オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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少し予習しておいた方がより楽しめる
3時間という長尺でも全く飽きずに鑑賞できました。
ただ、複数の時系列が入り乱れる構成を理解するのに少し時間を要してしまい、序盤の理解が不充分になってしまいました…。また、登場人物も多くて名前と顔とポジションが消化しきれず。
上記2点については若干の予習をしてからの鑑賞がお勧めかもしれません。
あとは、歴史が得意じゃない人(自分がそう…)は第二次世界大戦前後の大まかな世界情勢は復習しておくと年号が出てきたときに直感的に時代背景が補完されてベターな気がしました。
原爆の実験シーンは、さすがに日本人としてアメリカ軍に対する憤りと憎しみの感情が沸き上がるのを禁じ得なかったですが、この映画の主題は核兵器の是非ではなく、一人の天才科学者の輝かしい成功とその陰にある苦悩であると解釈しました。
だとすると、もう少し苦悩する部分に尺を割いてもよかったのではないかという気もするのです。
社会派作品
アメリカから見た原爆投下。歴史を学ぶ教材として良い映画
ノーラン節は健在
映像作品としての演出は流石のノーラン
大前提として面白かったか面白くなかったかでキッパリ別れるタイプの映画。
ノーラン映画を知っている人はわかると思いますが、この作品でも数タイムラインに分かれいる。
オッペンハイマーの聴聞会(1954)
ストローズの公聴会(1959)
オッペンハイマーの物語(1925〜1945?)
他にもあるがメインはこの3つ。
ノーラン独特の手法でダンケルクなんかはこれに似てたんじゃないかな。
この手法がうまくラストでまとまる。
まとまったかどうかも、観る人に委ねられている感じが最高に意地悪。
この手法のせいでノーラン映画は時間軸がわからないや人物の関係性過去や未来がどこで一致するのかとにかく厄介。
好きな人には刺さるが的が狭い
が、今作はそこまでは難解ではない。
頭から完結まで見れば『なるほどね』と終われる映画。
それよりも今回のテーマ。
オッペンハイマーと言えば。。
日本人には嫌でも忘れることはできない『原爆』の話を避けては通れない。
かなり攻めた題材だが。
オッペンハイマーとはどんな人物か。
名前は知っているが、、と言った日本人が大半だろう。
それ自体を映画の脚色ありきでも知れて良かったと思う。
造ったのはロスアラモスのチームだが
落としたのはトルーマン大統領。
ここは重要。
アメリカにとっては平和の為の善であり
日本にとってはただの戦争犯罪大量虐殺。
互いに言い分はあると思うが、ここは我々日本人としてはパールハーバーの攻撃を踏まえたとしても、やり過ぎ。
普通にありえない。
既に負けは確定していた。
本土の決戦になれば更なる死傷者が出ると予測されたが、日本は本当に降伏しないつもりだったのかは不明だしアメリカ側のイメージでしかない。
日本と言うより完全にロシアと戦っている。
その踏み台にされたのが日本。
なんとも考えさせられる内容だった。
映画館にて音響が地響きのようにリアルに感じる様は衝撃的だった。
自分が日本人である事を強く感じました
オッペンハイマーの映画
唐突に終わる
時間軸が飛び飛び、場面がコロコロ変わる、セリフの中の名前が誰を指してるのか分からない。で、1時間くらい訳分からん状態で進行する。
原爆の父と呼ばれた男が、権威を失墜し、名誉を回復するまでの個人的な物語といったところか。だいそれた事を成し遂げた人なのだが、非常に狭い世界で生きている。原爆の功績を持ち上げられるが、自分の下らない一言で恨みを買い、高みから転がり落ちる。かと言って廃人同様になるわけではなく、大学教授のポストにはついている。宇宙のパワーを利用した原爆、星の誕生と終焉の映像と諮問委員会に掛けられる現実の対比。
正直原爆を落とされた側からすれば、権威を失墜しようが名誉を回復しようがどうでも良い事だと思った。
「原爆の父」のその後
伝記『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』を下にした作品。
映画公開時、オッペンハイマーは原爆の描き方、そして、同時期に公開された映画『バービー』と融合させた描写の「バーベンハイマー」が生まれたりして、大批判が巻き起こりました。特に日本では、原爆をちゃかしている、被爆者への配慮が足りないなどの批判が巻き起こりました。
でもなぁ、作品をみて見て、それらの批判は『なんだかな』と思いますね。そもそも、この作品は、原爆開発に携わったオッペンハイマーを描いた作品なんですよね。被爆者の悲劇を軽視する意図はありませんが、殊更その点について固執するのは、この作品で描いていることをあまり理解していないかなと思います。
それよりなにより、オッペンハイマーが、「原爆の父」としていいように使われて持ち上げられた後は、いろんなしがらみや政治に巻き込まれて非難にさらされていたという事を知りました。もっとも、対外的には、公職追放後も一流の研究者として活躍していたようですが。原爆開発後に、そう言うオッペンハイマーの“その後”を描いた時間が、1時間ほど残っているので、実はそこに焦点を当てたかったのではないかと思いました。
百聞は一見に如かず。
Near Zero
