オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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正直物足りない
日曜のレイトショーの評価は眠くなるかならないかにかかってきてそうで怖い。が、眠くなったのはなったんだよな。実験成功まではIMAXの画面から音が凄まじく寝てる場合でもないのだけど、それ以降の栄光と没落という意味での没落パートも実はそうはならないように緩まずガンガンに攻めてくるのだけど、眠さは止まらない。
公聴会やら裁判やら、時代をポンポン飛ぶ聞き取りとディスカッションの映画でもあり、演出というか編集というか仕上げというか、セリフ劇のオペラというか、かなりMV的でもある。随時音楽に誘導され、火花がフラッシュして画面を横切り、じっくり見せるのが怖いのか、退屈されるのが怖いのか、とにかく3時間切間のないクリップと言って差し支えない、ひょっとしたら配信で見たら楽しいのかもって感じの映画かも。
そもそも映画の主人公としてのオッペンハイマーに魅力があったかは微妙。仮に零戦の開発者としての「風立ちぬ」の堀越二郎を並べてみても、天才描写や悪魔に魅入られる天才感が薄い。そして悪魔の発明の負の部分が、まあこの映画ではこれで(見せない方式)いいのだろうけど、全編を通して原爆の悪魔の発明感やヒールとしての主人公が、かつてノーランが描いてきた悪役よら面白くない。正直赤狩りパートは時代なんだろうけど、ここがあるから中途半端な感じがした
「原爆の父」功罪を全て背負い込むということ
原爆投下成功に対する無邪気な喝采、声の代わりに足を踏み鳴らして意思を表示する人々。その場にいると感じるくらいの大きな音が四方から響いてくる。
極め付けは、原爆実験の音。映像だけで爆発の威力を表現するんだ、と思いに耽っていると、耳をつんざくような轟音が突然やってくる。遅れた時間が爆心地までの距離のリアルに体感するとともに、爆音がもたらす振動に恐怖を感じる
メメントと同じくらい時系列が飛び飛びで混乱した頭の中も真っ白に。
あまりにも巨大な力で、興奮し、高揚する科学者や軍人。オッペンハイマーの表情から、神の領域に踏み込んで後戻りできないジレンマが読み取れる。
歴史にたらればはないが、ナチスドイツが先に原子爆弾の開発に成功していたならば、躊躇なくイギリスやソ連に投下したはず。
ドイツ系ユダヤ人であるオッペンハイマーが、あらゆる人材やリソースを駆使して原爆開発に全精力を注いだことは理解できる。だからといって、この映画が、原爆を肯定するわけでもなく、歴史的意義を説明するために作られていないことはラストを見れば明らか。
アインシュタインといい、オッペンハイマーといい、恋多きでは済まされない女性関係の多さだが、このことがオッペンハイマーを窮地に陥れてしまうのだから省略もできない。それにしてもフローレンス・ピューの圧倒的な存在感。エミリー・グラントが霞んでしまう。
「原爆の父」という呼び名の功罪を全て背負い込むことができた時、産みの親の責任から解放される。そんな物語でございました。
この程度の内容で買付を怯む配給会社
日本の負けは明らかなのに原爆を使う必然性がないという意見が出て揉めてたけど
果たして、本当に当時その意見があったのかどうか。
史実にどれほど基づいているのか不明なので「後からなら何とでも言えるよね〜」と思ってしまった。
ビターズエンドが買い付けなかったら、日本では一生公開されなかったのか…
この程度の内容で、一体何に怯んだのか?他の配給会社は。
爆風でケロイドぽくなる人のイメージがちらっと出てくる程度で
実際の惨状は一切描写されてはなく。
おっぴー(愛称らしい)の葛藤がメインだけど、割とよくあるテーマで、新鮮味はなかった。
呼び出しくらって色々と詰問されるシーンが最初モノクロ、
その後もう一回カラーで繰り返されて上映時間180分になった理由はよく分からないけど。
横で爆睡してた連れは、カラー再放送で救われたくち。
久々のオールスターキャスト、チョイ役にすら贅沢なキャスティング!!!
