哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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ベラの大冒険
ラ・ラ・ランド以来のエマ・ストーンという以外、
全く予備知識なしで行ったのはいいが・・・
あまりの作品に驚きであった。
自ら命を絶った女性が、天才外科医によりお腹の中の子の脳を移植され蘇生、
見た目は大人だが中身は子供。
成長するにつれ、外の世界に興味を抱き、冒険に・・・
といった、とんでもない設定。
最初は、中身は子供ということもあり、やることなすこと、子供だったのに、
外の世界でいろいろな経験をしながら、少しずつ成長していく姿や
話す口調もだんだん大人になっていくところは、いろいろと思うところはあったが。
でも、あんまり共感はできなかったなぁ。
そして最後のシーン・・・ヤギ?
とんでもないことに。。。
殺したくない、と言ってたけど、そうくる?笑
主役のエマ・ストーン、脱ぎまくってびっくりでしたが、
さすがの演技力でしたね。
原題は「Poor things」らしいけど「Poor pepple」だよね。
個人的にはやはり共感できない。
脳内洗浄2.0
少女の自立とそれを許せない男たち
素晴らしかった
表現と創作に対する踏み込みと覚悟が尋常じゃない。作り込みがすごいしセンスもすごい。そして何よりテーマ性がすごいし、SFとしてすごい。
ゴッドが探求心と好奇心最優先で人間や命をおもちゃにすることに躊躇いがない。とんでもない人で、とんでもなくピュアだ。理屈が感情を凌駕していて、正負の面を常に考える。自分の父親にされた虐待的な行為に対する負の感情と正のもたらされた結果をそれはそれとして考える。割り切りが気持ちがいい。
ベラもゴッドの影響が大きくて、理屈や好奇心が感情を上回る。周囲の人が皆、感情に振り回される。女性的と言ってしまいたいが、差別的なので避けるけど、それは人間として男女で区別できない。時代設定が古いため、女性はなおのこと理不尽に屈服させられるが、ベラは子どものピュアさとゴッドによる理屈があるため屈しない。かっこいい。ゴッドにされたことを知って、許せることではないと言いながらゴッドへの愛情を示す。
ベラが幼児のようながに股でよたよたと歩く。しかしあれは、幼児の股関節や筋肉ができてないからあんなで、大人の肉体があったらああはならないのではないだろうか。しかし分かりやすく幼児的であることを示したのかもしれない。
船で出会うおばあちゃんがいかにも上級で、上級のなりの寛容さでベラに接する。元夫は、ヤギの脳を移植されていたけど、ゴッドの脳を移植するのではと思って見ていた。しかしそれが成立すると拒否反応の問題など、SFとして成立しなくなる。ヤギでよかった。
ウェス・アンダーソン的な絵作りで似た雰囲気だが、あんな空疎で何も描いてないやつとはレベルが数段違う。
最高の歪な世界
評価が難しいけど☆5
毎年アカデミー作品賞に選ばれるのはなぜか私には合わないものが多かったり、この作品の予告を観ても全然興味がなかったのでスルーしようと思っていたのですが、高評価ばかりなので気になって観ました
観て良かったです
エマ・ストーンの演技、ホントすごいです
ウィレム・デフォーもやっぱり良いし、今作ではカッコ悪かったマーク・ラファロも良かったと思います
大きい袖のベラの衣装がとっても可愛かったです