政争が題材になり、彼の人となりや生き様が世知辛い世界においてどのように取り扱われるのかに焦点がいってしまう。高慢で鼻っ柱が高く、しかしひとつには打ちこめず目移りもし、野心もあるがただ不器用である。だからって悪いはずもなく、それも人の道であって、卑下するべきものでもない。
政争の仇役となったロバート・ダウニー・Jrが名演である。こういう奴が食い物にする。巡り巡って墓穴に嵌るが、その展開は別にどうでもいい。結局は歴史が評価をする。この男の名は記憶に残らない。
原爆開発や投下に関する道義的な議論は触れるが突き詰めてはいない。肩透かし感はあるが、政治的判断というのはいずれにせよ、オッペンハイマーの演説に熱狂的な声をあげた一般人に帰結する所であり、象徴的にその肌を熱線で焼いた絵を以って、制作者は応えたように思う。
日本人として絶対に観るべき作品
原爆の開発に至った苦悩が描かれている。名だたる俳優陣が脇を固め、3時間の長さを感じさせない。
第二次世界大戦を終焉させるべき原爆の開発を進めるも、ヒットラーの自決により、日本に対しての使用に突き進む政府。米国の同盟国のソ連に対しての軍拡競争も激化するなか、極秘裏に進められる原爆の開発の裏側が克明に描かれており、とても興味深い作品であるが、原爆の被害を過小評価していた事実もあり、日本人に対しての悪意は最小に描かれていることには、多少の疑問符が残る作品です。
「彼らは僕らを必要としてるんだ」「不要になるまではね」
3つのタイムラインが交錯して無駄に複雑で、
むしろ「オッペンハイマーvsストローズ」っていう作り。
ストローズなどという小者は、
1954年のオッペンハイマーへの査問を画策した端役でしかなく、
1959年の公聴会(モノクロで描かれる)などは、原作でも最終40章にチラッと出ているだけの付け足しで、
最初から一貫して描く必要など全くない。
最後にひっくり返してザマミロ、だけでいいじゃないか。
どうみてもこの映画は、
戦後のオッペンハイマーに対する非難やら誹謗中傷やらに重点を置きすぎている気がする。
(ていうか、そこが一番描きたかったとこ? だとしたら、トンチンカンと言わざるを得ない)
* * *
映画の軸は、1954年の査問。
その尋問に、オッペンハイマーがこたえ、
記憶をたぐって語る、という形で物語が進む。
はっきり言って、
誰が誰なのか、1回観ただけじゃ分からん登場人物続出。
ただでさえ時代がどんどん経過して登場人物が多く、
見た目じゃ区別しにくい人が多々あるうえに、
ファーストネームとファミリーネームを切り替えられたりすると、お手上げ。
原作(四半世紀かけて書いたという長大な伝記)を読みかじり、
誰の台詞か明記された英語字幕で見直して、
ようやくあちらこちらの関係が判明。
もっとダイエットしないといけないんじゃありません?
小者ストローズの出番を削るだけで、だいぶ余裕ができると思うんですけど
>ノーラン監督
* * *
そしてようやく中身の話。
若き科学者たちの向学心によって
量子力学などの理論物理学が爆発的発展を遂げた1920年代
(オッペンハイマーも、その中にいた)
その後の30年代は、
共産主義とファシズムという左右両極対立が顕在化した時代。
この二つの要素が融合して核分裂を起こし、
原子爆弾の開発と使用に至った。
つまり、
純粋な好奇心が、政治との不幸な出会いを通じて世界の破壊につながるという予想だにしなかった事態を、身をもって経験した科学者たちの中心にいたのが、オッペンハイマーなのだろう。
ということを思わせたのは、映画なのか原作なのか、実は定かでない。
* * *
ひとつ意外だったのは、
広島・長崎で22万人、東京大空襲で10万人の、非戦闘員が殺されたということに触れている点。
まあ、台詞だけだから、
どれだけの重みを受け取るかは、受け取る側次第だけど。
すでにヒトラーは自殺し、ドイツが降伏している状況で、青息吐息の日本に、落とす意味はあるのか?という意見もあった。
それでも日本に落としたのは、ソ連に対する示威だということは、読み取ろうと思えば読み取れる
(そこには最早、科学者の出番はない)
が、これもまた、受け取る側次第。
でも、「トリニティ」実験の成功以降、オッペンハイマーに疑心が生じたという描写は、映画も原作に忠実。
とはいえ、
「こうでもしないと日本は降伏しない」
「これによって米兵の命が救われる」
という論理は、決して否定されなかった(あるいは、今もされない)
というのも、米国の現実なのだろう。
* * *
印象的な台詞。
「物理学300年の集大成が、大量破壊兵器なのか」
ーー残念ながらそのとおり。
「彼らは僕らを必要としてるんだ」
「不要になるまではね」
ーー残念ながらそのとおり。
集中力を要する
銃社会、自分の身は自分で守るという考えが根差していれば「抑止力は必要」が常識で、日本みたいに「おまわりさーん!」なんて呼んでたら到着する頃に死んでる...ミクロかマクロかの違いで、国同士でもそういう事なんですよね。
ラストシーンを噛み締めながら、色々考えてしまいますね。
前作は冒頭から引き込まれたので、必死についていく!という感覚でしたが今作は集中力が必要でした。
過去と現在を場面で行ったり来たりするのはいつもの事ながらついていくのが大変。
阿呆にはつらい映画ですが、この作品を当事者である米国人が作って観ているということに意味がある気がします。
戦争に勝利した者の特権として歴史を都合良く残して「必要だった」と声高に主張する国でよくこんなの作れたなぁと思います。
いずれにせよ、映画を楽しめる日々が続きますように
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