でも内容の割に長いと思う。
ノーランの成熟と、この映画を不快と感じた人への反論
私はノーランの前々作、ダンケルクのレビューを書いた時に彼の映画表現へのこだわり、シグネチャーである、「時間軸の編集」があの作品に関してはギミック的で不必要なのではと書いた。前作テネットもSFという設定を生かし、その時間編集が極端なまでの形で表れたギミック的な作品であった。
一方今作は複雑な時間軸でありながらも、基本的には核実験成功までの過程とその後の赤狩りによる彼への尋問が軸となり、交互に描かれ、なぜオッペンハイマーが水爆実験に手を貸さなかったかの動機が徐々に明らかになっていく。あくまでキャラクターの心情の変化や物語にそった形での時間編集であり、映画としてのスリルやメッセージ性を損なわずに見せる事に成功していると思う。しかもこの映画にはノーランが好むアクションやビジュアル的に驚くような面はほとんどない。核爆発のシーンの地味さはある意味肩透かしなほどであった(が恐らく意図的にカタルシスを避けたのだろう。)。物語と編集、音楽の力で3時間釘付けにさせてくれる。それが匠のレベルかというと、そういうわけでもない(例えばルイス・ストローズとの確執、そして彼がどのようにオッペンハイマーを追い込んだのかが若干わかりにくい)が、これだけの膨大な情報と登場人物の作品をまとめ上げ、派手なシーン無しで観客を飽きさせなかったというのはノーランのキャリアで考えても大きな達成であり、作家としての成熟であると思う。
さて、ここから私が目にしたニュースやSNSコメント欄等で見たこの映画に対する人々の感想への違和感、反論を書きたいと思う。
今まである程度、映画を観て来て、映像言語へのリテラシーがある人間なら、この映画の演出は明らかに「反核」であることも、オッペンハイマーが原爆を作った事を後悔している事も読み取れる。それは解釈とか想像ではなく明らかなレベルで。一度や二度でなく、何度も彼が後悔している事が心象風景からわかる様々な演出がなされている。
にもかかわらず、世の中にはこんなにも「台詞で言わないとわからない」人が増えてしまったということだろうか?
コメントの中には、開発に携わった人達が原爆開発成功及び原爆の投下成功に歓喜する場面を不快に感じたと言っている反核運動家の人がいて呆れてしまった。不快に感じるのは当たり前である。それは不快に感じるように意図した演出がされてるからだ。以下に詳しく論じる。
例えば、原爆投下によって手に入れた勝利を喜んでいるアメリカ人が映し出されることに複雑な感情を持つのはわかるが、大事なのは、なぜわざわざ喜んでいるアメリカ人を意識的に映しているのかという事だ。この映画ではそれを決して勝利に沸くカタルシスに使っているのではない。喜ぶ人々の映像は焼けただれた肌の女の子、真っ黒になった死体とのコントラストとして映し出され、映像もサウンドもゆがむ。オッペンハイマーはその状況を恐ろしい事として認識しているのは誰が見ても明らかだ。
その証拠に監督ノーランは、焼けただれた肌の女の子の役にわざわざ彼の実の子を使っている。広島で起こったことを他人事として扱い、アメリカの行いをヒロイックに描くのであれば、そのような事を意図してする訳がない。
