オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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オッペンハイマー核を作った男
いままで核を誰が作ったのか
知りたいとも思わなかった
が…
今回この作品で
核を作る経緯そしてその人物を
知ることが出来た
大いに脚色されていると思うけど。
全体的に公聴会でのやり取りで
回想を交えての会話劇の様
この作品の中で核実験で爆発と数秒間
遅れて爆発の音、爆音が鳴り響いたとき
は痛かったですね
“痛さ“を感じました
その時のアメリカの人たちの
お祭りのような歓喜あふれる
情景が辛かったですね
原爆で皮膚が剥がれていく
様子と人が焼き焦がれ
足に黒い物体がまとわりつく
オッペンハイマーが想像する
核の怖さの表現はよかったと思います
最後にアインシュタインと会話した
言葉が印象的です
作りたくて作った原子核
戦争で兵器として使用され
…産みの親として
思い悩み苦しむ様は計り知れない
吹替えがなく字幕で観ましたが
聴聞会の詳細が分からない
…核を作った男
オッペンハイマーに焦点をあてた作品
観てよかった
吹替えがでたら…もう一度。
と思ってますが
制作者の想いのごく僅かしか受け止められなかった
開発者の責任は?
学術的に有意義な成果が戦争の絶対的な兵器と成る事への開発者の責任はどこまて有るのか?
開発者とその兵器使用の権限者とそれぞれ、大きな責任がある。
アメリカが広島、長崎に使った原爆は世界大戦の早期終結の為に使用で多くの戦死を産まない為に正当化されて居る。
表面的なご都合主義の正当化は良く無いと思う。
2発の原発で亡くなった方々は民間人であり、その数は大きな誤算があったと思う。
オッペンハイマー氏の水爆開発否定の行動は、人間として当たり前の行動であったと思うし、ここで使用を止める事が出来なければ人類を含む多くの生物は死滅し、地球環境が大きく変化し、地球破滅へ進むしか無い事が判明して居る。
人類による地球の破壊は神に許される事であろうか?
人間世界の不条理を見直す事で、これ以上の生物の死滅を避けて欲しいものである。
つくづくこの想いが浮かんで来た。
文句なし!緻密さが際立っていた作品
文句なし!緻密なストーリー構成とこの伝記を映画作品にするノーラン監督の熱意をスクリーンから感じた。
広島、長崎の原爆被害者記述は某国営放送の番組でのノーラン監督インタビューやオッペンハイマー特集でも原爆被害者を描いていないと某国営放送アナウンサーの質問もあったが、これはネタバレになるので詳細は省くが、これは作品のあるシーンで上手く対比している。ここもノーラン監督の緻密さが見事。
この作品のポイントをまとめてみる。
1.観客に問いかける映画
上映が終わった後ふと思ったが、TAR、福田村事件を観た時も感じたが、観客に監督から問いかけられた気がしてならない。
2.俳優の演技は文句なし!
オッペンハイマーで一番評価したいのは出演俳優。キリアン・マーフィーやロバートダウニーJRら出演俳優の演技が素晴らしかった。アカデミー賞で出演男優、助演俳優賞も納得した。
3.1人称で通したのも素晴らしい
もう一つ評価したいのは1人称。ノーラン監督のインタビュー記事を見て知ったが、なるほどと感じた。これも評価したい。
4.時間軸をいじるのは健在
時間軸をいじるのはノーラン監督の十八番だが、今回もさすがと唸らされた。
確かに原爆への言及はあるが、それ以上に戦後アメリカの赤狩り騒動がここまで凄がったのも印象に残った。
アカデミー賞作品賞を含め七部門受賞も゙納得できる。
見事すぎる伝記作品だった。
オッペンハイマーはある程度調べておくといいが、観る当日は色々感情もあると思います。しかし、一旦忘れた方がいい作品です。見事。
政治的に無垢なピエロ的悲喜劇 -- 歴史的知識抜きに理解するのは難しい
Robert Oppenheimerの個人に焦点をあてており、興味深かった。
ただし、個人的な描写で欠けていると思う点は3つあります。
1 自分より才能が劣った人間を見下し軽蔑する横柄な人柄であったこと。
( 弟Frankの証言) ストローズに『卑しい』仕事と発言したことでのみ描いている。
2 第1級の業績を上げられずノーベル賞に届かないため、劣等感を抱えていたこと。 その代わりとして原爆開発に邁進する俗物的野心家の面があまり描かれていない。
3 原爆完成後、『権力中枢に接近し、悦に入っていた』側面が描かれていない。 (A. Pais "Subtle Is the Lord"など周辺の物理学者の証言)
