オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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山本五十六が真珠湾攻撃をしなければ原爆を落とされることはなかった
当時のアメリカ世論は戦争反対。
しかもルーズベルトは戦争をしない事を公約に掲げ当選していた。
つまり攻撃されない限り絶対に戦争できない状況だったのである。
ヒトラーはこの事を良く知っており、
どれだけ米軍に挑発されても反撃しないよう独軍に厳命していた。
実は日本もこの事を知っていた。
したがってアメリカとの戦争は避けると言うのが日本の戦略だった。
ところが、唯ひとり山本五十六だけが真珠湾攻撃を主張。
部下を恫喝し、上官には辞任をちらつかせ脅しをかけた。
米軍トップのスティムソンは真珠湾攻撃をしなければ、
日本は勝っていたと明言している。
日本の戦略は南進して石油を確保した後、インド洋を制圧。
これでインドを独立させる。
インド洋を制圧することによって英、ソ連、中国の補給を遮断。
ドイツ軍と中東で合流して石油を押さえる。
スティムソンの言う通り枢軸国の完勝である。
真珠湾攻撃でアメリカを参戦させ、ミッドウェイ海戦で惨敗。
ダメ押しのガダルカナルで日本の敗戦を決定づけた。
愚将五十六によって広島長崎の惨劇がもたらされたと言っていい。
原爆を作ったオッペンハイマーには何の責任もない。
包丁で殺人事件が起きても包丁職人に責任がないのと同じ事だ。
原爆を民間人に落とす事は国際法違反であり戦争犯罪である。
この戦争犯罪を犯したのは誰か。
トルーマンではない。
ルーズベルトとチャーチルである。
ハイドパークでの会談で原爆投下が決定された。
《When a ”bomb” is finally available, It might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender.》
原文は、英米首脳の合意・了解事項として、
原爆投下目標は(市街地で暮らす)〝人間であり、日本人〟と明言し、
〝降伏しなければ、「繰り返し」投下し〟
ほぼ全滅させる趣旨を警告するとしている。
怖かった。
無意識にて、トリニティ実験に自分が参加しているのではないか思うほどの、緊張感。
日本人だからかもしれないが原爆実験が成功したのちの拍手喝さいのシーンは、技術者は理解できていますよねその後を。しかし拍手喝さい。イメージシーンと相まって、自分の感情が揺さぶられているのを感じるし、映画のオッペンハイマーも感じている。
没入感が強すぎて、気持ち悪くなるぐらい。
音響と音楽が凄まじいのでぜひ映画館で観ることをおすすめします。
深い
日本人として複雑ですが、科学者も政治に巻き込まれたということですよね。
アインシュタインも核兵器を懸念していたという話は聞いたことがありますが、オッペンハイマーもそういう葛藤があったのではないでしょうか。
映像はさすがノーラン監督で、見応え十分でした。
今回は最初から最後までしっかり観れたし、うとうとしませんでした!笑
前のアカウントを忘れてログインできなくなってしまったので作り直して、コメントです。
これからも常連さんのコメントも楽しみにしてます!
