キリング・オブ・ケネス・チェンバレンのレビュー・感想・評価
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思い込み、差別、慢心
Filmarksオンライン試写にて
無実の男が警察によって殺害された事件を、彼が殺されるまでの90分とほとんど同じ尺で描く。
上映時間を実際の事件に寄せることで、ケネス自身が体験した恐怖を追体験できるようになっています。
本当に新たな恐怖との出会いでした。
怒りや呆れ、悲しみ。
すべてのやるせない感情が混じり合い忘れられない一本となった。
なぜならこの作品は”事実”だから。
”精神障害を患う70代の男性”
このパーソナリティに”黒人”や”元米兵”が加わるだけで、その人の見る目が変わってしまうのか。
「黒人の男性だから、部屋で人を監禁している可能性がある」
彼はただ機械の誤作動で”安否確認”のために警官を呼ばれただけで、彼らが過度にパーソナルスペースに押し入る権利なんてなかったはず。
これは確実に警察側、警官の人間性、そしてバイアスの問題かと思います。
そもそも警官と言っても、公的な許可なく人の家に押し入ることなんてできない。
こんな至極当たり前の常識が”勘違い”や”バイアス”によっていとも簡単歪められてしまうものなんですね。
彼らの抱く「犯罪を未然に防ぐべきだ」という正義感
「黒人だから徹底的に調べるべきだ」という差別意識
「警察なら正義のために、法に逆らって独断で判断できる」と言う慢心(うぬぼれ)
これらが不運にも重なってしまったとも考えられるが、彼は本当に運が悪かったのだろうか?
そんなはずがないから、防げたことだからこそこの作品を撮ったのだと思います。
アメリカ全土でまだまだこのような事件を耳にします。
日本では毛頭見かけることのない状況だからこそ、見なければならない一作です。
集団狂気
誤解と偏見が生んだ人間の狂気
2011年11月にアメリカ・ニューヨークで発生した白人警官による無実の黒人射殺事件を映画化。この2年後にブラック・ライヴズ・マターが起こった事を鑑みても、人種問題の根深さを垣間見れるが、この事件に関しては人種以前に社会的弱者への誤解と偏見が露呈している。
本作プロデューサーのモーガン・フリーマンは、「警察は裁判官、陪審員、死刑執行人ではないのに、現実ではそうなってしまっている」と語る。法と秩序を司る警察が、それを放棄してしまったらどうなるか…
銃社会ではない日本とは無関係と決めつけてはならない。奇しくも日本では同時期に公開された『福田村事件』も、誤解と偏見による人間の狂気が描かれる。冷静な判断ができない者がもたらす悲劇は、銃の有無を問わず万国共通で起こり得る。ラストで明かされるこの事件の顛末もじつにやるせない。
本作と『福田村事件』のセット鑑賞を推奨したいところだけど、立て続けに観ると気が滅入ってしまうのは必至なので、体力が万全の時にしましょう。
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