「プロメテウスの炎」オッペンハイマー ベルベロっささんの映画レビュー(感想・評価)
プロメテウスの炎
まず、完全には映画を理解できなかった。
映画館の内容で、45年に後悔がなくて、49年から後悔があったとなっていたが、理由が分からなかった。そんな主のレビューです。
映画の表現に関しては、いくつかのカットであまり見たことのない表現方法でうぉおとなった。ただ作品の雰囲気には監督らしさをあまり感じなかった。(監督の作品はすべて見たわけではない)
感想としては最初の1時間弱はなにがなんだかで、映画のリズムが分からず着いていけず、半ばから盛り上がってくる。オッペンハイマーに感情移入は出来なかったけど、次々に変わる展開に目が離せなかった。
内容は、「プロメテウスの炎」。以上。
観る前は原爆がメインテーマだと思ったが、観た後は「科学とは」「科学者とは」がテーマだったのかなと思った。テレビで見た監督さんのインタビューは、原爆に関して興味を持ってもらいたいという感じだったけど。
この映画は、おそらく制作の意図上、原爆に関する配慮をするつもりは一切なく、淡々とオッペンハイマ—が描かれていた。日本で語られている原爆とはまったく異なる視点で描かれていて新鮮だった。監督の意図的なものはない前提で、映画の内容だけを観て振り返ると、プロメテウスの炎の話やオッペンハイマーの語りは、原爆は世界の脅威だから恐ろしくて、人を殺す兵器だからではないように感じて、最初からそのスケールかよと思った。
オッペンハイマーにはなれないし、なりたくないけど、もじ自分がオッペンハイマ―だったら同じ選択を自分もしただろうなと思う。自分の身と身近な人、遠くにいる知らない人を簡単にてんびんにかけて自分にとって良いものを選ぶ。シンプルでシリアスだと思った。原爆に関しては、恐れるだけでは前に進めないと思う。だからといって存在に慣れることによるコントロールでは、限界があるように思う。使わなければいいという簡単な論理が通用しない難しさを感じた。
原爆ではなく、原子力がプロメテウスの炎であってほしい。原爆はあくまで原子力に関する技術の軍事利用であって、原子力の全てではないと信じたい。
背負っている、コントロールしきれているという幻想が脆い人間を強くさせてくれるのかも
しれない。
乱文失礼しました。