「天才物理学者の業績とその社会的評価に潜む内情に切り込んだ重厚な人間ドラマ」オッペンハイマー Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
天才物理学者の業績とその社会的評価に潜む内情に切り込んだ重厚な人間ドラマ
1938年に核分裂を発見したナチス・ドイツの勢力拡大に危機感を抱き、原子爆弾開発の“マンハッタン計画”を1942年に立ち上げたアメリカの、その極秘プロジェクトのリーダーであるJ・ロバート・オッペンハイマー(1904年~1967年)の理論物理学者としての生き様を赤裸々に描いたクリスファー・ノーランの力作にして、上映時間180分の大作。原作のガイ・バードとマーティン・J・シャーウィの25年の労作の共著『American Prometheus:The Triumph and Tragedy of J. Robert oppenheimer』(2005年)を一人で脚色したノーラン監督の映画に賭ける意気込みが、そのまま作品として完成した迫力と重厚さに圧倒されました。先ず驚いたのは、オッペンハイマーの生涯を分かり易い時系列順ではなく、1954年の公職追放になったオッペンハイマー事件の保安聴聞会と、彼と立場の違いから対立し謀略もしたルイス・ストローズ(1896年~1974年)が1959年に受けた公聴会の二つを基調としたモンタージュの複雑さです。オッペンハイマーの視点からみた世界をカラー映像(核分裂)、ストローズからみた世界をモノクロ映像(核融合)にした表現の対比構造、これが1926年のハーバード大学卒業から1963年12月のアメリカの物理学賞「エンリコ・フェミル賞」をジョンソン大統領(本来はケネディのはずだった)から授与されるまでの37年間の時系列に組み込まれています。これによってオッペンハイマーの行動と意識の両面が時空を超えて主観と客観の視点から重層的に描かれるという、挑戦的なモンタージュ技巧の革新さでした。ただ初めて本格的にノーラン作品を鑑賞したので、改めて指摘することでは無いのかも知れません。それでも栄枯転変の学者人生を歩んだオッペンハイマーの生涯を浮かび上がらせる表現法であるし、鑑賞時にはより集中力も必要とする特質も認めつつも、この独創性には最近になく衝撃と感銘を受けました。D・W・グリフィス監督の「イントレランス」や「去年マリエンバートで」のアラン・レネと比較したい衝動に駆られます。そして映画のラストシーン、オッペンハイマーとストローズが初対面した1947年のプリンストン研究所の庭園シーンのリフレインで、ここでアルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)とオッペンハイマーが交わした会話を聴かせる映画的語りの巧さには思わず唸りました。映画冒頭のモノクロシーンがカラー映像に変わり、カメラアングルを変えて量子物理学の2人の巨人、オッペンハイマーとアインシュタインで閉める見事な終わり方だと思います。
1943年のロスアラモス国立研究所建設から1945年7月の人類史上初の核実験の映像も興味深く観ることが出来ました。ナチス・ドイツが1945年5月に降伏して開発継続の意義に疑問をもつ科学者を前に語るオッペンマーの決意は、戦争終結のために日本に投下すること。しかし、敗戦濃厚の日本は既に1945年3月の東京大空襲によって甚大な被害を受け、終戦の交渉も同時進行していたとも言われます。太平洋戦争開戦の切っ掛けとなる真珠湾攻撃も、アメリカが第二次世界大戦に参戦するために故意に挑発していたとする後世の分析もあります。日本人にとって知りたいことが、この映画では描かれていないのは事実です。陸軍長官ヘンリー・スティムソンの言葉は、日本はいかなる状況でも降伏しない、本土決戦に至れば双方とも多くの命が奪われる主旨の内容でした。戦後80年語り続ける戦勝国アメリカの言い分には、日本人として納得できないものがあります。1919年生まれの私の父は、身体が弱く最初の徴兵検査で落とされたものの戦況悪化で国内の陸軍に徴兵されました。1945年8月9日は熊本の天草に駐留していて、遠く北西の空に舞い上がるきのこ雲を見たと言います。テレビで原爆についての放送があると、その衝撃を何度も語っていたことを想い出します。