オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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人間・オッペンハイマーを通して、当時のアメリカを視る映画
「プロメテウスは神から火を盗んで人間に与え、そのために岩で鎖に繋がれ永遠の責苦を受けた」
J・ロバート・オッペンハイマーは、「原爆の父」と呼ばれる以外に「アメリカのプロメテウス」とも異名がつけられている物理学者で、本作ではキリアン・マーフィーが演じた。妻キティ役にはエミリー・ブラント、いずれもアメリカの俳優ではない。
その他、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、フローレンス・ピューなどを要所に配した。
オッペンハイマーを単なる学者としてではなく、人間として描きたかったという意思を強く感じたのは、
◆T・S・エリオットの代表作である長編詩『荒地』を読むシーン、
◆ピカソの『ドラ・マールの肖像』(←だったと思う、うろ覚え)を鑑賞するシーン、
◆クラシックのレコードを手にするシーン
が弦楽器のアンサンブルをBGMにしてインサートされるのに加え、
極めつけは、フローレンス・ピュー演じる共産党員ジーンとの濃厚な濡れ場である。時間こそ短いものの、全裸で演じる意味は、大学教授という職種とのギャップを強調するためであろうか。
あ、それでR15なんだな、とタネ明かしされた気分だった。
量子力学という新分野の研究に取り組み
ブラックホールの存在を理論的に証明し
左翼や組合、共産党に好意を示し
アメリカ政府から原爆開発リーダーに指名され
原爆を完成させ
その後の水爆開発には反対の立場をとり
ソ連のスパイ疑惑をかけられる…
さすがに幼少期には触れないが、成人以降のオッペンハイマーの半生を180分の映画で再現した。
脚本が良くできており、3時間の上映時間があっという間に感じた。
こむずかしい理論や学説はほとんど出てこない。
学者の功名心、政治家の栄達欲、男女関係、夫婦関係、弟への信頼、裏切らない友人と裏切る友人。。。
実話をベースにうまくまとめているし、
映像と音響もまるで人物の内面を擬態するように非常に効果的に使っている(いい例としては、オッペンハイマーの動揺を暗示するシーンでは、彼の背後の壁が地震の初期振動のようにカタカタと音を立てて動き出す)。SFならまだしも、実在する人物を扱う作品としては斬新ではなかろうか。
伝説の人・アインシュタインの使い方もうまいと思った。
印象的な内容をひとつだけ。。。
ロスアラモスに集結した学者たちの議論の中で、
「原爆を一発爆発させると地球全部が爆発するかも」
という懸念が提示される場面があった。もしそうなら、原爆開発は中止するしかない。
しかし、しばらくたつと、そうなる可能性は「ほぼゼロ(nearly zero)」とわかるのだが、誰も「完全にゼロ」とは言わない。
なるほど、
原爆実験する際、わずかながらでも地球滅亡の可能性を内包したうえで実行してたのね。
人間(アメリカ人)は狂ってますね。
その実験成功の場面は、本作のひとつの山場だ。
スクリーンが真っ赤に染まり、しばらくして大音響の爆発音が響く。
もちろん、実物とは異なるだろうが、
このような兵器が、広島と長崎に使用されたと想像しただけで、猛烈な悲しみに見舞われた。
記憶に残る作品だが、R15指定になるシーンを入れたことは理解に苦しむので、☆3.5
天才物理学者の栄光と苦悩、そして挫折。
2024年劇場鑑賞3本目は、アカデミー賞7部門受賞の「オッペンハイマー」。久しぶりの3時間長編骨太作品だけあって見応えたっぷりでした。
第二次世界大戦下のアメリカ。世界初の原子力爆弾を開発した天才物理学者「ロバート・オッペンハイマー」の栄光と苦悩、そして挫折の生涯を描いた伝記作品。
原子力爆弾の開発競争では執念と狂気を。開発の成功と原爆投下の際には歓喜と栄光を。投下後の現実に後悔と苦悩を。自らを「手を血で塗られた科学者」と語り水素爆弾の開発に反対する。その後にかけられたスパイ容疑によって挫折と没落を。
彼にかけられたスパイ容疑がようやく晴れたのは、死後55年が経った2022年バイデン政権下。
彼が開発した原子力爆弾は、戦争を終結させ世界に平和をもたらしたのか。今、アメリカは彼の生涯をどう捉え、なぜこの作品を賞賛するのか、改めて考えさせられる。
果たして、私達の生きるこの世界は、ダイナマイトを発明したノーベルのように天才物理学者「ロバート・オッペンハイマー」を後世にまで讃えるのでしょうか。
今も世界のあちこちで戦争が続き、私は平和な毎日を過ごしている事実。このことを幸せだと思う。
※昨年の今頃はもう9本見てたです。もうちょっと頑張らなくっちゃ。😅
難しい。
ちゃんとした感想が書けないけどw
学者というのは本当に凄いなと思った。
情報量が多いから、難しいなと思いながらも3時間集中して見れた。
複雑な気持ちになるけど、原爆を作ったというのは本当に色々な葛藤もありで凄い事だなと思った。
洗濯物を取り込んでくれ
How can I save my little boy from Oppenheimer's deadly toy ?