また、軍部が日本への空爆の場所を決める場面。あそこでまるでボードゲームのように数十万人の人間が死ぬ爆弾を落とす場所を決めてる様子は、明らかにわざと「不快」になるように演出されてる。これから亡くなる人々を非人間化している不気味なシーンとして。その事に観客が気づくことが重要なのである。だから不快になるのは当たり前であり、それをもってこの映画の評価を下げるのは、起こった事象の評価と映画の評価を混同しているとしか言いようがない。
あと、これは映画とは関係なく歴史の観点からも。広島、長崎の原爆投下について、日本人である我々が被害者としてこの歴史を語り継いでいかなければならないのはもちろんだが、そこで感情的になり、客観性を失うべきではない。この映画で登場するハイゼルベルクから物理学を学んだのはオッペンハイマーだけではない。日本人の仁科芳雄もその1人だ。そして仁科芳雄は日本軍からの依頼を受けてウランの濃縮実験を行い、原爆を開発していた。結局戦時中に間に合わなかったが、実際にそれが使われたかは問題ではない。大事なのは、我々もそれがあれば、結局加害者として使っていたのだ。この事実を広島、長崎同様に日本人は歴史的事実として覚えておく必要があると思う。
三幕構成(IMAXで観る必要は特に無いです)
一幕:人物紹介(ちょっと退屈)
二幕:マンハッタン計画(一番関心高いとこ)
三幕:査問会議(法廷もの)
ノーランらしく複雑な構成に感じますが、ヒトラーが亡くなった事を知ってから二幕、日本への原爆投下を知ってから三幕と捉えれば分かり易いかと思います。
一幕で登場人物の名前を覚えられれば三幕がより楽しめます。自分は覚えきれなかったですが、覚えられなくてもストーリーは楽しめます。
個人的にはアメリカ万歳ってのは感じなかったけど、扱ってるテーマがテーマだけに当然複雑な気持ちにはなります。
ただ、公開を見送られるような作品なのかなと。むしろ多くの人に観てもらって色々考えてもらえる作品じゃないかなと思います。
あくまで、オッペンハイマーという人物に焦点を当てた映画って事を考慮して観に行くことをおすすめします。
また、ノーラン作品はIMAXで!っていう印象ありますが、これはヒューマンドラマなので特にその必要性は無いです。
「300年の物理学の成果が大量破壊兵器なのか?」 原爆の父オッペンハイマーの伝記映画。原爆を作った彼は何を思うのか?
▼感想
ノーランの大ファン、そして日本人として8ヶ月この作品を待った!
ストーリーは「何を」作って、「どこに」落とすのか分かっていたから、破滅へのカウントダウンが刻々と進んでいるように感じた。これはオッペンハイマーの人生にとっても同じことが言えたのかもしれない。
ストーリー構成は正直分かりづらかった。
ストーリーは①オッペンハイマーの聴聞会での尋問、②ストローズの公聴会、③オッペンハイマーの半生の3つが交差しながら進むが、これがかなり混乱する。
登場人物も多くて会話で名前だけが飛び交うため「これって誰のことを話しているんだっけ?」といったシーンも何度かあった。
ノーランの「テネット」のような難解さは大好物だが、このような分かりづらさは自分は否定的だ。
オッペンハイマー演じるキリアン・マーフィーの演技は素晴らしかった!自分は学校の先生に原爆を教わったが、オッペンハイマーは教わらなかった。彼の半生・人間性はキリアン・マーフィーに教えて貰った。もし自分がアカデミー主演男優賞を選べる権利を持っていても、間違いなく彼を選ぶ!
