哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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人生とは
ネタバレ注意
ある妊婦のご婦人が、橋から身を投げて自殺をするが、研究家の医者が、その まだ新しい死体を発見し、ご婦人の脳とお腹の中の生きてる胎児の脳を入れ換えて、生き返らせる。
フランケンシュタインみたいな怪物映画?と思いきや。
見た目は美しいご婦人。脳は赤ちゃんの、名はベラ。
なので、初めは歩くことすらままならず、食べることも食い散らかす。
喋れるようになると、憎まれ口をたたき、セックスを覚えると、のめり込んでしまう。
そう。見た目は変わらずとも、赤ちゃんから成人へと変化する一生を表している。
売春婦でセックスシーンが話題になるが、人生大きな過ちを犯しても、やり直す事が出来る。と言う事だろう。
しかし、それらは、死んだ人間を甦らせた、人生であって、あってはならない。
が、その人生は、自分で考え、自分で生きた人生。
最後は人を愛する事を学び、医者になるぐらいの知性も得た。
しかし、生前は貴族の妻であったが、全く自由のない閉ざされた人生だった。
生きるとは何か?幸せとは?
エマ・ストーンのヌードばかり話題になるが、重た~い!ヘビーな映画だった。
そして、画面がとても抽象的で、感性や芸術性のレベルの高さも凄い。
脳が追い付かなくなるぐらい、深く理解の難しい、凄い映画に出会った
星2だった前半 終盤で評価が激変
女フランケンシュタインと聞いていたが、前半の彼女は行動こそ幼児の様だが、早くから抽象的言語を喋り、顔に継ぎ接ぎもなくほぼ常人。その為、私は世界観が掴み切れず前半はただ意味深で哲学的な台詞を聞かされる雰囲気名作なのではなかろうかという危惧をずっと感じていた。
ただ画作りは個人的に好きだったのでそこまで退屈していた訳ではない。飛行船がバンバン飛んでいたり光るキューブ状のエレベーターがあったり、ややSFチックではあるが基本的に背景は19世紀のリバイバルゴシック風であり怪しい人体実験もだからこそ許されていた、いや見つからなかっただけの雰囲気があり奇妙なゾッとする様な美しさがあった。ただ、面白いとまでは感じなかった。周りを振り回すだけのベラの行動の意味が分からないし、何故彼女は許容されているのかと。
ところが世間での冒険を終え、育ての親の病気を知って生まれた場所に帰ってから状況は一変。前半の疑問や振る舞いにどんどん決着がついていく。最初に婚約した彼との結婚を決め(その点ブレずに一途なのでポイント上がった)そもそもの人造人間誕生のきっかけとなった自分の脳の母親の夫との因縁を回収する。身体と脳に齟齬のあったベラは様々な人生経験により身体と脳を一致させ育ての親と同等かそれ以上の医師となり周囲をほぼ自分の支配下に置いてしまう。
そう彼女に足りなかったのは経験だけだったのだ。知識は家に閉じ籠もっていても蓄えられるだろうが、経験がなければ生きた知識にならないので人生での成功は覚束ない。元夫への処遇は人道的にどうかとは思うが身分差別や男尊女卑を是とする時代の申し子のような元夫に遠因がある事を考えれば著名な医師となったベラのラストの自信に満ち溢れた顔にはカタルシスを感じた。虐げられていた当時の女性の状況を打破する為にベラはモンスターでなければならなかったのだろう。
とは言っても元夫は軍人だからメンタルをやられていた可能性もある気はするが。
エンドロールは現代ポップアートのようで画作りは最後まで楽しめた。
マイナス0.5点は、当時の女性が世間を経験する意味で娼婦があり得ると言ってもセックスシーンが多過ぎると思ったから。ここだけ単に男性へのサービスシーンの疑惑が残る。
最後に主人公がエマストーンだというのも大きい。並の美人でスタイルも並だったら美しい画にならなかっただろう。男性俳優陣には申し訳ないが育ての親のウィレムデフォー以外は個性的であったり分かりやすい2枚目の男性を起用しなかったのはエマストーンが映える為だという気がする。勿論芝居は良かったのだが。この感想はルッキズムに反するだろうが作品の手法としては仕方ない。
という事で画作りの良さと怒濤の終盤の物語回収で前半と繋がって満足感が上がった事が高評価の理由だ。ただ、やはり娼婦場面は長過ぎるので映画館には再度は見に行かない。有料放送があればまた見るかもしれない。
究極の変態映画(笑)成熟女体に胎児の脳。 大丈夫かエマ・ストーン、...
