オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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日本人として何を感じるべきか?
映画館にて鑑賞。
とにかく内容が盛りだくさんで、観ている間も終わってからも色々と考えさせられるため、脳がどっと疲れました...
3時間の映画ですがストーリーがどんどん進んで行き、状況とセリフを理解するのに一生懸命だったため体感は2時間くらいだったように思います。
まずCillian Murphyが本当に素晴らしいですし、キャストも豪華なので個人的にそれだけで観る価値ありだと思いました。
(ブラックミラーとオペレーションフォーチュンで見て以来気になっている、Josh Hartnettもとても良かったです。役の振り幅がすごい!)
映画の初めの方で思ったのは、科学・美術・神話の世界は繋がりやすい、ということ。
所々に差し込まれてくる原子や炎や宇宙などの映像は、それ自体は科学的なものですが、その中に“美”を見出しているような映像表現になっていて、オッペンハイマーやノーラン監督はそのようなところにも惹かれているのかなー、とぼんやりと考えていました。
普通の人には見えないものが見える、もしくは普通の人とは違う見え方をしている点で、科学者と芸術家はかなり近いものなのかもと思いました。
ピカソなどの絵画や神話の言葉などが入ってくる点も印象的でした。
「原爆の父」を題材にした作品ということで、日本人として自分はどう捉えるべきなのか考えてしまいました。私は日本に原爆が投下された時は生まれていないですし、被害にあった親戚なども(知る限りでは)いないため、あまり自分ごととして捉えられていないのが事実な気がします。もちろん、アメリカの政府関係者がいつどのように日本へ原爆を投下するか話し合うシーンでは違和感や不快感を覚えました。原爆犠牲者のことを思うと心が痛みます。でもそれは日本人でなくても感じることなのでは?と思い、当事者でない人にその出来事をその時の感覚で伝えていくことの難しさについて考えさせられました。
そんな中、この映画をきっかけに原爆について考えたり議論をする機会ができたという点で、『オッペンハイマー』には大きな意味があるのではないかと思います。
自分と同年代の人がこれを観てどのように感じたのかを知りたい...
ノーラン監督の作品は音楽も素晴らしいと思います。
音楽のおかげでかなりストーリーに没入できます。
あの緊迫感をあおる独特な音の使い方も好きです。
やはりノーラン監督作品、1度観ただけでは中途半端な理解しかできていないので、配信でになるとは思いますが再鑑賞していこうと思います。
観終わった後も色々な考えがあふれてきて書かずにはいられなかったので、翌日に思い出しながら(まとまりのないメモ書きのようなものですが)レビューしました。
人類は同じ鉄を踏み続けるのか?
公開からそれなりに時間が経っているし、歴史的な事実の部分もあるので、細かなネタバレ的な部分も気にせずに書こうと思う。
3時間越えの本作はオッペンハイマーに対する公聴会の場面から始まり、全体としては三幕構成になっている。最初の1時間(第一幕)はオッペンハイマーとはどのような人物なのかという「人となり」が描かれ、理論物理学者としては優秀で量子理論のアメリカでの先駆け的な存在である一方、実験は下手で数学も大したことがない(アインシュタインも数学で大学受験を失敗しているというという逸話は映画には出てこないが、匂わせるセリフはある)上に、女にだらしなく、子どもにも冷淡なダメ人間であることも見て取れる。第二幕、次の1時間はマンハッタン計画、即ちロスアラモスにおける原爆の開発をナチスよりも先んじなくてはならないと急ぐ様子で費やされる。そして最後の1時間(第三幕)は、原爆投下後のオッペンハイマー自身の罪悪感との葛藤と公聴会の背景(ある意味の「種明かし」)が描かれる。
時系列が分かりにくいというコメントも目にするが、公聴会での発言があり、その発言の背景となる場面が描かれ、また公聴会に戻る、ということを繰り返しているだけで、それほど複雑でもない。そして、ストロースの指名を巡る場面については白黒画面になってオッペンハイマーの物語と区別してくれている辺りは、ノーラン作品としてはむしろ親切かも。
広島や長崎での原爆投下場面が描かれていないから原爆礼賛映画になっている的な批判があることを耳や目にしていたが、いったいこの作品の何処を見ていたんだ!といういう疑問の方が大きい。原水爆反対のメッセージは明らかであるし、何度も散りばめられたイメージ映像によってその悲惨さを伝えいることに加え、実際の投下について知らせて欲しいと軍部に伝えてあったにも関わらず投下後のニュースをラジオ聞くまで知らされなかったというオッペンハイマーの焦燥感を描く場面に、投下の映像を挟み込んでしまったらむしろダメだろうとさえ思える。
結局、科学者ができることは何なのか、その研究結果を良い方向に向けるのか、悪い方向に向けるのかを決めるのは科学者ではなく、政治家なのだ。もとは軍事用通信システムであったARPANETがなければ現在のインターネットも存在せず、SNSでこんな書き込みをすることもなかったであろう。ドローンを空撮に使うのか、それとも空爆に使うのかも、ドローン開発者が決めていることではない。
「時代の要請」というキレイなことばを使えば最先端の素晴らしいことをしているかのように聞こえるが、現代におけるAI開発についても無邪気に喜んでいるばかりではなく、「開発のその後」をどこまで自覚的になれるかによって、人類が同じ鉄を踏むか否かが違ってくるであろう。
第2次世界大戦中、物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を...