核開発、核戦略、冷戦、赤狩り、国家と科学者、軍産複合体など多くの側面がある。科学者も多様で、ナチスが降伏したので核開発は無用とラスアラモスから去った物理学者Joseph Rotblatがいた。他方京都への原爆投下を強硬に主張するNeumannなどもいた。
最後に、『原爆が戦争の終結を早めた、戦死者を少なくした。』という言説について。
議会の承認なく秘密裏に原爆開発をしていた(副大統領のトルーマンにすら知らせれていなかった)ため、もし原爆を使わなければ何のための膨大な予算執行かと政府の命取りになるだろう。(開発費用は日本の国家予算を上回っていた。)それゆえ、そもそも原爆を使用しない選択肢はなかった。しかし、投下後予想されるアメリカ国民からの道義的責任追及から逃れるための方便こそ、『原爆が戦争の終結を早めた、戦死者を少なくした。』という理由づけであった。後付けの方便が真実のように独り歩きし定着してしまったのである。アメリカ軍部内には、陸軍・海軍の貢献を原爆によって横取りされてたまるかという反対論もあった。
いっぽう、日本政府・軍部は、1945年4月頃から、ソ連を通じて終戦交渉を模索していた。分割占領を主張していたソ連を通じて外交交渉を行うなどインテリジェンスや外交は完全に破綻しており無能であった。天皇制護持にこだわり続け、ぐずぐずの終戦交渉も原爆投下の一因であった。
蛇足ついでに、物理学者が核開発後に核戦略など政治に口をだすと手ひどいしっぺ返しを食らうのは、アメリカに限ったことではない。ソ連の水素爆弾開発の主要人物サハロフしかり。核政策に反対した結果、国内流刑、科学者仲間からの無視と疎外、家族への差別的取り扱い。これらは、『サハロフ自伝(回想録)』に詳しい。
2つの意味で難解な映画
2024年劇場鑑賞77本目。
原爆を扱っているのに日本への配慮が足りないのではという理由でしばらく上映が見送られていた今作がいよいよ公開。おかげで地元のIMAX完成に間に合ったのは良かったかもしれません。
とにかく音がすごい。オッペンハイマーが落とされた原爆の事をイメージする時、映像より音の方が重要視されていて、それこそ劇場内が爆音に包まれて震える感覚を味わえます。
まず難しいなと思ったのがロバート・ダウニー・JR演じるストロースが主人公パートになるとモノクロになるのですが、そこの話が自分にはちょっと解らないところがあって、最初は分かってたけど途中から何の話だったっけ状態になってしまいました。
もう一つは日本人としてこの映画をどう受け止めたらいいのかが難しいと感じました。確かにこの映画からだと少しはセリフに出てきたものの、基本的にはただ威力がでかい爆弾としか説明されておらず、爆発て死ななくてもその後被爆で生き地獄を味わわされる事はほとんど触れられていないことです。即死ならいいって話じゃないんですが。いや〜ドイツなら落としていいけど日本はねぇ、という感じになったのは嬉しかったけど結局東京大空襲で10万死んでんだからそれより少ないし大丈夫でしょうの理屈はまじで頭おかしいからな。
オッペンハイマーが不遇な境遇に置かれる、という情報でてっきり大量虐殺の倫理的責任を自分でやっておいて人になすりつけられる話かと思ったら全然違う事で責めていて、ああ、原爆落とした事にはなんの後悔もしてないんだな、と思うと悲しくなりました。
オッペンハイマーを含む、当時のアメリカ人
「事実」を追うなら、NHKやBBCが作成したドキュメンタリーを見たほうがよいと思うので、映画として、見ました。
「時間」を操るのはクリストファー・ノーランの特徴の一つだが、今回も同じ。
3つの時間軸が交錯しつつ話が進むが、予習していないと訳が分からない。
私の予習ではストローズの商務長官指名に関わるところまでは範疇になく、当初「公聴会」が何をしているのかわからず、オッペンハイマーの「赤狩り」=吊し上げ聴聞会とは別のものが同時進行しているという認識のみで見ていって、商務長官指名に関わる公聴会だということが分かったのは映画の最終版の、ストローズ陣営の人々の会話の中でだ。
アメリカ人ならピンとくるのかもしれないが、私には、なんのこっちゃ
カラー画面とモノクロ画面も交錯するが、使い分けを理解するのにもだいぶ時間がかかってしまった。
それでも、私にはとてもおもしろかった。
この映画は、始終、アメリカ人としてのオッペンハイマーの視線で描かれている
なので、日本人の視点と違っているのは当然
ただし、内面の解説はなく、見ているものから推測するしかない
そして、彼の目を通して、当時の「アメリカ人」が描かれている