原爆への嫌悪感の正体
科学をテーマにした作品を
描いてきたクリストファーノーランが
原爆の父の半生を描いた本作。
日本人に生まれ戦争と向き合ってきた中で
当時のアメリカ国民に対する計り知れない憎悪がある。
その憎悪の正体は
科学者の飽くなき好奇心、
不可避の運命を受け入れる臆病、
未来を無視した近視眼的な怠慢、
であり、いま自分はそららを
受け入れていることを思い知らされた。
前半の「科学者の成功物語」と
後半の「自責の物語」に分けた構成はお見事。
原爆の実験成功後、歓喜の関係者を前にスピーチをするシーンが特に印象的だった。
そして出番は少ないものの
アインシュタインの言葉が秀逸だった。
ダレ場無し。怒涛の3時間
原爆投下まての2時間は怒涛のノーラン劇場。
これでもかというくらいノーランくんが畳み掛けてくるので、観客はそれに振り落とされないようただただスクリーンに釘付け。
そして原爆投下後はロバートダウニーJrの見せ場がこれまた怒涛のように畳みかけてくる。
それまではマットデイモンよりも露出が少なかったのが、ここからの展開でロバートダウニーJrがアカデミー取ったのも納得の演技。
次から次へと主役級スターが出てきて、内容的にもかなりややこしいのに、それを判り易く見せてしまうノーランくんの手腕も凄い。
ただ、原爆投下のところは日本人としては複雑なものが、、、とはいえ、それを差し引いても、圧巻の3時間でした。
複雑(いろんな意味で)
思ってたのと違って、法廷劇のような質疑応答の場面が多いのと、当時のアメリカ政府高官や科学者が多く出てきて、名前と顔を覚えるのが大変(笑)
赤狩り、共産主義、ソ連、この辺の事を知ってないと厳しいかと…
メチャクチャ楽しみにしてたのに、大部分は退屈で眠かったです(笑)
本格的に面白くなったのは、日本という単語が出だした1時間30分ごろから。
広島、長崎、京都、という単語も出てきます。
時間がシャッフルされてて、カラーとモノクロで視点が使い分けられてたり、分かりずらい(笑)
面白かった、ってより、まあ良かったです(笑)
1回観ただけじゃ理解しきれず何回も観るべき映画でしょうね(笑)
爆発音だとか音や迫力が重要な映画だと思うので、音がデカくて大画面のIMAXで観てほしいです。
IMAXで観たんだけど、爆発シーンの音や迫力がスゴくて、本物ぽかった。
本当に爆発してるような音と本物の爆風のような迫力を、ぜひ劇場で体感してほしい。
個人的に大部分は退屈で眠かったんだけど、良かったシーンは良かったし、超豪華なキャスティングだったり、この評価になりました。
超豪華なキャスティング陣の中では、キリアン・マーフィー、フローレンス・ピュー、が特に良かった。
最後に言わせていただくと、この映画が描くのは原爆そのものじゃなく、原爆の父オッペンハイマーです。
ノーラン
大好きなノーラン作品だから初日に!!
初っ端キリアンが出てきただけで、感慨深くて嬉しくなった!
ノーラン、ノーラン、るんるん♪って思ってたら、内容るんるんじゃねーし!!
私が無知なのもあるし、会話のテンポが早いし、言葉が難しいしで、内容理解するのが難しかった!
もう一回観ないとわからない!って思ったけど、もう一回観るには長すぎる!!
でも観てる時には不思議と長さ感じないのよね!
そしてしっかりノーラン作品の雰囲気も感じさせてくれる!
むずーーーーーい
クリストファーノーランの映画ということもあり、難しそうだと思ったので、いろんな予習動画を観てから今作を鑑賞。
予習動画を観たから大体わかるだろうと思って観ました!
だけど、本当に最低限のことしかわからなかった気がします。
専門用語が多いのは知ってましたが、ここまでとは・・・笑
ほぼ全てのセリフや字幕に専門用語があると言っても過言ではない。その専門用語の意味を考える暇もなくまた次のセリフに行ってしまう。
また、時系列も複雑で、時系列を理解するのも大変でした。
難しかったのが第一印象ですね。
本編は多くのシーンが音楽やBGMが使われている。また、音響と映像の迫力は圧巻でした。
最後になりますが、専門用語が理解できれば、もっと今作を楽しむことができたでしょう。
被爆者から目を逸らした無邪気な男の伝記
字幕版を鑑賞。「インセプション」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」と傑作を次々と発表して来たクリストファー・ノーラン監督が、遂にアカデミー作品賞や監督賞などを手にした話題作であるが、ここ何年もずっと続いたアカデミー作品賞の出来の悪さに嫌気が差していたので、受賞は私には何のプラスにもならなかった。