当時の日本人にとっては巨大な爆弾にしか思えなかったでしょう。しかし、日本にも優秀な物理学者がいたはずです。アメリカ軍が両国の物理学者を通して、完成した原子爆弾の本当の恐ろしさを伝えていれば、日本を降伏に導くことが出来たかも知れません。戦争とは憎悪の応酬でもあります。日本が敵国を鬼畜米英と罵れば、アメリカも日本人を差別する。ナチス・ドイツの反ユダヤ主義に開発の闘士を燃やしたユダヤ人科学者オッペンハイマーの動機が、人種差別から日本投下を正当化するのは、全て戦争という憎悪と不寛容が終わりなく消し去ることが出来ない、人類の特徴的気質でもあるでしょう。
(10代後半から社会人になるまで映画鑑賞の手立てとして心理学や人相学、と言っても雑学レベルの取るに足らない関心事として、ある血液占いに納得するものがありました。それは日本人に多いA型の特質とアメリカ人に多いO型の比較です。A型の人は真面目で勤勉で通常時平静を装いながら常に心配症で不安定ながら、限界を超えると最強になる精神性を持っている。居直たら強いのです。それに対してO型の人は、常に朗らかで明るく振る舞うも、限界を超えると一気に不安に駆られ精神的ダメージを負うというものでした。日本軍人の自己犠牲を目の前にして恐怖を感じたアメリカ兵の姿は、特攻隊を扱った映画などで知ることが出来ます)
8月6日の広島原爆がトルーマンの演説で成功したことを知るオッペンハイマーのシーンでは、涙を抑えることが出来ませんでした。アメリカンプロメテウスとギリシャ神話になぞられることにも、日本人として若干の違和感も感じます。文明の進化が数少ない天才の継続によって人類に高度な社会生活をもたらすと同時に、ダイナマイトを始め軍事産業に革新的な武器を提供するのも、凡人には計り知れない天才の偉業であるでしょう。原爆の父と言う称号には、善と悪が絡み合って観る者を考えさせる深いテーマがあります。特に興味深いのは、マンハッタン計画にソビエトのスパイが忍び込んでいた事実です。19歳の最年少科学者セオドア・ホール、スパイ容疑で1950年から9年間服役したクラウス・フックスの存在は各自別行動であったとする複雑さです。当時のソビエトがアメリカの同盟国であったことを改めて認識すると共に、当時のアメリカに共産主義が浸透していたことも分かり易く描かれています。オッペンハイマー自身共産党の活動に参加していたことを知ると、当時の知識階級の極普通の政治活動であったようです。それが戦後の冷戦状況で赤狩りによる弾圧があり、それによってオッペンハイマーの人生が狂わされるという展開は、アメリカンプロメテウスだけの考察に終わっていません。エドワード・テラーが提唱した水爆開発が戦後の国際社会で最優先の防衛の武器になってしまった今日にまで続く問題は、現在も解決の糸口が見つからない。
脚本の映画的な構成とその映像化の完成度の高さに匹敵するこの作品の見所は、多くの物理学者や軍人、政治家を見事に演じた俳優の成果にもあります。特に素晴らしいのは、オッペンハイマー役のキリアン・マーフィーの演技でした。感銘を受けた「麦の穂をゆらす風」の演技から更に成熟したものを感じました。ここ最近の演技では特筆すべき名演であると思います。敵役ルイス・ストローズのロバート・ダウニュー・Jrは、「チャーリー」の頃の才能ある芸達者な俳優から貫禄を付けた深みのある役者に転身していて、これにも驚きました。レズリー・グローブス役のマット・デイモンの安定した演技力も存在感を示しています。他にジョシュ・ハートネット、マシュー・モディーン、ゲイリー・オールドマン、ケネス・ブラナー、ラミ・マレックと登場シーンが少なくも懐かしさ含め楽しめました。この男性陣に負けない存在感を見せたキャサリン・キティ・オッペンハイマーのエミリー・ブラントと、恋人ジーン・タトロックのフローレンス・ピューも素晴らしい。兎に角演技面の不足が無いことに、キャスティングの良さとノーマン監督の演出力の高さを痛感しました。ルドウィッグ・ゴランソンの音楽のある程度抑えた不気味なメロディは、映像を補っても邪魔していない配慮もあり映像と調和しています。ホイテ・ヴァン・ホイテマの落ち着いた色調の映像美も素晴らしい。この作品は、日本人として付け加えたい内容でありながら、第二次世界大戦の時代を多面的に描いたアメリカ映画としての見応えと、その映像編集の斬新なモンタージュの試みに挑戦した画期的な映画として称賛するに値する傑作と思います。