世界初の核実験「トリニティ」が成功したことは多くのアメリカ人には喜びだし、日本への原爆投下が「成功」したことは彼らにとっては拍手喝采だったのだろう。
日本人だって、「鬼畜米英」といっていたのだ
ただし、すでに死に体、放っておいても降伏するであろう日本への原爆投下に反対する人たちはおり、オッペンハイマーはそれを制して投下を推進した事実もあり。被害はある程度予測していたはず、世界にアメリカの優位性を宣言したいからと言っていたがとにかく一度実際に使用して成果を見たい、多大な予算と人材を投入しているので国に対して目に見える成果報告も必要、でも当初の標的ナチス・ドイツはすでに降伏、じゃ、日本に落とせばいいじゃん、ではなかったか。(ふざけんな!!)
ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の惨状の描写がないと言われるが、オッペンハイマーはその目で見ていないのだからラジオで知った時の彼の描写で表すのが自然だと思う。投下後の様子もラジオで聞き、彼は自分のしたことの恐ろしすぎる成果を知ることになる。周囲の人々の顔がめらめらと剥がれ落ちていく幻覚を見たり罪の意識におののき、反核に舵を切る過程は分かるし、見ていない惨状を具体的に描くのは不自然かもしれない。
ストローズに恨みを買う過程やその他の多くの人間関係を、説明を省いて細切れのシーンでわからせるようにしており、記号のように個性的な風貌のキャラクターが多かった気がした。オッペンハイマーと見かけも中身もまるで正反対の友人アーネストや、憎々しいストローズ、本人みたいなアインシュタインなど、特に映画的だと思いました。
トルーマンが、原爆投下を英雄的行為と思ってはばからないこと、俺様でオッペンハイマーを見下し疎ましがる「嫌な奴」であることがよく分かりました。
ストローズがぐいぐい行くのは、兵器として水爆を落としたことがなく、大量殺戮の加害当事者になったことがないからでしょう。
フローレンス・ピューとの交流(?)場面はちょっと多すぎかも
聴聞会で妻のキティが悪意ある尋問に毅然と回答、逆にやり込めるのはこの映画で唯一、爽快なシーンでした。
原爆投下に関して、クリストファー・ノーラン個人の考えを極力入れず、あくまでもアメリカ人としてのオッペンハイマーの、外からうかがえる内面と、当時の一般のアメリカ人をフラットに描いた映画と思う。
映画の中で、自分がオッペンハイマーだったらどうしただろうか、とたびたび考えてしまった。
核は、まさにプロメテウスの火
そして、知ってしまったことは、知らなかったことにはできないのだ。
追記)※さらに追記あり
ロスアラモスの施設が、「アステロイド・シティ」のアステロイド・シティにそっくりで、わざとだろうか、きっとわざとだ、と思いました。
アステロイド・シティでは、近くでしょっちゅうキノコ雲が立ち上って強風が吹いて振動が来る、住人たちはすでに慣れっこ、あ、またか、って。ブラックジョークが過ぎて背筋が寒くなりました。
投下された日本だけでなく、実験でのアメリカ国内の被爆者も相当いたはずです。
多分見る人を選ぶ映画
万人が観て感動できたり、笑えたりする映画ではなく、ある程度歴史的背景を知っていて、興味が無いと、長くて退屈な映画、ということになると思う。ただ、被爆国日本で上映する事に何か差し障りがあったり、差別的な扱いを受ける事は無いので、フラットな気持ちで観れるとは思う。 1人の優秀な物理学者が、国家プロジェクトに巻き込まれる苦悩を描いているのであって、それほど共感ができる訳ではなく、核の恐怖はそれが現実となるまで続いてゆくのだな、という事が再確認させられた。恐ろしい事だ。
まあ、殴られた人の痛みは殴った人はわからんよねえ
おっさん達が2時間くらいしゃべっている映画
核実験のシーンなどは一部だけで、ほとんどの時間は科学者や軍人の会話をベースに進んでいきます。自分は英語が聞き取れないので、字幕版が公開されてから見たのですが、とても分かりづらく単調で、人生で初めて映画館で寝てしまいました。
登場人物が多い上に時系列が頻繁に切り替わるので、事前知識があったとしてもきちんと理解してついていくのは厳しいんじゃないかと思います。わかるように作ることを放棄しているようにも感じました。
また、核爆弾の物理学的な説明などはあっさりとしていて、人物の関係性を中心に話が進んでいくので、そういうところに興味が薄い自分としては、面白みを感じられませんでした。
