「脚本執筆の段階で流行っていたものを取り入れても、時代遅れになってしまうナンセンスの典型」身代わり忠臣蔵 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
脚本執筆の段階で流行っていたものを取り入れても、時代遅れになってしまうナンセンスの典型
2024.2.10 イオンシネマ久御山
2024年の日本映画
原作は土橋章宏の小説『身代わり忠臣蔵(幻冬社文庫)』
お家取り潰しの危機を避けるために芝居を打つ武士と僧侶を描いた時代劇コメディ映画
監督は河合勇人
脚本は土橋章宏
物語の舞台は元禄の江戸
赤穂藩の殿・浅野内匠頭(尾上右近)は、吉良上野介(ムロツヨシ)の度重なる嫌がらせにキレて、松の廊下で斬りかかってしまう
幸い傷は浅く、吉良は生き延びてしまうのだが、背中に傷があったことから「逃げ傷」と揶揄されて、その弁明をする必要があった
幕府の柳沢吉保(柄本明)はこの事態を重く見ていて、「逃げ傷」であれば「吉良家を取り潰しにする」と考えていたのである
一方その頃、殿の乱心の影響を受けた赤穂藩は取り潰しになってしまい、行き先を失った浪人たちは敵討の機会を伺っていた
浅野内匠頭は責任を取って自害し、その判断は赤穂藩長老の大石内蔵助(永山瑛太)に託されていた
大石は犠牲を出したくないと考えていたが、浪人たちを抑え込むには限界があり、その間でどうすべきかを悩んでいたのである
という「赤穂浪士の討ち入り」が描かれる中で、その本当のところはこうだったんじゃないの?という「もしも歴史改変コメディ」が描かれていく流れになっていた
実在する吉良の弟・孝証(ムロツヨシ)を登場させ、彼が死んでしまった吉良の身代わりを演じて、柳沢への申し開きをしていく様子が描かれていく
その後も、やむを得ずに身代わりを続けていくのだが、兼ねてから想いを抱いていた桔梗(川口春奈)との距離が近づき、それが継続の動機になっていたりする
本編は、柳沢の思惑を知った孝証が、偶然親友の仲になった大石を諭すという展開になるものの、武士としての誇りを止めることができずに、やむなく芝居を打つという流れになっていた
だが、あの乱戦で犠牲者が出ないわけもなく、後半の生首ラグビーは下品な演出になっていて、このシーンで脱力してしまう人は多い
配役の段階でシリアスなものになるとは思っていないが、いくら吉良憎しといえども、死人に鞭を打って楽しませるというのは悪趣味なので、そこは控えた方が良かったのではないだろうか
いずれにせよ、忠臣蔵を知っている前提で話が進むので、全く知らないと意味がわからないと思う
知れば知るほどに「登場人物」が理解できるので面白みが増すと思うが、そこまで日本史マニアではない人の目線だと、単なる悪ふざけのように思えてくる
シリアスに作り込む必要はないと思うが、ここまではっちゃけるのも微妙で、「人が変われば国も変わる」というメッセージを前面に出して、変わりゆく吉良家と暴走する赤穂浪士という構図のまま、惜しまれて殺されるという美談にしても良かったのかなと思う
世間は吉良を自業自得だというものの、吉良家の人間と大石だけはそうではないという想いの交錯があって、さらに当の本人はやはり嫌われ者だった、というので筋が通る
それゆえに、羽目を外しすぎた後半の演出は勿体無いものに思えたというのが率直な感想である