究極の変態映画(笑)成熟女体に胎児の脳。
大丈夫かエマ・ストーン、よくこんなの受けたな。自身に潜在願望ありなのか?彼女もいいが怪演役者デフォーもさすが。
いったい何を見せられているんだ!、と思いながらもスクリーンから目が離せない。ほんと人間ってこんなの大好き。
アカデミー最有力なのか、ちょっと複雑(笑)だってもう一度見たいかというと…
こんなのカップルじゃ見られないと思ったら、カップルだらけじゃねーか(笑)みんないかにもそんな感じってカップルばかりでした(笑笑)
昨夜20:10からのレイトショー、スクリーン4、座席D-7 もう少し後ろがベストか。
“ピュア”な人間が見た、この世界
なかなかの内容でした。
この作品から何かを掴み取ろうとすると、人間の深いところに潜っていく必要がありそうで、劇場を後にしてからも独特の余韻に浸る経験をしました。
人間は生まれるとまず脳を発達させることを優先します。だから子供は頭が大きいのです。
しかし、この作品の主人公ベラは先に身体が大人になっていて、脳の発達が後になります。そうすると何が起きるのか‥が描かれているように思いました。
“ピュア”な人間が見たこの世界は、初めてのものが沢山で刺激的。しかし一方で貧富の差が大きいなど歪みもまた強烈です。死にゆく赤ん坊たちを見て涙するベラが印象的でした。
性に対する興味、それを素直に体現する身体と精神。ここにも脳の発達と身体のアンバランスがありますが、これも必然ですね。
ベラが辿る旅路は一体何だったのかと言えば、他ならぬ「居場所探し」だったと思います。頭と心と身体のバランスを整えながら行き着いた先は‥やはりマイホーム。
旅に出てこそ気づく‥いや、旅に出ないと気づけないことなのかもしれません。
こう考えると、独特な世界観で描かれたこの作品も実はシンプルに見えて来ます。
非常に頭を使う、見応えのある作品でした。
★★★★★完全解説!
エマストーンが好きだし雑誌で高評価なので見てきました。
原題の「POOR THINGS」って「満ち足りていない世界」という「現代の状況」を指した言葉でしょうか?「POOR」は金銭や物質的だけでなく精神的な意味も含まれますよね。「THINGS」は「WILD THINGS」(荒くれ者たち)みたいに特定の人を指すこともあるけど「THINGS CHANGES THESE DAYS」(最近は世の中も変わった)みたいに「世界」という意味にも使われていませんか?
さて、ヨルゴス・ランティモス監督の前作「女王陛下のお気に入り」が良かったので期待もしていました。
「脳を移植して生き返った若い女性が冒険の旅に出る」という内容ですが、鑑賞中はこの映画のオチをどうつけるんだろうと気になって仕方が無かったです。
無垢な女性が男性に翻弄されて娼婦になるというお決まりのパターン。性病を患って不遇に死んでいくのか?誠実な男と結婚して幸せになるのか?金持ちと結婚して幸せではないけれど暮らしは安定するのか?どの選択肢になるのかな?と女性の行く末を案じながら観ていました。
数奇な女性の人生遍歴を描いただけの映画ではヌード全開で出演を決めたエマストーンにどんな思惑があるのだろうとも思っていました。
しかし私の心配をよそに最後に明かされたテーマにガツンとやられて目が覚めました。これはなかなかの名作です。原作者のアラスター・グレイは「時計仕掛けのオレンジ」の作者のアンソニー・バージェスから絶賛されたそうですが、なるほどと納得する出来映えでした。
以下は私の解釈です。もちろんネタバレですので鑑賞前には読まないでください。
原作者がそうなのか監督がそうなのかわかりませんが、この映画は社会主義的なテーマの映画です。原作はマルクスレーニン主義時代の著作かと思いましたが1992年発表とのこと。意外と新しいですね。
映画は意図的に寓話的に表現されています。リスボンは実在の土地だけれどモノレールが走っていたり船の形もおもちゃっぽい。その演出がラストシーンで生きてきて唸らされました。
ラストに庭園にいる人物の役割に注目です。
まずは戦争屋の元夫は山羊の脳みそを移植されて葉っぱを食べてます。人類の最も愚かしい戦争が無力化された象徴です。元娼婦の社会主義者がパリから呼び寄せられて主人公の横に居ます。資本主義で搾取される象徴の娼婦が社会主義者になったこともわかりやすい変化。そして主人公ベラは脳外科医を目指している。この3人が出そろったことで社会主義革命が暗示されています。人類は脳みそを一度入れ替えて出直した方が良いと言いたいのでしょう。さらに極めつけは、言葉の発達が遅かった実験体二号が「ウォーター」と言うことです。明らかにヘレンケラーを示唆しています。三重苦のヘレンケラーが社会に目覚めるきっかけとなった言葉として有名ですね。夫マックスは誠実さの象徴。家政婦は・・・・市民?