核実験のシーンは緊迫感があって良いと思いましたが、しばらくの無音から急な爆音が鳴るのでびっくりしました。爆弾の威力を表現したいのかどうかわかりませんが、こういう演出は好きではありません。
劇中に三位一体(トリニティ)などのワードが強調されており、アメリカ人には当たり前に備わっている概念なのかもしれませんが、自分には伝えたいことがいまいちピンときませんでした。ただ、そもそもアメリカ人向けに作られている映画だと思うので、それは仕方ないかもしれません。
監督のクリストファー・ノーランのインターステラーも視聴したことがありますが、そちらも内容がわかりづらく、もともと知識のある人向けというか、わかる人だけ見てね、というスタンスで作られているように感じました。今後、この監督の作品を見ることはないと思います。
正直物足りない
日曜のレイトショーの評価は眠くなるかならないかにかかってきてそうで怖い。が、眠くなったのはなったんだよな。実験成功まではIMAXの画面から音が凄まじく寝てる場合でもないのだけど、それ以降の栄光と没落という意味での没落パートも実はそうはならないように緩まずガンガンに攻めてくるのだけど、眠さは止まらない。
公聴会やら裁判やら、時代をポンポン飛ぶ聞き取りとディスカッションの映画でもあり、演出というか編集というか仕上げというか、セリフ劇のオペラというか、かなりMV的でもある。随時音楽に誘導され、火花がフラッシュして画面を横切り、じっくり見せるのが怖いのか、退屈されるのが怖いのか、とにかく3時間切間のないクリップと言って差し支えない、ひょっとしたら配信で見たら楽しいのかもって感じの映画かも。
そもそも映画の主人公としてのオッペンハイマーに魅力があったかは微妙。仮に零戦の開発者としての「風立ちぬ」の堀越二郎を並べてみても、天才描写や悪魔に魅入られる天才感が薄い。そして悪魔の発明の負の部分が、まあこの映画ではこれで(見せない方式)いいのだろうけど、全編を通して原爆の悪魔の発明感やヒールとしての主人公が、かつてノーランが描いてきた悪役よら面白くない。正直赤狩りパートは時代なんだろうけど、ここがあるから中途半端な感じがした
「原爆の父」功罪を全て背負い込むということ
原爆投下成功に対する無邪気な喝采、声の代わりに足を踏み鳴らして意思を表示する人々。その場にいると感じるくらいの大きな音が四方から響いてくる。
極め付けは、原爆実験の音。映像だけで爆発の威力を表現するんだ、と思いに耽っていると、耳をつんざくような轟音が突然やってくる。遅れた時間が爆心地までの距離のリアルに体感するとともに、爆音がもたらす振動に恐怖を感じる
メメントと同じくらい時系列が飛び飛びで混乱した頭の中も真っ白に。
あまりにも巨大な力で、興奮し、高揚する科学者や軍人。オッペンハイマーの表情から、神の領域に踏み込んで後戻りできないジレンマが読み取れる。
歴史にたらればはないが、ナチスドイツが先に原子爆弾の開発に成功していたならば、躊躇なくイギリスやソ連に投下したはず。
ドイツ系ユダヤ人であるオッペンハイマーが、あらゆる人材やリソースを駆使して原爆開発に全精力を注いだことは理解できる。だからといって、この映画が、原爆を肯定するわけでもなく、歴史的意義を説明するために作られていないことはラストを見れば明らか。
アインシュタインといい、オッペンハイマーといい、恋多きでは済まされない女性関係の多さだが、このことがオッペンハイマーを窮地に陥れてしまうのだから省略もできない。それにしてもフローレンス・ピューの圧倒的な存在感。エミリー・グラントが霞んでしまう。
「原爆の父」という呼び名の功罪を全て背負い込むことができた時、産みの親の責任から解放される。そんな物語でございました。
この程度の内容で買付を怯む配給会社
日本の負けは明らかなのに原爆を使う必然性がないという意見が出て揉めてたけど
果たして、本当に当時その意見があったのかどうか。
史実にどれほど基づいているのか不明なので「後からなら何とでも言えるよね〜」と思ってしまった。
ビターズエンドが買い付けなかったら、日本では一生公開されなかったのか…
この程度の内容で、一体何に怯んだのか?他の配給会社は。
爆風でケロイドぽくなる人のイメージがちらっと出てくる程度で
実際の惨状は一切描写されてはなく。
おっぴー(愛称らしい)の葛藤がメインだけど、割とよくあるテーマで、新鮮味はなかった。
呼び出しくらって色々と詰問されるシーンが最初モノクロ、
その後もう一回カラーで繰り返されて上映時間180分になった理由はよく分からないけど。
横で爆睡してた連れは、カラー再放送で救われたくち。
久々のオールスターキャスト、チョイ役にすら贅沢なキャスティング!!!
