計画に参加した学者仲間でジョシュ・ハートネット、ほかに政府関係者にデイン・デハーン、ラミ・マレック、マシュー・モディーンほか。
聴聞会での原子力委員会側の弁護士ジェイソン・クラークが主人公をネチネチといたぶる腹立たしさは、役者が演技をしているということを忘れて憎しみを感じるほどだった。
ロバート・ダウニー・Jrも、これほどの嫌われ役は初めてだ。
のちに水爆を作りまくるテラー博士は、悪名高いキチ○イ博士として有名だが、それにふさわしい描かれ方をする。まあ、こういう人間だからキチ○イ博士と言われるんだろうが。
日本には悲しいかなあ!!トム・コンティさんが登場時感激しました‼️🤗
昨日AU マンデーのためTOHO新宿にて鑑賞しました
ここからネタバレします
体力と集中力が低下していたので2回ほどウトウトしてしまいました
原爆の父と言われるオッペンハイマーの栄光と没落⁈の伝記映画でした
世界大恐慌の最中に労働組合に関わり
そしてドイツが原始爆弾の開発が発表されてアメリカが2年遅れで原始爆弾💣のために街を作り開発します
さすがアメリカ🇺🇸です
土地が広いですね😆🤗
そして目的のドイツが降伏しますが日本が戦争やめないのでそこで急いで実験成功して使用します
その後ダウニーに逆恨み⁈で没落と
原始爆弾の使用で葛藤します
後半の没落が少し長くかんじました
この労働組合や赤狩りやスパイに対しての取り組みや水素爆弾などの描き方は良かったと思います
ただやはり日本人の私からすると実際に原爆を使用された国民からすると悲しく😭くかんじました
あれだけ実験の場面は迫力と凄さ
爆風が時間差で表現されてましたが
成功と同時に威力に葛藤しました
私なら使わないように働きかけて欲しかったです
人間関係も恋人、友人、大学関係、政治、軍人、兄弟、思想、など丁寧に描いていたとかんじました
今回はアルベド・アインシュタイン役のトム・コンティさんが登場した時には
驚きと嬉しいさで心拍数爆上がりしました
実際には見たことはありませんが
♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪😭🤗
この映画の関係者の皆様お疲れ様です!!
ありがとございました
♪( ´θ`)ノ🤗
この映画は過去の日本人とアメリカ人だけに関係する話ではない。今、世界を生きている人々の生活に潜むおぞましい黙示録。
オッペンハイマーという人物は、政治的に考えればアメリカ人にとっては正義でなくてはならず、日本人にとって彼は広島と長崎の多くの命を奪った悪魔でなくてはならない。それらは絶対に相入れないイデオロギーだ。
映画「オッペンハイマー」の一番凄い所は映画が結論を代弁するのではなく視聴者に彼の倫理的責任に対する呵責や判断を委ねている所だと思う。
映画ではどちらの視点の議論も間接的に傍聴会で提示した上で、あえて結論は押し付けず「君は彼をどう思う?」と投げかけているのが上手い。この映画はアメリカ人にも日本人にも結論を与えない、だから「これは傍聴であって"裁判"ではないので証拠は必要ない」と劇中何度も釘を刺している。
しかし、これを逆手に解釈すると理論上この傍聴会が「ニュルンベルク裁判」「東京裁判」に続くアメリカの戦争犯罪を裁く幻の"第三の国際軍事裁判"であった事が示唆されている。その意味でこの映画はこれまでの戦後史を根底から覆す視点を両国及び世界に示しただろう。
オッペンハイマーは、愛国心があれど共産主義に加担していた点でアメリカ人にとって"完璧な正義(ヒーロー)"ではないし、一方大統領に対して「私は自分の手が血塗られているように感じます」と語りトルーマンを激怒させたオッペンハイマーは日本人にとって"完璧な悪魔"でもない。しかしその両方を併せ持つ人物であるからこそ「オッペンハイマー」という映画を見終わった後にどの様な感情にさせられたのかすら分からない感情を日本人と米国人の両方に植え付けるのだと思う。
聴衆会で登場する発言が所々、現実で録音された「ノンフィクション」である以上、解釈を許さない場面とそうでない場面が矛盾を起こし、人々が映画を見る前に持っていた絶対的正義心を逆撫でし更に複雑な心境にさせる。日本人とアメリカ人はこの映画において真逆の歴史的観点から、オッペンハイマーというおおよそ両国人のスタンダードとは言えない経歴を持つ科学者という「防護メガネ」を通して感情移入し、最後に全く同じ心境(風景)を追体験する事になる。