ベラを連れ出したダンカンが破産して精神病院に居たのは資本主義の終焉を意味しています。アレクサンドリアの貧民窟と富裕層を繋ぐ階段は崩れ落ちていて貧民は上に来られない。ベラは娼婦に身を落とすという社会の底辺を体験しながらゴッド(神)と同じ道を目指すことを決めます。ゴッドは「科学的に」が口癖なのでベラも次第に論理的になっていく。これも科学的に社会を変革し進化させようという意味なのでしょう。古い神(ゴッド)が死んで新しい神(ベラ)の誕生です。この映画は革命家の誕生を描いたものでした。
さて、監督がなぜいまさら社会主義を持ち出してきたのでしょうか?
マルクスによると、共産主義は資本主義が成熟したあとに現れるとしており、その体制のもとには欲求を抑制した人々が集うとされています。最初にこの論を聞いた時は人間がロボトミー手術でもしなければ無理な体制だと面白がったものですが映画に通じるものを感じました。
いきずまりかけている現代に生きる我々も、ベラに脳みそを入れ替えて貰って新しい社会に船出しましょう。
ちなみにこの映画をフェミニズムに関連した映画だと評しているのを見かけますが、フェミニズムのポイントは性の搾取からの解放があげられます。ところがこの映画は娼館を否定的に描いていないどころか合理的システムとみなしている表現があります。この映画をフェミニズム映画と言う狭い枠に入れてしまうのは違うと思うし、せっかく良い映画なのに勿体ないなぁと思います。
自分を改善したいと思う
こないだ鑑賞してきました🎬
R指定だけあって、一部衝撃的な内容もありますが、ベラを演じたエマ・ストーンには拍手を送りたいです🙂
身体は大人ですが、心はまだ成長過程の子供という役柄を演じきってくれました。
マーク・ラファロ演じる放蕩弁護士ダンカンは、遊びのはずが本気になりついにはご破産に💧
後半では婚約者のマックスは、ベラの帰りを待ち続け…彼女を蘇生させた張本人のウィレム・デフォー演じるゴッドウィンは死を意識しつつ、2人の結婚を見届ける。
はずが、飛び降りる前のベラを知る男アルフレッド将軍が現われ、もうひと悶着あります😥
彼が迎えた結末は、それこそ哀れですが…私だったら素直に死にたいですね。
考えさせられる内容でした。
ヤギ人間の謎
久しぶりにパンチのあるすごい作品を観た。歴史に残る名作だと思うが、R-18だし、絶対にテレビでは放送できない内容なので映画館で観ておいて良かった。
現実なのか、幻想なのか、曖昧な世界観。めくるめくような極彩色の景色。ストーリーが意味ありげで謎めいているところは「魔笛」を思わせる。
序盤では、「脳の移植って、まるでブラック・ジャックだな…」と思ったが、ふり返ってみれば作品全体が手塚治虫っぽいと思った。もちろん偶然だろうが…。
「どろろ」(1967~)…父親の野望の犠牲になり、肉体のあらゆる箇所を欠損して生まれた主人公が、医者により義手や義足を与えられ、新たな生を得た主人公が、戦いを重ねながら自らの肉体を取り戻していく。
「人間昆虫記」(1970~)…性に奔放な悪女が主人公。様々な才能のある男に次々に近づいては、その才能を模倣して自分のものにしてしまう。
「ガラスの脳」(1971~)…事故にあった妊婦から赤ん坊(由美)が奇跡的に助け出されたが、生まれてからずっと眠り続けている。由美は17歳になったとき突如目覚めたが、中身は赤ん坊のまま。しかし急激に精神が成長していく。
この作品のテーマは「支配」と「自由」だろうということは分かるが、深すぎてどこまで読み取れているか自信がない。