賞狙いの安っぽい構成
原爆そのものの悲劇のストーリーではない。
オッペンハイマー自身の栄華、苦悩と後の没落を描いた映画であり、原爆の悲劇を描けという意見は根本的に間違っている。その上でレビューを書く。
一部は史実と異なるストーリーだが、3時間にも及ぶ本作品において、オッペンハイマーは未来を見据えることの出来ない人物として描かれている。それ故の一時の栄光、そして原爆が日本に投下されたあとの苦悩・後悔、その後の赤狩りによる没落までを彼自身の思考、彼を取り巻く周囲の人物とともに、繊細に描いている。
原爆投下についての理解を深めたい方には是非オススメしたいが、原爆投下そのものの悲劇を学びたい方にはおすすめはあまり出来ない。オッペンハイマーの人生についての物語であるため、原爆投下が直接的に描かれているわけではない。この点については留意されたい。
核保有という緊張
映画館など、3時間作品とだけ向き合う環境で見ないと、評価は難しい気がした。映画館で観られて良かった。
作品の終わりに、そのあと続く冷戦時代を考えた。
私はその時代の、大国が核爆弾を所有したまま睨み合っている世界を生きたことは無い。「この瞬間にも、どこかの国の誰かのひとつの過ちで世界は終わるかもしれない」というのが、妄想ではなく今ある現実だという心地を知らない。もちろん今も核保有国はなんなら増えているが、今よりもはるかに兵器として容易く使用する心づもりで二国間が一髪触発であった世界と、今の世界の人々の心理状態が同じとは思えない。
その時代の世界に生きながら人々が感じていた緊張感を、そういえば私は手塚治虫作品から強く感じていた。その時を生きてその緊張を作品に詰め込んだ天才を思い出したときに、ふとオッペンハイマーは2020年代の世界の作品だな、という感想になった。私たちは、日本だけではなく世界の私たちは、その緊張を知らない。
天才物理学者の業績とその社会的評価に潜む内情に切り込んだ重厚な人間ドラマ
1938年に核分裂を発見したナチス・ドイツの勢力拡大に危機感を抱き、原子爆弾開発の“マンハッタン計画”を1942年に立ち上げたアメリカの、その極秘プロジェクトのリーダーであるJ・ロバート・オッペンハイマー(1904年~1967年)の理論物理学者としての生き様を赤裸々に描いたクリスファー・ノーランの力作にして、上映時間180分の大作。原作のガイ・バードとマーティン・J・シャーウィの25年の労作の共著『American Prometheus:The Triumph and Tragedy of J. Robert oppenheimer』(2005年)を一人で脚色したノーラン監督の映画に賭ける意気込みが、そのまま作品として完成した迫力と重厚さに圧倒されました。先ず驚いたのは、オッペンハイマーの生涯を分かり易い時系列順ではなく、1954年の公職追放になったオッペンハイマー事件の保安聴聞会と、彼と立場の違いから対立し謀略もしたルイス・ストローズ(1896年~1974年)が1959年に受けた公聴会の二つを基調としたモンタージュの複雑さです。オッペンハイマーの視点からみた世界をカラー映像(核分裂)、ストローズからみた世界をモノクロ映像(核融合)にした表現の対比構造、これが1926年のハーバード大学卒業から1963年12月のアメリカの物理学賞「エンリコ・フェミル賞」をジョンソン大統領(本来はケネディのはずだった)から授与されるまでの37年間の時系列に組み込まれています。これによってオッペンハイマーの行動と意識の両面が時空を超えて主観と客観の視点から重層的に描かれるという、挑戦的なモンタージュ技巧の革新さでした。ただ初めて本格的にノーラン作品を鑑賞したので、改めて指摘することでは無いのかも知れません。それでも栄枯転変の学者人生を歩んだオッペンハイマーの生涯を浮かび上がらせる表現法であるし、鑑賞時にはより集中力も必要とする特質も認めつつも、この独創性には最近になく衝撃と感銘を受けました。