劇場公開日 2023年9月15日

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「パンフレット販売がないのが何とも、といったところ。」キリング・オブ・ケネス・チェンバレン yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5パンフレット販売がないのが何とも、といったところ。

2023年9月26日
PCから投稿

今年329本目(合計979本目/今月(2023年9月度)39本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))

 本作品は実話で、当時の録画フィルム等や録音も残っているのか、エンディングロールでそれらが多少流れます。また、実話としても90分ほどのやり取りで、映画のストーリーとしてもその時間の流れをできるだけ重視したということです。

 個々微妙に感想は異なると思うのですが、舞台のアメリカにおいては、精神に病気を持った方、あるいは人種差別が実際に深刻であるようで、映画内でもこれらのことは触れられますが、個人的には「極端に差別思想を持っているのではなく、イライラ「しすぎ」でこういった発言に及んだのではないか…」とは思えます(この辺、映画の描写がやや微妙)。

 一方、問題提起型の映画と見る場合、その「精神に病気を持った方、人種差別」ということは明確に出ますが、90分ほどと短い上に事実上「その当時の事件を時間軸もほぼ正確に再現した映画」という趣旨がかなり強く(つまり、これら差別についてどうこう、という思想についてはエンディングで結末が語られるのみで、個々に判断をゆだねている形)、「やや」趣旨がはっきりしにくい(ただ、アメリカのその事情は多くの方に知られているので、やや主義主張が弱めでもわかることは明白)という点は言えようかと思います。

 個人的にはパンフレットの販売がなかった(売り切れではなく、もともと発売されていない模様)が厳しかったです。販売がない以上、「何が書かれていたか」は語る方法がありませんが、ここが日本である以上、「日本でこういうことが起きたらどうするのか」という点についての言及は映画内では当然まったくなく、また当然のこととして「日本では」ここまで極端な状況になることはまず考えにくいものの、映画で述べるように、精神に病気を持っている方などの「見守りサービス」は実際に存在するため、その場合に、警察や町内会(民生委員など)、あるいは一般私人がどのような行動をとればよいのか…という「日本で実際に類似の事案が起きた場合に何をすべきか、何をしてはいけないんか」という点についての監修のついたパンフレットなどは明確に欲しかったです。

 ※ この点は、日本がこれから超高齢化社会を迎えれば、映画で述べるような極端な事例は起きえなくても、「見守りサービス」(配食サービスほか)で異常を検知した場合に公権力や一般私人が何をできるのか、という「映画の趣旨として一部重なる論点」については、当然多くの方が知っておくべき事柄だから、という事情です。

 これらまで考慮して以下のように採点しています。

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 (減点0.4/パンフレットの販売がないことについて)

 ・ もっともここは日本なので、映画内で描かれるような無茶苦茶な事案が(公権力によって)引き起こされるということ自体は考えにくいものの、述べたように「見守りサービス」(配食サービス)で類似の事案が起きた場合にどうすればよいのか、という「日本に住んでいて経験しうること」について、ちゃんとした監修のついたパンフレットの販売はあってしかるべきではなかったか、と思います(この点で、一般的な娯楽の映画のパンフレットの販売がない、という点とは明確に減点幅が異なる)。
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 (減点なし/参考/日本で起きた場合はどうなるのか)

  ※ 以下、行政書士の資格持ちレベルでのお話です。

 (公権力(警察)が行った場合)

 ・ 単なる国家賠償法による国賠案件で、警察が勝ち切るのは容易ではなかろうというところです(警察は権力を持っているからこそ、「今起きている状況」に比例した「公権力の行使」が認められるにすぎず、それを極端にオーバーすると一発アウトです)。

 ※ 国家賠償法は民事訴訟であり、行政事件訴訟法の適用はありません(併合・逆併合の論点除く)。

 ※ ただし、映画の描写内と似た部分もありますが、公務員個人の責任を問うことは(日本でも)できません(いわゆる「国による代位責任説」の論点)。

 (一般私人がおこなった場合)

 ・ 見守りサービスなどの契約を結んでいる場合は委任、そうでなく「たまたま通りすがりの人」が行った場合には事務管理の扱いです。ただ、委任においても「どこまでやってよい」ということが決められており、それをオーバーすると単なる不法行為です(そして、見守りサービスにせよ配食サービスにせよ、ただ単に1回か2回か相手が出ないだけで勝手に扉を壊してよい、というような契約にはなっていないはず)。

 また、事務管理においては「本人の意思がわかるか、推知できる場合」はそれに従う必要があり、本人の意に沿わない事務管理の費用請求権は減縮されます(民法697条以下)。

 一方で、事務管理を始めたものは「本人の意思がわかるか、推知できる場合」にはそれに従う必要があるものの、結果として何らかトラブルを起こしてしまうと債務不履行を問われる(事務管理、不当利得、不法行為の3つは、法定債権と呼ばれるもので、突然債務不履行が発生したりと面倒なことこの上ない)など、「一般人がかかわるといろいろ面倒なことに巻き込まれうる」のも確かで(だから、事務管理の中でも、例えば女性に対するAEDの使用がためらわれるなど、事務管理の民法の規定の特殊性故にいろいろトラブルになることが議論されているのは、これが理由)、むしろ「勝手に義務なく協力関係に入る」パターンのほうがいろいろトラブルに巻き込まれたりと怖い部分はあります(よって、「知らない顔をするのが一番マシ」な議論になってしまうが、それは助け合いをある程度想定した事務管理の規定の趣旨を没却するにほかならないため、解釈が難しい)。

yukispica