「新しい歴史解釈?」身代わり忠臣蔵 市川海老之助さんの映画レビュー(感想・評価)
新しい歴史解釈?
2月9日に封切りされた『身代わり忠臣蔵』を昨日観て来た。
この映画は、土橋章宏氏による同名小説を映画化したものだそうだ。
親父はこんな小説があることを初めって知ったのだ。
この映画でも「喧嘩両成敗」という言葉が吐かれたが、松の廊下で抜刀して吉良上野介に切りつけたのは浅野内匠頭であって、吉良上野介は抜刀もせず抵抗はしなかったのに、どうして「喧嘩両成敗」なのだろうか。
それは江戸城内での刃傷沙汰はご法度であったためだ。
抜刀して切りつけた者も切られた者も両成敗となるのだ。
この場合、切腹したのは浅野内匠頭だけで、お家お取り潰しになったのは赤穂藩だけであった。
対する吉良上野介に何らかのお咎めは無かったのは片手落ちであると解釈されたのだ。
しかし、どうしてそうなったかと言えば、生類憐みの令と言う悪法を出すようなアホ将軍五代将軍・徳川綱吉が一時の怒りに任せて浅野内匠頭に切腹を命じて、吉良上野介にはお咎めぜずに済ませてしまったことが問題である。
親父は、吉良上野介は、メンヘラの浅野内匠頭と五代将軍・徳川綱吉の所為で、悪人に仕立て上げられてしまったと思う。
吉良上野介は赤馬に乗って領地を巡り、水害が起きぬよう小金堤を作った良い領主様であった。
対する浅野内匠頭はお坊ちゃまで領内の下女を辱めたりしていたようだ。
しかも切腹の朝には、粥を二杯お替りしって、タバコも優雅に吸ったとか、どんな神経しているのだろうか。
あの松の廊下の刃傷沙汰の原因は、本当のところは判らないらしい。
吉良上野介が浅野内匠頭に意地悪をしたからだと言うのは、昔の三文歌舞伎の猿芝居が考え出した理由である。
この映画も大筋は他の忠臣蔵と同じような話になるが、大石内蔵助率いる忠義の赤穂浪士達が、亡き殿・浅野内匠頭の仇である吉良上野介への討入を成し遂げる時代劇「忠臣蔵」に、“身代わり”という斬新なアイデアを加えている。
面白かった。
大石内蔵助と吉良孝証の友情は感動的である。
吉良孝証は実際には存在しない人物であるが。
柳沢が、吉良上野介と信じる孝証に堀内から堀外へ屋敷を移せと迫るが、その理由が面白い。
多分幕府が考えた真っ当な理由であろう。
鑑席には同じ世代が多かった。
忠臣蔵を扱う映画だとこうなるのか…。