ベラのように自分の気持ちのままに動くっていうシンプルな生き方って理想
女性の成長がテーマなのかわからないけど、ストーリーが良かったとかそういう言葉では表現しにくくて、でもあの世界に引き込まれてあっという間の142分でした
エンドロール中もまだあの世界にいて、劇場を出てからやっとあの世界から解放された感じでした
好きかと聞かれると好きじゃない作品
二度と観ないと思うけど☆5という作品です
アカデミー賞11部門ノミネートの問題作
映画ってこういうもんだよね
久しぶりに映画らしい映画を見た気がします。
R18指定だからとか言う意味ではなく、自宅のテレビでは見れないというか見る気にはならないけど、映画館だと見ちゃうよねっていう重厚感。
もう少し彼女の人生を見ていたいと思いました。
ヘンとエロを集めて もっとヘンにしちゃった~♪
海外での評価が高いので、アカデミーショー前に観ておこうかと思って、劇場に行きました。
本作は「芸術系大学生の 卒業制作映画」的作品だが、
撮影はプロが行っているようなので、セットや小道具の製作はお金がかかっていて、見事だったが
映画から受ける印象が"チョコレート工場シリーズ"か「バービー」のようで。。。
インパクトだけ、模倣したので、中身は無い。
若すぎる故に、制作者が自己顕示をしたい気持ちは理解できるが、映画の表現に主張と深みがないと、唯のエロ映画になってしまい
鑑賞中はただただ退屈な時間を過ごすだけに成ってしまいます。
衣装・ドレスのデザインは頑張ってはいるが、斬新さはまったく無く、出つくされたレベル。
主役のエマ・ストーンさん、ここ10年間で大変注目されていた女優さんだと思っていたが。。。
もういいや
娼館での字幕訳で「三こすり」と訳される場面があるが、こんな日本語はありません。正しい日本語は「三こすり半」です。
これは「三下り半」からの派生語なので、省略すると、意味不明になります。
更に映画では「one pump chump」と言ったのではなく、
彼女が言ったのは「short 」で、short and short (短少 早漏)の俗語で、ちょっと和訳のニアスが逆に成っており、誤訳です。
彼女の はにかんでの会話ではなく、ベテラン娼婦として、審判したと言う意味なのです。
この映画がイイと、少しでも思うなら、品格あるR指定映画「エマニエル夫人(1~3作)」と比べてみる冪だと思う。
人生とは
ネタバレ注意
ある妊婦のご婦人が、橋から身を投げて自殺をするが、研究家の医者が、その まだ新しい死体を発見し、ご婦人の脳とお腹の中の生きてる胎児の脳を入れ換えて、生き返らせる。
フランケンシュタインみたいな怪物映画?と思いきや。
見た目は美しいご婦人。脳は赤ちゃんの、名はベラ。
なので、初めは歩くことすらままならず、食べることも食い散らかす。
喋れるようになると、憎まれ口をたたき、セックスを覚えると、のめり込んでしまう。
そう。見た目は変わらずとも、赤ちゃんから成人へと変化する一生を表している。
売春婦でセックスシーンが話題になるが、人生大きな過ちを犯しても、やり直す事が出来る。と言う事だろう。
しかし、それらは、死んだ人間を甦らせた、人生であって、あってはならない。
が、その人生は、自分で考え、自分で生きた人生。
最後は人を愛する事を学び、医者になるぐらいの知性も得た。
しかし、生前は貴族の妻であったが、全く自由のない閉ざされた人生だった。
生きるとは何か?幸せとは?