オッペンハイマーを人間的な生臭さも含めて描こうとする姿勢は、最近の伝記ものには珍しくない趣向である。濃厚なベッドシーンがあるのでR指定になっている。3時間もの尺の長さは彼を成功者として描こうとしておらず、マンハッタン計画やトリニティ実験も通過点に過ぎず、多くは第二次大戦後のアメリカで吹き荒れた赤狩りに伴う原子力委員会の聴聞のシーンに費やされている。
最初はハーバード大を飛び級の3年で首席で卒業し、その後英国のケンブリッジ大やドイツのゲッティンゲン大に留学した理論物理学者で、6ヶ国語を自由に操り、資本論なども完読するなど、頭脳の働きは只者ではないことが示されるが、彼とその妻の本質は実に未熟である。恋愛や結婚も成り行き任せで主体性がなく、ブラックホールや核分裂の話は誰よりも詳しいのに、泣きじゃくる我が子や育児ノイローゼで酒浸りになる妻に対して何ら画期的な解決法が見出せない。
マルクスなどという俗物が頭だけで考えた共産主義に好奇心だけで易々と仲間入りし、党員にはならなかったにしても周囲に共産党員の出入りを拒まず、原爆開発にまでタッチさせていたというのだから、現代の感覚で言えば信じられないほどの無邪気さである。日本で言えば、東大卒にもかかわらず頭だけで行動して周囲の迷惑など歯牙にもかけない鳩山由紀夫や福島瑞穂のような出来の悪い人間の典型で、その考えの足りなさは許し難いほどである。
当初の核爆弾にはその材料によってウラン型とプルトニウム型があった。ウラン型はバレーボールサイズのウラン 235 を集めるだけで勝手に核分裂の連鎖反応が始まるので実験の必要はない。広島に落とされたのがウラン型だが、ウラン型原爆は材料集めと濃縮が大変過ぎて、米軍が作り出せたのは広島に落とした1発だけだった。核燃料は2分割してシリンダーの両端に置いて、片方を通常炸薬の爆発の勢いで相手に向けて放り投げて合体させるだけなので、爆弾の形はシリンダー型となる。
長崎に落とされたのはプルトニウム型で、ソフトボールサイズの材料で作れるが、ウランと違って集めるだけではダメで、周囲から力を加えて圧縮する必要がある。核燃料は 32 分割してそれぞれに通常炸薬を背負わせて、火薬のそれぞれを同時に爆発させて中心で一体化して圧縮する必要があり、爆発的に圧縮するので爆縮といい、難易度が高いので実験が必要である。爆弾の形は球形に近いものになる。
水爆はプルトニウム型原爆をリチウムと重水素の化合物でくるみ、原爆のエネルギーを利用して重水素の核融合を起こすもので、爆発のエネルギーはプルトニウム原爆の 1000 倍ほどになる。重水素の核融合だけなら放射線被曝の心配はないのだが、起爆剤にプルトニウム原爆を使うので放射線は避けられない。日本に落とされた原爆をきっかけに世界中で始まった核爆弾の開発競争は水爆が中心である。
といった核爆弾の基礎知識は一切説明がないので、一般人が核開発の内容を追いかけるには予習が必要である。トリニティ実験で扱われたのはプルトニウム型で、日本の降伏が遅ければ長崎に続いて新潟や小倉にも落とされるはずだった。オッペンハイマーが水爆開発に反対だったというのもダブルスタンダードで、プルトニウム原爆なら良いが水爆はダメという合理的な理由はあり得ない。このせいでオッペンハイマーは水爆開発からは外されてしまう。
トリニティ実験が成功するまではオッペンハイマーは最重要人物だったが、成功してしまった後は用済みとなったも同然である。実戦でいつ使用されるのかの連絡も貰えず、完全に蚊帳の外に置かれた。原子力委員会の聴聞会は悪意を持って仕組まれたもので、オッペンハイマーの弁護人以外は全て悪意の持ち主の息のかかった者たちだったというのは目から鱗だった。
高卒の大統領トルーマンは、先代のルーズベルトが副大統領に指名した状態で病死したため、副大統領から昇格したというだけの男で、マンハッタン計画について何も知らされていなかった。例えて言えば、何かの間違いで中卒の山本丁太郎が大統領になったようなものである。ナチスに先を越されないようにという強迫観念で開発を進めて来た計画がヒトラーの自殺とドイツの降伏でモチベーションを失ったはずで、中止にするという選択肢もあったはずだが、政治的な業績がほぼ皆無だったトルーマンは、ほぼ独断で日本への使用を決めた。満身創痍の日本は矢弾が尽きて降伏寸前だったが、世界へ向けた示威行動の犠牲にされたのである。