D・W・グリフィス監督の「イントレランス」や「去年マリエンバートで」のアラン・レネと比較したい衝動に駆られます。そして映画のラストシーン、オッペンハイマーとストローズが初対面した1947年のプリンストン研究所の庭園シーンのリフレインで、ここでアルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)とオッペンハイマーが交わした会話を聴かせる映画的語りの巧さには思わず唸りました。映画冒頭のモノクロシーンがカラー映像に変わり、カメラアングルを変えて量子物理学の2人の巨人、オッペンハイマーとアインシュタインで閉める見事な終わり方だと思います。
1943年のロスアラモス国立研究所建設から1945年7月の人類史上初の核実験の映像も興味深く観ることが出来ました。ナチス・ドイツが1945年5月に降伏して開発継続の意義に疑問をもつ科学者を前に語るオッペンマーの決意は、戦争終結のために日本に投下すること。しかし、敗戦濃厚の日本は既に1945年3月の東京大空襲によって甚大な被害を受け、終戦の交渉も同時進行していたとも言われます。太平洋戦争開戦の切っ掛けとなる真珠湾攻撃も、アメリカが第二次世界大戦に参戦するために故意に挑発していたとする後世の分析もあります。日本人にとって知りたいことが、この映画では描かれていないのは事実です。陸軍長官ヘンリー・スティムソンの言葉は、日本はいかなる状況でも降伏しない、本土決戦に至れば双方とも多くの命が奪われる主旨の内容でした。戦後80年語り続ける戦勝国アメリカの言い分には、日本人として納得できないものがあります。1919年生まれの私の父は、身体が弱く最初の徴兵検査で落とされたものの戦況悪化で国内の陸軍に徴兵されました。1945年8月9日は熊本の天草に駐留していて、遠く北西の空に舞い上がるきのこ雲を見たと言います。テレビで原爆についての放送があると、その衝撃を何度も語っていたことを想い出します。当時の日本人にとっては巨大な爆弾にしか思えなかったでしょう。しかし、日本にも優秀な物理学者がいたはずです。アメリカ軍が両国の物理学者を通して、完成した原子爆弾の本当の恐ろしさを伝えていれば、日本を降伏に導くことが出来たかも知れません。戦争とは憎悪の応酬でもあります。日本が敵国を鬼畜米英と罵れば、アメリカも日本人を差別する。ナチス・ドイツの反ユダヤ主義に開発の闘士を燃やしたユダヤ人科学者オッペンハイマーの動機が、人種差別から日本投下を正当化するのは、全て戦争という憎悪と不寛容が終わりなく消し去ることが出来ない、人類の特徴的気質でもあるでしょう。
(10代後半から社会人になるまで映画鑑賞の手立てとして心理学や人相学、と言っても雑学レベルの取るに足らない関心事として、ある血液占いに納得するものがありました。それは日本人に多いA型の特質とアメリカ人に多いO型の比較です。A型の人は真面目で勤勉で通常時平静を装いながら常に心配症で不安定ながら、限界を超えると最強になる精神性を持っている。居直たら強いのです。それに対してO型の人は、常に朗らかで明るく振る舞うも、限界を超えると一気に不安に駆られ精神的ダメージを負うというものでした。日本軍人の自己犠牲を目の前にして恐怖を感じたアメリカ兵の姿は、特攻隊を扱った映画などで知ることが出来ます)