スティングのこの歌詞がきっかけとなったこの作品。
イジられた時間軸とカラーと白黒の観せ方、しかも複雑な人物相関図…挑んできますね〜単純な伝記ものとしては観せててくれないなー(^^;;正直全てを理解できたとは言い難いがやはり日本人として複雑な気持ちとなる。広島長崎の悲惨さを散々学んできた身からすると三位一体の実験にリアリティを感じない。サングラスして結果を見守るって…
そして彼が開発してしまったtoyから自分たちの子どもを守るすべを私たちはいまだに持っていない…
たくさんの人に観てほしいとは思うが、誰かに薦めるかというとやはり躊躇する自分もいる…疑問は残ったが、監督は前作の疑問を解消するために次回作を制作すると言っていたので、監督の疑問と答えに次回作で観てみたい。
予備知識or2回目でなければ。。
クリストファーノーラン大好きです。
インターステラーはアカデミー賞とればいいのにとおもっていた感じです。
クリストファーノーランでダンケルクが好きではなかった人はこちらも違うと感じるのではないでしょうか。TENETは難しかったけど面白かったです。
アメリカが、核開発に批判的な映画を(比較的丸めて)送り出すことが画期的だったのでしょうか。
映像技術とか、手法とかは私はよくわからないのですが、最後まで内容が入ってこないのはつらいです。
物語を読みほぐし、謎解きしたという「読後感」
3時間の長尺だが、観るかどうか迷っている人には強くオススメしたい。物語の時間軸を自在に操作してみせる“ノーラン節”は本作でも健在で、ほぼ全編にわたって不穏に流れ続ける音響(劇伴)と相まって、3時間まったく緊張を途切れさせない。
劇場公開前ずいぶんと取り沙汰されたが、広島・長崎の直接的な惨状描写を封印したことも、本作が描くオッペンハイマーの“一貫した目線”をみれば合点がゆく。
そもそも、いかにリアルな描写でも——たとえ当時の実写映像を使ったとしても、「劇映画」であるかぎり、観客はそれを一種のスペクタクルとして消費してしまう。『ダークナイト ライジング』ではあっけらかんと核爆発を描いたノーランだが、さすがにこうした描写を本作で採らなかったのは賢明だったと思う。
このように牽引力と話題性のある作品だが、不意にココロを掴まれるとか自分の価値観がひっくり返されるといった「映画ならではのチカラ」は稀薄とも感じた。むしろ「物語を読みほぐし、謎解きした」という〈読後感〉があとに残るのだ。例えるなら、難関大学のひねった読解問題に向き合うときの感じに近いというか。
物語は、主に「2人の人物」と「3つの場所」を巡って時系列を前後しながら進む。
2人とは、原爆開発者オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)と米原子力委員会委員長ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)。場所の方は、原爆の開発実験が行われた米ニューメキシコ州(ロスアラモス研究所および砂漠の実験場)、オッペンハイマーを弾劾査問する聴聞会、ストローズが召喚された米上院公聴会、この3か所だ。
ここでストローズのパートは、映画全体に占める比重が大きいわりに、オッペンハイマーの人物像に厚みを与えるまでに至っておらず、ストローズという政治屋の卑小さのみが目立つ。また、原爆というセンシティブなモチーフを扱う本作の流れのなかで、彼がお門違いな私怨からオッペンハイマーを陥れたとする“第一のオチ”には正直ガックリきた。
ついでに言うと、オッペンハイマーのパートで最後に明かされる“第二のオチ”(=オッペンハイマーがアインシュタインに耳打ちした内容)も、わざわざラストシーンまで引っぱるようなものだったのか疑問だ。