エマ・ストーンのヌードばかり話題になるが、重た~い!ヘビーな映画だった。
そして、画面がとても抽象的で、感性や芸術性のレベルの高さも凄い。
脳が追い付かなくなるぐらい、深く理解の難しい、凄い映画に出会った
星2だった前半 終盤で評価が激変
女フランケンシュタインと聞いていたが、前半の彼女は行動こそ幼児の様だが、早くから抽象的言語を喋り、顔に継ぎ接ぎもなくほぼ常人。その為、私は世界観が掴み切れず前半はただ意味深で哲学的な台詞を聞かされる雰囲気名作なのではなかろうかという危惧をずっと感じていた。
ただ画作りは個人的に好きだったのでそこまで退屈していた訳ではない。飛行船がバンバン飛んでいたり光るキューブ状のエレベーターがあったり、ややSFチックではあるが基本的に背景は19世紀のリバイバルゴシック風であり怪しい人体実験もだからこそ許されていた、いや見つからなかっただけの雰囲気があり奇妙なゾッとする様な美しさがあった。ただ、面白いとまでは感じなかった。周りを振り回すだけのベラの行動の意味が分からないし、何故彼女は許容されているのかと。
ところが世間での冒険を終え、育ての親の病気を知って生まれた場所に帰ってから状況は一変。前半の疑問や振る舞いにどんどん決着がついていく。最初に婚約した彼との結婚を決め(その点ブレずに一途なのでポイント上がった)そもそもの人造人間誕生のきっかけとなった自分の脳の母親の夫との因縁を回収する。身体と脳に齟齬のあったベラは様々な人生経験により身体と脳を一致させ育ての親と同等かそれ以上の医師となり周囲をほぼ自分の支配下に置いてしまう。
そう彼女に足りなかったのは経験だけだったのだ。知識は家に閉じ籠もっていても蓄えられるだろうが、経験がなければ生きた知識にならないので人生での成功は覚束ない。元夫への処遇は人道的にどうかとは思うが身分差別や男尊女卑を是とする時代の申し子のような元夫に遠因がある事を考えれば著名な医師となったベラのラストの自信に満ち溢れた顔にはカタルシスを感じた。虐げられていた当時の女性の状況を打破する為にベラはモンスターでなければならなかったのだろう。
とは言っても元夫は軍人だからメンタルをやられていた可能性もある気はするが。
エンドロールは現代ポップアートのようで画作りは最後まで楽しめた。
マイナス0.5点は、当時の女性が世間を経験する意味で娼婦があり得ると言ってもセックスシーンが多過ぎると思ったから。ここだけ単に男性へのサービスシーンの疑惑が残る。
最後に主人公がエマストーンだというのも大きい。並の美人でスタイルも並だったら美しい画にならなかっただろう。男性俳優陣には申し訳ないが育ての親のウィレムデフォー以外は個性的であったり分かりやすい2枚目の男性を起用しなかったのはエマストーンが映える為だという気がする。勿論芝居は良かったのだが。この感想はルッキズムに反するだろうが作品の手法としては仕方ない。
という事で画作りの良さと怒濤の終盤の物語回収で前半と繋がって満足感が上がった事が高評価の理由だ。ただ、やはり娼婦場面は長過ぎるので映画館には再度は見に行かない。有料放送があればまた見るかもしれない。
究極の変態映画(笑)成熟女体に胎児の脳。 大丈夫かエマ・ストーン、...
“ピュア”な人間が見た、この世界
なかなかの内容でした。
この作品から何かを掴み取ろうとすると、人間の深いところに潜っていく必要がありそうで、劇場を後にしてからも独特の余韻に浸る経験をしました。
人間は生まれるとまず脳を発達させることを優先します。だから子供は頭が大きいのです。
しかし、この作品の主人公ベラは先に身体が大人になっていて、脳の発達が後になります。そうすると何が起きるのか‥が描かれているように思いました。
“ピュア”な人間が見たこの世界は、初めてのものが沢山で刺激的。しかし一方で貧富の差が大きいなど歪みもまた強烈です。死にゆく赤ん坊たちを見て涙するベラが印象的でした。
性に対する興味、それを素直に体現する身体と精神。ここにも脳の発達と身体のアンバランスがありますが、これも必然ですね。
ベラが辿る旅路は一体何だったのかと言えば、他ならぬ「居場所探し」だったと思います。頭と心と身体のバランスを整えながら行き着いた先は‥やはりマイホーム。
旅に出てこそ気づく‥いや、旅に出ないと気づけないことなのかもしれません。
こう考えると、独特な世界観で描かれたこの作品も実はシンプルに見えて来ます。
非常に頭を使う、見応えのある作品でした。
★★★★★完全解説!
エマストーンが好きだし雑誌で高評価なので見てきました。
原題の「POOR THINGS」って「満ち足りていない世界」という「現代の状況」を指した言葉でしょうか?「POOR」は金銭や物質的だけでなく精神的な意味も含まれますよね。「THINGS」は「WILD THINGS」(荒くれ者たち)みたいに特定の人を指すこともあるけど「THINGS CHANGES THESE DAYS」(最近は世の中も変わった)みたいに「世界」という意味にも使われていませんか?