でも内容の割に長いと思う。
ノーランの成熟と、この映画を不快と感じた人への反論
私はノーランの前々作、ダンケルクのレビューを書いた時に彼の映画表現へのこだわり、シグネチャーである、「時間軸の編集」があの作品に関してはギミック的で不必要なのではと書いた。前作テネットもSFという設定を生かし、その時間編集が極端なまでの形で表れたギミック的な作品であった。
一方今作は複雑な時間軸でありながらも、基本的には核実験成功までの過程とその後の赤狩りによる彼への尋問が軸となり、交互に描かれ、なぜオッペンハイマーが水爆実験に手を貸さなかったかの動機が徐々に明らかになっていく。あくまでキャラクターの心情の変化や物語にそった形での時間編集であり、映画としてのスリルやメッセージ性を損なわずに見せる事に成功していると思う。しかもこの映画にはノーランが好むアクションやビジュアル的に驚くような面はほとんどない。核爆発のシーンの地味さはある意味肩透かしなほどであった(が恐らく意図的にカタルシスを避けたのだろう。)。物語と編集、音楽の力で3時間釘付けにさせてくれる。それが匠のレベルかというと、そういうわけでもない(例えばルイス・ストローズとの確執、そして彼がどのようにオッペンハイマーを追い込んだのかが若干わかりにくい)が、これだけの膨大な情報と登場人物の作品をまとめ上げ、派手なシーン無しで観客を飽きさせなかったというのはノーランのキャリアで考えても大きな達成であり、作家としての成熟であると思う。
さて、ここから私が目にしたニュースやSNSコメント欄等で見たこの映画に対する人々の感想への違和感、反論を書きたいと思う。
今まである程度、映画を観て来て、映像言語へのリテラシーがある人間なら、この映画の演出は明らかに「反核」であることも、オッペンハイマーが原爆を作った事を後悔している事も読み取れる。それは解釈とか想像ではなく明らかなレベルで。一度や二度でなく、何度も彼が後悔している事が心象風景からわかる様々な演出がなされている。
にもかかわらず、世の中にはこんなにも「台詞で言わないとわからない」人が増えてしまったということだろうか?