そのオッペンハイマーのパートでは、科学者というよりチームリーダー/コーディネーナーとして才を発揮する彼の姿と並行して、ある種のコミュ障ぶりや女グセの悪さが炙り出される。その中でも特に印象的だったのが、研究所内の原爆投下反対派を説得するために彼が言い放つ次のセリフだ——「我々専門家は、未来を予測し震撼するから、原爆投下は中止すべきと考える。だが人々はそれを使ってみてやっと理解し恐怖する。世界がその恐怖を知る時、かつてない平和がもたらされるのだ」。映画『第三の男』におけるオーソン・ウェルズの「鳩時計」発言にも匹敵するような、強烈な名セリフだ。
もうひとつ鮮烈な印象を残すのが、人類初となった核実験の描写だ。関係者たちは爆心地からほど遠くない地点で観測しようと、簡易なサングラス一つで核爆発の瞬間に臨む。テーマパークで新設アトラクションに臨むかのような能天気さ、溢れかえる高揚感。このシーンには文字どおり震撼した。
余談だが、ロスアラモスに建設された町ぐるみの原爆研究施設は、どこか『アステロイド・シティ』や『ドント・ウォーリー・ダーリン』に描かれた街を髣髴させる。
さて映画は中盤以降、“戦時”(第二次世界大戦/米ソ冷戦)体制下における国家と個人、政治と科学の対立を露わにする。
遠い未来と今この瞬間、あるいは地球全体と個人の生活圏とが互いに“通じ合っている”ことを熟知し、的確に未来を予見できる後者(=個人/科学)が、未来はおろか必要とあらば現実さえ隠蔽してしまう前者(=国家/政治)によって阻まれるのだ。
ここには、ノーラン監督自身のジレンマが滲んでいるようにも感じられる。ソレは、宮崎駿監督が『風立ちぬ』や『君たちはどう生きるか』で零戦の開発者や世界の創造主にこめた“想い”を思い出させる。あるいは、黒澤監督が『生きものの記録』に滲ませた“苦渋”といってもよい。
原因と結果、その過程を複雑に再構築してみせることで、物語に新たなビジョンをもたらすこと。そんな「物語の読み方」の「創造者」たるノーランが過去作にそっとこめてきたモノを、本作では一気に吐き出した感があるようにもみえるのだ。
ノーラン監督らしさは無いが、ストーリー展開は飽きずに面白い
クリストファー ノーラン監督のこれまでの作風とは異なる作品。
天才科学者の原爆開発までのストーリーと、その後の権威失墜の2面で進んでいく。
日本公開を当初見送ったので、どれだけ原爆や広島、長崎を肯定しているのかと思ったが、そういった描写は無く科学者の葛藤も描かれている。
原作を読んでみたくなった。
もののけ姫を思い出し
『あの子の不幸が救えるか!?』
(↑うろ覚えでデタラメ)
って感じで、獅子神の呪いが取り憑いた
アシタカの腕と、美輪明宏さんの迫力の声が
頭に浮かんだけど、そんなアニメの世界とは
比じゃなく、
オッペンハイマーが背負ってしまった呪い(?)の
大きさに、世界を破壊してしまった核の力に、
とても恐怖を感じたラストだった。
もともとは、科学者として、
純粋に『興味』であっただろうに、
時代?世の中の流れ?回りの他人達の
ずる賢い『思惑』そんなものに
気づかないうちに翻弄されて。
才能ある人・有能な人は、
『回りは敵ばかり』とも感じた。
ごくごく普通のサラリーマンである
僕自身に置き換えて想像してみたけど、
同僚、上司、営業、重役、社長、
他人のずる賢い思惑に流されて、
『同じやん!』
結局、信じられるのは自分だけ、
『回りは敵ばかり』と。
多分多様な視点や考え方で
映画としては見応えのある作品で脚本、演技、演出、どれも素晴らしく180分でも全く中だるみせず、アカデミー賞も納得の出来です。