さて、ヨルゴス・ランティモス監督の前作「女王陛下のお気に入り」が良かったので期待もしていました。
「脳を移植して生き返った若い女性が冒険の旅に出る」という内容ですが、鑑賞中はこの映画のオチをどうつけるんだろうと気になって仕方が無かったです。
無垢な女性が男性に翻弄されて娼婦になるというお決まりのパターン。性病を患って不遇に死んでいくのか?誠実な男と結婚して幸せになるのか?金持ちと結婚して幸せではないけれど暮らしは安定するのか?どの選択肢になるのかな?と女性の行く末を案じながら観ていました。
数奇な女性の人生遍歴を描いただけの映画ではヌード全開で出演を決めたエマストーンにどんな思惑があるのだろうとも思っていました。
しかし私の心配をよそに最後に明かされたテーマにガツンとやられて目が覚めました。これはなかなかの名作です。原作者のアラスター・グレイは「時計仕掛けのオレンジ」の作者のアンソニー・バージェスから絶賛されたそうですが、なるほどと納得する出来映えでした。
以下は私の解釈です。もちろんネタバレですので鑑賞前には読まないでください。
原作者がそうなのか監督がそうなのかわかりませんが、この映画は社会主義的なテーマの映画です。原作はマルクスレーニン主義時代の著作かと思いましたが1992年発表とのこと。意外と新しいですね。
映画は意図的に寓話的に表現されています。リスボンは実在の土地だけれどモノレールが走っていたり船の形もおもちゃっぽい。その演出がラストシーンで生きてきて唸らされました。
ラストに庭園にいる人物の役割に注目です。
まずは戦争屋の元夫は山羊の脳みそを移植されて葉っぱを食べてます。人類の最も愚かしい戦争が無力化された象徴です。元娼婦の社会主義者がパリから呼び寄せられて主人公の横に居ます。資本主義で搾取される象徴の娼婦が社会主義者になったこともわかりやすい変化。そして主人公ベラは脳外科医を目指している。この3人が出そろったことで社会主義革命が暗示されています。人類は脳みそを一度入れ替えて出直した方が良いと言いたいのでしょう。さらに極めつけは、言葉の発達が遅かった実験体二号が「ウォーター」と言うことです。明らかにヘレンケラーを示唆しています。三重苦のヘレンケラーが社会に目覚めるきっかけとなった言葉として有名ですね。夫マックスは誠実さの象徴。家政婦は・・・・市民?
ベラを連れ出したダンカンが破産して精神病院に居たのは資本主義の終焉を意味しています。アレクサンドリアの貧民窟と富裕層を繋ぐ階段は崩れ落ちていて貧民は上に来られない。ベラは娼婦に身を落とすという社会の底辺を体験しながらゴッド(神)と同じ道を目指すことを決めます。ゴッドは「科学的に」が口癖なのでベラも次第に論理的になっていく。これも科学的に社会を変革し進化させようという意味なのでしょう。古い神(ゴッド)が死んで新しい神(ベラ)の誕生です。この映画は革命家の誕生を描いたものでした。
さて、監督がなぜいまさら社会主義を持ち出してきたのでしょうか?
マルクスによると、共産主義は資本主義が成熟したあとに現れるとしており、その体制のもとには欲求を抑制した人々が集うとされています。最初にこの論を聞いた時は人間がロボトミー手術でもしなければ無理な体制だと面白がったものですが映画に通じるものを感じました。
いきずまりかけている現代に生きる我々も、ベラに脳みそを入れ替えて貰って新しい社会に船出しましょう。
ちなみにこの映画をフェミニズムに関連した映画だと評しているのを見かけますが、フェミニズムのポイントは性の搾取からの解放があげられます。ところがこの映画は娼館を否定的に描いていないどころか合理的システムとみなしている表現があります。この映画をフェミニズム映画と言う狭い枠に入れてしまうのは違うと思うし、せっかく良い映画なのに勿体ないなぁと思います。
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