「人間の「自然状態」の歴史」破壊の自然史 penさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の「自然状態」の歴史
フルトヴェングラーが工場でワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を指揮するシーンが印象的でした。なぜなら観客である軍事工場の労働者達の表情が、世界最高の指揮者による演奏を前にして、どの人もどの人も、とにかく呆然と無表情だったからです。戦争末期で疲労と恐怖の中での「祝祭の空虚さ」が、カメラにもそのまま記録されていました。
① 旧ソ連1400万人、②中国1000万人、③ドイツ200~400万人、④ポーランド150万
~200万人、⑤日本40万~100万人。第二次大戦における民間人(軍人は含まない)の推定総死者数上位5カ国をAIに問うたら出てきた数値です。①と②は独裁政府発表の数値をもとにしているので、信憑性については慎重に評価する必要がありますが、ともに③と⑤により、広大な国土が戦場になった点は共通しており、少なくとも③や⑤よりは遙かに多くの民間人が亡くなったと考えるのが自然です。そして今ウクライナ・ガザで同じような破壊と殺戮が繰り返されていますが、この作品の記録映像はそれらを遙かに凌駕していました。
それが情動やナレーションを排し、観客の前にたんたんと提示されてゆくのです。しかも記録されているのは③の、しかも更にその一部だけ。現在の数字(民間人死者数万人規模)がかすんで見えてしまうのが何より恐ろしい。今私たちが見ている惨状なんて・・・「序の口だよ」と言われているような。
そういえばドイツ(プロイセン)の哲学者カントは「闘争状態」を「自然状態」と定義し、戦争をなくすには、国際法に基づいた連携や共和制国家の広がりが必要と説き、国連の思想的基盤となりましたが、かたやその国連も今や機能不全。かたや自国のためになる行為なら、いかなる行為も違法ではないと得意げに宣う政権の国が世界をかき回しています。法がなくなり、剥き出しの領土欲どうしがぶつかりあい、世界は秩序ある世界から、混沌とした「自然状態」に転がり落ちる瀬戸際にあるようにも思えます。第二次大戦後の平和は、やはりつかの間の夢だったのでしょうか?
否、今こそ「破壊の自然史」を胸に刻み、人間という、文明の衣をまとった動物の「自然状態」の恐ろしさをしっかり自覚し、粘り強く協調してゆく姿勢が必要なのかもしれない。そんなふうに思いました。