でも、この映画は原爆が作られた経緯や生み出した葛藤、それらは見る人の生まれや立場で変わるんだろうな、と感じます。これを見るひと月前に初めて広島へ行き、原爆がもたらしたモノを肌で感じたのもあってより考えさせられました。
製作陣は日本人にどう見て欲しかったんだろう、、そのメッセージは読み取れなかったな。
今こそ見るべき映画
唯一原爆が投下された国の国民として、絶対に見ておかなければと思った。
かなり難解であるため事前知識がないと意味不明な部分が多々ある。
原爆の模擬実験のシーンの臨場感はものすごくて、息が詰まった。
長崎や広島のシーンは一切なかったけれど、あの実験のシーンから原爆の恐ろしさと実際の.爆地の悲惨さを想像されられる。
今のこの世界情勢下にて上映されるべきして上映された映画だと思う。
濃いドラマで良かったが・・・
ちょっと盛り込み過ぎかなぁ。
最後の30分くらいは、サスペンスかミステリーの種明かしのような進行に切り替わった感じがした。それはそれで面白いのだけれど、3時間集中して、いろんなことを考えながら、映画の進行について行くのは、なかなかハード。それに、主題がぼやけるというか、オッペンハイマー編からストローズ編に切り替わったというか、オッペンハイマーとストローズのダブル主演というか。
名だたる物理学者が次々に登場し、こんなふうに関わっていたのかと興味深かった。水爆を開発したテラーが、やっぱりヤバい。一番危険な人物。
トリニティ実験のシーンは、緊迫感があって、まさに現場を目撃したかのようだった。映画の醍醐味。
広島、長崎への投下シーンがないとかで批判があるように聞くが、特にそれが必要とは感じなかった。あった方がより良かったとは思うが、この映画を観たアメリカ人が、原爆犠牲者に思いを馳せることができないとすれば、非常に残念なことだと思う。そういう人はオッペンハイマーの苦悩が理解できないだろうから、非常におめでたい人と言わざるを得ない。そういうアメリカ人が少数であること願うばかり。
完璧。2024年5月1日再見(キャナルシティユナイッテッドシネマ)
🎦オッペンハイマー、完走。とんでもない作品を見た。これほどの映像言語をっちょっと知らない。膨大なフィルムから削り出した映像の彫刻。テオ・アンゲロプロスの🎦旅芸人の記録に比肩する圧巻の映像。もうこの上と言ったら小津の🎦東京物語とクブリックの🎦2001年宇宙の旅しかないレベル。是非この作品は若い方たちに見に行って貰いたい。中学生ならもう観に行っていいのではないか?こう言った高い次元の作品を若い内に浴びる事は最高の体験となる。ノーランの最高傑作と評しても過言ではない。様々な隠喩が散りばめられていて映像の宝石箱である。クブリックに肉薄している。あと一本で越えるのではないか・・・ワクワクが止まない。ピカソへのオマージュがこの作品の本質をよく表している。
【2回目鑑賞】
今回はディティールの検証での再見。ピカソの「泣く女」の少し前に出現する一連の絵画、特に1点のキュビズムスタイルの作品はおそらくフアン・グリス の作品に間違いない。この画面のインサートによって、この映画自体のテーマがピカソ芸術にかなりインスパイヤされているのが分かる。そもそも量子物理学や位相幾何学の発達からヒントを得て構築された概念であり、少なくともピカソと空爆を関連付けるゲルニカのイメージは表には出さず、表には出ずとも「泣く女」がゲルニカの中の重要な一コマとシンクロしているのは、ちょっとピカソ関連の伝記でも読んだことのある人なら理解できる点であろう。分子や原子、核などを自在に扱うための学問・量子物理学とそこから生まれた時空論、位相幾何学などはキュビズムを経てシュールリアリズム運動へと導かれる。この時代的文化運動と科学史的視点を重ね合わせ、本作品は私論ではあるが3部構成の体をなしているように思えるのである。それはまさにピカソの歩んできた美術史の変遷と重ね合わされるのである。
