「傷だらけのゲームレーサー。」グランツーリスモ すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
傷だらけのゲームレーサー。
◯作品全体
『グランツーリスモ』ファンである主人公・ヤンの自室から始まる本作。父からのサッカーの誘いを断って自室でゲームを楽しむ作品の導入や「ダメだったらリセットすればいい」というセリフによって、本物のレーサーとは遠いところにいるヤンを映し出す。将来を心配する父に対しレーサーになる夢を話すヤンはどう見ても現実的ではないが、ヤンの並外れたドライブスキルをリアルでもバーチャルでもダイナミックなカメラワークで演出していたのがまず良かった。
ただ、これでそのままプロレーサーになってしまったら他のレーサーたちと同じ。何千回もサーキットのコーナーを経験してきたヤンに足りないのは実体験だ。それはレースの実体験だけじゃなく車同士の接触やクラッシュの危険性だったり、時には観客をも巻き込んでしまうレーサーの責任感も含んでいて、そうした実体験がヤンの身体も心も傷つける。
インタビューの練習でも優しさとか弱さを滲ませていたヤンはそうした実体験に押しつぶされそうになるが、ソルターの檄とソルター自身の過去に触れることで再び前へ進む。この展開はグッときた。傷だらけのまま立ち直れず終わったしまったソルターだからこそ、ヤンに再びハンドルを握らせることができる。物語の展開としては「この作品独自」ではないけど、サーキットの事故現場から再びアクセルを踏む、という演出はレーサーを主人公にした本作ならでは。
ル・マンのレースでアクセルを踏み込めなくなったヤンに対して怒りを与えてアクセルを踏ませる展開は、作品を見ていた時には少し物足りなさを感じたけど、ヤンがシムレーサーとして馬鹿にされてきた経緯であったり、レーサーとしての道を歩むまでやるせない時間を経験してきたことを考えると、確かにここで爆発させるのは憤りなのかもしれない、と感じた。
心と身体で味わった傷がゲーム上の数値ではなく、実体験としての経験値を語る。負の感情さえも力に変えて一つ上の順位を目指し続けるヤンは、まさしく傷だらけのゲームレーサーだった。
◯カメラワークとか
・ゲーム画面からリアルのレースへディゾルブするカットとか車が分解されてゲームをプレイするヤンになるカットとか、双方がリンクするような演出が面白かった。
・レースシーンのカメラワークは駆け引きしてるところで空撮カットが入ったりして少し物足りなかった。車もヤンも熱量があがる演出として、トルクが動いたりエンジン音が上がるのはすごくよかったんだけど、冷静すぎる画面が多かった気がする。
◯その他
・実際にあることだろうし実際にいるんだろうけど、スポーツを題材にした作品に出てくるダーティな相手役は正直魅力的じゃないなあ。話が展開させやすいからだろうけど、アカデミーのライバル・マティみたいな敵対するけど勝負はガチンコ…みたいなキャラの方が見ていて気持ち良い。