最後のアインシュタインとの伏線が「いつオッペンハイマーが原爆に罪悪感を覚えたのか?」という傍聴で明らかにされなかった答えそのものになり、同時にとんでもないどんでん返しになって恐ろしい程の衝撃を覚えた。この映画はトリニティ実験における原爆実験がアメリカにとってナチスと日本に勝てるかどうか、レズリー将校の首が飛ぶかどうかと言う賭けだったのに対し、科学者にとっては爆発が世界全体を破壊するか、それともニューメキシコだけを破壊するかという「賭け」だったというとんでもない暴露を明らかにした。それまでの日本とアメリカに対してだけの問い掛けから「つまり地表に住んでる限りどこに隠れても原爆によって"大気に引火"するかも知れない恐怖に慄くことになっている現状について皆さんはどう思われますか?」と問いかけの対象が世界にまで飛躍している。ソ連がアメリカに核攻撃した瞬間世界が消滅するかも知れない。こんな議論がかつてあったなんて世界中の歴史教科書を覗いても書いてあるんだろうか?
それは科学者でさえ半ば懐疑的で賭けに興じるほどには信じていなかった。これを映画ではなくただ友達から聞いたら陰謀論だと思ってまともに取り合わなかっただろう。しかしオッペンハイマーの狂気にはそれを世界に生み出してしまうのではないかとヒヤヒヤする”凄み”がある。原爆の父オッペンハイマーと水爆の父テラーが対話し、「なぜあなたは臆病にも水爆を生み出そうとしないのか?」と激論しているが、水爆の行く末が「プロメテウスの炎」である事を理論屋であるオッペンハイマーとアインシュタイン(伝えられた)だけが知っているという怖い話。
アインシュタインは一貫して知的にオッペンハイマーに嫌味を言って煽っていた。「僕より優れてる気になってるけど僕の理論が無ければ君の功績はないよ、それに僕は亡命してでも科学を推進する強かさがあるし君より凄いよヘヘン」みたいに言うとオッペンハイマーが暗い表情で「ええ、あなたのお陰で地球を滅ぼすプロメテウスの炎(理論上、しかし理論屋には既に”見えてる”)を手に入れました、これであなたも世界を滅ぼした共犯者ですね。」と返してあのアインシュタインを閉口させている。
その重大さを悟ったアインシュタインは、現在絶賛炎上中の ロバート・ダウニー・Jr演じる原子力委員会委員長ストローズがこれから世界を滅ぼす男になるかも知れないので顔も合わせる事ができなかった。劇中でストローズに対しオールデン・エアエンライクが演じる側近役が話していた「2人はもっと重要な事を話していたのでは?」という軽い問いかけに重い答えがのし掛かる。
劇中の登場人物である「ストローズの炎上」と役者である「ロバート本人の炎上」が重なるが、それはまるでネットの炎上とは、SNSが生み出した国境を超え燃え続ける"言論"のプロメテウスの炎(原爆)と見紛うようだ。それはもしかしたら世界を燃やし破壊し尽くすかも知れない。
彼は原爆に罪悪感を抱いてる様で居ながら、自身の原爆プロジェクトの名前にノリノリで「トリニティー=神」の実験であると命名している。彼の中には相反する内なる爆弾を抱えている。彼にとってその線引きが原爆(fission)と水爆(fusion)の違いであったのかも知れない。後年の研究では、水爆が世界を滅ぼす為にはTNT換算2000万メガトン(世界最大の水爆"ツァーリ・ボンバ"の100メガトンの更に200万倍に相当)と海中に実際に存在する重水素の20倍の密度が無ければ"ゼロに近い"と言われている。しかしオッペンハイマーという理論屋には既にそれが見えていた。それは、この映画がただ原爆の誕生までを回想しているのではなく、今現在の我々から見た原子力の危険性を示している事が一番最後のシーンで視覚的に明らかになる。
この映画は「インセプション」の様な緻密な心理描写と「インターステラー」の様な天文学的スケールで描かれる壮大なSF要素を組み合わせた「ノンフィクション」映画史上最大のスケールであり、クリストファー・ノーランによる作品の集大成とも言える。
"कालोऽस्मि लोकक्षयकृत्प्रवृद्धो"「我は死神なり、世界の破壊者なり」
アインシュタインの帽子の飛ばされ方
エミリー・ブラントが良かった。
アインシュタインの帽子の飛ばされ方は、あれが正解だったのだろうか。テーマが近い『風立ちぬ』における飛ばされ方をあらためて確認したい気になった。
相変わらず「複雑」で「難解」、炸裂する音と光、圧倒的スペクタクルと美的センス!