誰でもが知るドラ・マールを描いた傑作「泣く女」が映画の早い段階で挿入されて、その前にファン・グリスの作品が挿入され、さしずめ大学時代の恋人でその後も愛人関係にあったジーン・タットロックをこのドラ・マールに見立てている。そしてマリーテレーズが妻キティのイメージと重なる。3部作の構成はこうだ。分析的キュビズム、総合的キュビズム、そしてシュールレアリズムの時代というピカソの中心に「ゲルニカ」がある様におっぺんはいまーにはそれがHIROSHIMAでありNAGASAKIである。その後の赤狩りとの関わりや反水爆運動などがこのピカソにおけるシュールの時代に符丁する。
作品の表現様式も歴史的史実に「30年代までの天才物理学者の時代」「マンハッタン計画時代」「赤狩り・反水爆運動時代」がピカソの芸術様式に符丁し、実際の映像表現でも史実をパーツに解体し、再構築し、極めて短い挿入シーンのコラージュによって映像のキュビズムを目指しているかのような新表現を確立している。目まぐるしく展開する時空のワンカットワンシーンのコラージュは映画進行のドライブ感と4次元的幻惑感をもたらす。観客の神経はより研ぎ澄まされ前頭葉に働きかける映像の連続は、あのクブリックの🎦2001年宇宙の旅のエンディングシーンに匹敵すると言えよう。我々はこの作品において映像史の大きな節目に今立たされているのではないだろうか。
オッペンハイマーの「栄光」と「悲劇??」
とにかく登場人物が多く、予備知識が無いと、それを整理するために頭をずっと使って観る必要があります。自分は途中で諦めました…。そのため、オッペンハイマーの栄光と悲劇を描いている中で、特に悲劇の部分が、どういう状況で誰のどういう思惑が働いているのか理解ができませんでした。
IMAXで観たのもありますが、映像・音響・音楽は流石の一言。俳優たちの演技も素晴らしい!
しっかり復習、勉強して、もう一度観たいと思います…。
難解
まず、映画を楽しむうえでこういった考えを持ち込まないといけないのは非常に好みではないのだが、私はこの映画に被爆国日本としての感情とか非難は一切無い。というのも、この映画にはその話題はほぼ出てこないからだ。長崎や広島、原爆による死者数も台詞では出てくるが、それらは登場人物に大きな意味をもたらさない。日本を映したシーンは一秒もなかったし、徹底していたと思う。
それでも被爆国日本という視点でどうこう言うのは、現国のテストに数学の回答を書くようなものだと思う。それくらい別の話。
長い上に重い、というのが一番の感想。ふっと集中力が切れたら登場人物の台詞が上滑りしてしまい、なんの話題だったかわからなくなってしまった。特に、政治的司法的駆け引きが続く後半以降はキツかった。予備知識無しに観て理解するのは相当難しいだろう。
赤狩りの時代背景や東西冷戦につながるアメリカとロシア(ソ連)の対立くらいは頭に入れておかないと「なんでこのオッサンたちは狭い部屋でオッピーを追いつめているんだ?」となってしまうだろう。ある意味、客の足切りをしていて、「アカデミー賞作品だから観てみよう」くらいの気持ちで行くと間違いなく返り討ちに遭う。
オッペンハイマーをとにかく複雑な人間として描いているのが良かった。エゴイスト・女ったらし・科学者・愛妻家・天才・人たらし・繊細・日和見主義・・・という人間なら当たり前の複雑さをこれでもかと詰め込んでいる。そら3時間になる。
途中で、オッペンハイマーは誠実だ、と評されるシーンもあったが、そこに捉われていると矛盾しまくって意味が分からなくなる。複雑な人間、というのが監督の描きたい人物像だったと思う。激動の時代に一本筋を通した人間、という事では無い。映画やドラマだとそういう英雄的人物像が好まれるのはわかるが、オッペンハイマーはそうではなかった。
