「舞台という社会」過去負う者 cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
舞台という社会
ドラマ×ドキュメンタリー?と思っていたが、観て納得。たとえば、同時期に観た「正欲」は、俳優陣が華やかゆえに、どうしても「◯◯(俳優)が演じている役柄」と写ってしまう(それでもなお、という素晴らしさ・迫力は勿論あった。)。一方本作は、俳優たちが華を極力そぎ落とし、日々すれ違っているような、(一見)ごくありふれた人びとを見事に演じている。スクリーンを通し、自分が生活している世界と地続きの世界を見ている、という感覚が強くなっていく。中華料理店や被害者宅の居間は荒削りなセットで、映り込みが気になるところもあったが、記号的な分、想像力がかき立てられるようにも思われた。(ラース・フォン・トリアー監督の「ドッグヴィル」が思い出された。)
過去に大きな失敗を抱えた人と、その人を支える人の物語、となると、彼らやその周りの「好ましい」変化や、ささやかな成功・希望を見届けたくなる。けれども、それは、所詮2時間程度を彼らを共有するゆえの無責任さかもしれない、と改めて気づいた。どこかで、フィクション、他人ごとと捉えていなかったか。本作では、やり直したい、過去を繰り返したくないという彼らの願いは、コロナ禍もあって、叶う兆しがなかなか訪れない。危うさを抱えたまま、山場となる舞台公演へなだれこむ。
舞台上の彼らとそこに集まった観客たちは、私たちの生きる社会そのものだ。普段なら周りを気にして(自分が他から批判され排除されることを恐れて)沈黙でやり過ごすところ、公演後の質疑応答という場面設定ゆえに、容赦ない声なき声があぶり出されていく。努力や更生は素晴らしいと肯定しながらも、罪を犯した者とは関わりたくない、なんとなく不気味だ、信じられないと拒絶する。その一方で(関わりが前提となる)謝罪・反省の言葉はないのか、とも迫る。他方、ひっそり生きたくても出来ない、居場所がないと訴える彼らも、周囲と関わるか否かの両極で揺れている。
一体、この物語はどこに着地できるのだろう…とはらはらした終盤。思いがけない二人の再会と歩みに、はっとさせられ、心底救われた。向かい合うことは難しいが、並んで存在し、前を向いて歩むことはできるかもしれない。そして、もう一つの再度の邂逅。かすかな光が、そこに見出せると思いたい。