広島と長崎の原爆投下から 24 時間以内に死亡したものは約 22 万人、被曝の後遺症で亡くなる人は現在でも続いていて、正確な人数は未だに判明していない状態である。被爆者の実像が徐々に世界に周知されるにつれてどの国も使用を躊躇うようになり、実用に供されたのは日本に落とされた2発だけで、その後の各国が保有している核爆弾は「抑止力」という機能として存在しているだけである。3発目を落とされないようにするには日本こそ核保有すべきという考えは、何故か日本では袋叩きにされる。
オッペンハイマーは 1960 年に来日しているが、東京と大阪を回っただけで、広島にも長崎にも出向いていない。腹の立つほど無邪気な行動は、死ぬまで改まらなかったようである。
この映画もまた広島や長崎の悲惨さには真正面から向き合うのを避けており、所詮はチャーチルの国である英国出身の監督らしい。チャーチルは日本に警告なしで原爆を使えとアメリカに催促したクソ野郎なのであるし、英国が行った核実験は全て本国以外の植民地で行われている。
もっといくらでも面白くできただろうに、やはりアカデミー作品賞を取るような映画は見たって仕方がないという思いを強くした。
(映像5+脚本2+役者4+音楽2+演出3)×4= 64 点。
オッペンハイマーの伝記。
オッペンハイマー、いざ原爆作ってみたら、その威力のスゴさにおののいて不使用を提言する。だが、政府と軍は、オマエは口出しするな。 使う、使わないはオレ達で決めるって感じ。
原爆の使用決定権がないどころか意見さえ尊重されない。もどかしかったに違いない。
映画の主題は、原爆製作のトップという数奇な経験をしたオッペンハイマーの生涯を描くことだと思った。原爆の是非や、広島と長崎に落としたことも描かれるが、あくまでも主題はオッペンハイマーの事だと思った。
原爆投下に関しては、今まで以上にますますトルーマンが嫌いになったぐらいである。追記:1ケ前のルーズベルトも嫌いだ。
赤狩りのところは知識がないのでよく分からなかった。確かハリウッドにも赤狩り旋風が吹き荒れたはずで、チャップリンも被害者だ。
追記:科学者と科学の軍事利用、或いはも少し広く学者と政策との関わりについてはあまり触れてなかったようだが見逃しかもしれない。
ごめん。よく分からない。入り込めない。
待望の公開ということで初日の朝からワクワク。IMAX上映で見終わったとこなのだが。期待が大きすぎたせいか今一つピンとこなかったというのが正直な感想です。
まずオッペンハイマーという人への理解や共鳴があまり得られなかった。原作が「AmericanPrometheus」で、ギリシャ神話(だったかな?)のプロメテウスになぞらえて、太陽の火を盗んだ罪により永遠の罰を受ける、つまり原爆をつくったことへの葛藤が描かれるのかなと勝手に理解をしていたんだけど。もちろんそういう部分も多少はある。でも後半の聴聞会はロバート・ダウニー・Jr演ずるところのストローズの陰謀によるソ連のスパイ容疑についてでしょ。この部分が相当長いのだけどここは私怨だからね。核兵器に係る本質的な問いかけではない。またこのストローズっていうのが小物でね。彼との戦いの尺が長い分だけオッペンハイマーの悩みも小さくみえてしまう。
大国の軍拡競争に歯止めをかけるため水爆開発に反対したというのがオッペンハイマーの主張なんだろうけどそのあたりグシャグシャいろんな登場人物も絡んでよく分からんという印象です。
クリストファー・ノーランっていう監督は人物を描くのが下手だと良く言われますが、私は下手というより人間ドラマ自体があまり好きじゃないんだろうなと思ってます。彼の描きたいのはそれが過去であろうと、未来であろうと、事象そのものであって、いわば唯物主義の映画監督なのでしょう。だからこの作品でもキリアン・マーフィーの顔芸(失礼!)が目立つだけで他の登場人物は後景に退いてしまって区別さえつかない。気の毒なのはエミリー・ブラントとフローレンス・ピューこの二人の女優さんで人物像が曖昧でなんのために出演しているのかわかんないですね。オッペンハイマー夫人のほうはエキセントリックで上手く描ければ面白い話にもなった気がするけどこれだとただ粗暴な人物っていうだけになってます。
相変わらず、映像には凝りに凝っていて、わざわざモノクロ撮影用のIMAX65カメラを開発したそうです。多分、公聴会のシーンで時代感を出したかったのでしょうね。でもそれだけの効果は上がっていないようです。アインシュタインが何度も登場したり、最後にJ・F・ケネディの名前が出てくるあたりがいかにも狙ったなという感じです。