「支配」とは、表面的にはキリスト教世界における男性からの支配を指すのだろう。たとえば、自分だけでむちゃくちゃに自由に踊るベラに必死でダンカンがおいすがり、二人で踊っているように見せかけようとする、というシーンがあるが、これは、社交ダンスを痛烈に批判したものだろう。我々は文化レベルで男性が女性を支配するものだ、という常識を受け入れてしまっている。
なぜベラは男性たちをここまで魅了することができたのだろう? ベラはおそらく、「原罪がない女」という設定なのではないか。
ベラは胎児のまま、生まれることがなく、脳だけが成人女性の身体に移植された。生まれていないので、原罪が無い。
「原罪」とは、アダムのイブが神の命令に背いて禁断の木の実(リンゴ)を食べてしまった、という話だ。この実を食べることによって、人間が善悪を知り、イチジクの葉で陰部を隠した。つまり、性的な「恥」の感情を獲得した。
ベラには名誉欲も虚飾もなく、保身のために嘘をつくこともない。これは原罪が無いからだ。そして最も重要な特徴として、性的な快楽を得ることを恥や悪だと思っていない。
ベラにとっては、セックスは食事と同じようなもので恥ずかしいことや特別なものではない。動物がそうであるように。
その意味でベラは汚れることが原理的に不可能な、究極に清らかな精神をもっており、原罪に苦しむ我々はその精神に惹きつけられずにはいられないのではないか。
無垢な存在であるベラが成長していく過程は、必然性をもった段階を踏んでおり、興味深い。
まず彼女が与えられたのは、「探究心」。嘘ではあったが、彼女の両親が「探検家」だった、というところから、彼女は自分自身の本性に「探究」がある、と思い込んだ。そして、この「探究心」は彼女を生涯突き動かすエネルギーになる。
次に与えられたのは、「愛」。子供のようなベラに対して、マッキャンドレスは親のような愛情を注いだ。しかし彼女は彼女を守るための厳しく束縛された世界に反発し、自由への激しい欲求をもつ。
ダンカンにより「自由」が与えられ、肉体的快楽を思う存分に得ることができるようになった。ここでそれまで白黒だった画面が、極彩色になる。これは、それまで受動的な守られる存在だったのが、能動的な自らが行動していく存在に変わった高揚感や感動を表現しているのではないかと思う。
次に、船の上で出会った老婦人からは「知識」を得る楽しみ、「哲学」の楽しみを得る。もともと世界を知りたいという欲求を持つ彼女にとって、自然な流れだった。ダンカンは彼女にとって退屈な存在になりつつあった。
「世界を知る」ことによる必然的帰結として、「現実の残酷さ」を知る。解決しがたい貧富の差があり、世界が彼女と同じくいびつで不完全である、ということを知る。彼女は、「世界を改善したい」という、はじめて個人的欲望を超えた欲望を持つ段階に至る。
次に娼婦館の主人と、同僚から得たのは、社会に関わる2つの方法、「仕事」と「教育」である。そこで行ったことが面白い。「仕事」では、お客から子供の頃の思い出を聞くことを行い、「教育」では、人体の仕組みを学んだ。つまり、人間の精神を学ぶことと、肉体を学ぶことに励んだ、ということになる。ここでようやく、彼女の「脳」(精神)は肉体に追いつき、一人前の大人の人間になる。
マッキャンドレスのもとに戻ってきた彼女は、今度は互いに完成された人間どうしとして愛し合う。いわば、愛ver.2である。ここで二人が行った会話は、「互いに対する告白と許し」である。ここからは画面の色調は極彩色から普通になっているように思う。大人としての成熟と安定を表しているのだろう。
物語的にはここで終わりでも良いが、もうひと展開ある。父親でもあり、夫でもある存在が登場する。