8月6日の広島原爆がトルーマンの演説で成功したことを知るオッペンハイマーのシーンでは、涙を抑えることが出来ませんでした。アメリカンプロメテウスとギリシャ神話になぞられることにも、日本人として若干の違和感も感じます。文明の進化が数少ない天才の継続によって人類に高度な社会生活をもたらすと同時に、ダイナマイトを始め軍事産業に革新的な武器を提供するのも、凡人には計り知れない天才の偉業であるでしょう。原爆の父と言う称号には、善と悪が絡み合って観る者を考えさせる深いテーマがあります。特に興味深いのは、マンハッタン計画にソビエトのスパイが忍び込んでいた事実です。19歳の最年少科学者セオドア・ホール、スパイ容疑で1950年から9年間服役したクラウス・フックスの存在は各自別行動であったとする複雑さです。当時のソビエトがアメリカの同盟国であったことを改めて認識すると共に、当時のアメリカに共産主義が浸透していたことも分かり易く描かれています。オッペンハイマー自身共産党の活動に参加していたことを知ると、当時の知識階級の極普通の政治活動であったようです。それが戦後の冷戦状況で赤狩りによる弾圧があり、それによってオッペンハイマーの人生が狂わされるという展開は、アメリカンプロメテウスだけの考察に終わっていません。エドワード・テラーが提唱した水爆開発が戦後の国際社会で最優先の防衛の武器になってしまった今日にまで続く問題は、現在も解決の糸口が見つからない。
脚本の映画的な構成とその映像化の完成度の高さに匹敵するこの作品の見所は、多くの物理学者や軍人、政治家を見事に演じた俳優の成果にもあります。特に素晴らしいのは、オッペンハイマー役のキリアン・マーフィーの演技でした。感銘を受けた「麦の穂をゆらす風」の演技から更に成熟したものを感じました。ここ最近の演技では特筆すべき名演であると思います。敵役ルイス・ストローズのロバート・ダウニュー・Jrは、「チャーリー」の頃の才能ある芸達者な俳優から貫禄を付けた深みのある役者に転身していて、これにも驚きました。レズリー・グローブス役のマット・デイモンの安定した演技力も存在感を示しています。他にジョシュ・ハートネット、マシュー・モディーン、ゲイリー・オールドマン、ケネス・ブラナー、ラミ・マレックと登場シーンが少なくも懐かしさ含め楽しめました。この男性陣に負けない存在感を見せたキャサリン・キティ・オッペンハイマーのエミリー・ブラントと、恋人ジーン・タトロックのフローレンス・ピューも素晴らしい。兎に角演技面の不足が無いことに、キャスティングの良さとノーマン監督の演出力の高さを痛感しました。ルドウィッグ・ゴランソンの音楽のある程度抑えた不気味なメロディは、映像を補っても邪魔していない配慮もあり映像と調和しています。ホイテ・ヴァン・ホイテマの落ち着いた色調の映像美も素晴らしい。この作品は、日本人として付け加えたい内容でありながら、第二次世界大戦の時代を多面的に描いたアメリカ映画としての見応えと、その映像編集の斬新なモンタージュの試みに挑戦した画期的な映画として称賛するに値する傑作と思います。
観れてよかった
待ちに待ったノーランの新作(海外では昨年公開済)をIMAX-GTで観ました。
ノーランといえば109シネマズEXPO阪・・・もうノーラン劇場て名前変えた方がいいんじゃないの〜
そういえば「ダンケルク」公開時、初日2日目なのにパンフレット売り切れて買えませんでした😨その当時、東京からわざわざ観に来られた方が多かったような気がします。
当時はノーランの作品を観る上下に広がる画面を観るのはEXPO大阪しか無かったらのです。
(今は池袋サンシャインシティがありますが)
さて、オッペンハイマー公開初日から1週間という事で場内は満席でした。史実なのでノーラン作品の中では一番分かりやすいのでは、ないでしょうか。時空は飛ぶけど・・・「ミッドサマー」のフローレンス・ビューが出てたけど最後まで分からなかったです。エミリー・グラントは影が薄かったような。キリアン・マーフィーは良かったです。(「インセプション」の頃から好きな俳優さんだったのでアカデミー賞受賞は嬉しいです)
最初どうなんだろうなぁと思ったアインシュタイン役の人は自然な感じで良かったです。
(戦場のメリークリスマスに出ておられましたね)
オールスター出演は、いいのですが話が入ってこなかったです。今回はIMAXの画角を生かしたかといえば、そうとは限りませんでした。
その点ではジョーダン・ピール「NOOP」の方が優れています。