Gustavさん
コメントへの返信を頂き有難うございます。
時間を気にせずミュージカル鑑賞 🎵 ✨
ゴージャスですね。羨ましいです。
人命を爆弾と同様に見なしていた日本軍ですから。
地球上が核兵器だらけになってゆく。愚かでしかありません。
ヒカリエは上にあるシアター・オーブですよね、ミュージカル用に作られた劇場!公演のパンフ関連の仕事させられて1回だけ行きました;ウィーン版「エリザベート」ガラ・コンサートです。調べたら2012年!時のたつのがどんどん速くてめまいがします🌀
Gustavさん、私は広島の人間ではありませんが広島大好きです。お食事もお酒も美味しい。戦争終わってもう3日後には市内で大事な交通手段、路面電車は動いたんだよと聞きました。老若男女みんなが広島カープを応援しています。街は歩道が広く川と緑が豊かです。広島の女性は仕事もお酒も強い!そしていい映画館もあります。だから余計に原爆が落とされたことが悲しい。日本とアメリカの両方を恨みます。
Gustavさん
コメントへの返信を頂き有難うございます。
数年前にNHKの番組を見て初めて知ったのですが、京都帝国大学でも原爆の研究開発をしていたようですよね。
本作のアメリカでの研究の規模からすると到底あり得ないとは思いますが、もしも日本で原子爆弾を完成させる事が出来ていたとしたら、恐ろしい事ですがアメリカと同じように投下していたのでは、と想像しています。
そうですね。映画って頭の中で色々な疑似体験をさせてくれますよね。
いえいえ、今からでも!広島で驚き感動したのはパンフレットが想像以上に多くの言語で用意されていたことです。オーディオガイドもそうなのかなと思います。そしてたくさんの人達がいるのにあまりの静けさに泣きそうになりました。長崎に私はまだ行ってません
Gustavさんのレビューを拝読してまたこの映画、三度目見ようかなと思ってます。広島には欧米の方々多く静かでショックを受けている姿を見ます。アジア、詳細に言えば恐らく中国や韓国の方はあまり居ないと広島の知り合いから聞きます。そのことも考えながら、と思ってます。
Gustavさん、コメントありがとうございます。Gustavさんのレビューを拝読して、親や祖父母の体験、とりわけ東京大空襲の後を親戚捜して東に向かったた恩師の話を思い出しました。死体の様子が強烈でした。一切そういう話をなさらない人が、引退して話してくださいました
共感ありがとうございます
広島、長崎の被爆被害者数だけでは、原爆の実像は分かりません。
アメリカ国内での核実験映像で、原爆の実像は十分に描けたはずです。
原爆の実像は観客に十分に理解されたはずです。
お父様が実際に長崎の原爆雲を目撃したとの事、歴史的事実を目の当たりにしたという話を知ると一日本人として唯毎ならないという気持ちが湧き立ってきます。ノーラン監督はその生涯をブラックホールの存在解明等、宇宙物理理論の革新と新たな仮説を定理として揚げる事に捧げるはずであったオッペンハイマーを戦争という過酷な現実が向くべき方向を暗黒面に偏向させ、国家への協力のつもりで加担したところ最終的に核兵器を創造してしまい心ない状況に陥って動揺してしまう、所謂オッペンハイマー被害者説を擁護していると感じました。現実世界で起こしてしまった人類を滅亡させかねない原爆の開発。その後日本への二度に及ぶ原爆投下に繋がってしまった事が本当に悔やまれます。しかし戦後オッペンハイマーが来日して関係者に謝罪をしているところを見ても本人としては良心の呵責は充分にあったのだと思っています。
私にとっては好きな作品とは言いがたかったのですが、普段短いレビューしか書かない私が思わず長々としたレビューを書いてしまった作品です。
いろいろなことを考えさせられましたが、ある人のコメントで思考が停止してしまい、未だに整理がつかない作品でもあります。
Gustavさんの重厚なレビューはお父上のお話、血液型の話を織り込みつつ、ノーラン監督の思いと意図を考えさせるきっかけとなりました。初めて見たとき、頭がこんがらがりつつもドシンという気持ちを持ったことを思い出しました。