コメントの中には、開発に携わった人達が原爆開発成功及び原爆の投下成功に歓喜する場面を不快に感じたと言っている反核運動家の人がいて呆れてしまった。不快に感じるのは当たり前である。それは不快に感じるように意図した演出がされてるからだ。以下に詳しく論じる。
例えば、原爆投下によって手に入れた勝利を喜んでいるアメリカ人が映し出されることに複雑な感情を持つのはわかるが、大事なのは、なぜわざわざ喜んでいるアメリカ人を意識的に映しているのかという事だ。この映画ではそれを決して勝利に沸くカタルシスに使っているのではない。喜ぶ人々の映像は焼けただれた肌の女の子、真っ黒になった死体とのコントラストとして映し出され、映像もサウンドもゆがむ。オッペンハイマーはその状況を恐ろしい事として認識しているのは誰が見ても明らかだ。
その証拠に監督ノーランは、焼けただれた肌の女の子の役にわざわざ彼の実の子を使っている。広島で起こったことを他人事として扱い、アメリカの行いをヒロイックに描くのであれば、そのような事を意図してする訳がない。
また、軍部が日本への空爆の場所を決める場面。あそこでまるでボードゲームのように数十万人の人間が死ぬ爆弾を落とす場所を決めてる様子は、明らかにわざと「不快」になるように演出されてる。これから亡くなる人々を非人間化している不気味なシーンとして。その事に観客が気づくことが重要なのである。だから不快になるのは当たり前であり、それをもってこの映画の評価を下げるのは、起こった事象の評価と映画の評価を混同しているとしか言いようがない。
あと、これは映画とは関係なく歴史の観点からも。広島、長崎の原爆投下について、日本人である我々が被害者としてこの歴史を語り継いでいかなければならないのはもちろんだが、そこで感情的になり、客観性を失うべきではない。この映画で登場するハイゼルベルクから物理学を学んだのはオッペンハイマーだけではない。日本人の仁科芳雄もその1人だ。そして仁科芳雄は日本軍からの依頼を受けてウランの濃縮実験を行い、原爆を開発していた。結局戦時中に間に合わなかったが、実際にそれが使われたかは問題ではない。大事なのは、我々もそれがあれば、結局加害者として使っていたのだ。この事実を広島、長崎同様に日本人は歴史的事実として覚えておく必要があると思う。
三幕構成(IMAXで観る必要は特に無いです)
一幕:人物紹介(ちょっと退屈)
二幕:マンハッタン計画(一番関心高いとこ)
三幕:査問会議(法廷もの)
ノーランらしく複雑な構成に感じますが、ヒトラーが亡くなった事を知ってから二幕、日本への原爆投下を知ってから三幕と捉えれば分かり易いかと思います。
一幕で登場人物の名前を覚えられれば三幕がより楽しめます。自分は覚えきれなかったですが、覚えられなくてもストーリーは楽しめます。
個人的にはアメリカ万歳ってのは感じなかったけど、扱ってるテーマがテーマだけに当然複雑な気持ちにはなります。
ただ、公開を見送られるような作品なのかなと。むしろ多くの人に観てもらって色々考えてもらえる作品じゃないかなと思います。
あくまで、オッペンハイマーという人物に焦点を当てた映画って事を考慮して観に行くことをおすすめします。
また、ノーラン作品はIMAXで!っていう印象ありますが、これはヒューマンドラマなので特にその必要性は無いです。
「300年の物理学の成果が大量破壊兵器なのか?」 原爆の父オッペンハイマーの伝記映画。原爆を作った彼は何を思うのか?
▼感想
ノーランの大ファン、そして日本人として8ヶ月この作品を待った!
ストーリーは「何を」作って、「どこに」落とすのか分かっていたから、破滅へのカウントダウンが刻々と進んでいるように感じた。これはオッペンハイマーの人生にとっても同じことが言えたのかもしれない。
ストーリー構成は正直分かりづらかった。
ストーリーは①オッペンハイマーの聴聞会での尋問、②ストローズの公聴会、③オッペンハイマーの半生の3つが交差しながら進むが、これがかなり混乱する。
登場人物も多くて会話で名前だけが飛び交うため「これって誰のことを話しているんだっけ?」といったシーンも何度かあった。
ノーランの「テネット」のような難解さは大好物だが、このような分かりづらさは自分は否定的だ。
オッペンハイマー演じるキリアン・マーフィーの演技は素晴らしかった!自分は学校の先生に原爆を教わったが、オッペンハイマーは教わらなかった。彼の半生・人間性はキリアン・マーフィーに教えて貰った。もし自分がアカデミー主演男優賞を選べる権利を持っていても、間違いなく彼を選ぶ!
公開後に「広島・長崎の原爆の被害の描写がない」という意見もあったが、自分はオッペンハイマーの表情や言葉で十分だったのではないかと思う。
「良くも悪くも、私たちは皆オッペンハイマーの世界に生きています。」
これは、キリアン・マーフィーがアカデミー賞のスピーチで語ったことだ。自分にとってこの映画は今一度「原爆」について考えるきっかけになった。
▼印象的なシーン
核実験「トリニティ」のシーン。爆発の音も凄まじかったが、製作途中の「ジリリリリリ...」というBGMも不気味で怖かった。
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