ただノーランもデビッド・リーンの様な重厚感が出てきた様な気がします。
しかし休憩なしオッペンハイマー正直きついなぁ😓
原爆開発者とスパイ
J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)と、その妻キティことキャサリン・オッペンハイマー(エミリー・プラント)、それとロバートの元カノであるジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)の三人は実在した人物で、原爆関係の実話をクリストファーノーラン監督が映画化したもの。視聴前にそれくらいの情報だけで挑みました。
実際、観てみると登場人物の数はかなり多いのですが、しっかり覚えていなくてもストーリーを楽しむことができました。きっと詳しく知っていたら、もっと興奮できるかもしれません。
回想シーンが沢山ありますが、演出が上手くて混乱することもなく、分かりやすくて良かったです。
実験のシーンは臨場感があったし、アインシュタインの登場シーンも印象に残ります。
当時の政府の深い闇について考えさせられました。スパイが存在していて、登場人物が騙されていたことが描かれています。
日本の原爆についてどのような見解を持っていたとしても、J・ロバート・オッペンハイマー視点で描かれているので、整合性が取れるように作られていました。
アメリカ政府が技術力を世界に誇りたいがために捏造した(大日本帝国において仁科博士が完成させた原爆を地上起爆させたという陰謀)と考えて視聴したとしても、公式発表の通りアメリカで完成した原爆を日本に運んで空中爆発させたことを疑わずに観たとしても楽しめる内容になっていて、見事な脚本だと思います。
戦中・戦後の当時の雰囲気や人々の会話・表情も見ごたえがあり、キリアン・マーフィの圧倒的な演技力に魅せられました。
恐ろしく難解、かつハイスピードな社会派
ここまでスピード感のある社会派の作品を観たことがない。
恐ろしいスピードで描かれるオッペンハイマーの原爆製作までの道程と、その後の顛末。
大前提として、オッペンハイマーが原爆製作後に罪悪感を抱えていた、という心象があって成立している。
原爆製作は科学者として、他国の先を行きたい、と思って突き進んだ結果であると。
先を見る、ということができていなかった彼は、原爆の成果から水爆は作ってはいけないと判断していたと。
ドイツやソ連といった明確な敵国が存在していたからこその軍拡だが、日本はそこにたまたまいた、厄介な島国に過ぎない。
原爆を落とさずして日本に勝利することはできたのか。
もちろん、勝利はできた。だが米兵の犠牲は増えただろう。圧倒的な軍事力を見せつけるだけなら、近海に落とした上で降伏を促す術もあったのでは、と考えるが、そこは戦争。しっかりと犠牲を産んで、事を納めたわけだ。
後半の裁判のような展開も、何となく分かるが、ほぼ分からない。
役者の芝居と音楽で、引っ張っているにすぎない。この辺りは、ソーシャルネットワークの展開にも似ており、スピード感のある編集で飽きさせずに保たせている。
ロバートダウニーJrが素晴らしいが、なぜ彼を貶めるような流れになってしまったのか、がイマイチ伝わりきらず、ストーリーとしては半煮えな印象。
総じて素晴らしいデキだし、傑作であることに間違いないが、反核ではなく、独りの男の苦悩を描いた作品として描かれていることに、日本人は物足りなさを感じてしまうのだろう。
プロジェクトXではないので、フィクションとして描かれる史実に、足りない描写があるとすればそれは、意図に対して不必要だったからにすぎない。
ちゃんと公開し、正当な広告がうてていれば、日本ではまた違った流れができていたに違いない。
長いが、あっという間。是非多くの日本人に観ていただきたい。何ならアメリカ人と一緒に観て意見交換するのも、楽しいだろうな。
長い。ヒロシマ、ナガサキは?