公開後に「広島・長崎の原爆の被害の描写がない」という意見もあったが、自分はオッペンハイマーの表情や言葉で十分だったのではないかと思う。
「良くも悪くも、私たちは皆オッペンハイマーの世界に生きています。」
これは、キリアン・マーフィーがアカデミー賞のスピーチで語ったことだ。自分にとってこの映画は今一度「原爆」について考えるきっかけになった。
▼印象的なシーン
核実験「トリニティ」のシーン。爆発の音も凄まじかったが、製作途中の「ジリリリリリ...」というBGMも不気味で怖かった。
無言
ちょっとつまらない
日本人としてアンサーの映画が必要
原爆の父
何で公開延期したのだろう…
「フォロウイング」「メメント」を思い出す編集に熱くなる
ストーリーはよくある伝記映画。
予告編とキリアン・マーフィの妖しい容姿から何やら深遠なテーマを予想していた。
だが本編を観ると、難プロジェクトの所長に担ぎ上げられた科学者が仕事と政治と人間関係に翻弄される顛末を描く、現実ベースだからしょうがないけれど、割と普通なあらすじである。
ただ業績を知るだけならwikipediaでよいので、映画代の価値はその編集にある。
・徐々に進んでいく原爆を開発した過去
・過去を粗探しされる今
・雪辱を果たす近未来の公聴会
の3つの時間軸を慌ただしく前後させ、人間関係とオッペンハイマーの価値観が徐々に変化していく様を見せるやり方は、ノーラン初期の長編「フォロウイング」「メメント」を思い出させる魅せ方だ。
初期作にもし1億ドルの予算を出せたなら、というノーランの映画作家としてのリブート作と思って観るとこんなに楽しい作品はない。キリアン・マーフィの内面が見えにくい演技は主人公の記憶が10分で消える代わりの謎解き要素ならば、ナイスな配役である。
とりあえず話題作なのでおすすめ、ノーランファンならもっとおすすめな映画だった。
原爆をこれまでと違う視点から捉えた映画
私は広島出身なので、原爆と言えば「はだしのゲン」の影響を強く受けていて、とにかく悲惨な大量虐殺兵器のイメージしかない。
日本が侵略戦争を行ったので、その結果として原爆が落とされて、そして戦争が終わったといった内容の教育を受けた気がする。
感情的に日本は悪かった。そして原爆はひどい。2度とあってはならないといった感じ。
「オッペンハイマー」では、当時原爆を開発していたのはアメリカだけではなく、ドイツやソ連も開発していたこと、そして水爆がすでに考案されていた事など知らなかった事実が描かれていて、とても興味深かった。
アインシュタインがチラホラ出てくるんですが、写真とそっくりだし、レジェンド感があってワクワクしました。
ハイゼンベルグもドラマの「ブレイキングバッド」で名前だけ知っていて、悪の科学者だと勝手に思っていたけど、量子力学の超有名人なんですね。
ある意味隠されていた歴史を知れる映画なので、そういった意味では面白いですが、映画として見るとどうだろう?
スパイ容疑で尋問を受けているシーンがとても長く、関係性の分からない人物がちらほら。
上半分黒縁メガネのライバルっぽいおじさんは一体どんな立場の人だったんだろう。。。
ドアを開けると聴衆が並んでいて、笑顔で出ていくんですが、どういう立場の人かわからないので、ドヤ顔で退場されても困るんですけど・・・という気持ちになった。
たぶん水爆実験推奨派の政治家か何かで、聴衆に受け入れられたので、反対派のオッペンハイマーに勝利したってことだと思うけど。
第二次世界大戦に参加した国の人は見ておくべき映画ですね。
IMAXで大スターたちの演技を堪能する
主役級の大スター20人による超演技合戦に完璧に圧倒され、映画の面白さに酔いしれた。
特にすごかったのはロバート・ダウニー・Jr。マーベルやホームズでヒーローごっこして大儲けしたけど、元はメソッド演技の人だから、その演技力をIMAXで観ると凄まじいリアリティさが味わえる。お気に入りのフローレンス・ピューの体当たり演技も良かったな〜。個人的には注目しているオールデン・エアエンライクがここでも光っていて、当たり役さえ貰えれば大スターになると思う。
いつものクリストファー・ノーラン凝った構成が、オッペンハイマーの人物像を多面的に捉えるいるのがすごく良かった。
少し心配なのは洋画を見慣れてない人はこの映画は理解できないかもしれない。たぶんNHKの特番を見て、この映画を観た人は???かな。原爆開発はテーマとしては3番手の扱いだからね。
