「原爆開発者の苦悩の軌跡が見事に描かれている!」オッペンハイマー 三輪さんの映画レビュー(感想・評価)
原爆開発者の苦悩の軌跡が見事に描かれている!
最初の核爆発の轟音と振動に、肺腑をえぐられるような恐怖感を味わいました。それは水爆の中から生まれてきた山崎監督のゴジラの咆哮と同じように聞くものを揺さぶり、恐怖に落とし入れる感覚に不思議な一致を感じました。アメリカ側から見た第二次世界大戦の終結を急ぐために、降伏を拒む日本軍部の頭を切り替えさせるために原爆を落としたという理屈を聞くと、とても悲しい気がしました。アメリカ人は当時広島、長崎への原爆投下されたばかりの頃、正義の鉄槌を日本に加えたと捉え、熱狂的にオッペンハイマーの実績をたたえていますから、戦争の正義ほど無意味なものはないということが、身に染みてわかります。アメリカは日本とドイツに原爆を落としたかったそうですが、ヒットラーの自殺でドイツでは起きませんでした。そんなふうにして歴史を俯瞰してると、広島と長崎の不幸が軽んじられるような気がしてならないのは私だけでしょうか。人類が犯してはならない原爆の使用は、この映画を見ている限りは、当時のアメリカの大統領の心の中にサタンが居たとしか思えません。むしろオッペンハイマーは、原爆を開発する使命を帯びて、この世に生まれてきただけで、それを忠実に実行したにすぎないと私は思います。この宇宙には善も悪もありません。ただ川の流れのように、歴史はあるがままに進んでいきます。誰もそれを阻止することができないものかもしれません。ただ、3次元の世界では、物理学300年の歴史が核兵器を誕生させたというのが否定できない事実なのです。それを担ったオッペンハイマーは幸せだったのか不幸だったのか。そのことを一人ひとりに考えることを促す名作だと思います。そして付け加えれば、日本の立場から描かれる原爆を描いた映画の上梓を切に望みたい。
共感ありがとうございます。
今迄の広島・長崎に関する日本映画は被爆国という立場の怒り、悲しみに終始していた印象です。反核運動、核廃絶を強く主張出来る邦画の登場が待たれますが、実際の動きは??? アンサーなんて・・とちょっと卑屈になってしまいます。
名作だと私も思いました。なぜなら戦争は兵器そのものが行うのでなく人間が行うものであることをノーラン監督は明確に示唆しているからです。学問・研究を深め進める研究者、一方で研究の果実を使う権限を持つのは誰か。研究者でないのは明らかであることはこの映画でも示されていました。膨大な費用を提供している側、通常は国家が兵器の使用権限を持つのでしょう。国家とは何だろうと思います。国民国家なんていうものはもう時代遅れと思っていた自分はまさにおめでたいのかもしれません