昨年映画館で見損ねた作品。話が話であるだけにまあ仕方ないのかもしれないがやはり3時間は長い。そして、日本人としては一番気になる所である広島、長崎の件に関してはほぼスルーだったのには驚いた。タイトル通りロバート・オッペンハイマーの一生を描いた作品で、それ以上のものではない。予習せずに観た僕にも問題があったが、カラーの場面とモノクロの場面の違いがどこから来ているのかを把握するのに1時間くらいかかった。ある意味狂言回しと言うべきストローズを見ていると、本当に男の嫉妬というのは醜いとしか言いようがない。マット・ディモンとか、フローレンス・ピューなど贅沢なキャスティング。
核兵器の使用が叫ばれる現代こそ
ナチスが原爆を作っているとの情報で、アメリカの威信を掛けて原爆を作る。
しかし、ナチスは降参。
作り上がった原爆を日本に落とす。
原爆の脅威を見せつける事でその恐ろしさを示めす為。
やがて原爆の父と呼ばれる事になる。
やがて水爆が開発され、その脅威に核兵器の反対の立場を取る。
大統領とも閲覧し、核兵器の反対を述べるも「小心者!」と大統領に叱責される。
やがて赤狩りの様な尋問委員会に糾弾されるが自分を嵌めた委員を同僚の科学者が彼を救う。
所々でアインシュタイン博士が登場し、「研究が理解出来なかった民衆の為に君は賞を私に与えた。これはわたしにではなく、理解出来ない大衆の為に賞を与えた」等、コメントをくれる。
人の成功は時によって、その時代によって多角的に評価されるものだと思った。
原爆の父と祭り上げられても、その脅威で反対の立場を取れば評価は変わる。
ウクライナ侵攻でロシアが核を脅しに使っている昨今。日本の反核団体がノーベル平和賞を受賞した。そんな時代に必要な映画だと思う。
展開についていけず
事実を描いている点が評価のポイントなの?ヒューマンドラマが弱かったです。
これが評価されている時点で、アメリカの歴史教養や科学史、戦争の振り返りが知識階級にすら不十分なんだろうなと感じました。淡々と伝記と歴史を描いている点について、この作品を評価する理由が「知らなかったことを知らせた」だけにつきるなら、こんなにつまらない評価理由はないです。
日本の公開を遅らせたような配慮についても、いや、今更この程度のことで刺激も批判もありようがないだろう程度です。
当時の軍の汚さ、共産主義がどう科学者に影響を与えたかなど裏を描いたところは面白いですが、それ以上の何かがあるわけではないです。
興味を持ったのが家族・友人関係や、共産主義者の女性との関係とか奥さんとのヒューマンドラマですが、単なる映画をエンタメとして成立させるための刺激で終わってしまいました。結局トルーマンやアメリカの覇権主義をどう評価しているかを入れていないし。漠然市民に原爆を使った何かがある程度です。
この映画を3時間近く見て、大量破壊兵器を開発した人の苦悩というありきたりの視点だし、科学者の変わり者の性質とか、軍や国家の機密は非人間的だ、核兵器は怖いねとか、核兵器を開発した人は病むよねとかそういうのを描きたいの?としか思えませんでした。
それぞれの演技や当時の再現度などは素晴らしいと思いますが、それは映画としての評価の一部です。
チェーンリアクション
3時間は長くて登場人物の立場が分からなくなる場面もあったので全てを理解できたとは思わない。オッペンハイマーは求められて、米国から求められた結果を残した。オッペンハイマーだけが非難されるべきではないし、原爆投下が戦争を止めたとも思わない。ましてや日本の負けはほぼ決まっていた。ニアゼロが現実と化していた場合は地球は滅んでいたが、実行に移してしまうものなんだなとは思った。核兵器開発競争のチェーンリアクションの引金を引いてしまったのは事実。止めることができた可能性があるのも事実。自分の利益や所属する国家の利益だけを求めることは間違っている。責任や影響力が大きい立場の人間ほど大きい十字架を背負わされてしまうことは悲劇だし、何者でもなくてよかったと思ってしまった。人間は私怨にとらわれたり、特定の利益だけを考えたりして行動してはならない。一つの判断による社会全体への影響を精査して決断を下さなければならない。
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