編集の妙だと思ったのは、「連鎖反応」と空のシーンだ。
核兵器が現実味を帯びた時、連鎖反応を起こして一度の爆発で世界を巻き込んでしまうかと危惧された。結果的にはそうはならずに安心したのだが、結果的に「アメリカ以外が核を持つ」という連鎖反応は起こった。
オッペンハイマーの心理描写的映像で、青空の下に雲が広がっている綺麗なカットが度々挿入されていて、ラストのシーンその意味がわかる。地上から放たれた無数の核ミサイルが雲を突き破って天を突く。人間が生み出してしまった核兵器が連鎖反応を起こした結果なのだ、とハッとさせられた。
個人的に好きな映画ではある。けど、面白いかと聞かれるとそうではない。人に勧めたい映画でもない。
被爆国日本として期待外れ
まず構成に難があり時間軸が並行して描かれるからわかりにくい。奇を衒う必要は無い題材なのに癪に障る。
NHKで観たオッペンハイマーの
特集の方が良かった。
ノーランのインタビューでは、オッペンハイマーの視点で描いたから敢えて実際の犠牲者の被爆の描写を入れなかったらしいが(本人はその様子から逃げて見てないから)、唯一の被爆国としてはそれが許せなかった。
イメージ画像みたいに原爆投下成功シーンを見て拍手喝采しているアメリカ人の皮膚がただれる幻を見る描写はあるが生ぬるい。
その拍手喝采するアメリカ人を
見て、怒りと悲しみで涙が止まらなかった。
戦後も被爆の影響で長年苦しんだ人が沢山いるのに。。
戦時中の狂った人間を描写するには良かったかも?
戦争や原爆、核がいかに残酷残虐な殺害行為になるか知らしめる描写は、犠牲になった殺害した人数を早口にまくしたてる程度なのか、と残念な作品。
オッペンハイマーの不倫描写とか邪魔だし要らないから、苦悩や原爆や戦争の恐ろしさをもっと強烈に描いて欲しかった。
所詮、未だに戦争を仕掛けるアメリカ人によるアメリカ人のための映画だなと感じた。
「この映画はホラーでありスリラー」。2つの時系列がある特異点に収斂する脚本は見事
「ホラーでありスリラーでもある」とはキリアンマーフィーがインタヴューで語った言葉。まさに、と思う。
真理を追究する過程の高揚感。
アメリカの混乱期の赤狩りという身内狩り、共食い、権力闘争の緊張感。
2つの時系列がある特異点に収斂する脚本は見事で、身震いがした。
序盤、ミクロの世界とマクロの世界が交差しその美しさと不思議さに魅入られる。その映像は、不安定なゆらぎで世界が構築されているということを視覚的に体感させ、壮大なドラマを予感させるとともに、見る側を不安にもさせ、オッペンハイマーの見ている世界を共有するような錯覚を覚えさせる。
素人の私でさえ、宇宙のことを考えると「何もない所から物質が生まれるわけがないのに、物質はどこから生まれたの?」など、馬鹿は馬鹿なりにそら恐ろしくなるので、世界の見え方が違うオッペンハイマーが精神を病むのは理解できなくはない。
科学者たちの理論を実験で証明したいという熱量や、世界の理(ことわり)を解き明かしたいという好奇心、国家のビッグプロジェクトに関わる高揚感に、こちらの心もある程度並走していく。
でも「日本」「投下」という言葉が出てきたとたん、心が硬直した。
「戦争を終わらすために」というアメリカの大義名分は、やはり日本人には受け入れがたい絶対的な拒否感がある。と同時に、これがイスラエルとパレスチナなど、現状各地の紛争が終わらない道理も理解できてしまう。爆弾を自分の国に落とした相手を、許せるはずがないのだと。その相手が「(攻撃したことは)正しい」と言い張っていると、尚更。