これまで登場してきた男性は、彼女を支配しようとしつつも、人間的な弱さがあり、どこか憎めないところがあったが、彼は度を越した残忍さがあり、支配欲の塊、悪の結晶のような存在だ。支配者の象徴のような存在。
彼は表向き紳士で善人のようで、中身が救いようもない悪、というところが、主人公と対をなしているようだ(表向き不道徳だが、中身は清らか)。
「支配」をテーマにすすめられてきたこの物語で、最後にこの支配に対して、我々は具体的にどう対抗すればよいのか、ということを彼女が教えてくれる。
それは、「勇気」である。支配者は、暴力をかざし、「恐怖」によって従わせようとする。その対抗策は、「勇気」しかない。これが彼女の成長の最後のピースだ。
ところで、彼は最後はヤギの脳を入れられた姿になっていたが、はじめはこれに違和感があった。というのは、もしヤギの脳を彼の身体に入れたのだとしたら、彼の脳はどうなったのだろう? 結局彼を殺してしまったのか?と。
しかし、よく考えてみれば、ベラは「彼を殺したくない」と言っていたはず。であれば、やっぱり彼は殺されていないはずだ。では、彼の脳はどこにあるのか? 必然。ヤギの身体に決まってる。たぶん、あの屋敷には彼の脳が入ったヤギがどこかにいるのだ。
◇ スチームパンクと女の自立
英国ヴィクトリア朝風の時代錯誤的テクノロジーで未来を描こうとする"スチームパンク"というSFのサブジャンルがあります。蒸気機関時代への懐古趣味+未来の空想世界+"パンク"というカウンターカルチャー感を掛け合わせているキメラ的な世界観です。1980年代にはファッショントレンドとも結び付きました。
そんなスチームパンク的な世界観(80年代の懐古趣味を懐古する二重括弧の懐古趣味)が濃厚に伝わる背景。無垢な女が世界を知ることによって成熟していくという成長譚は紋切型のモチーフですが、主人公ベラを演じる大人女優エマ・ストーン が自身の自我の成立過程を語る物語にも見える入れ子構造を感じました。
無垢な幼児の精神年齢であった彼女はロンドンからリスボン🚢アレキサンドリア🏜パリ👗と世界を巡る旅に出かけます。そして、再びロンドン。男と女の「『性』質」の違いを赤裸々に露悪的にモロ出しで繰り広げられる旅物語でもあります。その過程で確立していく一人の女の自我。自我確立と同時進行で獲得していく社会性。
"哀れなるものたち"とは、支配欲、独占欲に一喜一憂する男たちでしょうか?抑圧される女たちでしょうか?いや、人間社会全般なのかもしれません。スチームパンク的奇天烈ツギハギ世界観の騒々しさなのに、なぜか「もののあはれ」をしみじみおもう'無常感'がそこに漂いました。
深すぎて難解だった
監督はこの作品を通して伝えたいことがあるのだろうけど、自分には難解すぎて何も伝わってこなかった。
ストーリーは一本調子で進んでゆき特に大きなイベントもないので、徐々に「早く終わらないかな」 となってくる。もしかすると、原作を読んでおいた方が良いのかもしれない。
全編通して映像は綺麗だった。
ホラーコメディ‼️❓自分の体は自分にしか自由に出来ない‼️❓
リアリティ皆無なので、最初から、心象風景かコメディと覚悟してたら、やはり、結末はコメディ。
ヒロインは最初、フランケン系映画🎞のノリだが、最後は知的、子供の脳を移植された母親だなんて、気にしないでね。
キモは、旦那の超ハラスメント、色情狂なんて乗り越えるんだよ。
ところで、ヒロインを汚く、売春宿の客も汚く、描くのは、最後の、あの、ためなんですよ。
ヒロインの次にフランケン化された女性が超美しい。
ところで、客やヒロインハードコア映像は何のために、とゆうか、映倫とおるの?