やはり映画は映画館で体験してこそ!
とは思いつつ、どうも今回はダメだった。
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圧倒的な音と映像で語られる、戦争とイデオロギーの対立に翻弄された天才科学者の栄光と没落を描いた壮大な物語…ではあるのだが、叩き上げの政治屋が天才科学者への個人的な恨みを晴らして成り上がろうとするものの結局うまくいかない、というお話。
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180分間に、このショットを見られて良かったという実感はなく、映像と音には驚くものの、次の瞬間には「10年前に『インターステラー』でじゅうぶん(いやむしろこれ以上のものを)観たぞ」と思ってしまう。
SFに振り切った『 #インターステラー #interstellar 』や、『 #テネット #TENET 』では楽しむことができたスペクタクル性が、あるいはめくるめくスペクタクルを期待して観た『 #ダークナイト #darkknight 』シリーズでは不満を感じなかったそれが、『 #オッペンハイマー 』では単にショットが撮れていないことの隠蔽にしか感じられず、当然、敵軍が押し寄せるまでの時間的猶予が無いという設定をきちんと短い時間で処理してみせた『 #ダンケルク #dunkirk 』のような慎ましさは微塵もない。
たしかに、誰かの半生を「真面目に」描こうとすれば安易に話を切り詰められないのは分からないでもないのだが、さすがに180分もかけなければ撮れない内容とは思えず、粘着的な聴聞会と公聴会をグッと省略するだけでも2時間を切れたのではないか。
フローレンス・ピューのベッドシーンやキリアン・マーフィーが聴聞会で文字通り丸裸にされるシーンなどは最悪で、「見せられるものは全部見せてやろう」という品の無さが漂っているとしかいえず、爆発の炎や光の映像と同列に扱われるスペクタクルとしてのヌードに、もはや怒りを通り越して呆れるのであった。
撮る人が撮ればそれだけで涙が出てもおかしくはない、ニューメキシコの大地を馬で駆けるシーンさえ、まるで「伝記で乗馬が言及されていたからとりあえず撮った」かのよう感じられ(言及されているかどうかは知らない)、そこに何かしら映画的な馬の疾走があるわけでも、物語を語る上で必須のシーンだと感じさせる説得力があるわけでもなく、あるのはただ上映時間を引き延ばす一連の映像だけだった。
フォロウィング、インソムニア、プレステージの3作は観れていないので観る。
#映画 #映画館 #cinema #movie #theatre #theater #cristophernolan #oppenheimer
プロメテウスの火
原子爆弾とはウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂を使用した核爆弾であり、核分裂と同時に平均2.5個の中性子が飛び出し、連続して核分裂が起こることによって、放出されるエネルギーは巨大なものとなる。
というのが原子爆弾の仕組みの簡単な説明なのだが、この理論だけを聞いても具体的なイメージは沸かない。
が、日本人ならば実際に原爆を経験した者でなくても、様々な資料を通してその悲惨さを十分に承知しているだろう。
理論と実践の間には大きな隔たりがある。
この映画が公開される前に、広島・長崎について全く映像で触れられていないことが話題になっていた。
今回この映画を観て、広島・長崎を映さなかったのは完全に意図的であると感じた。
3時間という大長編であるにも関わらず、この映画は描かないところは徹底して描かない。
オッペンハイマーという人物に関しても深く掘り下げられているとは言えない。
だから観客は彼になかなか共感することが出来ない。
最後まで彼の真意は観客の想像に委ねられたままなのだ。
この映画は実践ではなく、かなり理論的な方向に舵が切られていると感じた。
映画の流れとしてはナチス・ドイツよりも先に原爆を完成させ、世界に平和をもたらすという使命を帯びたオッペンハイマーが、救世主から一転して祖国を裏切ったスパイの容疑をかけられ、再び名誉を取り戻すところまでを描いている。