新聞の映画解説で絶対におすすめということだったのでわざわざIMAXで観たのだけど私は特にお勧めしません。どうしてもロス・アラモスの核実験をIMAXで観たいという方以外は。
長いだけで何が何だかわけわからん
楽しみにしてたのに、これにつきる。
長いだけで何が何だかわけわからん
何度も寝落ちしそうになる。
アイアンマンよりマットデイモンの方が重要な役だと思ったが、後半で理由がわかった。
妻の前で浮気するシーンとかいるか?
無駄に長い気がする。
時系列追うので精一杯
白黒とカラーで映像が移り変わって行くので自分で時系列を組み立てる必要があって大変でしたまた、難しい表現がいくつも出てくるので予習するともっと見てて面白いんだろうなと少し反省がありました。でも、とても映像表現が凄まじく、オッペンハイマーが犯してしまったと感じている責任の重さがとてもよく表現されていました。
うーん…
初日初回で見てきた。
鑑賞前「オッペンハイマー史の予習が必要」みたいな感想も見かけていたけど、確かに、オッペンハイマーと言う人の人生を知らないと分かりづらい部分もあったかも。
ただ、それは映画の構成に問題があるというか、ノーラン得意の時系列シャッフルが逆に物語を分かりにくくしてる。普通に時系列順に描けば、そんなに混乱するほど複雑な内容ではなかったハズだし、本作において時系列シャッフルがストーリーテリングの面白さに寄与しているようにも思わなかった。
あと、このストーリーに3時間のボリュームが必要だったか?と聞かれれば、正直(´ε`;)ウーン…で、特に前半の部分は間延びして見えるところも多々あり、もう少しエピソードを刈り込んだほうが良かったのでは?とも。
物語の山場であり分岐点でもある「トリニティー実験」も、ちょっと物足りないというか、あれだとただの凄い爆弾にしか見えないという印象。物語的には、あの実験によって“地獄の窯が開いた”という最重要なシーンなのだから、観ているこっちがもっと絶望するような演出が欲しかった。
結論、個人的にはそこまで素晴らしいとも酷いとも思わなかった。まぁ、普通って感じ。
大傑作
情報量が多く一度ではとても処理しきれない。
こんなシーンまでIMAXカメラで撮るのか?!というくらいIMAX撮影にこだわっており、巨大なIMAXカメラを1人で担ぎ上げる撮影監督のホイテ・ヴァン・ホイテマは圧巻のムキムキボディに仕上がった。そして見事ボディビル金賞(違った、アカデミー撮影賞)を受賞しました。
この映画は3時間の尺の中に4つの時間軸で、しかも2人の視点が入り混じるという大変複雑な構成となっている。これだけの膨大な映像をこんな複雑な構成で編集させるなんてクリストファー・ノーランは鬼じゃないかと思いますが、神懸かり的な編集をしたジェニファー・レイムもアカデミー編集賞を受賞しております。
そして本作の緊張感・スリリング感に大きく貢献した音楽ですが、こちらはスターウォーズの「マンダロリアン」シリーズでお馴染みの若手ルドウィグ・ゴランソン!(ハンス・ジマーはデューン!で忙しかった笑)ゴランソンもアカデミー作曲賞を受賞しました。
そしてクリストファー・ノーランですが、メメントから始まった時間操作(終わりから始まり向かう話や、時間感覚が違う夢の中に潜る話、時間の流れが違う何光年も離れた宇宙に向かう話、異なる時間を過ごす3人の軸で一つの戦争を描く話、時間が逆行する話)ですが、本作は時間操作ではなく、異なる時代を主人公オッペンハイマーと敵対するルイス・ストローズの法廷劇的な争いに合わせ4つの時代を行ったり来たりします。
尋問するごとに新たに証言や証人達が出て来ると、その人の過去の話に遡って実際には何が起こっていたのか写されていきます。原爆実験成功という映画的な見せ場に向かいつつ、尋問も進んでいき、登場人物も説明していき、オッペンハイマーの人間に迫るというこれまたすごい映画になっています。
最後のアインシュタインとオッペンハイマーの会話は創作かと思いますが、かなりメッセージ性が込められています。
意外と初?かもしれない濡れ場もあり、フローレンス・ピューはミッドサマー、デューン2の皇帝の娘など、何故か不幸になる役柄がピッタリハマる。映るだけで不吉なことが起こりそう。スタイル抜群というわけでもないのだか、不思議な色気がありとても良い!