久々にメチャクチャな展開で、理に叶う結論を得た。
こんな、アンチテーゼの提案されたらアカデミー賞やるしかないでしょ、ある意味、あざとい映画🎞🎟🎬。
でも、見事でしたよ。
それと、貧民の募金を誰かが盗むの観て、24時間テレビ思い出した。
ああ、時事的に、風刺するには、こんなに、フランケン映画にするしかないのかね閉鎖的ハリウッドでは、トホホ。
ちなみにキリスト教社会で自殺と自慰を真正面から映像化したのはこれが初めて。
最後にヒロインの決断、選択は、常にリスペクトできるものでした。
自分の心の底を覗くために是非。
成長
エマ・ストーン素晴らしい✨
ダンカン役の方、笑わせてもらった笑
主人公ベラは
母親の身体で生きるベイビー
子供なので
とても残虐さと可愛いさがある
見た目は美人だし
魅力されるのがわかる
性の目覚めが早いなぁと思いつつ
成長が早いからと納得させつつ
ベラに魅力された一人ダンカンに連れられ冒険に出る
色んな人達に会い
どんどん成長する
貧困などを知り
悲しむ感情も芽生える
最初の脚を引きずりのが途中からなくなり成長したからだと思うが
そこも良くなるのかと納得させつつ
ベラという主人公を人間の成長を
見せている映画
その中で貧困から身体を売ったり
女性の一部を手術しようとする極悪な元夫が出て来たり
それでも殺さず、代わりに羊の脳を移殖させ一緒に住んだり笑
ブラックユーモアたっぷり
その中で女性の貧困、世界の貧富の差、女性を閉じ込めようとする男の欲が詰まっている
女性の一部を切り取っても
感じるのはそこの部分ではない
女は心で感じるんだ将軍
賛否両論かもね
なかなか洋画をかけてくれないのに、時々マイナー?な作品を上映するイオンシネマで観てきました。
エマ・ストーンが頑張っているという話でしたが、予想以上でした。昔風に呼ぶなら、体当たり演技というか。でも、エロさを感じなかったのは生々しさがなかったからかな。
女性が自立していくのに、やたらセックスするのはどうなんだという意見があるかと思いますが、ちょっと昔まで、女性には性欲がないという説があったことも関係しているのでしょうねか。
映像、音楽共に印象的で、新年一発目の劇場鑑賞作品としては概ね楽しめたのですが、アカデミー賞を取るには?て気も。
クソすぎて好き
現実のような、ファンタジーのような。恐らく架空の世界なんだろう。薄っぺらい内容にエロ、グロ。
明らかにスタジオっぽいやすい風景に不可解な行動に。大迫力のシーンがある訳でもなく。不協和音。
でも、自分の頭の中を表現したらこんな感じだって腑に落ちて、とてもスッキリ。
異形ともとれるアートな世界観
ヨルゴス・ランティモス、というギリシャ人の映画監督を聞いたことあるでしょうか?名前だけは知っている。作品を観たことはないが、断片的な情報から奇抜でシュールで毒のある世界観を生み出す監督だそうで、以前から興味はあった。そして今回、本作を拝む機会ができた。
ストーリーから奇抜。お腹に子を宿したまま身投げした女性の体を天才外科医が見つけ、女性の脳を取り出し、胎児の脳を移植。生まれ変わったその子(本作の主人公:ベラ)を実験体にし、観察して成長過程を記録する中で、ベラは世界を見て回りたくなる・・・というお話。
もう奇想天外である。
それをのっけから白黒のシュール感を付け足して見せつける。序盤は白黒なのはまだ外界に出てないからか、街を飛び出してからカラーに。しかしいきなり濡れ場からカラーになるからビックリ。またベラの体は大人でも脳はまだ子供なだけに無垢で無知。だから次何をやらかすか少しヒヤヒヤしながら見てしまう。それがシュールにも見える世界観と相まってドキドキしながら見てしまう。
この変わった世界観、いままで観たことがない・・・!