建前としては世界に平和をもたらすことだが、ドイツやソ連よりも先に原爆を完成させることで主導権を握りたいというのがアメリカの本音だろう。
そしてこれも想像なのだが、オッペンハイマー自身にも自分の才能を世界に知らしめたいという野心があったはずだ。
原爆を投下すれば多くの命が失われることは当然彼の頭にもあったはずなのだが、彼はその先を想像することが出来なかった。
広島・長崎の惨事は映し出されないが、初めての原爆実験の様子はかなり生々しく描かれている。
何度もこの映画の中で爆発を連想させる映像が挿入されるが、このシーンはやはり衝撃が強い。
こんなものを投下すればどれだけ悲惨な結果になるかは明らかだ。
そして原爆は投下され、オッペンハイマーにとっては見ず知らずの大勢の命が失われてしまう。
彼は成功者として、救世主として多くの民衆に称えられる。
しかし演説の場で、誇らしい言葉とは真逆に彼が見ている光景は原爆の光によって焼き尽くされた人々の姿だ。
彼は罪悪感に苦しめられ、一刻も早く手を引くことを考える。
しかし劇中のセリフにもあるように、原爆の投下は第二次世界大戦の終わりであると共に、ソ連との新たな冷戦の始まりでもあった。
アメリカ側は何としてもソ連に勝つために原水爆の研究は続けたい。
しかしオッペンハイマーは公に核軍縮を唱え、反対の立場を取る。
彼はいつしか原子力委員会の委員長であるストロースに告発され、ソ連側のスパイとして断罪される立場になってしまう。
この作品を観て感じたのは個人の力ではどうすることも出来ない大きな流れだ。
オッペンハイマー自身がいくら抗ったとしても、別の適任の人材が現れるだけで時代の流れは止められなかっただろう。
なのでこの映画を観てとても無慈悲な印象を受けた。
彼の真意は分からないが、彼もまた一人の弱い人間だった。
最初はとても繊細な印象を受けたが、彼は自分の知能に絶対的な自信を持っていた。
そこが彼の強さでもあるのだが、絶対的な自信は傲慢にも繋がる。
彼が自身を含めてあまり人を幸せにすることが出来なかったのは、その傲慢さ故なのだろう。
全体の流れは分かるが、時系列が前後したり、視点が細かく切り替わるのでかなり理解するのが難しい作品だと感じた。
と同時に3時間の長編にも関わらず、集中力が途切れないのはこの細かいカメラの切り替わりとシーンの繋ぎ目の絶妙さであり、やはりクリストファー・ノーランの才能は凄まじいと感じた。
世界の覇権を握るための道具としての核兵器と″原爆の父″オッペンハイマーの苦悩
ユダヤ系アメリカ人の天才物理学者オッペンハイマーはナチスドイツの原爆製造の動きに憂慮し、世界平和の大義名分のもと、原爆製造に手を染める。結局、ナチスドイツは原爆を完成させることもないままに、またアメリカが原爆を使用することもなく降伏するが、日本の抵抗(すいません、アメリカ目線で)もあり戦争は継続し、原爆製造の研究は続けられる。これには同じ連合国側であったソ連を牽制する意味も含まれていた。そして広島・長崎への2発の原子爆弾を投下する。オッペンハイマーは憎き日本を降伏させ、戦争は終結させた英雄としてアメリカ国民から大変な称賛を受ける。そして原爆を保有するアメリカは絶対的強国として世界に君臨することにもなる。
しかしオッペンハイマーは予想を遥かに上回る原爆の威力を目の当たりにして後悔の念を強くする。また原爆はそれを作り出した科学者達の手を完全に離れ、覇権争いのための政治家達の道具(大量虐殺兵器)になってしまったことを痛感する。
ソ連との覇権争いの中、原爆を遥かに上回る威力を持つ水爆製造へとアメリカは動く。原爆製造の立役者としてオッペンハイマーに水爆製造の中心になるべく白羽の矢が立つが、オッペンハイマーはこれに非協力的な姿勢を明らかにする。そんな中、原爆研究チームの中にソ連のスパイがいたことが発覚し、さらにオッペンハイマーの周囲(妻、恋人、弟、友人)に多くの元共産党員がいたことが問題となる。戦後のアメリカの支配層であった政治家、実業家達の策謀によるあの悪名高い″赤狩り″、そして原子力委員会の委員長でもあった野心家のストローズ(政治家?実業家?軍人?科学者ではない)の策謀も相まってオッペンハイマーはソ連のスパイとの嫌疑がかけられてしまう。