あれ!?この人!っていうくらいビッグスターがちょい役で後から出て来るので、何回も不意打ちを喰らいました笑 なんて贅沢な映画なんだ。
大傑作です。
オッペンハイマーさんの人生ストーリー
キリアンの演技が素晴らしい。オッペンハイマーさんが背負う、全人類に対しての責任という緊迫感をとても感じました。本作を観なかったら、ユダヤ系である事から女性関係まで、彼についてこんなに知ることもなかったでしょう。そしてアインシュタインはドイツ生まれなんですね。
トリニティ実験の映像は、閃光と爆音にとても恐怖を感じ、震え上がりました。彼がリーダーシップを取っていたのはここまでなんですね。
ロバートダウニーJr演じるストローズが、私的理由でここぞとばかりに詰める聴聞会も印象的でした。
豪華キャストですが、登場人物が多すぎて、覚えられない。デインデハーンとケイシーアフレックは何役だったかしら?
ピューさんの出演が束の間の休息というか、短いけど安らげる時間でした。
観て良かった。
私たちは1年後には核戦争でなくなっている(かもしれない)世界に住んでいます。
======ノーランの致命的な失敗======
トリニティの実験を全くCGを使わずに撮影してしまったことが、この映画の最大かつ致命的な失敗。
この映画のように、広島、長崎を撮さないのであれば、トリニティの実験こそが、「人類は取り返しのつかない箱を開けてしまった」ことの(唯一の)表現であったはず。
ところが、何のこだわりか、彼がCGを使わないという(愚かな)選択をしたために、原子爆弾が、単なる「凄い爆弾」に成り下がってしまっている。
小さい頃から、夏には平和教育を受け、甲子園の試合の最中のサイレンに黙祷し、自発性のあるなしに関わらず、映画やドラマを見、原爆や戦争に関する本やマンガを読み、小学校や中学校で教師の話を聞いたり授業を受けてきた私たち日本人は、「原爆はあんなものではない」という気持ちを味わったことだろう。
私は核爆発を実際に見たことはない。したがって、ひょっとすると、トリニティの爆発は映画に近いものだったのかもしれない。
でも、それではダメなんだ。
ということがノーランにはわかっていない。
広島、長崎を描かなかった選択は、監督の考えだから仕方がないことだと思う。
私自身も、原爆の仕組みなどの科学的なことや、どうして日本に原爆が落とされたのかの社会的な意味を抜いてしまって、ただひたすら原爆の被害状況や情緒的なものを描くばかりのドラマ(あるいは平和教育)には異論がある。
ただ、実際の爆発程度がどうであったにせよ、爆弾の親玉程度の描きかたでは、何も伝わらない。
人類はパンドラの箱を開けてしまったのだ。
過剰なほどの「原爆の恐ろしさ」の描写が絶対に必要だったのだ。
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〈追記 2回目の鑑賞の後に〉
ここまで読んでくださった方の中には、「ノーランのことをさんざんに書いているのに、なぜ評価は5?」と思われた方も多いのではないでしょうか。
私がここでレビューを書く時に気をつかっていることは「ネタバレをしない」これだけです。だから、おちゃらけたり、どうでもよいようなことを短めに書くことが多いのですが、今回、最初に見た後に、つい、少々肩に力の入ったレビューを書いてしまいました。
それこそが、評価を5にしてしまった理由です。みなさんの中にも、この映画を見て、自分の思ったことを伝えたくなった人は少なくないと思います。
ここでのレビューをずっと読ませていただきました。みなさまのおかげで、今回は、かなり細かいところまで理解することができました。
否定的な意見。肯定的な意見。いずれに対しても「そうだよなー」という気持ちで読ませていただきました。
私自身の感想は、そのどちらでもあり、どちらでもないような気がします。それでも(可能ならば)他の人にも見て欲しいと思う映画でした。
ロバートダウニーJr.のアカデミー賞の時の様子を見られた方とそうでない方は、この映画そのものに関する感想もずいぶん違ってきたかもしれません。
