「令和の忠臣蔵」身代わり忠臣蔵 KeithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
令和の忠臣蔵
笑って、笑って、手に汗握って笑って、そして泣かせる、エンターテインメント時代劇の王道を行く作品が本作です。
多くの人が知る忠臣蔵をベースにしつつ、奇想天外なストーリーに脚色し荒唐無稽な人物設定にしているにも関わらず、意外にすんなりスクリーンに没頭できたのは、偏に脚本がこなれているせいだと思います。現代的なストーリー展開にしながら、登場人物を最小限に絞り、時代劇の枠をギリギリ守ったシチュエーションと台詞回しによりますが、このジャンルでの土橋章宏氏の筆致はいつもながら見事に冴えていました。
脚本に加え、変幻自在怪優・ムロツヨシの本領が発揮され、ほぼ独壇場のワンマンライブが本作を際立たせています。
けれど前半は、ムロの明らかに過剰気味の演技が際物めいていて、顰蹙させられていましたが、このフザケ度が後半のやや重いスジを一層に引き立たせます。ちょうど『柳生一族の陰謀』(1978年)で柳生但馬守を演じた萬屋錦之介の演技に通じます。
忠臣蔵では、吉良方を悪役、浅野/赤穂側を正義として描き、勧善懲悪の仇討ちという普遍の軸に作品ごとに色々と凝った肉付けをして作品の特色を出していきますが、ともかくは観客を正義の赤穂側に感情移入させていきます。そして多くの場合、赤穂の象徴として主人公になる大石内蔵助の一人称目線で進行します。
が、本作は、視点を逆転させて吉良方を主役に据えた上に、吉良も大石も善人とする意表を衝いたスジです。ただ話を進めるには置かざるを得ない悪役は側用人・柳沢吉保のみなので、どうしても設定が弱くなり討ち入りの必然性が希薄になってしまうのに、空虚な印象がしてこないのは、多くの京都の社寺仏閣等でのロケ主体で撮られた映像がリアルで、その時代の緊迫感がスクリーンに漲っていたせいだと思います。
おなじみの随心院、大覚寺、妙心寺、金戒光明寺、流れ橋に加え、本作では萬福寺、落柿舎、更に久々に二条城で撮られていました。何といってもラストの粟生光明寺の坂道は、主人公の新たな旅立ちの不安と希望を象徴して、非常に効果的であったと思います。
後半、主役のムロツヨシの目が明らかに変わります。それまでの世を拗ねた戯画めいた眼差しが透徹した澄んだ目になり、欲望で動いていた動機が、己の命を賭して大義に捧げるという劇的なパラダイムシフトを遂げます。このギャップ、いわば義理と人情に目覚めて、人が変わっていく様は、純粋に心を打ちます。
奇抜な設定とユニークな配役が囃されている本作ですが、その本質は人間愛にあると思います。
尚、今や忠臣蔵を知らない人が大宗を占める時代ゆえに、何年かに一度は、本作のような変則技でもよいので忠臣蔵ドラマを製作・公開してもらいたいものです。