結局、スパイの疑いは晴らされるが要職からは外され、不遇の晩年を過ごすことになる。最終的には名誉は回復することになるが、この地球をも破壊しかねない核兵器の製造に携わったことに彼の人生は虚しいものになる。
一人の天才科学者の人生を辿るなか、核兵器とは何か、また戦後の世界情勢について深く考えさせられる映画でした。また、化学物質や化学反応などを表現する不思議な映像はいかにもクリストファー・ノーランらしく、核兵器の不気味さ恐ろしさを効果的に表していた。
何故公開が遅れたのか理解に苦しむ
この作品は原爆の物語では無く、原爆を作り出してしまった科学者の物語である。人類の未来を良くするために発明したものが悪用される事はよくある。近代ではAI技術の発展も目まぐるしいものがあるが、人類の作業効率を上げるものとして期待される一方で軍事利用などの懸念もある。
そうした場合にそれらの開発者は罪に問われるのか。
劇中で「原爆で恨まれるのは開発者では無く、落とした者だ」という台詞がある。
オッペンハイマーは原爆を抑止力として開発をしていたのでは無いのだろうか。
だが残念なことに「原爆」に関するものが全てセンシティブなものとして扱われている様に思う。
被害国として原爆のことを伝えていく為には原爆の事を理解しないといけないし、加害側の心境も理解しておくべきでは無いだろうか。
幸い、この映画での日本描写はそれほど悪く無い。
直接的な描写は無いにしろ、関連する台詞は多く、事後の当人達の苦悩も描かれている。
映画を観終わった時に原爆に対する興味を持ち、各々で調べて理解する事に意義がある。
表現の自由だのを謳っている国で扱っている内容次第で公開すらされない様な事態になる事が理解に苦しむ。
多くの人に知ってもらうという機会を自ら無くしている事にいい加減気づいて欲しい。
反戦映画になっていることは評価できる
観たくない気もしましたが、観ないと後悔すると思い、通常版を鑑賞しました。勝った側の論理で描かれますが、方向性としては悪くないと思いました。国の為に働いた結果、人類に制御しきれない力(原爆)を与えてしまったオッペンハイマーをプロメテウス、彼を利用した米国は神の力を得た傲慢で愚かな人類、という形で描いているのは評価できます。
中心となるのはやはり原子爆弾の成功ですから、日本人としては原爆投下後の日本のシーンも入れてほしかったです。ただ、何年か前に、アメリカで原爆展を企画したら、反対運動が起こって開催できなくなったという事がありました。だから、本作に広島・長崎を入れると、上映しない映画館が出て来たかもしれません。
それを考慮しても、やはり私の評価は少し下がります。
本作は、共産党員との関係、原爆作りにまい進する様子、トリニティ実験、その後の栄光からの転落が描かれますが、時系列が行き来して複雑です。実験の成功に最初は満足し、後に後悔する心の動きの表現はもっとストレートで良かったのにと思います。
映画というものは耳よりも目から入ってくる情報が圧倒的に印象に残ります。
本作の中でも、「実際にやって(経験して)みないと分からない」という趣旨のセリフが2回ほどあります。
本作では会話の中で原爆の影響に触れてくれていますが、死者が何万人とか、一度に多くの人が火傷したとか言うだけでは、アメリカでは字幕も出ないのだし、残念ながら実感がわかない人がいたでしょう。つい最近、アメリカの議員が、「ガザも広島・長崎みたいにすればいい」と発言しています。
トリニティ実験も迫力が足りません。私が受けた衝撃は、昔、「バックドラフト」を観て火事の炎の凄まじさに圧倒された時とさほど変わりません。あの無音状態から数秒後の爆音と振動で、日本の観客は恐怖を感じますが、それだけでは分かりにくいのです。幻覚のシーンにCGを使っていれば、拍手する聴衆が瞬く間に塵のように崩れ去るような表現が出来たのにな、とちょっと残念です。
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