でもとにかくドラマが濃い。二度三度と繰り返して何度観ても飽きないと思う。
誠実につくられた映画だと思うが、それでも残るやるせなさ。
例えば、独立戦争の時に核兵器開発の技術があったとして、アメリカはイギリスに、またはイギリスはアメリカに原子爆弾を落としただろうか。同様に、南北戦争の時に、核兵器開発競争をしていたとしたら、南部は北部に、北部は南部に原子爆弾を落としただろうか。もっとも、落とすのは軍や政治家だとして、開発者たちはそれを肯定しただろうか。
この問い自体ナンセンスなのだが、原爆を落とされた国の人間としては、オッペンハイマーの演説に拳を突き上げて喜ぶロスアラモス研究所の皆さんに尋ねてみたいのだ。
とはいえ、原爆こそ使われてはいないが、今だってパレスチナは圧倒的に蹂躙されているし、それもイスラエル側からしたら正義なのだから、相変わらず人間の欲望と理性や、善悪というのは大いにあやふやで、個々の信念によって変わる相対的なものであり続けているということだろう。
時折の、ものすごい音圧で腹まで響く爆裂音と、映画が始まってから休むことなく続く、低音の響きが身体にまとわりつく不快感を感じながら、誠実につくられた映画だと思いながらも、やっぱり大量殺戮兵器のやるせなさについて考えてしまった。
今なお、さも当たり前で、正しいことのような顔をして語られる「核抑止論」も、核開発を進めたい者の詭弁に過ぎなかったことが描かれるが、だからといって、オッペンハイマーたちが開発をやめても、きっと遅かれ早かれ、誰かがこの兵器を完成しただろうことも想像させられた。
そして、天才的で科学的な発見発明の陰には、数多くの人々の極めて人間的な欲望と思惑が蠢いてることも。
人類が手にしてしまったこの力をどうしていけばよいのか、今も重い問いが残されていることがこの映画で改めて明らかになり、それを観た者達に投げかけられた思いだ。
決して、原爆をつくり落とした自国を弁護するような映画ではなかったことは指摘しておきたい。また、アメリカ国民にとってJFKというのは特別な存在なのだなということに気付かされ、とても興味深かった。
<追記>
私のレビューが、アメリカ批判と受け取られてしまう可能性を指摘していただいたので、少し追記したい。
「原爆を落とされた国」という書き方をしているので、アメリカと日本の二項対立のように思われるかもしれないが、そんな国と国のどっちが正しくどっちが間違えているなどというつもりは毛頭ない。(意味もない)
NHKスペシャルもリアルタイム視聴していたので、原爆開発の状況は知っているし、特攻を作戦として仕掛けるような軍部に対し、異論を唱えられない(唱えない)民衆が支えていた日本が原爆を先に開発していたら、間違いなく原爆を落としただろうと思う。
しかもアメリカは、talismanさんが、自レビューのコメント欄で指摘されていた通り、自国の若い兵士たちをなるべく死なせないという大義名分は掲げており、国のために死んでこいと若者をそそのかし、挙句にそれを今現在も美談として奉る日本の空気感の方が余程おぞましいと思っている。
その上で自分がレビューで問いたかったのは、「当時の日本人は人間として認定されていたのだろうか」「今のパレスチナの人々は、人間と思われているのだろうか」ということ。そして、「いや、だってそれには理由があって…というならば、その理由は本当に誰がどう見ても揺るぎないものなのか」ということだ。
もちろん、誰がどう見てもという絶対はなく、相対的であるのは、上記で書いた通り。その理由が力関係で決定されてしまう状況がまだまだ多いことを、とてもやるせなく思っているし、この映画を観ても思った。
つまりは、私自身は、マスとしての力関係を、現実主義といった捉え方で無自覚に肯定するのではなく、一人一人が持つべき考える力をきちんとつけて、人権に根差した公平公正な世の中を目指したいと思っているに過ぎない。だから、誰かを否定してスッキリすることには関心はなく、それよりは他山の石として、自分自身の糧にしたいと思っている。
もとレビューにも書いたが、映画自体は、「愚かな我々人間が持て余す巨大な力を、どのようにコントロールしていけばよいのか」という重い問いを、観た者全員に投げかけていると私は解釈している。
なので、矮小化された議論に巻き込まれてしまわないよう、私も気をつけたいと思う。
面白いというより
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