私はダメでした。よりによって、このテーマで撮った映画の主要な人物が、アジア人を、まるでそこにいないかのように扱った姿を見て、こんなに恐ろしいもの(原爆)を人が住んでいる広島や長崎の上に落とせたのは、きっとこんな感覚だったんだろうな、と思わせるに充分なものでした。
「アイアンマン」や「シャーロックホームズ」以来、好きな俳優の一人だったからこそよけいに残念でなりませんでした。
私はこの映画に(ある意味認めながらも)何か釈然としないものを感じていました。
ある方のレビューを読んで、それがオッペンハイマーが何を後悔していたか、ということだったことに気づきました。
彼は広島や長崎に原爆を落としたことではなく、核爆弾というパンドラの箱を開けてしまったことに後悔しているのではないか、という疑念です。
私たちは何かの予期しない突発的な事故で、大規模な核戦争に入ってもおかしくない世界に住んでいます。
私たち日本人は、好むと好まざるに関わらず、ノーランの持っている原爆に関する知識の何倍もの知識や感情を持っています。(どうしても情緒的なものに片寄る傾向はありますが)。なにせ、かけてきた時間が違います。日本人である私たちが、この映画を見て感じたことをみんなに伝えていくことは、きっと何らかの役に立つはずです。私はそう思ってこのレビューを書いています。みなさんも、この映画を見て、思ったことや感じたことを書いていただければいいなと思っています。
世界的に著名で影響力のあるノーラン監督が、原爆に関する映画を作ったことこそが、この映画の一番の価値であるように思います。ノーラン監督には、ぜひ、広島と長崎を訪れて、原爆について深く学んで欲しいと思います。
(どうでもいいことで)
・「トリニティ」というのは、「リトルボーイ」や「ファットマン」と同じような、その爆弾の名前だと思っていました。しかし、トリニティというのはあくまでもこの実験の名前で、「ガジェット」(道具の意味?)(映画で呼んでいたそのまま)が爆弾の呼び方のようです。
・実験で光ってから音が届くまでの時間は、実際のものに近いものだと思っていましたが、(頭の中で数えてみただけですが)およそ70秒あまりと実際に9km地点で感じる時間(25秒程度)よりずっと長い時間でした。やはり演出として、この無音の時間をとっていたことがわかりました。
・レビュー中の「甲子園のサイレン」は8月15日の正午に鳴らされるもので、原爆の落ちた6日と9日に鳴らされるものではありません。
・映画の中で機密保持許可になぜあんなにこだわるのだろうと考えていました。しかし、研究者として機密に触れることができないということは、実質、核の研究から追放されたことと一緒だということがわかりました。
・オッペンハイマーは絵画にも造詣が深そうでしたが、母親は画家だったそうです。
・「大気への引火」について、私自身は、自分の持っていた(薄っぺらな)核分裂や連鎖反応に関する知識から、荒唐無稽なものと認識していました。しかし実際には、テラーから出されたアイディアは、核分裂ではなく、大気中の8割を占める窒素の核融合についての懸念であったようです。この映画の通り、再計算の結果、その可能性は「ほぼ0」ということだったようですが、「大気への引火」を聞いたオッペンハイマーらのトリニティ実験に対する恐怖は如何ばかりだったろうかと想像しました。そして、それでも、実験を行った彼らに対して、改めて言うべき言葉を失いました。
・日本でも、湯川秀樹博士は原爆の開発に関わっていたということです。朝永振一郎博士も原爆ではないものの、殺人光線(レーザー光のこと?)の開発に関わっていたそうなので、私たち日本人も、アメリカだけを責める資格はないなあと感じました。
・1942年の時点で、オッペンハイマーは水爆の開発にも積極的に関わろうとしていた様子があるようです。その後の水爆反対の行動を考えてみると、(少し穿った見方にはなりますが)、自分が中心となって関わった原爆を上回る武器の開発に対して反対した、ともとれないことはないかもしれません。個人的には核開発の競争を懸念しての行動と信じたいのですが・・・。