政治において過去を謝罪することがニュースになると「ただの形式の謝罪にどれだけ意味があるのだ」と皮肉めいた目でみてしまいがちだが、嫌、そんなことは無いと考えを改めた。謝罪はこういった当時の大義名分を覆す威力がある。しかしそうなると謝罪する側は母国の人間に顔向けができない。おだててそそのかして戦争に庶民を駆り立てたのは噓だということになるから。
話はオッピーに戻る。彼がもし実験に失敗していたら。ナチス政権下のドイツでヒトラーが手にしてたのだろうか。歴史にIfはないというが、オッピーがいてもいなくても、代わりに誰かがいずれ同じ様な兵器を作ったのだろうとは思う。歴史の流れというのはそういうものだから。
だから客観的にオッペンハイマーを判断することは難しいし、はっきりいって、できない。
「スリラー」の部分で、オッペンハイマーへの一瞬一瞬の「没入感」は凄い。
しかしノーランは、兵器を作り出した人間としての彼に「共感」はしえない、一定の距離をもって描いているようにみえる。
実際にボタンを押すのは彼ではないにしろ、明らかな大量殺人兵器を作っていたことは事実。ユダヤ人という出自がどこまで彼に影響していたのかはわからない。爆弾が投下されることに対して、他人事のような振る舞いにも見えたため、他の民族ヘの心の距離感があるようにも見えた。
ただきっと、原爆は、彼が思っていた以上の威力があったのは本当なのだろうと思う。
アインシュタインが素粒子論に対して否定的だったのか、理論の遅れを取っていたのかはその方面に詳しくないのでわからないが、ここでは破滅的な物をもたらすことを予見していたから、あえて身を引いていたように思えた。
また、武器を使用することに反対していた科学者たちの一団がいたのは救い。
音楽のルドヴィク・ゴランソン、スターウォーズの「マンダロリアン」でもテーマ曲を手掛けた。音楽が映画の前に出ないのに、必要不可欠。DNAの螺旋のように、がっちりと融合してノーランの撮った映像になくてはならないものとなっている。
オッペンさんの物語
3時間ずっと誰かが話してる。字幕を追うので必死。物理学の小難しい話も多い。でも面白い。物語に引き込む求心力がある。原爆の悲惨さや被曝の恐ろしさはいろんなところで見て、学んできたけれど、それを発明した人の話は初めてだなぁと新鮮だった。
オッペンハイマーという物理学者の苦悩。
どのようにして原子力爆弾という兵器が生まれ、なぜ人類はこのパンドラの箱を開けるに至ったのか。
そんな彼の半生を描いた物語。
日本公開では賛否が、というニュースも見ていたけれど、個人的にはこんな素晴らしい作品をありがとうノーランと言いたい。
もちろん、原爆の恐ろしさをもっと強く描かないと!とか被爆者視点に欠ける!といった意見も分かる。分かるけれど、これはどこまでもオッペンハイマー自身の物語だからこれで良いと思う。
日本は竹槍で突く訓練をしていた頃、アメリカは何もない砂漠にあんな街をつくって人類史に残る兵器を開発してたんだ…という絶望とアメリカの凄さ。
そして終戦後にこんな画期的発明に成功した彼が排斥されていく人生。ここまでしっかり描いているからこそ、この映画はどこまでもオッペンさんの伝記物語だと言える。
それにしても、セリフ多いなぁ。3時間に収める為にギュッとせなアカンかったんやろなぁ。台本分厚そう。
ほんでノーランさん、時間軸はもう普通でええよ?過去と現在を行ったり来たりせんでもええんよ?そろそろ誰か言ったげた方がええんちゃうかな。
それと「ボヘミアンラプソディ」でフレディ演じた人出てはったけど、やっぱり出っ歯やね。
ロバート・ダウニー・Jrはこんな役もできるんやなぁ、器用やわ。
予習が必要、IMAXで見るべき
前半部分は量子力学の知識が、後半はアメリカの赤狩りの知識が無いと理解し難い内容でした。他にもインド神話、精神医学、裁判、ドイツとアメリカの地理と大学、等の幅広い知識が有ればもっと深く理解出来る映画だと思います。