変わった世界観と言えば大昔の映画「カリガリ博士(1920)」を思い出す。全てを歪な形にしたシュールな世界観。またシュールと言うか、奇想天外な映像を作る監督とすればティム・バートンかデヴィッド・リンチか、はたまたウェス・アンダーソンか?しかしいずれにも属さない。背景から船から人の顔からどれ一つとっても“普通”ではない。“異形”ともとれるその姿形、
自分は美術館にある「アート(Art)」と感じてしまった。
いうなれば“まだ少しわかるピカソの絵画をみるような”感覚か。それが、自分が思うこの映画の世界観。しかし、居心地は良い。汁が溢れまくる、ジューシーな果物を食べるような感覚。だから胃もたれなく観ていける。ヒヤヒヤ感はずっと続くが。
だがストーリー自体も確かに面白い。女性が自立していく姿を映画いているが、成長ではなく、“女性が男性と同じ立場に立つためには”と言う視点で描かれているように思う。だから大人の女性を最初は無知で描き、女性の自立の方法を、自分を使った実験として模索していくような哲学的視点で描いたように思うのです。しかし、こんな描き方、ヨルゴス・ランティモス監督でなければできなかったのではないか?けっこう濡れ場多いぞ?それをアートに昇華できる監督でなければこれは無理やろー?そこはギリシャ人ならではの感性なのか?今後気にしていきたい監督としてメモしておこう・・・。
奇抜なストーリー、シュールで異形とも思える世界観、ヒヤヒヤしながらも、果汁溢れるジューシーな映画。R-18指定だが、観れるなら観ておいて損はない。逆に面白い発見ができる映画ではないかと思います
グロはピュアのエスプリ
終わって映画館を出たら世界が変わって見えました
しばらくベラが私に残ったまま過ごすことになりそう
私だけじゃなく、みんなもベラかもと思うと
ふるえるわ
女の子のアドベンチャー
監督ヨルゴス・ランティモス
脚本トニー・マクナマラ
主演・製作エマ・ストーン
この座組と、原題・邦題の良さと、フォントのかわいさから、観る前から期待値が高かった。
エマ・ストーンの瞼と唇に3人の男が色彩として乗っかってるチラシもかっこよくて、楽しみにしてた。
字幕翻訳は、松浦美奈さま。
R18なのに、公開スクリーンが多いのは、ハリウッドのストライキのせいで公開作品が少ないことも影響してるとは思う。
が、ヨルゴス・ランティモス作品としては、いちばん広い観客を捉えつつ、言いたいことに妥協がない作品で、しかもハッピーエンド(わたしの解釈では)!なので、評価されたってことなんだろうな。
何にも知らなかったベラが、世界を冒険して、快楽も醜さも思想も過去も知って、自分の生きる道を見つけたというお話。
脳みそスライスとかグロテスクな表現もあるけど、わたしはほぼ好ましく観た。自慰と性交のシーンが多すぎるが故のR18ではあるけれども、観るものの性的興奮を刺激しようとする意図が全く感じられない表現で、他の観客がいることを忘れてしまった。
ハンナ・シグラとの会話が面白かったし、ロンドンに戻ってからのベラの言動に観入った。
ゴッド(ウィン)の嘘は許さないけど、やったことは許す(受け入れるだったかな?)ってゆうのに、痺れた。
あとマックスが、ベラが娼婦をしていたことについて語るところが、めちゃくちゃよかった。許すとかではなく、自分は相手の男に嫉妬する。行動も体もベラの自由であるべきだからって内容。あれこそが愛だと思った。
女が奔放であることを、男が許すか許さないかなんて、そんなの決める権利はないの。それがわかってる男性に現実で会いたいわ。ほとんどいないの知ってるけど。
ゴッドが食事中?食事後に吐き出すあぶくはなんだったのだろうね。現実ではない世界の色彩と、とぼけた浮遊感のある音楽と、かわいい衣装と、魚眼レンズで丸く歪んだ世界…
映像のキッチュかつグロテスクなかわいらしさと、主張の現代的必然性と、42才女である自分にとっての共感とが合間って、傑作だと思いました。
純然たる者のパワーと怖さ。グッと惹きつけられるファーストショットか...
純然たる者のパワーと怖さ。グッと惹きつけられるファーストショットから、不安定なまま流れていくストーリー。この作品にのめり込んで行く自分と拒否反応を示す自分。少し長いかなと感じる部分もあったが、十二分に楽しめた。
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