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〈追記の追記〉
安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから
平和公園の碑文。
この主語が何だったのかで、論争が起きたことがある。被害を受けた「私たち日本人が」なぜ謝る必要があるのか、という論議である。主語を「日本人」とした解釈である。
それぞれの立場からいろいろな解釈があったそうだ。
結論が出てしまったわけではないのかもしれないが、主語は「私たち人間は」というのが今の一般的な解釈ではないだろうか。
原爆を作ったのは、オッペンハイマーでも、物理学者たちでもなく、私たち人類であるという認識である。
広島市のWebサイトには次のような文章が載せてある。広島市としての解釈も「すべての人びと」が、ということのようだ。
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この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する「ヒロシマの心」が刻まれているものです。
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書いてある通り、繰り返さないのは原爆の投下だけでなく戦争そのものを指している。
先日読んだ本に、父親に抱かれた2歳児のオッペンハイマーの写真があった。彼も普通の人間であり、子どもの時代があったという当たり前のことに軽い衝撃を受けた。
私たちが真に原爆を落としたことを悔いるのであれば、そこには「私たち人間が」という認識が必要ではないだろうか。
私はこの映画に不満たらたらである。アカデミー賞授賞式以来、ロバートダウニーJr.に対しては嫌悪感さえいだくようになった。
ただ、相手を非難しているだけでは何も進展はない。
このサイトでも、肉親が被害にあった人、被曝2世や3世、広島や長崎に住んでいた人たちなどのレビューが載っていた。私は何かコメントを書こうとしたのだが、ずいぶん悩んだ末、言葉を思いつくことができなかったものがある。
私は日本人とそれ以外の人たちの受け取り方の違い(差)を自分のレビューに書いていた。しかし、私自身も、広島や長崎に住んだり、直接的な被害を受けた人に比べると、認識があまりにも浅かったことを感じた。
すべての人びとが、ここでのレビューで悲しみを怒りと涙で表現した人びとの気持ちにならない限り、核の廃絶は無理なのではないだろうか。
今は途方もなく不可能なことに思えるが、私たち人間にはその力がきっとあるに違いないと信じたい。
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と、書いていたのに、みなさんのレビューを読み返しているうちに、また、
「自分の家族を「ごめんね。ごめんね」と言いながら殴り殺しする相手を、誰が許すことができるのか」
という思いに囚われてしまいました。
気持ちがふらふらフラフラふらついています。
原爆ではなく、あくまでも「ひと」に焦点をあてた作品
出演者たちが歓声をあげている中、まったく逆の感情がこみあげてきて泣いた
あのシーンをアメリカ人はどのように観たのだろうか?
Try not to break the world.
色んな感情あると思う
46本目。
有休使えてラッキーだけど、なんだこの天気。
家を出た以上は、仕様がない。
クオリティが高く、錚々たる面子に圧倒される。
展開も目まぐるしく、正直ついていけない部分もあったりだけど、何とかなる感じ。
オッペンハイマーのヒューマンドラマ位のつもりで観ようと思ってたけど、原爆の完成、実験に進むに連れ、怖いと思ってしまう。
でもそれは物語の途中で全てを観ると、えっとは思う。
でも、観た以上は最後まで、見届けるのが義務と思う作品かな。
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