映画の入りが悪いようで、IMAX上映が朝8時15分からの一回で観客が10人位でした。アメリカでは大ヒットしている理由は、知識レベルが高いのか、赤狩りに関心が高いのか、他の理由があるのかわかりませんが、もっと多くのが見て各人が深く考えべき作品であるのは確かです。
オッペンハイマーは科学者からプロジェクトリーダーに変貌し英雄になるが、大統領から招待された直後に「あの泣き虫は2度と呼ぶな」と言われ、共産主義を執拗に疑われ苦悩の人生が続く。しかし、共同開発に携わった科学者、理解ある軍人と弁護士達や家族にも恵まれ、心の平静を保つことが出来た人生だったと思いました。
オッペンハイマーは隠さない
映画としてはおもしろかった。キリアン・マーフィ好きだし。
シーンの途中でフレーム変わるのは気が散るかなというのもあり、初見はIMAXではない普通の劇場へ。
しかし、トイレ問題は秘技SOYJOY(直前に食べる)で回避したけどさすがに腰が痛くなった。劇場鑑賞を要求するなら、まず身体的限界に挑戦するのやめてもらっていいですか…?
長いけどテンポはいいし、ノーランの割には親切設計かも。
アメリカ映画でこの題材やったこと自体はひとまず朗報だし、冷戦下の核戦争の恐怖を知らない若い世代を意識したってのもちゃんと伝わるようになってたんじゃないでしょうか。
しかし相変わらずボリューム過多ではある。役者がアマデウスのサリエリだと喝破したっていうロバート・ダウニー・Jrのくだり、あれ自体はよかったけど、なくても成立したんじゃないかなーと思ってしまった。対立軸としてはテラーもいることだし。
でもそうするとこの時間軸シャッフル構成が成り立たないのでしゃーなしか。終わり方が過去でも未来でもあり、またすべてが予言の範疇だってのがインセプションとかインタステラーっぽい。
観てる間、なんとなく「ゼロ・ダーク・サーティ」を連想してた。あれも一握りの人間の、それも密室での思惑で世界の命運が左右されてしまう話。
日頃、物理学を浮世離れした話のように感じている人間からすると、それが現実の世界をガラッと直接変えてしまうという急転直下の落差がすごい。でも本人は初手からピカソとかフロイトを意識してる人ではあった。そこに共産主義がどう絡んでるのか? 私にはわからなかった。
少なくとも原爆を完成させるまではドリーム科学者チームのプロジェクトXなんだけど、トリニティ実験の後から急にしくじり先生になっていく。心血を注いだ作品(核弾頭)が手の届かない遠くへ、ドナドナ運ばれていく、あの場面に実はいちばん心を動かされたりして。でもそれは他人の財布で作品を作る映画監督にも通じる気がする。
もちろん標的がナチスから突然日本になった時点から真顔にならざるを得なかったし、実際の被害写真を出さないのはアメリカ映画の限界なのかなという気はした。
あそこはオッペンハイマーの主観だから、というけど他方でストローズ視点の場面もあるんだし、映画はあくまで映像で語るメディアな以上やや無理めでは。
まあ、ここで説明的に描写するくらいなら、より適した作品を観てくれってメッセージなのか、あるいはそれは当事者サイドの日本映画が今後やるべきってことなのかも。
とはいえユダヤ系が多数をしめる関係者にとってハナから日本、広島、長崎なんか眼中なかったわけだ。それが劇中もっとも残酷な部分だった。
いくらアリバイ的に罪悪感ありまーす、と言われても、科学の発展/映画のミューズのためにはよく知らん極東の市民を傷つけても構わない、というあられもない本音。それを隠そうともしないのね。。
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