「亡霊とは自身の心の影に潜んでいるもの」名探偵ポアロ ベネチアの亡霊 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
亡霊とは自身の心の影に潜んでいるもの
ケネス・ブラナーの「名探偵ポアロ」シリーズには明確な方向性がある。それは、エルキュール・ポアロその人自身が新しい感情や新しい経験に出逢うことだ。
とは言うものの諸事情によりケネス・ブラナー版「ナイル殺人事件」を観ていないことは内緒だ。
今回ベネツィアでのポアロは、今までの人生に嫌気がさしたのか探偵を引退し、秩序を日々の生活に見出そうとしているところから始まる。
外の世界に心を閉ざしている様子は、運河に囲まれたベネツィアという都市や、屋上に設置された囲いや事件の起こる屋敷に閉じ込められるというシチュエーションで何重にも強調されるのだ。
だから事件が解決し、ポアロ自身が自分の生き方に、自分の後悔や罪悪感に、正面から向き合って世界と再び関わろうと殻を破ったエンディングでは、運河の先に広がるアドリア海を一望するような美しい光景が画面いっぱいに広がるのだ。
監督も務めるケネス・ブラナーは、「名探偵ポアロ」というシリーズでポアロを単なる名探偵としては描かない。ただその場に居合わせ、事件を解決するだけの探偵役としてではなく、エルキュール・ポアロという人物を掘り下げようとする。
それは「観客が観たいものを作る」一過性の娯楽作ではなく、「自分が観せたいものを創る」紛うことなき彼自身のアートワークなのだ。
彼がポアロを通して描きたいものとは、「個性」と「人生」である。業、と言っても良いかもしれない。名探偵の業がポアロの行く先々で人の死を招き、そのことに傷つき、その業から逃れようとしていたポアロ。だがしかし、自分の持って生まれた性から逃れられないのはポアロだけではない。
今作「ベネチアの亡霊」で、ポアロは全ての人間が自分の業から逃れられないこと、そしてそれでも生きていかねばならないことに気づき、受け入れ、人生の先輩として自分もまた傷を抱えながら「自分らしく」生きていこうとするのだ。
テーマとは別に、ミステリーとしても十分楽しめる。推理モノの解説なんて野暮ったいことはしないが、屋敷に集まった人物たちの業が絡み合い、ポアロ自身の葛藤まで加わって摩訶不思議な殺人事件が展開されるストーリーも良い。
なんとかして「ナイル殺人事件」も観ておきたいんだけどなぁ。